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「こども」の力 (「ライラの冒険」プルマン) [ひと/本]

こちらの続き。3部作全6巻読了。

しかしこれ、「児童文学」なんだろうか。いや、「こどもたちのものがたり」ではあるんだけど。


神秘の短剣〈上〉—ライラの冒険II

神秘の短剣〈上〉—ライラの冒険II

  • 作者: フィリップ プルマン
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/01
  • メディア: 文庫

神秘の短剣 (下) ライラの冒険II
琥珀の望遠鏡〈上〉—ライラの冒険III
琥珀の望遠鏡〈下〉—ライラの冒険III

なんと云うか、どうも児童文学と聴くとある種の洗練のようなものを期待してしまう。どうにもその響きが、この武骨なものがたりにふさわしくないような気がしてしまう。

かたちのある、権威を持つ「正義」(と云うかむしろアルコーン)に、ライラとウィルは手段を選ばない、むしろ暴力的と云ってもいいような「無垢さ」で立ち向かう。

ライラも、ウィルも、手短に云えば奸智に長けたすれっからしの悪たれだ。ステレオタイプな「こども」の美質はほとんど持っていないって云ってもいい。それでも、このものがたりの中心は彼女らだし、彼女らがこのものがたりを駆動できるのはまさに思春期の入り口に立つ「こども」だからだ(恐るべきことに、この部分を突っ込んで論じるとねたばれになってしまう)。

ライラとウィルは、多くの力を周りのおとなたちから借りる。でもそれは、「庇護を得る」のではない。リー・スコースビーも、セラフィナ・ペカーラも、イオレク・バーニソンでさえふたりを「守る」のではなく、ふたりへの愛とその持つ力に対する敬意をもって「ともに闘う」。
なんて力強く、放恣で、不遜な世界観。

正直、この辺りの報道を読んで、この小説を読むことにした部分はあるんだけど。
ただ、(微妙な言い方ではあるけれど)少なくともこのものがたりは、作者の無神論的世界観を表現するために編まれたのではないのは確かだと思う。ぼくは全体に、こどもの力に対する信頼を読み取った。
共感する、しないはともかくとして、それはまぁ爽快なものではあった。
タグ:書評
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