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信頼と盲信にまつわるあれこれ [世間]

Jackさんの科学というオブラートと云うエントリを読んだ。少し前に触れたFinalventさんのエントリに触発されて書かれたもののようだ。

いちおう、ブログになにか書くと云うことは、表通りに言説を放り出すことで。で、例えばこことか、他にもいろいろあるニセ科学について継続的に扱っているブログなんかでも、そこでの議論が誰かの目に触れることを期待して議論を進めている。
でもまぁここなんかは言葉の正確な意味でネットの辺境だし、ここなんかでこれまで重ねられてきた議論や熟成されてきたいろんな見解なんかはやっぱりなかなか人目に触れないわけで。で、例えばそれよりもFinalventさんの(ご自分でも認められているような、いやこれは謙遜なのかもしれないけれど)やけくそで雑駁な印象のほうが影響力が大きい。まぁこれは力量の違いで、不満を感じる筋合いのものではないんだろうけど。

しかしその陰イオンマイナスイオンが指すとしても、
それが健康に良いという科学的な実証はされていないということです。

ここで、例えばJackさんはすでに論点を取り違えていらっしゃる。その陰イオンをマイナスイオンが指すかどうかが(多くの場合恣意的に)あいまいにされているので、そもそもが科学の俎上に乗らない、と云う話なのだ。「あるときは陰イオンを指し、あるときは生活のなかでのストレスで失われる電子を補給してくれるもの」だったりするようなものが、そもそも科学的な実証の対象になるのか、と云うことに対する検討が、ここではすでに抜け落ちている。
余談としてお書きになっているけれど、ニセ科学批判と云うのは、実際にこんなレベルから始まっているのだ。

これは一般論にしていいかどうか分からないのですが、
僕は科学=客観的、あるいは正しい、というイメージを持っています。

そして、そのイメージを利用するのが、ニセ科学で。

だから、逆にこれがニセ科学だという主張が科学的であれば、
あるいは、科学的根拠に基づいているように見えさえすれば、
そうなんだと「信じて」しまうということでもあります。

このあたりはちょっと微妙な書き方をされているなぁ、と思う。科学と云うものにいちおうの信頼をおいていれば、これがニセ科学だという主張が科学的である場合には、ニセ科学だと考えてもいいのだと思う。そして、ぼくたちの生活は科学(とその根本的な誠実さ)に「いちおうの信頼を置く」ことで成り立っている。その信頼がなければ、例えば水道水が飲めなくてミネラルウォーターだけにする、なんて云うのはまだ可愛いもので、飛行機にも車にも電車にも乗れなくなるし、高層ビルにも登れなくなる。
もちろんこれは「科学っぽいものなら信じろ」と云っているわけじゃなくて、程度問題だ、と云う話だ。芹沢さんの覚えておきたい、ニセ科学リストに挙がっている項目のほとんどは、専門的な知識がなくてもぼくたちのコモンセンスの延長でほとんど判別がつくものだ。だから、大事なのはコモンセンスを研ぐことだ(と云うことが結構ぼくのような「非専門家」の継続した主張なんだけどなぁ)。

だからこそ、その盲信性を意識することが必要なのではないでしょうか。
科学は絶対だというのが深層意識にしみこんでいるというか。
科学的だということに対し、そこで思考が停止してしまう恐れがある
ような気がします。

おっしゃっていることは正しいしニセ科学の問題のコアに迫る話ではあるのだけれど、微妙だなぁと思うのはここで、科学的と云う言葉の定義が揺らいでいる点。科学的、と云うのは「科学の手順を踏んでいる」と云うことで、その手順を踏んでいないものがニセ科学。で、科学は絶対でもないし万能でもない。このことがわかっていれば、専門家ではなくてもニセ科学は見破れる。そこはコモンセンスとして持つべき部分だし、逆に科学は絶対だというのが深層意識にしみこんでいることを利用するのがニセ科学なので、専門的なものでなくても判断できる程度にコモンセンスを強化しましょう、と云うのが科学者・非科学者を問わずニセ科学批判者が積み重ねてきた議論で。
で、それを踏まえたうえで指標となるようなものをあえて、と云うのが芹沢さんのリストの本意で。このことは、芹沢さんのリストにちゃんと明記してある(このリストは、機械的にニセ科学を見分けるためのものではない。「リストに載ってないから本物」などという判断は、それ自体科学的ではない。と云う一文がしっかりと記載されている)。Finalventさんがここまで踏まえて偽科学を問題にしている人って、なんか偽科学と同じような臭気を放つという点でそれほど変わらないと云っているのだとすればそれは意図的なミスティフィカシオンだと思うし、Jackさんのような方に届くのがそう云う言説のほうだ、と云うあたり、以前書いたようにニセ科学批判は流行なんかしていないし、今後も流行なんかしないことを示しているんだと思う。だってかっこわるいし。Finalventさんのほうが百倍かっこいい(し、1万倍の読者がいる)。

それでも。
基本的に科学を、そこにビルトインされた誠実さを信じるべき理由を、ぼくは以前書いた

温暖化問題を例にしたのは微妙だったかもしれませんが、
科学が客観的、公平であるという考えからくる盲信性について
意識するのは、ニセ科学などを考える上で必要ではないでしょうか。

ある時点における「科学的」な言説に、イデオロギー的なバイアスがかかる、と云うことはもちろんあるだろう、と思う。そして、それを見抜くために必要なのは、やはりまずはコモンセンスなのではないか、と思うのだ。
そして、そう云ったバイアスを排除していく仕組みを、「科学的な方法」と呼ぶのだと思う。


タグ:ニセ科学
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TAKESAN

今晩は。

言及先のブログ、大変に冷静で、丁寧に論じておられますね。偏った見方をしないよう、注意深く書いていらっしゃるように見えます(見習いたいくらいで(笑) )。
ただ、惜しむらくは、恐らくJackさんは、当の「”ニセ科学”を批判する人達」の議論、あるいは主張を、それほど押さえてはおられない、という事ですね。そこら辺を調べて下されば、また(Jackさんが懐く)印象が変わってくるようにも思います。

あるものに対してニセ科学と評価する事自体が、その評価の妄信を促す可能性を持つ、というのは、それこそ、最初の方に考え付くのですよね。真面目に考察していくと。
by TAKESAN (2007-12-11 23:24) 

pooh

> TAKESANさん

結局のところ継続的にあることについて考えていくと、展開する方向はディテイルの精緻化や適応ケースの発展みたいなほうに進んでいくわけですよね。でもやっぱり、「そもそも」の部分は重要なわけです。すでに論じられたものでも、やはり「通過済みの議論」とはならなくて。

きくちさんの云う「繰り返し論じることの重要性」ということにもつながってくるんだろうな、とか感じます。
by pooh (2007-12-12 07:39) 

亀@渋研X

ニセ科学を問題だと考える動機と、「『安易(≒短慮・浅薄・浅慮・無批判)な』ニセ科学批判は危険だ」と考える動機は、少なくないケースでダブっていると思うんですよ。しかし「安易」とかと言ってしまうと、「いまのニセ科学批判は安易だ」という話にも流れがちで。これも「善意の問題」ではあります。そこら辺、難しいですね。

>繰り返し論じることの重要性

それと、毎度ムダに長いエントリを書くボクが言っちゃいけないんだけど、短く要点がまとまった、参照しやすいFAQが基礎文書として必要なのでしょうね(大汗
まこ氏の「ニセ科学入門」はあるのだけど、あれでは長いという人と、あれではぜんぜん足りないという人の両方がいるはずという問題もある。足りないという人には名著もたくさんあるのだけど、そういう本の多くは「いま日本で起きているニセ科学批判に関する本」ではない。
そう考えてくると「ニセ科学批判はどうあるべきか」みたいな文章も必要なのかもしれませんね。芹沢さんの「正しい懐疑マニュアル」みたいなものかしらん。「健全なニセ科学批判のために」みたいな覚え書きでも書かないといかんかしら。
by 亀@渋研X (2007-12-12 09:42) 

A-WING

こんにちは。

私は、Jackさんの記事を、科学的な(あるいは科学っぽい)説明を盲信してしまう人に対して注意を促したもの、と解釈しました。
例えば、文中に登場する「イデオロギー」を、「利害」と解釈してみると、そういう性格が浮き上がってくると思います。

余談ですが、コメント欄の、なつかしいあの方とのやり取りが良いですね。
by A-WING (2007-12-12 10:25) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。なんていうか「科学」だから変な所に落ちこんでしまう気がするんですよね。

私は悪徳商法批判者だったから、架空請求の葉書に書かれた法律の名前をみて笑い飛ばす事をお勧めしたり、現実にある法律でも「それはこんな場合に使える法律ではないよ」なんて説明したりもしていたんですね。

そんなときに、「その法律が無いという話は法学的に正しいのか?」「その法律がこの場合に使えないというのは法学的に正しいのか?」とかツッコミを貰ったことは全くと言って無かった訳です。

類似していない様に見えるかも知れませんが、人が決して詳しい知識を持たないことを利用して、例えば「民事延滞債権請求法により」なんて存在しない法律名を出して人を脅かすという事と「マイナスイオンという健康に寄与する物がある」という事は基本的に同じレベルのことなんですね。そして私なり法律に詳しい者が「そんな法律は存在しませんよ」と言うのと、自然科学に詳しい者が「マイナスイオンなんてのは科学的には定かなものではありません」と言うのとたいして違いがあるようには思えないんです。ところが、一方は、「ああそうなんですね」となるし、もう一方は「その批判は科学的に正しいのか」となる。

この違いは何なんでしょうね。法律に詳しい者は信頼できるけど、自然科学に詳しい者は信頼できないと言うことなんでしょうかね(笑)。
by 技術開発者 (2007-12-12 16:08) 

TAKESAN

今日は。

ああ、技術開発者さんのコメントは、大変示唆的ですね。

うーん。法というのは社会的な体系であり、自然科学は自然のメカニズムに関する知識の体系である、というのが関わっているのでしょうか。科学の方は、「まだ解っていない事」とか、「もしかしたら明らかになるかも知れない事」、という風に、未知の部分があるというのが、科学に詳しく無くても理解しやすい、と言うか。法律では、「まだ発見されていない法律」、と言うのは、無いでしょうし。
そうすると、技術開発者さんの例の場合では、悪徳商法関連で困った時にアドバイスをくれる人に、「法体系をちゃんと理解している」、とバイアスを掛ける。片や科学者には、「専門家といえども解っていない事があるに違いない」、と、社会一般に、バイアスが掛かっているのかも知れません。
後者のバイアス自体は正しいとは思いますが、それが、「これはニセ科学である」、と何かの説を批判する主張を科学者が行った際に、ネガティブに働いてしまう、という事なのかも知れませんね。

後、ニセ科学批判批判をする人は、そもそもニセ科学そのものの批判には、必ずしも反対している訳では無い、という所も、関わっているのかも。批判の仕方を批判する人は、批判自体を否定しているとは限らない、という。
by TAKESAN (2007-12-12 16:25) 

pooh

> 亀@渋研Xさん

ニセ科学を信じるのも、ニセ科学批判を「信じる」のも、実際のところは大差なくて。だから「安易なニセ科学批判」は批判されてしかるべきだし、ニセ科学を批判するにあたってどうすれば「安易なニセ科学批判」に堕さずにすむか、と云うことはかなり延々と議論されているテーマではあると思うんです(TAKESANさんのInterdisciplinaryで「メタとベタ」についての議論が続いているのも、この関連ですよね)。充分かどうかは別としてぼくらは「安易なニセ科学批判」をしているつもりはないし、そこに対する「安易な批判批判」にはやっぱり脱力してしまう。楽しく批判批判をするのなら、こっちに来て本気で議論してみてくれ、みたいな。

> > 「ニセ科学批判はどうあるべきか」みたいな文章も必要なのかもしれませんね。

それはそれで「それを頭から信じるのは問題だ」みたいな言い方はいつでもできるわけですけどね。コミットメントなしで揶揄するのって簡単だ。って、ちょいと凹んでるかもです。
by pooh (2007-12-12 21:24) 

pooh

> A-WINGさん

これ、でも「イデオロギー」と云う言葉を使った瞬間になんとなく陰謀論めいてきて、どうかなぁ、と云う気になりませんか?

「なつかしいあの方」は、いまでもあの頃のままのようですね。誰か同意してくれる方は現れたのでしょうか?
by pooh (2007-12-12 21:24) 

pooh

> 技術開発者さん

> この違いは何なんでしょうね。法律に詳しい者は信頼できるけど、自然科学に詳しい者は信頼できないと言うことなんでしょうかね(笑)。

なんなんでしょうね。
「高度に細分化された法律も、魔法と見分けがつかなかったりはしない」あたりになにかあるのではないかと。
by pooh (2007-12-12 21:25) 

pooh

> TAKESANさん

なんとなく「科学的」と「人為的」と云うことに対立軸を置きがちな発想があるのではないか、と云う気がします。設定する視点によっては法律は自然科学同様に科学的であり、また自然科学は法律同様人為的である、と云う捉え方も可能だと思うんですけどね。

> > ニセ科学批判批判をする人は、そもそもニセ科学そのものの批判には、必ずしも反対している訳では無い、という所も、関わっているのかも。批判の仕方を批判する人は、批判自体を否定しているとは限らない、という。

批判の仕方を批判するひとには、最低限ファッショナブルなだけだったり、私怨めいたものだったりしないような有意義な批判の仕方を学んでほしいなぁ、とか思います。
by pooh (2007-12-12 21:26) 

技術開発者

こんにちは、 TAKESANさん、poohさん。

>技術開発者さんのコメントは、大変示唆的ですね。

私自身、何かきちんと考えた上で書き込んだのではなく、なんとなく考える糸口にならないかなという思いで書いています。そういう意味で、

>法というのは社会的な体系であり、自然科学は自然のメカニズムに関する知識の体系である、というのが関わっているのでしょうか。

という切り口は面白いかも知れませんね。私は「学問と技術」なんて分類をしますが、自然科学の学問的発見が、普通の人の生活に直接関係するなんてことはまず無くて、その学問的発見が何らかの技術を生み出すことで生活に影響を与える訳です。これは法学についても或る程度言える訳でして、例えば「自衛権とは何か」みたいな法学論争が直接に生活に影響を与える訳ではなくて、その法学的解釈に基づいて法律ができたり法律の運用が変わったり(この場合には、令や則の段階で変更がおきるので「法令の変更」というべきでしょうね)することで生活に影響が起こるわけです。

でもって、一般の人がこういう学問と技術の区分がついている訳では無いけれど、それなりにイメージというのがあって、たとえば「借金の取り立てを容易にすることは法学的に正しいか」なんて学問的議論があるとしても、現在「民事延滞債権請求法」が存在しなければそんなものに怯える必要はないというのはなんとなく分かっている訳ですね。ところが、もし仮に「マイナスイオン」という学問的発見があっても、それを利用する技術ができなければ、生活に影響など起こらないという認識はどこまでできていのでしょうね。ドライヤーやら空気清浄機の宣伝を読んで頂くと、「学問的にある」かのような記述をして、では製品に「どのようにその学問を活かす技術開発がされたか」なんてのは書いて無いわけです。

なんていうか、「死刑廃止論」という法学的議論があることを元に、現行の刑法の下で死刑を求刑する検事を批判し、判決を下す裁判官を糾弾するのは間違いなのです。それと同じように、「自然科学的に未科学の要素を持つこと」を理由として、現在、作られてもいない「マイナスイオンの技術」をあたかも「存在する」かのように謡うことを擁護することはできないということが、どうして分からないのだろうと思ったりする訳ですね。
by 技術開発者 (2007-12-13 08:29) 

pooh

> 技術開発者さん

これってやっぱり、自然科学と云うのが日常から遊離したものとなっている、と云うことなんでしょうね。
で、その責任を帰されるべき先は見地によっていくつもあるわけで。そのあたり、ぼくや技術開発者さんなんかがずっと個別撃破的各論でお話ししてきたところとつながってくるんでしょう。
地道にやってくしかないんでしょうね。
by pooh (2007-12-13 22:04) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

>これってやっぱり、自然科学と云うのが日常から遊離したものとなっている、と云うことなんでしょうね。

う~ん。むしろ「中途半端に日常とのつながりが認識されている」様な気がしますね。

法律の事なんかを考えると「クーリングオフ」一つとっても、民法の「錯誤無効」にさかのぼり、さらには信義誠実原則にさかのぼり、と難しい法学論はその根底にきちんとある訳ですね。でも普通の人はそんな小難しい法学論の末端にクーリングオフ規定があるなんて知りもしないし知る必要も無いでしょう。ただ、すり抜けようとした変則的販売で売りつけられたりした人が混乱した時には、私みたいなのが「クーリングオフ規定とはそもそも・・・」なんて説明する事があるだけです。

でも自然科学の場合には、例えば「GMR効果の発見」に対してノーベル物理学賞が与えられると、様々なメディアが「ハードディスクの容量を一気に増大させた発見に」なんて形で伝える訳ですね。まあきちんと読めば、その発見がハードディスクのピックアップに使われるまでの間に様々な「技術開発」があることは分かるのですが、そういう意識なしに何気なく読むとまるで物理学者が最初からハードディスクの読み取り装置を作り上げたかのような印象も生じてしまうわけです。

私は良く「道普請のたとえ話」なんてします。学者が新たな発見をするというのは、何処にたどり着くかわからないヤブをヤブこぎしながら「踏み分け道」をつくるようなものです。でもって、「あそこにたどり着ける」と分かり、そこに価値があったら、様々な研究者がその踏み分け道を車が通れるだけの道に整備して、そこを工業とか医療といった車が通ることで、普通の人に役に立つなんて話です。私なんかはその道普請の一番最後で、みんなが取り除けなくて残しておいた石を鏨で削っていく様な仕事をしているのだろうと思っていますけどね。

そういう道普請的なイメージのない「ヤブこぎの踏み分け道=社会の利便性」といった短絡的な理解がニセ科学の蔓延に関係している様な気がするんですね。
by 技術開発者 (2007-12-14 09:34) 

pooh

> 技術開発者さん

うむむ、少し考えてみます。
「視野が狭いほうが得をする」的な社会状況もあるような気もしますけれど。
by pooh (2007-12-14 23:00) 

PseuDoctor

こんばんは。

本当に、法律と科学との比較というのは面白い視点ですね。と言いますのも、技術開発者さんやapjさんに触発されて(笑)、私も少し法律の勉強を始めたりしているので余計にそう思ったりするんですが。

ちょっと考えをまとめきれないんですが、今のところ2つのポイントを思い浮かべています。
1.法律には強制力がある。
2.本質的にはともかく、イメージとしては法律よりも科学の方が馴染み深い。

で、この2点から何が言えるかというと、一般的に法律というのは馴染みが薄いのだけれど、守る事が社会的利益に直結しています。ですから「法律に詳しい人」に対してはなかなか異議を唱え難い。
でも「科学」と言われると何となく解ったような気になってしまうし「科学で何でも解るわけではない」というような言説は(言葉だけが)人口に広く膾炙しているので、異議を唱え易いのではないでしょうか。

かつては「科学技術」というものに対して国民はもう少し信頼感を持っていたように思うのですが、それはまた別の話ですね。
by PseuDoctor (2007-12-15 00:22) 

pooh

> PseuDoctorさん

うぅむ。ぼくはまだ正直、アナロジーとしてぴんと来ていない部分があるのですけど。

> 「科学で何でも解るわけではない」というような言説

これは言説ではなくクリシェです。この言葉を口にするひとのほとんどが、この言葉が何を意味するのかを理解していません。
by pooh (2007-12-15 07:56) 

Jack

初めての書き込み失礼します。

トラックバックどうもありがとうございました。
返信としてこちらもエントリをあげさせていただいたので、
読んでいただければと思います。

また、コメントをされている方々、
拙ブログ読んでいただきありがとうございました。

法律と科学についてはどうなんでしょう。

法律が身近になく、科学が身近にあるとするなら、
法律の場合はこうだよと教えられて、本当にそうなのかと
六法全書を開いて調べようとする気が起こらないのに対し、
科学では中途半端に知識があるから、自ら判断しようとする
ということもあるのかも、と思いました。
by Jack (2007-12-16 05:52) 

pooh

> Jackさん

いらっしゃいませ。エントリ読ませていただきました。
実際のところJackさんの位置からのニセ科学問題に対する言及は貴重です。そのこともあって、これだけの議論に発展しているのだと思います。

少し、思ったんですけれど。
法学は何かを解き明かすような、真理に向かう学問ではなくて。それはあくまで実利に向かう、ある角度から見れば賎学なんだと思うんです(その得ようとする実利が、例えば「安定した社会」のようなものであっても)。ですので、法学は疑ったり、信じたりするような対象ではそもそもない。この辺りに根本的な自然科学との質的相違があるのかも、とも思います。
by pooh (2007-12-16 11:51) 

PseuDoctor

こんばんは。

うむむむ、おそらく私の説明が下手なのですね。思考も生煮えだし。
もう一度、考え直してみます。

>> 「科学で何でも解るわけではない」というような言説
>これは言説ではなくクリシェです。
これも仰る通りで、私の書き方が不用意でしたね。既にPoohさんがお書きの内容と重複しますが、
「この言葉の意味をきちんと理解していれば、殊更に言い立てる必要など無いという事が解る筈」ですので、対偶を取れば
「殊更に言い立てる人は、きちんと意味を理解していない」となります。
この「意味を理解していない言葉を言い立てる」という行為はクリシェそのものではないけれども、クリシェと極めて近いと言うか、相性が良いものだと思います。
by PseuDoctor (2007-12-16 22:24) 

pooh

> PseuDoctorさん

あぁ、ごめんなさい。最近無駄に多忙で、ぼくのレスこそ生煮えが多くなってます。この場を借りて、みなさんにお詫びさせて下さい。

PseuDoctorさんは先刻ご承知だとは思いますが、ぼくがニセ科学を批判するにあたっての最大の論点としているのは、「分かりやすさ」志向と紋切型思考に対する違和感です。それは、自分に人格があると思っているならすべきではないし、人類が犯して来た数多くの過ちの根底にあるものだと思っています。この部分と、なんと云うか「思惟の経済性」のバランスの決着点が、一番の関心事です。
by pooh (2007-12-16 22:37) 

TAKA

技術開発者さんのヤブこぎ話は分かり易いですね。
正しい科学も立派な登山道も、昔の人の積み重ねがあってこそですね。

私も考えてみました。
メインルートから外れたヤブ道を発見した登山客に、
「絶対に近道です。間違いありません。」と誘導する人がニセ科学側。
「いやこの道はもう廃道になってるよ。」と忠告してくれる人がニセ科学批判側。
そして山頂小屋から、「わざわざヤブ道を歩く者など放っておけ。そんな事より山小屋の飯がまずい。先にこっちの方を問題にしろ。」と言っているのがニセ科学批判批判者。

登山客の多くはしんどいヤブ道を嫌がり、楽なルートを登ります。
そうすると山頂にいるFinalventさんの「どちらもヤブ道を歩いているんだから似たもの同士だ。」という意見だけを拝聴する事に。
そういう意味ではJackさんが、「安易に廃道と決め付けるのも良くない。ガイドの意見も疑ってかかった方が良い。」と思ったのも無理は無いですね。

結局poohさんの、
 「ニセ科学批判は流行なんかしていないし、今後も流行なんかしない」
という事になりそうですね。

ちなみにヤブ山登山に興味を持った方へ。
私は田舎者なので大ヤブも平気で突撃していましたが、慣れないうちは地元の人の言う事を
聞いて引き返した方が無難です。(地元の人が廃道と言ったら廃道なのですよ。)
by TAKA (2007-12-17 15:32) 

pooh

> TAKAさん

地元のひとが遠回りをしろ、と云ったら、それは遠回りが近道だ、ってことなんですよね。「誰が『地元のひと』として信用できるのか」は、自分で見抜くしかないんでしょうけど。
by pooh (2007-12-17 21:52) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。TAKAさんが少し発展させてくれたみたいなので・・・

なんていうか、ヤブこぎしたあげくにどこにも行き着けないなんて人は今まで山ほどいたし、私だって研究生活では何度も無駄なヤブこぎをしてきたと思います。研究なんて無駄なヤブこぎをどれだけするかということだと思っていますからね。

我々が、「それは廃道だよ」なんて言い出したのは、その無駄なヤブこぎが個人の失敗で終わらなくなって、何人もの技術者がその「行き先も分からない踏み分け道」に入り込んできたからでは無いかと思うんですね。マイナスイオン製品の開発に携わった技術者の人がつむらさんのブログに書き込んだりしていますし、水伝を学校で教え始めた教師だって、「この道が何か良さそうだ」と思ったからだろうと思います。

もともと、研究者が「行き先も分からないヤブをこぐ」のは仕事です。おいしい所に行き着けたら大学者になるし、行き着けなかったらただの馬鹿という事をいつだって認識しているのが研究者だろうと思います。でもいつの間にか、「行き先も分からない踏み分け道」に何人もの研究者が集まり、行き先もないのに道が整備され「マイナスイオン製品」みたいなものを作り出す「産業」という車まで通り始めたわけです。その先として「何処に行くつもりなんだ、その先においしい未来は見えていないぞ」と言わずに居られるものでもないんじゃないでしょうかね。
by 技術開発者 (2007-12-17 22:05) 

pooh

> 技術開発者さん

これ、アナロジーとして、個人個人のスキルとしての「ヤブのこぎ方」や「通じていそうな道の見分け方」と云う話もできるような気がして来ています。して来ていながらも、ごめんなさい、ぼくは未だ未消化ですけど。
by pooh (2007-12-17 22:50) 

PseuDoctor

こんばんは。

>最近無駄に多忙で
何というシンクロニシティでしょう。実は私も全く同じ状況です(単なる年末進行でしょ、というツッコミは無しの方向で(笑))。

>ぼくがニセ科学を批判するにあたっての最大の論点としているのは、「分かりやすさ」志向と紋切型思考に対する違和感です。
確かに承知しているつもりだったのですが、前々回の様に不用意な発言をしてしまうところをみると、どうも理解が甘い様な気がしてきました。

>「思惟の経済性」のバランスの決着点
この視点には魅せられます。ちょっと「法律と科学」については上手く考えをまとめられないので少しお休みさせて頂いて、以前の記事を拝見していて見つけた
http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2006-10-16
の方にコメントしてみたいと思います。
by PseuDoctor (2007-12-18 23:41) 

pooh

> PseuDoctorさん

どうしてもぼくは、そう云う社会科学的な視点を志向する部分があるようです。そういえば経済学士だった(でも経済学は分からない)。
by pooh (2007-12-19 00:21) 

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