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井和弘さんのニセ科学にどう対応すべきかと云うエントリを読んだ(続編とも云うべきジョニー君と《ニセ科学》の本質と云うエントリもお書きなのだけれど、今日は言及しない)。ちょっと散発的で、微妙な言及をするけれど、この方の問題意識のありかたについては理解できるし、正当だと思う。

・新しい言葉が増えることの弊害

ニセ科学とはどういうものか、説明を読めばわかるが、ほとんどの一般人は、厳密な定義に興味はないと思われる。そもそも一般人には《科学っぽい》のか《科学》なのかの区別などつかない。判断がつかないところへ不安だけが煽られると、結局判断を他人に任せるようになる。

ここでそもそもでつながれると、それがどうして弊害となるのかよく分からないのだけれど、なんとなくおっしゃりたいことの意味は分かるような気もする。科学がよく分からないからニセ科学もよく分からない、と云うお話なんだろう。ただ、不安だけが煽られると云う点についてはちょっと同意しがたい(商業的なニセ科学は、その多くが「不安を煽る」手法に基づいている、と思う)。

・いじめ的傾向

結局、一般人が《二分法》的解決を求める状況はかわらず、いよいよ専門家によるニセ科学というお墨付きを期待する人々と、素人による勝手なレッテル貼りが蔓延する可能性がある。科学に対する理解は深まることは無く、科学者の権威だけは高まる。

ちょっと難しい。このいじめ的傾向と云うのは、権威と化した科学者からニセ科学を信じるひとたちへ向けられるものとして想定されているのだろうか。それとも、ニセ科学を喧伝しているひとやそれを商売としているひとに向けられる批判をいじめと把握していらっしゃるのか。
コミットしている人間が云うと信憑性が下がるだろうけれど、ことネット上の言説に限って云えば前者はほとんど見られない。それはもう2年以上前に行われた菊池誠によるmixiにおけるケーススタディで、実効性が低い、と判断されたからで(とは云え捨て置いていいのか、と云う指摘もあるけれど)。
で、後者については、それをいじめと呼ぶのが適切かどうか、と云う話になると思う。ぼくはあまり適切だとは思わない(強弁するひともいたけれど)。少なくともネットの上では、それはある意見の表明に対する対抗言論だ。
あと、ニセ科学を批判することで科学者の権威が高まった実例、と云うのは寡聞にして知らない(某プラズマ教授についてはよく知らないのだけれど、少なくとも権威を高めることに成功はしてないんじゃないだろうか)。

・生産性が無い

ニセ科学に問題があることは当然としても、具体的な行動としては何ができるのか。レッテル貼りには何も有益なことがないのは明らか。《ニセ科学》という言葉による啓蒙活動と、ネットにおけるいじめ的傾向の増加と、どちらが広がりが早いだろうか。非常に不安である。

ここではいちおう、ニセ科学への批判的言及はレッテル貼りではなくレッテル剥がしであると云う天羽優子の分析を引いておいて、いちがいにレッテル貼りには何も有益なことがないと云い切るのはどうか。以前書いたけれど(どこかで読んだ、と思ったら自分のエントリだった)、有効なレッテルの貼り方とそうでないものとがある、と云うのが実際のところだと思う。有効にレッテルを貼ることができれば、それは無益とは云えないのではないか。

・ニセ科学にどう対応すべきか

そもそも啓蒙すべきことは、正しい《科学》とは何か、のほうではないか。であるならば、グレーを黒と断罪するような方向ではなく、グレーを白にするような活動を推進すべきではないか。例えば科学者がグレー企業に対してコンサルタント的な役割をするとか。

これはまぁ誰もが望ましいこととして同意するだろうけれど、実際には難しい。まずグレー企業にとってメリットがない(食い扶持を奪われる可能性がある。グレーのままなら、信じてくれるひとを顧客として稼ぎ続けることが可能かもしれない)。科学者も自分の時間で手弁当で出来ることは限られているから(霞を食べているわけではないからね)、そうなると必要なコストの支払い手がいない、と云うことになる。現実問題それでは回らない。

ニセ科学の問題は、実は科学への不明確で過剰な信頼が原因ではないか。

これはかなり以前から云い続けられていることではあるんだけれど(菊池誠による日本物理学会2006年年会「ニセ科学とどう向き合っていくか」発表スライド(PDFファイル、407KB)17枚目参照)、ここにメスを入れる効果的な方法、と云うのがなかなか見つからないのが現状で。

ぼくとしては問題意識がもっと共有されて、いろんな分野の専門家が直接もっと関わってきてくれればいいのになぁ、なんてやっぱり思ったりする(これはこれで「他力本願」的な批判をいただいた部分ではあったりするのだけどね)。


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TAKESAN

今晩は。

こちらを読む前に、リンク先にコメントを入れました。

仰る事はご尤もだが、その点については議論がなされているので、こちらを参照してはいかがだろうか、という風に、wikiを紹介しました。

そういう感じで誘導して、やり取りを知って貰う、というのが有効なのかも知れない、と思いまして。

言っている事には妥当な部分も含まれるけれども、それは内部で検討されているトピックでもある、というのを知って頂くのは重要かな、と。
wikがも充実してきたので、案内には最適ですね。

ニセ科学の問題点の一つはやはり、生活が科学を土台に成り立っている事への無自覚と、無自覚であるのに「科学」に纏わる象徴的な表現(実験・研究・○○大学・□□教授 等)に敏感である、という、科学に対するアンビバレントな態度なのでしょうね。
by TAKESAN (2008-02-15 22:29) 

pooh

> TAKESANさん

wikiについてはおっしゃるとおり案内板として有効なものとなって来ている、と感じています(編集に携わっている各位に感謝です)。とりあえずうちも常設リンクを設置しました。

この方も別のエントリでおっしゃってるんですが、コミットしている人間にはやっぱり焦りみたいなものもあって(特にぼくは思考の展開がとろいので、とりわけ)、でも拙速には陥らないように、と云うのもあるんですよね。

> 科学に対するアンビバレントな態度なのでしょうね。

これについてはやっぱり、ぼくは紋切型の問題に帰したいように感じています。
by pooh (2008-02-15 22:36) 

みづ

こんにちは。

 リンク先のエントリには少しだけ違和感を感じました。

>ニセ科学が問題というより、複雑な問題に明快に白黒つけてくれるのが科学だという認識があるから、ニセ科学を見破れず、《科学っぽい》から安心してしまう。つまり一般人は、そもそも科学とは何なのかを知らない。

>そもそも啓蒙すべきことは、正しい《科学》とは何か、のほうではないか。であるならば、グレーを黒と断罪するような方向ではなく、グレーを白にするような活動を推進すべきではないか。例えば科学者がグレー企業に対してコンサルタント的な役割をするとか。

 これらは逆の理解に思えます。ニセ科学は一般人の「複雑な問題に明快に白黒つけてくれるのが科学だという認識」を明らかに利用するからこそニセ科学なのであり、グレー企業もまた、「(啓蒙が足りんので)意図せずにグレーにはまりこんだ」というわけではなく、確信的に黒を白と強弁する(あるいはグレーに身を置くことで白だと示唆する)ことが問題視されているわけで。つまりグレー企業は「正しい《科学》とは何か」を知らないからグレーなのではなく、グレーであることにメリットがあるからグレーなんですよね。

 このエントリだけを読む限り、ニセ科学の提供側のイノセンスを前提にしているように読めて、そこがちょっとした違和感の原因ではないかと思いました。
by みづ (2008-02-16 06:52) 

pooh

> みづさん

いらっしゃいませ。こちらでははじめまして、でしたよね?

> このエントリだけを読む限り、ニセ科学の提供側のイノセンスを前提にしているように読めて、そこがちょっとした違和感の原因ではないかと思いました。

あぁ、なるほど。そういうことなのかも。
ひょっとすると、ニセ科学を提供する側と受容する(信じる)側のスタンスを同質のものとお考えになっている(非対称ではない)とお考えなのかも知れませんね。グレー企業がイノセントなゆえに誤ってニセ科学商売を提供してしまっているけれど、そのことに気付けば当然やめるだろう、みたいに。

まぁこの辺り、微妙な部分はある場合もあるでしょうが。ただ、ぼくは(いつも云ってますが)イノセンスによる免責は存在しない、と考えているので。企業がイノセントにニセ科学商売を行っているとしたら、それは免責されない重過失です。
by pooh (2008-02-16 08:12) 

TAKESAN

今日は。

レスがあったのですが……うーん。

「可能性」、「ではないか」、「不安を感じ」という書き方が多くてはなあ、という感じで。
▼▼▼引用▼▼▼
ニセ科学批判の活動は「科学とは何か」を知らしめるようなプログラムになってますか?というのが主旨のつもりです。
▲▲引用終了▲▲
こんなレスもありまして。それを理解して頂きたいからwikiを紹介したのですけれどね。コメント欄程度では説明し切れないから、取り敢えず纏めを見てみて下さい、という事だったのですが…。

恐らくwikiを読んですらおられないので(読んでいてあのレスは無いから)、再レスは控えようと思います。

TB公開しているから、こちらも読んでおられるはずだけどなあ。
by TAKESAN (2008-02-16 11:46) 

黒猫亭

>poohさん、TAKESANさん

この方もGenさんと通じるものを感じるんですが、何というか、世の中には「他人の話は聞かないが自分の話は聞いてもらいたがる」ヒトが無闇矢鱈に多いということですかね。

たとえそれが自身と対等の立場にある他者に対する言及に当たる言説でも、その当事者の言い分を聞きもしない、言及対象を調べようとも思わないというようなヒトが、社会に対して自分の意見だけは発信したいというのは、物凄くいい加減な話だなぁとしか思いませんね。

ここで蒸し返すのもアレですが、Genさん辺り、ご自分と対等な立場のブロガーの言説に言及する言説を発信しているのに、「ネットの独り言なんだからゆるい思い附きを話してもいいじゃん」とか仰ってるのが呆れますね(笑)。まあ、そういう姿勢こそが「ネットの匿名性をいいことに無責任な流言飛語を垂れ流す」という小倉智昭のネット批判ド真ん中の姿勢なんだと思いますが(笑)。

無責任とはそういうことでしょう。
by 黒猫亭 (2008-02-16 12:39) 

たかぎF

とりあえず、リファラを見るかぎりでは Wiki を見に来ていただけていないようですね。
しかし…まだ書いていないことがたくさんあるのに、そんな紹介されるとぷれっしゃぁが (^^;
by たかぎF (2008-02-16 12:56) 

みづ

>poohさん

こちらでは初めましてです。(^^)
その節はお世話になりました。m(_ _)m

>TAKESANさん

あのレスを読む限り、確かにこれでおしまいがベストな選択のようですね。
by みづ (2008-02-16 14:31) 

TAKA

TAKAが現れた!2ポイントのダメージ!
井和弘さん(以下引用同じ)
>結局、一般人が《二分法》的解決を求める状況はかわらず、いよいよ専門家によるニセ科学というお墨付きを期待する人々と

そういえば、「これは科学だ。」という詐欺師の、お墨付きを鵜呑みにする人々は過去、居たような。結局は、話の印象だけで判断せず先に自分で調べる事が、今後誤った道に外れないように修正出来る、無難な方法なのでしょうね。

>素人による勝手なレッテル貼りが蔓延する可能性がある。

そしてまた、ニセ科学の定義について深く考えたことも無い、ましてや過去のニセ科学批判の経緯を良く知らない人が、「専門家は過去、ニセ科学というレッテルを貼っていた。」という認識を持つのも、仕方がないのでしょうね。

>科学に対する理解は深まることは無く、科学者の権威だけは高まる。

たとえ今まで正論を説いていた科学者でも、明らかにおかしな事を言い続けた場合、大いに批判されるのでは。その言にも重みがなくなり、信用はガタ落ちです。そうなるのは嫌だから科学者も過去、言葉を選んで慎重に批判していた事と思うのですが。そもそも菊池さんは、正しい科学を理解する人がもっと増えてほしいという気持ちで、ニセ科学批判を展開されていた様な気が。

>ニセ科学批判の活動は「科学とは何か」を知らしめるようなプログラムになってますか?というのが主旨のつもりです。

という訳で、「どの辺が知らしめていなかった」のか具体的に示してくれると、今後の「科学とは何か」という議論も活発になることでしょう。
その間私は、ミューラーモザイクでも見ています。あまり事を急いても、論理の整っていない、ただの見せ掛けの主張しか、出来ませんからね。(私がね^^)
by TAKA (2008-02-17 02:33) 

pooh

> TAKESANさん

もう、「プログラム」って、なんなんでしょうね。
ぼくもコメント欄に出掛けようかと思いましたが、トラックバックも受けてくれたし、まぁいいや。

同じコメント欄の井和さんのコメントから引用すると、

> 「風潮」に対して「風潮」で対抗しようというのはどうなんだろ?ということです。

そうおっしゃるなら、どんな冴えたやり方をご存知なのか教えていただきたい、って感じです。
by pooh (2008-02-17 05:59) 

pooh

> 黒猫亭さん

表通りでものを云う、と云うことに対する自覚と廉恥のありどころが違うんでしょうね。

『「今日はパスタのランチでした♪」みたいなブログ』の方が、「意見の発信」と云う意味合いではよっぽど潔い。
by pooh (2008-02-17 06:06) 

pooh

> たかぎFさん

いやもう、拙速を避けてごゆっくりと。
特定の「プログラム」に従ってなにかを進めているわけではないですし。
by pooh (2008-02-17 06:08) 

pooh

> TAKAさん

> という訳で、「どの辺が知らしめていなかった」のか具体的に示してくれると、今後の「科学とは何か」という議論も活発になることでしょう。

本当に、そうなんですよねぇ。
そう云うかたちでのお手伝いでも、ご協力いただければありがたいんですけどね。
by pooh (2008-02-17 06:10) 

pooh

たかぎFさんのブクマ経由で、この辺を論じた自分の1年近く前のエントリに辿り着いた。なんか迂遠なような、ショートカットのような。

http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2007-03-27

コメント欄を含めて、黒猫亭さんなんかには興味を持っていただけるかも。
by pooh (2008-02-17 06:42) 

亀@渋研X

ちょっと思いつきみたいなことを書いちゃいます。
安易だといえば安易な言説ではあるにしても、一部のニセ科学批判批判者は、「ニセ科学」ということばひとつをとっても違和感がある、というか、その強烈さが「怖い」「居心地が悪い」のだろうなあ、と最近は思っています。
そういう反応を見るにつけ、「疑似科学」「似非科学」「ブードゥーサイエンス」などあまたある表現のなかで「ニセ科学」を選びとったまこ氏の慧眼だとも思います。さすがディック訳者。
あと、あえてする断定(「ないと言っていい」とか「否定されたとみなしていい」とか)の話とも通じるよなあ、とも思うです。その重要さといい、強烈さといい。

きっと、「ニセ」とか「ない」とかいう評価を耳にすることで、相対主義的な安全圏を追い出されちゃうんですよね。だから違和感を表明しないでいられない。これは、長いこと「その方が慎重で賢明な言明」とされてきたので仕方がないのだろうなあとも思います。切迫感の差なんでしょうから、なかなか通じないのも当然なのでしょう。
by 亀@渋研X (2008-02-17 10:38) 

亀@渋研X

あ、あわてて追伸。

>なかなか通じないのも当然なのでしょう。

だから異論は放っておこうとか、諦めようとかってことじゃなくて、気長にやるしかないよなあ、ってことであります。念のため。
by 亀@渋研X (2008-02-17 10:41) 

pooh

> 亀@渋研Xさん

AIDMAだのAISASだのって用語もありますが、最初はAttentionなんですよね。そうなると「風潮」として捉えられたり、「その用語はどうか」みたいな論調が生じたりするのは、最初の階段をのぼれた、と云うことかもしれないと思います。まず最初に必要なのは届けること、と云う認識からすれば。

で、なんか言説に望む姿勢として、異論や反論は歓迎、みたいな部分がなぜか論者側に共通してあるじゃないですか。次に踏み出すきっかけとしてそう云うものを求める、みたいな。だからある意味では望ましい状況にあるのかも、とか思います。
異論や反論を表明してくれるひとに、その場所から歩み出すつもりがないひとが多い、と云うのはまぁ仕方のないことかと。それはそのひとの姿勢の問題。得られるものがない、と判断したときに議論は終わりです。
by pooh (2008-02-17 11:23) 

FREE

こんにちは
 
パターナリズムとして認識されているのかもしれません。パターナリズムもソフトとハードがありますが、いずれにせよそれが相手が間違いと考え、干渉する事自体が、受け手とっては啓蒙と見られていると。自主決定権に対する侵害というとカッコイイですが、様は押し付けや保護されるような事はまっぴらだと。
ただ、間違いを信じる自由にはリスクが付き物で(いやこの場合は憑物か)、だまされて酷い目を個人が合う事を引き受ける事が暗黙の義務となるのですが、その辺まで考えていらっしゃるかどうかはわかりません。
 
科学や知やらという話には敏感に反応しますが、他にもパターナリズムとして捕らえる制度はいくらでもあると思います。バイクに乗るときにヘルメットをかぶるかかぶらないかなんて、実際は免許を持っているいい年した大人に事故時の死亡率・重傷度の低下のために義務化するなんてのはパターナリズムもいいところだと思うのですが。自動車のシートベルトも同じでしょう。もう少し文化的に踏み込むと売春やダフ屋や賭博行為もそうみなす事ができます。
 
このお方の不思議なところは、最後の提案がようは科学者がコンサルしてコントラストをはっきりさせて白を増やそうという話なのだから、それこそパターナリズムじゃないのかと思います。自分が相手に干渉する事はいいけどされるのはいやってことかしら。自己撞着していると思うのですが、どうでしょう。
by FREE (2008-02-17 12:04) 

pooh

> FREEさん

パターナリズムへの感情的な反発は感覚的にはよく分かるのです。ぼくもそのくちですし。
ただ(偶然か、それともそう云う傾向が生まれる流れがあったのか)批判者側にはパターナリズム的なスタンスでニセ科学に臨む性向は非常に薄い、と思います。もちろんひとにもよるでしょうが、ぼくなんかはそもそも啓蒙、と云う言葉から嫌いだったりしますし。

言説は言説で、で例えばぼくの言葉なんて云うのは(上のコメントで黒猫亭さんが書いてくださっていますが)誰に対しても単純な言説として以上の意味合いを持って発されてはいない。そこに書かれたことに外側から意味付けを行うものは、敢えて云えばぼく自身の言説の文脈以外にはなにもないんです。専門家によるものを除けば、大半のニセ科学批判はそう云うようなものだし、専門家もその辺り「どこまで権威に基づいて発話するか」については(ほとんどのひとが)慎重です。

そう云うものからパターナリズムを読み取ってしまう、と云うのがどう云うことか、と云うのを考えると、どうしてもそもそもの話者のスタンス、と云う話になってしまう。この部分に言及すると本来の論点からは慣れてしまうし、自分の言説に対して他者の言説を上回る特権的な自由度をアプリオリに認めることをためらわない論者(ここではGenさんとか井和さんとかになりますが)に対して有効な言及の仕方をぼくは知らないので、話は一旦ここで終わり、となります。残念ながら。

> 自己撞着していると思うのですが、どうでしょう。

自己撞着できるような確固たるロジックがあるはずだ、と云うことを前提にしてしまうのが、微妙に誤解なのかもしれませんけど(とは云えそれを前提にしないと、ひどく馬鹿にした話になってしまうんですが)。「論理の自己撞着もおれの自由だ!」とかお考えの方も、どうやらそこそこの割合でいらっしゃるようだ、と云う気がして来ていますし。
by pooh (2008-02-17 12:48) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

 私はずっと「ニセ科学の蔓延」という表現で「ニセ科学」そのものよりも「蔓延」の部分を気にしてきたつもりです。でもって、ご紹介のブログは、「ニセ科学」という事と「ニセ科学の蔓延」という事をごっちやに考えている様な気がして仕方ないわけですね。

 例えば、接触感染型の伝染病が流行ると、「病気そのもの」を研究する医療関係者と、感染経路や感染の広がりを問題視して研究する医療関係者が出てきます。感染や感染の広がりの方を研究する者たちは、治療法そのものを研究しては居ないけれども「この病気は性的接触を通じて広がる」なんて事から、社会の性風俗的な事にも言及しますよね。その区分が分からないと、「性風俗の乱れを幾ら指摘しても、この病気そのみのは直せないではないか」というこのブログま著者の様な考え方になるのではないかと思います。
by 技術開発者 (2008-02-18 08:16) 

ちがやまる

事実はもっときびしく技術開発者さんがたとえ話でおっしゃる通りだ、ということを追加させていただきたいと思います。感染症は、臨床家も、まず治療ということの前に予防という事をイメージしています(と誰だかが言ってました;)。歴史を見たってたとえばコレラとか。細胞病理学の父といわれるフィルヒョウという人なんかは若い頃今のポーランドにあたる地域でペスト流行があった時に視察に行かされて、報告書の結論には彼らにはまず人権と自由が与えられる必要がある、と書いたらしいですよ。
by ちがやまる (2008-02-18 12:32) 

pooh

重要な示唆がある気がするんだけど、エントリ起こして言及したりとかあんまり望んでらっしゃらないように見えるんでここからこっそりリンク。

http://blogs.dion.ne.jp/beta_reverse/archives/6701940.html

とてもよく分かるんだけど、うむむ、そこまでスコープを広げた議論に対応できる気がしない。
by pooh (2008-02-18 22:19) 

pooh

> 技術開発者さん

「ニセ科学と云う言葉がなければ、それがまん延することもないだろう」みたいなお話のような気もなんとなくします。
そう云う問題認識ってどうなんだろう。
by pooh (2008-02-18 22:22) 

pooh

> ちがやまるさん

結局ですね。多分極論するとこの世に「関係ない」ことなんかないんだろうな、とか思います。言い換えるとどんなことでも「関係ない」と云えるので、単にそれだけの主張は主張ではない、と云うことかも(重み付けの議論とは、これは根本的に意味合いを異にしますよね)。
by pooh (2008-02-18 22:25) 

技術開発者

こんにちは、pooh さん。

 なんとなく、簡単な話をわざと難しくしている様な気がするんですね。
私は、自然科学に携わる者が「ニセ科学批判をすること」を消防署の人が「家庭用火災報知器の設置が義務づけられました」という話をした時に「消防署員が家庭に報知器を売って歩くことはありませんから、訪問販売なんかには気を付けてください」と注意を付け加える事とたいして違わないと思うんですね。

 もちろん、消防署員は商取引の専門家でもないし、商取引の法律の専門家でもないから、「消防署の方から来た人」から馬鹿高い報知器を買った人の契約取消と原状回復の法的措置を手伝ったりはしません。単に、「気を付けてください」というだけです。

 こういう「消防署の方から」が始まる悪質な訪問販売は、昔からあって、家庭用消火器、非常持ち出し袋、火災報知器、最近は地震の警報機まで売りつけている訳です。消防署は「消防署の方から販売」なんて言葉はつくらないけど、でも、商材やトークを変えて次々といろんなものが売られていたら、そういう言葉でも作って警告する方が楽だろうと思います。

 おそらく、もし消防署が「消防署の方から販売」なんて言葉を作って警告を発したら、井和弘さんは、「言葉を増やすな」と反発されるだろうし、「そういう言葉を作ることで、消防署の権威に人を従わせようとする」と反発されるのだろうと思います。

 なんのことはない、単に「消防署の方からきました」と物を売りつける者がいるから、消防署が「うちが売り歩くことは有りませんよ」と言っているだけの話を、自分勝手に複雑に解して、自己満足的にイチャモン付けているだけなんですね。
by 技術開発者 (2008-02-19 08:28) 

pooh

> 技術開発者さん

追記のエントリも読んだんですが。
この方、要は特定の概念を表す言葉をひとしなみに(意味も用途も関係なく一括りにして)「レッテル」と呼び、嫌っていらっしゃるようです。

そう云うスタンスだとほかの人間と議論するときに大変だろうなぁ。大きなお世話ですけど。
by pooh (2008-02-19 22:28) 

技術開発者

こんにちは、 poohさん。

 なんていうか、この方に限らずニセ科学批判を「風潮」視してしまうことの根底に「風潮」そのものへの軽視というか、人間の不合理性への軽視がある気がするんですね。

 kikulogにも書いて見たのですが、人間の不合理さというのは時に「だるま落とし」をしてしまいます。何かを軽くでも信じたときにその信じた事の上にポンポンと次の認識が積み上がって、本来なら一番下の軽く信じた認識が崩れたらその上に積み上がった認識が全部崩れる様に思えるのに、実は下の軽く信じた認識がポンと取り外されるだけで、その上に積み上がった認識はそのまま着陸してしまう現象です。これが、個人で起こっても、それほど大問題では無いのですが、或る程度の人の集団で起こるとなかなか大問題なんです。まあ、差別問題とかあるわけですね。ある時期の為政者が単にプロカガンダ的に差別を導入すると社会になんとなく差別意識ができて、その元になった為政者の差別政策の不合理性がいくら言われても、差別意識は残ってしまったりするわけですね。これもまた風潮と言われる様なものなんです。

でね、なんていうか「だるま落とし」を避けようとすると、一種の感情的な力が必要なんですね。一番最初の軽く信じた様な事が「嘘だよ」と伝わるときに「うわぁ~、嫌なことをしんじさせられちゃったな」なんて感情が発生すると、「だるま落とし」は崩れてくれるんだけど、事実を淡々と受け入れたりすると、「だるま落とし」は綺麗に着陸して、「マイナスイオンってのはニセかもしれないが、空気中で健康に寄与する様なものはあるのかも」なんて認識が残ってしまう訳ですね。だから、私なんかはわざと、「マイナスイオンは薬事法違反で処分を受けるような悪人が良い広めた」なんて言い方をしている面があるんですね。

「ニセ科学」という表現は或る意味で負の価値判断を含んだ言い方です。もしも人間の心理にこういう「だるま落とし」みたいな不合理性が無いなら、もっと穏和な価値判断を含まない言い方で言えば済むと思います。でも、我々は皆、「だるま落とし」をしてしまう傾向を持つ不合理な人間なんです。その不合理な人間がなんとか生き延びることができる程度に合理的な社会を作ろうとする努力の中に、「風潮に風潮で対抗する」があるのだと考えています。
by 技術開発者 (2008-02-20 12:17) 

pooh

> 技術開発者さん

戦術としては不合理に必ずしも「合理」で対抗する必要は実際はないんですよね。結果的に行動原理がぶれて言説や行動が根腐れしてしまうことを懸念しているだけで、結果が目的を規定してしまうような生温いロジックが背景にあるわけではない以上、有効であれば不合理な効果を狙うこともあるわけです。

ところでつづきのエントリを読む限り、この方は包括的な概念をもつ言葉で議論することを問題視していらっしゃるようです。どうも「いじめ」と云う言葉を使わずに、「殴ってバックドロップして校舎の便所の水に顔を突っ込まれる問題」みたいな云い方をすればいじめ問題は解決する、と云うようなお考えのようです。
ぼくからすれば、それは隠蔽しやすくなるだけだ、と云うように思えますけど。
by pooh (2008-02-20 22:11) 

Narr

 はじめまして。上でこっそりリンクして頂いた、『漬物倉庫(嘘)』のNarrです。読んで頂いて有難うございます。(まさかこういう場で紹介して貰えるとは思っていなかった。色々と恥ずかしい。)
 ブログではコメント遠慮の態度をとりましたが、こういった場での言及は歓迎です。ただ、私は勉強不足で、私のブログにコメントを貰っても、ちゃんとした返答ができないもので。一応、テレビゲームのブログのつもりなので、気楽にやっていきたいもので。

>井和弘さんの「ニセ科学にどう対応すべきか」
 今さらながら、私も目を通してみました…が。こういう読み方は意地悪で、井和さんには悪いんですが。

>「風潮」に対して「風潮」で対抗しようというのはどうなんだろ?ということです。
 基本的には、「風潮」に対して「風潮」ではないと思うんですが。それを言うなら「ニセ科学に対する寛容」の風潮に対して、「科学的常識」という、一過性ではない一般常識で対抗する、です。
 エントリの趣旨から分からないでもないですが、それでも、ニセ科学批判を風潮と言うのには違和感があります。

 『ジョニー君』のエントリから。
>そして、重要なのは、買った後にガッカリするのはどちらかという点です。それは当然Aです。Aの人々は自分で判断しないために、結果に対しても責任を放棄します。そして「騙された」と思うのです。
>結局、《ニセ科学》に対する啓蒙活動と称するものが、単に権威による保護であっては意味がありません。自分自身の判断基準を持たせるような教育的活動が必要なのでしょう。恐らく一世代をかけても効果がはっきりしないような地道な啓蒙活動になるのだと思います。
 これは、逆…だと思うんですが。
 「自分自身の判断基準」を過信してしまい、「これが自分自身の判断基準だから、これでいいんだ」と、騙されたことまで受け入れてしまう風潮への対抗がニセ科学批判であり、教育だと思う。「結果に対しての責任」が、どこか違うような気がする。
 井和さんが問題にしておられるのは、「ニセ科学」という言葉が生み出す(?)風潮そのものではなく、「『自分自身の判断基準』が『風潮』に害されること」に思えます。
 ここまで言うのは意地悪すぎる、とも思いますが。しかし、そもそも井和さんが、何故そんなに『ニセ科学』の言葉と『風潮』や『レッテル貼り』を気にされるのか、そのあたりがよく分からないわけで。
by Narr (2008-02-21 20:04) 

pooh

> Narrさん

いらっしゃいませ。
いや、リンクを張るのも少しためらったんですが、お書きの文章にちょっとした感銘を受けたので。

継続的にニセ科学なんかに言及していると、どうしても手短な実効性みたいなものを求めて焦れたりします。そう云うときに散発的な「批判批判」とかを喰らうと、実は結構引きずられたりするんですよね、ぼくなんか。

> 基本的には、「風潮」に対して「風潮」ではないと思うんですが。

これって、多分視点をどのレイヤーに置くかだと思うんですよ。
ぼくなんかのニセ科学批判は基本的に言説のレベルを超えないもので、そう云う意味ではいちばん表層を見れば「風潮」へのアプローチ、と云うことになります。「内容はともかく」みたいな視点をとれば、ですけど。
で、こちらとしては「そんな視点からものを云うな」とは云えない。

> 「自分自身の判断基準」を過信してしまい、「これが自分自身の判断基準だから、これでいいんだ」と、騙されたことまで受け入れてしまう風潮への対抗がニセ科学批判であり、教育だと思う。

これは、そう思います。

井和さんのおっしゃることに、賛同できないわけではないんですよ。もし井和さんが自腹を切って、おっしゃるようなことの実現に向けて行動されるようなことがあれば、たぶんぼくは賞賛します。
ただ、多分井和さんはそうはされないでしょう、と云うことは分かります。じゃ、なんのためにエントリをお書きになったのかなぁ、と云う話です。
by pooh (2008-02-21 22:32) 

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