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求められているもの [世間]

どうもぼくがここでニセ科学を切り口にしながらぐるぐると寄り道がちに牛歩の思考を重ねていることに関連するようなことを、skywolfさんがニセ科学の根底にあるものと云うエントリで明解にお書きになっている。

しかしながら、「科学で得られた知見」というのはしばしば残酷な面を示します。いうなれば、「世界はあなたの願うようには出来ていない」ことをはっきりさせるのが科学、と言っても良いかもしれません。もちろん、これはある知見に対する受け手の問題であり、知見そのものは中立なのですけどね。

とはいえ、現代の社会においてスポンサー(民主主義においては政府、その後ろにいる有権者)が求めていることは、社会をよりよくしていきたい、という願望をかなえていくことにあるわけです。そして、このスポンサーは科学者が見つけてくる「事実」にまっすぐ向き合えるだけの覚悟と自覚を持っているか、というとはなはだ疑問なわけです。

少なくとも、目先の問題にはそう云う部分もある訳で。でも、そこは原理的には科学には担えないのだ。skywolfさんも上記の引用部分の後で、今まではこれらはある意味「宗教」が答えを出してきた部分ではあります。と述べられているけれど、この辺りが菊池教授やぼくが宗教に一定の役割を認めている部分でもある。

水伝のやり方は間違っているし、科学的方法を装っているだけにたちが悪いともいえますが、科学の側も、相手が事実にきちんと向き合うことに慣れていない人を相手にしている、ということは認識しておいたほうが良いように想っています。

ここがまぁ、あれこれと戦術なり戦略なりを考えたりする部分ではあるのだけれど。でも、根本的に事実にきちんと向き合うことに慣れていない人と云うのがどうしてこれほどたくさん生じているのか、と云うのがいちばん気になる部分ではあったりするのだ。


タグ:ニセ科学
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