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地方都市暮らし [近所・仙台]

もともとは神戸っこで、広島に住んでいて、仙台で学校を卒業して、東京にいたときは三鷹に住んでいた。少し前には福岡にいた。と云う訳で、地方都市育ちの地方都市在住だったりする。と云うか、地方都市好きなのだ。fuku33さんの吉祥寺の行列と云うエントリを読んで、ちょっと懐かしく思い出した。

20代を過ごしたのは三鷹だったのだけれど、玉川上水沿いに30分歩けば行けるので吉祥寺は生活圏内だった。ほんとうの日常に属する行動(普通に本を買う、CDを買う、飯を食う、酒を呑む)についてはほとんど三鷹で何不自由なく済ませることが出来たのだけれど、そこから少し外れる行動(服を買う、音楽を聴く、ひとに会う、一晩遊び回る、公園でだらだら過ごす)は吉祥寺まで足を伸ばす。伸ばす、と云うほど大袈裟なものじゃなくて、ちょいと出掛ける。ちょこっとだけハレ、みたいな。

三鷹では半ば地域コミュニティにも居場所を持っていて、ほんとうに「暮らす」場所だった。で、となりの吉祥寺には何でもあった。もちろん厳密には「何でも」じゃないにしても、例えば月に一度必要になったり欲しくなったりするものについては、この中央線の駅2つ分の地域でまかなえた(これはもちろん、ぼくと云う人間の傾向と云うか嗜好にも基づいているのだけど)。
で、大事なのはそれがみんな歩いてまわれる範囲内にある、って云うこと。

山手線の周辺とかには、なんか不便そうであんまり住みたいと思わなかった。休日にしたいことや手に入れたいものが複数あった場合に、その辺りに住んでいると電車に乗って銀座、秋葉原、神田、上野とか云った具合にぐるぐる廻らなければならない。あれみてこれみてそれみて、と云った場合にひどく手間がかかって効率が悪いしあんまり楽しくない。分化が進んでいるので、ある街には「その街にあるもの」しかなくて、結果的に細かなセレンディピティ発動の機会があまりない。

吉祥寺を含む地方都市に云える特徴だと思うのは、まずは「そこになんでもある」と云うこと。街のまんなかに出てしまえば、そこから歩いていける範囲でなんでも手に入る。とても日常的なものから、ちょっと探さなければ見つからないものから、旧いものから、新しいものから、安いものから、値の張るものから。酒を呑むときだってそう。そこそこの値段で風情を感じながら呑むことも出来るし(伊勢屋のもうもうたる煙の中で焼き鳥で立ち呑み、とか)、その土地を自ら選んで店を開いている名うてのバーテンダーに呑ませてもらうことも出来る(ワゴン・リーにいた佐伯さんは自分の店を出したらしいけど、まだ行ったことがない)。もちろんないものもあるけれど、もうそれは「それを売っている土地」にしかないものなのであきらめもつきやすい。

もうひとつあるのは、そこが歴史を持った生活の場所でもあること。吉祥寺も西に行けば住宅街で、でもいろんなお店がそちらの方にも広がっていて、結果大きな輸入雑貨屋の2軒となりは八百屋、その向かいは結構マニアックなセレクトショップだけど少し行くと銭湯が、みたいな街ができあがる。これは歩いていて楽しい。

でもこれ、ある程度以上の規模のスケールの地方都市ではもともと通常のことだったりする。いまぼくは仙台の割合と街中(地域一番の百貨店まで徒歩10分、市役所まで20分)のところに住んでいるので、そう云う地理感覚で見た暮らしを日常にしている(と云うか、そうじゃなきゃ嫌なので郊外に住めないのだ)。街の中心部とひとの暮らしが接する辺り、新しいものと変わらないものがグラデーションで繋がる辺り。

旧いものと新しいものが同居する商店街としては、全国的にまず名前が挙がるのが横浜の元町商店街だと思う。もうここは伝統も流行の最先端もごっちゃ(と云うか区別がない)。少し前に住んでいた福岡もそう云う意味では巨大な街で、新しいものと旧いもの、生活区域と商業区域が混然としていた。ぼくが住んでいたのは西新商店街のそばだったんだけど、地方都市の中心から少し外れた中堅クラスの商店街だったにも関わらず、ほとんどその辺りから出なくても暮らせるくらい充実してるうえに、楽しくなるくらい生活と商業、新旧が混在していた(だいたい何でも手に入る結構充実した商店街なんだけど、昼間はおばちゃんたちの「リアカー部隊」なるものが登場して、歩行者天国にリアカーを連ねて野菜だのなんだのを売っている)。

で、こう云うつくりの街だといろんなポジションにいるひとたちが同じ地理的区域にレイヤーを作って生活しているので、重なり合ったレイヤー同士が相互に影響し合ってダイナミックな「街の動き」みたいなものを生み出す気がする。そこからそのまちのカルチュアみたいなのが生まれてくればしめたもので、暮らす人間はそこにあるものを享受するだけではなくて、そのカルチュアを作り出すプレイヤーとしての位置を占めることが容易になる。なんと云うか、その街において自分がいちばん面白いと思っているものが、間違いなくある面では実際にいちばん面白いものだ、と云うのをダイレクトに感じ取れる感覚。この辺が、本来の地方都市暮らしの醍醐味なんだろうなぁ、と思う。特に、多少ややこしい抽象的なことでも生活実感から出発して考えたいぼくみたいな人間には、そう云う感覚が必要なもののように感じられる。

で、ところで仙台の現状はどうかと云うと、実はだんだんつまらない街になっている、と云う気がする。
地域の人間の感受性や、そこに積み重ねられて来た文化を踏まえずにマーケターが組織してしまう町並みと云うのは、どうしてもそこに空疎さ(もっと云えば田舎臭さ)のようなものを生じさせてしまう。そう云う街を闊歩するひとたちは美しくない。なぜなんだろう。


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