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実感できない価値 [世間]

kikurogで挙げられていた、マーケティングプランナー辰巳渚さんの脳とスピリチュアルと自己愛とと云う記事を読んだ。

脳ブームについての記事なのだけど、正直ぼくは茂木健一郎さんをはじめとする脳科学者の主張については、どうも根本的に腑に落ちていない。本来ぼくの日常の感覚からはとても近いところにある考え方のはずなのだけれど、どうしてもどこか納得できないものが残る。なんとなく分かるのは、どうにも金の臭いが漂っていることくらいで(だからその主張が正当でないとか、学者として誠実でないとか云っている訳ではない)。

霊はスピリチュアリストの口を借りたり、音や風といった別の現象に形をかえたりするだけで、この私と直接接触しようとしない。「霊がいる」「霊がこう伝えた」と信じるのは、「私」が信じたいからだ。

これは例えば、巷間江本勝氏関連の言説でよく用いられる「言霊」にしても同じことだ。そこに透けて見えるのは、誰かに感謝を伝えたい、と云う気持ちではなくて、極論してしまえば「『よい言葉』というものに絶対的な価値を設定し、それを使うことによってなにかしら絶対的な利益を得たい」と云う計算高さだけだ。そこにほんとうにスピリチュアルなものを感じ取れているのなら、水の結晶の写真も、科学的な裏付けも不要なはず。

昨今の心霊や脳科学のブームに対して、いい悪いを言っているわけではない。私が言いたいのは、なにか「すっ飛ばした感じ」がこのブーム中にあるということだ。

そこには、本来「関係性」の中で意味付けられるべきものからその前提となる関係性をひっぺがし、なにかしら超越的な(しかも自分自身の外部にあるものとして実感することの出来ない)ものに依拠してその意味を求めようとする姿勢がほの見える。絶対的なものを想定し、そのものと自分自身を関連づけることで、自分自身のことも安定した、何かしら絶対的な場所に位置づけようとする発想が。

関係性は、厭わしい。その感覚はぼくにも分かる。
でも、関係性を捨て去ってしまっては、社会も、文化もその意味を失ってしまう、と思う。


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