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「救い」の意味は [世間]

そう云うわけで遅ればせながら信じぬ者は救われるについて書いたのだけれど、この本について瀬名秀明さんがその読書録で信じぬ者は救われると云うそのままのタイトルでレビューをお書きになっている。
このレビュー、半分は昔生じた「パラサイト・イヴ論争」に関わりのある内容になっている。この論争についてはぼくはだいぶ後になって知ったことだし、kikulogの方でも「信じぬ者」と瀬名さんとパライブの頃と云うエントリがあがっているので、ぼくがここで語るべきことなどもちろんない(んだけど、この問題の根っ子のところで完全にぼくが無関係かと云うとその辺りちょっと言い切れないような個人的な事情もあって。多分単なるぼくの自意識過剰だと思うし、実際のところは瀬名さんに聞いてみないと分からないし、そんな機会も多分ないとは思うけれど)。

このレビューにおいて、瀬名さんは以前から私がどうしても了承できないのは、実験についての考え方だ、と述べられている。もしこの発言が、「水からの伝言」の主張の質までを踏まえてのものだとすれば、ちょっと違和感を禁じ得ない。
まず、これには長い経緯があるんだから素人が思いつきで意見を述べるのは危険だよ、と相手を牽制している。
これはそう云う話ではなくて。実際に長い議論が存在していて、その簡便なアブストラクトが現時点では存在しないし、この場でその議論の概要を示すのも難しい、と云うだけの意味だと思う。
科学の体をなしていないものに科学的な反証しても意味がない、というのはそのとおりだけれど、ではその他のグレーゾーンにどう立ち向かえばいいのか、という問題に本書は回答を与えていない。
現実的にこの問題にはそんなに簡単に回答を与えることができるものではないし、そのことを瀬名さんが理解していない、と云うのはちょっと肯んじ難い。例えば伊勢田さんの疑似科学と科学の哲学を瀬名さんが未読だとも思えないし、そもそもそのグレーゾーン問題に立ち向かうための姿勢を非専門家に日常的に応用可能な次元で提示するのがそんなに簡単な話だ、なんて瀬名さんが考えているとすればそれは信じ難い話なのだけれど。
だからいくら水の結晶の話が非科学的でも、ふしぎだなと思って実験したいと願う人が出てきたら、その人をきちんとサポートできる社会が必要なのだと私は強く思うのです。その過程で科学を学んでゆけばいい。
このお考えが間違いだ、と云うつもりはないけれど、現実的には実験に先立ってきっちりとまず「その実験の意義を自分で理解しようとする」ことの意味を教えることも同じくらい重要だと思う。そうでないと、「実験で成果を得ること」の意味合いを理解しないまま、ひたすら実験の結果に基づいたアド・ホックな理解が増殖するばかりであるような気がする。
もし自分の子どもが実験したいといい始めたら? 私はその子の好奇心を伸ばしてあげたいと思う。どうすれば実験できるか、いっしょに考えてあげたいと思う。「ありがとう」とそのまま紙を貼る実験はつまらないよ、きみは本当にその実験をやってみたいのかい? と私は質問するかもしれない。でも代わりに、きみの好奇心を満足させるこんな実験ならおもしろいよと提案するかもしれない。
ぼくなら多分、「『ありがとう』って言葉が大事なんじゃなくて、そこに込められた気持ちが大事なんだと思うよ。どう思う?」って聞いたり、「かたちの整った結晶だけが綺麗なものなのかな。『綺麗さ』にはいろんなものがあると思うし、『綺麗さ』を感じるひとによっても違ったりすることはあるんじゃないかな」と云ったり、「見た目に綺麗なものが正しくて、整ってないものは悪だ、って、そんな考え方でいいのかな?」と訊ねたりすると思う。そして、「きみはこの実験で、何を確かめようとしているの? なにを自分が知りたいと思っているのか、考えてごらん」と投げかけるんじゃないかな。まぁもちろんこの辺りは、
そしてもうひとつ。大切なことがあります。なぜそもそもこの実験をするのか? なぜこの実験が必要なのか? そういうことを考える力も、また実験力だろうと思います。「ありがとう」と紙で貼って水の結晶をつくってみる実験はばかばかしい、と思えるようになるには、なぜ自分はこの実験をするのか、それが語れるように成長してゆくことが必要となります。最初からそんな能力を持っている人はいません。学習して、身につけてゆくものです。だからこそ私は実験する芽を摘んではいけないと思います。
ともお書きになっているので、瀬名さんもお考えでないわけではないのは分かる。でも「水からの伝言」については、それが実験によって実証された事実だ、と云う主張が前提にあるわけで。
こう云う主張はいくらでもできて、そのつど疑問を抱いた人間がより厳密な実験で反証すべきだ、と云うのが社会の趨勢となれば、有限な社会的リソースをそちらに配分しなければいけなくなってしまう。これはある意味経済学的(≠経済的)発想に基づく考え方で、瀬名さんはそう云う考え方自体を批判しているのだろうけれど、それでも現実として存在する。

現実として存在するそれらの事柄から目を背けず、しかもそれらに振り回されずにいること。これはもちろん簡単じゃなくて。
マーケティングは、まあやったほうがいいでしょうが、正直なところ自分自身でそのへんに深く足を突っ込もうとは思わないかな。マーケティングは結局のところ、本書の著者らが悩んでいる二分法の話になってしまうから。
もちろん個人のスタンスはさまざまだし自由なのだけれど、どうしてそこに足を突っ込まざるを得ないのかと云う点については少し読み取っていただいてもいいのじゃないか、なんて思ったりもする。

云いっぱなしのあげあし取りで、このエントリは留めておくことにする。おそらく瀬名さんの目に触れることもないだろうし(そんなこともないかな?)。
ただひとつ思うのは、例えばニセ科学の問題について論じるにあたって、才能の質としても立ち位置としても、本来菊池さんより瀬名さんの方が適任であるはずだ、と云うこと。もちろん個人の問題意識の在処について余人がとやかく云うのはお門違いなのだけれど、残念だなぁ、なんて思うのだった。
タグ:ニセ科学
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たこい

瀬名さんが語っているのはご本人にとっての理想論なんだろうな、と思いました。
とはいえ、理想論が現場(?)の苦労の足しにはならないのは分野を問わず共通かと。

今までのところ、うちにある香山リカさんの著書(?)はやはり対談集の『きょうの不健康』だけですが、抑うつ状態を経験したミュージシャンに経験談を語ってもらうだけに徹したこの対談集は、抑うつ状態を実際に経験した人間が読むと「そういうことがあるのだ」ということをリアルに語ってもらっているだけでもなにがしかの「救い」にはなっていたと思います。
今回の本は実はまだ読んでいませんが、同じような効用があればよいのではないか、と思います。
by たこい (2008-03-17 06:41) 

pooh

> たこいさん

瀬名さんの云うことが理解できないわけではないんです。でもこの文脈、このアスペクトで主張されるべきこととは思えない。なんと云うか、直接議論としてぶつけられることのできるレイヤーにはない、と云う気がします。

> 同じような効用があればよいのではないか、と思います。

どうなんだろう、そのあたり。この本を読むにあたってのぼくの視点は完全な素のものではなかったと思うので、そのへんの効用についてはよく分かりません。

このエントリのタイトルは、言及先のエントリが、

> 次は拙速な本ではなく、「救い」とは何であるのかを本当に語ってほしい。著者ふたりに対して、切にそう思います。

と結ばれていることに対する問いかけだったんですけどね(誰にも分からなくてもいいし、ねたばれしても困らないので書いちゃいますが)。
by pooh (2008-03-17 07:52) 

技術開発者

こんにちは、 pooh さん。

>瀬名さんの云うことが理解できないわけではないんです。でもこの文脈、このアスペクトで主張されるべきこととは思えない。なんと云うか、直接議論としてぶつけられることのできるレイヤーにはない、と云う気がします。

 なんていうか、山に登る時のベースキャンプを選定している時に、「そこは頂上ではない」と言われているだけのような気がしますね。そういう意味では、本の目的が取り違えられているというべきかもしれません。

 私はベースキャンプとしては、なかなか良い立地を選定されていると思います。山を攻める時のベースキャンプの位置というのは、とても大事でして、選定を間違えると登れない訳です。

by 技術開発者 (2008-03-17 12:39) 

pooh

> 技術開発者さん

喩え話に乗せていただくと。

確かにいい場所のベースキャンプだと思います。おおむねの地形も見渡せるし、気候の状況も把握できるし。

で、ここから頂上を測量したり、ルートを検討したりするわけなんですよね。「頂上がどこかこれじゃ分からない」と云われてもちょっと困ってしまう。
by pooh (2008-03-17 22:01) 

TAKESAN

今晩は。

瀬名さんが、今ご自身のエントリーのコメント欄にレスをされておられたのですが、それを見て、あれ、本文とは随分トーンが違うな、と思いました。
と言うか、コメントに対して柔軟に対応され過ぎていて、結局、本文では何が仰りたかったのだろうか、なんて感じたのでした。

水伝は、まず言語の問題であると思うのですが、そこには意外と触れられないのですよね。何でだろう。水伝側が何を言っているかを瀬名さんが(詳細な所を)ご存知で無い、という可能性もありますが。

なかなか読み解くのが難しい文章なのですよね…。
by TAKESAN (2008-03-18 22:47) 

pooh

> TAKESANさん

やっとご復活ですね。

えぇと、瀬名さん、穏やかで冷静な方なのですが、ちょっと難しいところがあるんですよ。いや、最近の彼を知らないので、安易に云ってはいけないんでしょうけど。

「水からの伝言」についてどんな議論の積み重ねがあるのか、と云う点については、率直に云ってご存じないんだろうと思います。その辺り、つっこんでいただくには最適な人材なんだろうな、とか思うんですけどね。
by pooh (2008-03-18 23:10) 

技術開発者

こんにちは、 pooh さん。

>「水からの伝言」についてどんな議論の積み重ねがあるのか、と云う点については、率直に云ってご存じないんだろうと思います。その辺り、つっこんでいただくには最適な人材なんだろうな、とか思うんですけどね。

 きくちさんみたいに、ニセ科学の蔓延問題の周りを何周も回って「なかなか難儀な問題だぞ」と認識している人の方が少ない訳です。私なんかでもまだ、周囲を回り足りないと思っていますからね。多くの人が「ニセ科学なんて専門家が『これはニセ、あれもニセ』とやれば簡単に片が付くんじゃないの」と思っている訳です。瀬名さんがそれほど素朴ではないにしても、たぶんニセ科学の蔓延問題の周りを一周もされていないだろうという気はするわけです。山の例えで言うと正面から見たときに簡単に登れそうな尾根筋が見えるんだけど、少し横に回るとその尾根の先は切り立った谷と崖でできているのが分かるみたいな感じですかね。でもって周囲をぐるぐる回って始めて、「なかなか簡単な登坂ルートがないぜ」と気が付く感じですね。

なんていうか、この対談集の構成というのが、意図的かどうかは知らないけど、「この問題は簡単に見えて実は結構難儀なんですよ」を示す形になっている訳です。だからこそ、「簡単じゃないか」と思っている人を裾野をぐるぐると引き回すだけで終わってしまうように見えるんですね。或る意味「引き回されただけだ」という感想を述べてくれる方が、「じゃあどう登ります」という話に持って行きやすい面があります。

by 技術開発者 (2008-03-19 09:20) 

pooh

> 技術開発者さん

わりとまぁ、いろんな方向からのアプローチを試している状況ですよね。意外なアプローチに方向が見いだせたり。あ、比喩になってない。

> 或る意味「引き回されただけだ」という感想を述べてくれる方が、「じゃあどう登ります」という話に持って行きやすい面があります。

あぁ、そういうふうに話が進んでくれるのが理想かもです。
by pooh (2008-03-19 22:16) 

TAKA

そう言えば、山の頂上から測量を開始した時もありました。地元の人と相談した結果です。より効率良く進めるためでした。私もある程度山歩きを経験していたので、地元の人の意見は大抵すぐに理解出来ましたね。

瀬名さんも今後、ニセ科学と対峙する経験をある程度積めば、きくちさんが何を悩んでいるのか、分かる日が来ることでしょう。

ちなみに断崖絶壁でも、嫌とは言えませんorz。反対に、地形が単純な林の中だと、現在位置を見失いやすいorz。
by TAKA (2008-03-20 00:15) 

黒猫亭

apjさんのところをまず読んで、次いでpoohさんやTAKESANさんのところで瀬名さんの話を読ませて戴いたんですが、ムラムラとご意見を差し上げたくなったのでコメントを書いておきながら、結果的には中途半端な形になりました(笑)。

自分のところでも書きましたが、科学者と社会の関係性について、科学情報をわかりやすく翻訳して発信することが科学者の役割だ、というふうに割合単純に考えておられるのかな、と思いました。

>>だひとつ思うのは、例えばニセ科学の問題について論じるにあたって、才能の質としても立ち位置としても、本来菊池さんより瀬名さんの方が適任であるはずだ、と云うこと。

オレはpoohさんほど瀬名さんを理解しているわけではないし、きくちさんの活動の総体を識っているわけではないですから軽率なことは言えないですが、「菊池さんより瀬名さんの方が」というより、現時点において両輪を担うべき立場の一方におられる方なんではないか、それなのに、という憾みが残ることはたしかですね。

きくちさんがネットワークにおいて大きな影響力を持っているとすれば、瀬名さんは紙媒体において、性質的に似たような生態的ポジションにおられるわけですから、この問題性においてカール・セーガンのような役割を果たすことも期待出来ますよね。

どうせこの対談集にコメンタリーするなら、菊池さんとの間の個人的な問題に拘泥するよりも、ニセ科学の問題性に直接関心を持たれたほうが建設的ではないのか、という気はします。で、今回のきくちさんとの遣り取りや他の方とのコメントに接して、そういう方向性に関心が行くのか、という辺りに不安が残るわけですが。

関心はあるけれど推進者の菊池さんとの間に過去の経緯があって、という蟠りの解消の手続なのだったら、お互い年齢的に成熟した時点で積年の感情的な問題をきちんと話し合えたというのは好いことだったのかな、と思います。コメント欄で「今度是非話し合いましょう」みたいなお話をされているので、それが実現すれば好い方向に行くんじゃないかという期待がありますね。
by 黒猫亭 (2008-03-20 02:44) 

ちがやまる

きくちさんが期待なさる、というのは私(たち)には見えない展望があるからでしょう。でも私の視線は今後はかなり冷ややかになるだろうと思います。
子供たちに人工雪を見せて解説もする、というのはすごくいいと思いました。それで思い出したのですが、昔岩波新書で寺田寅彦「雷」、中谷宇吉郎「雪」というのがありました。私はどちらも名著だと思います。著者は「書ける物理学者」なんですよね。結局は書いている人の中味の問題というか。
科学と社会をつなぐ「インタープリター」というのが必要だとすればあらゆる立場の個人がすべてそれぞれの立場でそれをやらなければならないですよね。中途半端な「専門家」を作って過大な期待を負わせるのは必ずしもいいことではないと思いつつあります。
by ちがやまる (2008-03-20 05:35) 

pooh

> TAKAさん

> 瀬名さんも今後、ニセ科学と対峙する経験をある程度積めば、きくちさんが何を悩んでいるのか、分かる日が来ることでしょう。

ここなんですよ。
これを機会に関心を持ってもらえると嬉しいんですけどね。
by pooh (2008-03-20 07:02) 

pooh

> 黒猫亭さん

ひとつあるのは、どうも瀬名さんは科学に関するネガティヴな状況に光を当てるのを好まないのかな、と云う気がするんですよ。それよりもむしろまずポジティヴな側面を社会に対して示していって、全体としてよい方向に導く、と云うやり方のほうをとりたいのかな、と。

例えば、彼は東北大工学部の特任教授として、(表面的な云い方をすれば)科学の未来に希望を持たせるような活動をしています。

http://www.mech.tohoku.ac.jp/sena/

これはニセ科学のような重たくて裾野が広くてなんか考えるだけで憂鬱になってしまうような事柄とは、アプローチの方向が違う。
これって善し悪しではないと思うんですよ。ただ、難しい。

> この問題性においてカール・セーガンのような役割を果たすことも期待出来ますよね。

そう思うんです。

「パラサイト・イヴ論争」はいま思い返しても胸の痛む出来事でしたが(ぼくは直接的にはまったく関与していませんが)そのなかでも菊池誠は菊池誠だったので、過度にアンフェアな立ち振る舞いはしていないはずなんですよ。なので、直接対話には期待したいと思います。結果とりたてて瀬名さんがニセ科学について積極的に発言するようにならなくても、視野さえ獲得していただければ。
by pooh (2008-03-20 07:12) 

pooh

> ちがやまるさん

いや、ぼくなんか瀬名さんへの期待の度合いではきくちさんよりはるかに高いと思いますよ(^^;。必要なカードはみんなお持ちだし。好き嫌いは別にして、「書ける」と云う点では文句なしだと思っています。

要は、関心の方向なんですよ。それはだって、世の中にはニセ科学問題に対して瀬名さん以上に関心の低い科学者や作家ばかりじゃないですか。
by pooh (2008-03-20 07:18) 

ちがやまる

「雷」の著者は中谷宇吉郎氏だそうです。申し訳ありません、訂正いたします。私の中では何十年間も寺田寅彦でした。。。
by ちがやまる (2008-03-21 18:25) 

pooh

> ちがやまるさん

あらら、そうでしたか。
ぼくは高名なご両人のエッセイを読む機会がまだないのです…
by pooh (2008-03-21 22:03) 

きくち

「パラサイト・イヴ論争」そのものについては、いまだにまったく釈然としないものがあるよ。そもそもなんで僕が悪者にされたかな。
 
僕が(僕たちが)やったのは「書店で本を買い、読み、だめだと思ったので掲示板で悪し様に罵った」ということです。読者がベストセラーを悪し様に罵ったら、作者がやってきて謝れと言った、というのが「こちら側」から見たときの現象だからね。瀬名さんがどう感じたとしてもね。
  
そしたら、関係のない連中がいろいろ出てきて、「著者を馬鹿にするのはいけない。謝れ」とか言うわけだよ。瀬名さんが怒らなきゃ、そんなこと思いつきもしなかっただろうにねえ。「君ら、なんの関係もないじゃん」とは言わずに対応した(んじゃないかと思う)おいらは偉かったと思うが、やはりあのとき、「外野は口を出すな」と声高に言うべきだったかもしれぬと思う。
 
作品がだめだと思っても、著者を罵っちゃだめなの? そりゃ、悪し様に罵ったのだとは思うけど(正確には僕じゃないと思いますけど、まあそれはそれ)、それってだめ? そういう権利は本の代金に含まれないの? それって、作品を世に問う時の覚悟の中に含まれてるはずの問題じゃないの?
 
という話を瀬名さんのブログにコメントするべきかどうかで悩んでいます。今更これを書くのはオトナゲないよなあ、と思いつつ、しかし瀬名さんの視点で一方的に書かれるのはフェアじゃないしなあとも思うわけだ。
正直、あの書き方はフェアじゃないと思うよ。対談本をどれだけ罵倒してくれてもそれは全然かまわないけど、「パライブ事件」を一方的に書くのはフェアじゃないね。
 
というコメントをここに書くと遅かれ早かれ瀬名さんも読むのでしょうね。じゃあ、ちゃんとコメントを書くかなあ。
オトナゲないのが最大の問題

by きくち (2008-03-21 23:17) 

きくち

まじめな話。
瀬名さんに「ニセ科学」問題を直接どうこうしてほしいと期待しているわけではありません。期待しているのは、「科学を伝えること」です。瀬名さん自身もこれをしたいのだと思う。
僕も前々から、「科学を上手に伝える」ことが結局は最も重要であるという話をしていて、科学コミュニケーターとかサイエンス・ライターとかの役割が大事になると言い続けています。
実際、科学をやりたい人にとって、ニセ科学の話をするなんてのはつまらないし気が重いわけです。だけど、科学をきちんと伝える仕事ならやりたいと考えている人は多いと思う。
 
「ニセ科学」問題を軽視しろと言ってるわけではなくてね。
そういう意味でいうと、問題意識なしにただ「科学ならなんでもいいじゃん」みたいな伝え方をされては逆効果なんで、「科学を伝える人」にもきちんとした問題意識は要求されますが。
 
とにかく、そういう役割を期待しているということです。

by きくち (2008-03-21 23:46) 

TAKESAN

今晩は。

その論争を全然知らない者としては、今回、その件に関しても直接やり取りなさった方が良いのではないか、と思います。

こう感じた人は少なくないと推測するのですが、私は、瀬名さんのエントリーを読んで、「何でここでその話が出てくるんだろう」、と思いました。
それと同時に、「瀬名さんは、当時よほどひどい目に合わされたのだろうな」、と感じる読者もいるだろうな、とも思いました。

たとえば、今、きくちさんが書かれた

 >作者がやってきて謝れと言った

という文を読んで、えっ、そうなんだ、と感じましたし。少なくとも、瀬名さんのエントリーだけを読むのとは、全然印象が違います。

当時の話を知らない者の一意見として、受け取って頂ければ…。
by TAKESAN (2008-03-22 00:02) 

黒猫亭

>きくちさん

ログを読んだわけではないですから、どちらの肩を持つわけでもないですが、少なくとも文芸作品を書いた人間が、その感想を語り合っている場所に直接介入し、読者の感想に対して注文を附ける行為はNGだとオレは考えています。

瀬名さんのエントリーでも際立って異様なのはその部分で、

>>菊池さんは仲間たちとウェブ掲示板の書き込みをしていて、そこで私を嘲笑していました。

>>おおむね彼らが嘲笑する相手は、反論してこない絶対権力でした。だからこそ安心して嘲笑できたわけです。95年当時、私はそういう絶対権力者と見なされていたのかもしれません(実際、平然とそういうことをいってくるSF作家がいましたね)。しかし私は反論したので、彼らは面食らったのだろうと思います。

これは、苟も作家たる者が公に書くことではないでしょう。文芸作品、就中娯楽作品というものは、読みの場面に限って言えば、別段作家の意図した通りに読まなければならない筋合いなどないもので、単に公的発話として批評を行う場合には、作品に即応した論旨の妥当性を問われるというだけの話であると思います。

その当時の掲示板の在り方から考えて、きくちさんたちが「悪し様に罵った」行為が公的発話としての批評行為と言えるかどうかというのは微妙ですし、当時のきくちさんのSFファンダムにおけるポジションの問題もあるんでしょうが、たとえばその酷評が間違っているという意見が在り得るとしても、反論すべきなのは別の読者であって、作者自身ではないはずです。

だから、作者自身がいきなり反論してきたら誰だって面食らうのが当たり前で、普通一般の小説家が読者に対して反論しないのは、絶対権力だからではなく、それが作家という職業に伴う筋目だからでしょう。

作者が作品を書いた後で、読者に対して「あれはこうだった、これはああだった、ここをもっとよく読んでから感想を言ってよ」と後になっていろいろ註釈するのであれば、作品なんか書く必要がないじゃないかという話にもなりかねない。作家は作品をして語らしめるのが筋であって、作家自らが読者の溜まり場に押し掛けて自作について註釈するというのは、普通の意味ではプロのやることとは言えないでしょう。

きくちさんが横溝とクリスティを引いて論じておられるフェアネスの問題というのは、まあ、テクニック論ではありますね。ミトコンドリアの擬人化が批評の場面で問題となるという予想があって、そのような批判を避けたかった、もしくはそのように読まれることで作品の趣旨に大きな影響が出ると判断されたのであれば、擬人化していないことを効果的に読者に伝える書き方をすべきだという話で、子細に検討すれば擬人化した書き方になっていない、というアリバイ的な筆法では不足である、ということでしょう。

そのようなアリバイ的な筆法になっている以上、もっと厳密に論じるとしても、ミトコンドリアを擬人化したという科学観の論点から、そのような誤解を避けるには叙述が弱かったというテクニック論に移るだけの話で、いずれにせよ作者が胸を張って「自分は擬人化なんかしていない」と言えることではないでしょうね。

まあ、そのような冷静な議論になるような雰囲気ではなかったということでしょうけれど、所詮は作者自身がわざわざ読者に反論した為に起こった事件だということは言えるでしょう。そこに至るまでの経緯は存じませんから軽々には言えないことですが、原則論としてはそうなるのではないかと思います。

全然執筆意図とは違った見当はずれな読み方で糞味噌に貶されて、内心はらわたが煮えくりかえっていたとしても、表面的には「ご講評ありがとうございます」と礼を言うのがプロの作家というものの矜恃ではないかと思います、というか、友人の作家なんかはそういう考え方ですね。とにかく自作を後からくどくど説明しないというのが、オーセンティックな意味で作家の矜恃であろうと思います。

なので、デビュー間もない頃の瀬名さんが若気の至りでそういうバトルに乗り出してしまったというのはわかるんですが、十数年経ってプロとしての職業的経験を積んだ今になっても当時と同じように仰るというのがちょっとわからないですね。

>>それって、作品を世に問う時の覚悟の中に含まれてるはずの問題じゃないの?

まあ、原則的にはその通りだと思います。ことに、パライブは映画化もされてかなり実売が出ているはずですから、その膨大な読者の読みを全部コントロールすることは不可能なはずですし、作者にそんな権利が与えられているわけではありません。小説をどう読むかは金を出して本を買った読者の勝手ですし、それを仲間内でどう語ろうが当人たちの勝手ではあります。たまたま目に附くところで自分が悪し様に罵られている様を目撃したのなら、どれだけ悔しくてもそこに直接介入することは避けるべきだったでしょうね。

作者が或る特定の読者の読み方に対して直接反論するのであれば、なんで他の何万、何十万もの不特定多数の読者の読み筋や感想には文句を言わないんだ、読者のえり好みをするのか、という話になるので、変な読み方だなと思って特定の批評的言説に文句を附けるのは、同じ読者同士に限られるというのが筋でしょう。

いっそ作家は自作の批評なんか一切読まないというくらい割り切っても何の不都合もないと思いますが、まあ、そうも行かないのが人情でしょうね。
by 黒猫亭 (2008-03-22 02:07) 

TAKA

いまだ合理的な思考ができない勉強中の者です(^^。というわけで、脱力系のコメントです(^^。

きくちさん
>作者がやってきて謝れと言った

「おおっとこれは皆様ご存知の、あの深い森に囲まれたホッケンハイムでの、F1相撲事件状態だ」
「思い起こせば、マシンの走行テストの直後、あの貴公子のセナもついに堪忍袋の緒が切れて、当時小生意気だった新進気鋭のシューマッハの胸ぐらを思わず掴んでしまったという、天才同士の夢のがっぷり四つが実現されたのであります」

>関係のない連中がいろいろ出てきて

「これも皆さまご承知の、骨折してるはずの横綱モンゴルで楽々余裕でシュート事件状態だ」

>「著者を馬鹿にするのはいけない。謝れ」

「あの当時、それまで国士無双と言われ暴れ放題だった朝青竜も、気がつけばいつの間にか白鵬の台頭を許してしまい、その後は長らく骨折り損のくたびれ儲けとがっぷり四つの状態だった」
「まさに両国は並び立たず、出る杭はバッシングを受けるのであります」

>オトナゲないのが最大の問題

「これも皆様当然ご存知の、ハミルトン勝てば勝つほどその態度が変化して行くよ事件状態だ」
「王者のアロンソに最初は敬意を見せていたが、程なくしてその存在を意に介さなくなり、ついには些細な事でも文句を言うようになった」
「チーム内がギクシャクした様子に呆れた勝利の女神さま、結局他チームのライコネン君に王者の印しを授けたのであります」
「喧嘩両成敗、ついでにチームも大制裁、稼いだポイントすべてゼロ状態だ」
「これこそまさに、ロンデニスさんの『いや選手の扱いは平等ですよ?主義』の集大成だ」

色んな大人の事情がありますね。外野の私は今はただ、静かに見守るのみです。ただしネタになりそうな話は別です(^^。
by TAKA (2008-03-22 03:39) 

pooh

> きくちさん

瀬名さんはここは読まないと思うけどなぁ。特にコメント欄は。

えぇと、あの当時のことを蒸し返すのはいいことじゃないと思う。でもこの場合蒸し返してるのは瀬名さんなので、ややこしいんだよね。で、なんでここで瀬名さんが蒸し返さなきゃいけないのか実はよく分からない。計算づくとは思えなくてなんかもっとナイーヴなものを感じるんだけど、なんと云うか、外野としては「なんだかなぁ」って気になる。

ただあの時点で、きくちさんや(例えば)大森さんなんかが、瀬名さんから見て「単なる一読者」と云うふうに見えていたかと云うと、どうかな、とか思う。なので、瀬名さんが怒ったことについての是非は、ぼくには分からない。そう云う作者と読者の位置関係のあり方も、ありえない、とは思わないし。ただ(これって当時のログからは追いづらくてちゃんと把握できないのだけど)その「関係ない連中」が問題を大きくした(と云うか、問題ではなかったものを問題にしてしまった)と云う側面は、まぁあるのかなぁ。

とりあえずきくちさんが先方のコメント欄で当時の話をするのには反対です。それっていま論じられるべき問題じゃないと思うし、蒸し返した瀬名さんに乗せられることはないですよ。

コメントを分けます。
by pooh (2008-03-22 07:42) 

pooh

> きくちさん

瀬名さんにはやっぱり「科学を伝えるひと」としての活動が期待されて然るべきで。ただ(直接取り扱わないとしても)その「科学」が直接対峙している問題としてのニセ科学についても、やっぱり把握しておいてくれないとまずいよなぁ、とかも思うんですよね。
それは科学と社会の接点に横たわる問題で、それってやっぱり瀬名さんがまさにいまいる場所だから。
by pooh (2008-03-22 07:45) 

pooh

> TAKESANさん

> 「何でここでその話が出てくるんだろう」、と思いました。

これって読むひとみんなが思ってるんじゃないですかね。いちおう当事者のきくちさんも、あとからその話を知ったぼくも、全然知らなかったTAKESANさんもそう思ったわけで。

分からないのは瀬名さんが、「瀬名さんは、当時よほどひどい目に合わされたのだろうな」なんて印象を読むひとに与えたいのか、って辺りなんですよ。意図的にそう云う書き方をしてきくちさんを貶めるような行いをするひとではないし(ないはずだし)。当時のことを思い出すとフェアではいられなくなる、と云うのなら、そう云う瀬名さんの行いは糾弾されて然るべきなんですよね。でも、そこが分からない。

ただ(上にも直接書きましたが)瀬名さんのところのコメント欄できくちさんがこの話題を直接持ち出すのには、ぼくは反対です。それは問題を歪めてしまう。
by pooh (2008-03-22 07:52) 

pooh

> 黒猫亭さん

読者が小説を読んで、面白くなかったって感じて酷評するのは、これはまず当然ありです。で、その場に作者が怒って乗り込んでいくのも、実はありなんじゃないか、とか思うんですね。双方がちゃんとふるまえば、ポジティヴな結果に結びつくこともありうるので。どうも不幸にしてそうではなかった、ということなんですけど、それはそれで結果論で。

ただ、そのことをその場で解決できずに、別の場所で持ち出すのはいただけない。それはご本人を含め誰も幸福にしないじゃないですか。

> 十数年経ってプロとしての職業的経験を積んだ今になっても当時と同じように仰るというのがちょっとわからないですね。

そうなんですよね。その間彼は作家としてこのうえなく立派なキャリアを積んでいると思うんですけど、どうしていまだにそう云う部分に拘泥してるんだろう。
そう云う意味では、当時のお話はいまからでも詰めて話されるべきだとは思うんです。でも、それを瀬名さんのところのコメント欄で行うべきかと云うと、ぼくはあんまりそう思わなかったり、です。

# 瀬名さんの持っている「狭量で冷笑的なSFファンダムのひと」のロールモデルは実は昔のぼくなのかもしれない、とか思うので、この話題に触れるのはけっこうひやひやするんですが。
by pooh (2008-03-22 08:06) 

pooh

> TAKAさん

うぅむ。さすがに今回はそう云うお話ではないかと(^^;。
by pooh (2008-03-22 08:07) 

きくち

あのね、大森望は関係ないんだよ。
大森望は愉快犯であったという見解については、ちょっと言い過ぎだったので撤回したけど、関係ないのに出てきて話をややこしくしたことは事実。
 
なんかおかしいよね。
今やたくさんのSF作家と友人であるはずの瀬名さんが、いまだに「SFの人は」と括れるという鈍感さに少々驚いている。僕は当時瀬名さんが流した「SFの人は謝らない」とかそういう乱暴な括りは「悪意あるプロパガンダ」だったと思う。問題は瀬名さんには悪意がないことだけどね。
 
まあ、フェアではないよ、今回のは。
人によっては、瀬名さんの打たれ弱さを読むだろうけど、一部の人は僕がひどいことをしたと読むのだろうと思うね。悪し様に罵ったことは確かだけど、それが「ベストセラー作家にひどいことをした」なのかどうかの問題だということを書かないのはフェアではないな。
それに口を閉ざすのが大人かどうかで悩んでいるので、とりあえずここに書いているわけだけど、まあpoohも微妙な立場だから申し訳なかったかもしれないね。すまん。

by きくち (2008-03-22 08:56) 

pooh

> きくちさん

> あのね、大森望は関係ないんだよ。

あぁ、そうなのか。それは失礼しました。
いや、ぼくはこの話は数年経ってから知ったので、当時の事情をちゃんと理解しているとは云えないです。そう云う意味で不用意でした。

> いまだに「SFの人は」と括れるという鈍感さに少々驚いている。

うん、ぼくも正直そう思う。ってえか瀬名さん、ふつうに考えてもう外部の人じゃないじゃんね。
どうも瀬名さんはパライヴ論争についてはフェアネスを失うくらい傷ついている、と云うのは分かるんだけど。でもだからどうよ、って気もするし。あなたはそんな評価をものともしないくらいの大作家じゃん、その実力で、当時あれこれ云ってた連中を圧倒してるじゃん、みたいな。

> poohも微妙な立場だから申し訳なかったかもしれないね。

いや、全然平気。彼と連絡を取っているわけでもないしね。
どちらかと云うとぼくはここを瀬名さんに読んでいてほしいと思っているし、こう云うマジョリティに影響の少ないところで瀬名さんになにか伝われば望外だと思ってるし(トラックバックを送ったとは云え、瀬名さんのファンはここのコメント欄まで読まないだろうから)。
by pooh (2008-03-22 09:18) 

黒猫亭

>poohさん

>>で、その場に作者が怒って乗り込んでいくのも、実はありなんじゃないか、とか思うんですね。双方がちゃんとふるまえば、ポジティヴな結果に結びつくこともありうるので。

ああなるほど、SFの畑の人だとそういう感じ方もあるかもしれませんね。SFというジャンルは伝統的に作家とファンの距離が近いし、BNFなんて概念もあるくらいだから、ファン活動と執筆活動の距離も近い。加えて、スペキュレーションの文芸だという自己認識もあるから思弁的な議論も活発ですし、コンベンションで作家とファンが垣根を越えて議論していたりするような気風がある。作家とファンが共に手を携えて新たな価値を生み出そうという考え方があるんでしょうね。

しかし、作家と読者におけるそういう距離感というのは、多分SFというジャンルに固有の特質ではないかと思います。誤解を恐れずに言えば、一種SFというのはアマチュアリズムの文芸という性格があるのだろうし、何というか永遠に若い文芸ジャンルであるという特異性があると思うのですが、文芸一般に関して言えば、作家と読者というのは決して対等の立場に立てないものだと思うのですね。殊に娯楽文芸の領域においては、作家と読者は決してキミ・ボクやオレ・おまえの間柄ではありません。これは別に、どっちが偉いという話ではなく、かなり隔たりのある別の立場だという意味です。

作家という固有の立場と読者という固有の立場の間で、決して対等の文芸論は戦わせられないというのがオレの認識です。たとえば、作家というのは無闇に他者の作品に対して批評を行うべきではないとオレは考えていますし、一人の作家として個性的な作品が書けるということは、文芸に関して物凄く強固なバイアスを持っているということになるでしょうから、基本的に作家による他者への文芸評というのは強固なバイアスに基づいた狭量なテクストですし、それで当たり前のものです。

勿論、特定の強固なバイアスに基づいた文芸評に存在の余地がないかと言えばそんなこともないわけで、そのようなバイアスが適宜註釈されれば意義あるテクストと成り得るとは言えるでしょう。しかし、現実にはそのテクストがその種の在って然るべきバイアスに基づいているという初期条件は、窮めて危険な性質のものです。概ね普通の事柄に対する言及というのは、個人的なバイアスを極力排して語るのが筋ですから、そのようなものとして視る暗黙の機制が不特定多数の読み手の無意識に存在する。人間が何かに対する言及を読み解く場面で、そこに懸かっているバイアスを正確に把握し常に意識しつつ読み解くというのは、かなり困難且つ高度な作業になるわけです。

そういう意味で、作家による他者への文芸評というのは、飽くまで批評を行う作家自身の実践に対する関心に遡って読み解かれるべき筋合いのものですから、そのような性質のテクストを著す為に、他の同業者の実践に対して決して対等ではない言いたい放題の一読者の立場に立って批評することで自己表現のダシにする姿勢の是非というものが問われてきます。

作家と批評家を両立させるというのは、そういう意味で窮めて困難な試みですし、必ず「そういうおまえはどうなのよ?」と反問されるリスクに実践で応える必要がありますよね。笠井潔なんかは、批評の言説と実作の言説を循環させて整合させていますから、笠井潔の文脈に立つ限り笠井潔は首尾一貫していると認めざるを得ない。言えるのは、だから笠井潔の小説は面白くない、というアスペクトの批評になるでしょう。

少し逸脱が過ぎましたが、作家というのは不特定多数の娯楽に供する物語を書く職業という固有の立場に伴う不自由さを課せられている職業だとオレは考えています。その意味において、たとえば或る特定の読み手が自作を批判し、作家としての自身を糞味噌にこきおろしているのを目撃したとして、それを幾ら不当に感じたとしても、それが自作を巡る議論である限り、そこに直接介入することは、まあ双方の合意でもない限りやるべきではないと思いますし、相当悪意的にヒドイことを言われていたとしても、読者という立場の論者(つまり職業作家ではない立場の読み手)に対して謝罪を要求するのは筋違いのことです。

きくちさんと瀬名さんの言い方は大分違いますが、共通しているのは瀬名さんの反論をきくちさん側の掲示板は予期していなかったということ、つまり作家自身が参加して議論することに対して双方の間に合意が成立していなかったということでしょう。ご自身に対する誹謗中傷に耐えかねて、本人が乗り込んで咎め立てした、そういうふうに読めますね。

しかし、作家というのは少なくとも自作との関連においては公人ですから、自作に対する評価の故にボロクソに貶されるというのは当たり前の話で、どんなに売れた小説といえども一〇〇パーマンセーというのは在り得ません。まあ、作品に対する評価によって書き手を褒める意見と、ボロクソに貶める意見が五分五分と視るのが相応のところでしょう。

これはどんなに売れた優れた小説でも、という意味ですから、この際パライブが優れた作品かどうかという評価とは無関係です。かなり売れたことは事実ですから、その実売のパイが大きくなればなるほど、肯定的な評価に基づいて購入した読者の割合が薄まりますから、読後感は「毀誉褒貶相半ばす」という状況に平均化されてきます。

そうすると、日本中に何万、何十万、ことによると何百万いるかもしれない読者のマッスが、夫々得手勝手に作品を読み解き、褒めたり貶したりしているということになりますし、それは当たり前のことなんですから、文句を言うなら作家になるな、売れようと思うな、という話にしかなりようがないんですね。作品を広く世に問いたい、少しでも売れて欲しいと願うのは、職業作家なら抱いて然るべきモチベーションですが、それにはそういう負の側面が不可避的に伴うのだし、それは受け容れるべき不自由だということです。有名税とか謂っちゃうと途端に安っぽい話になりますが。

ですから、特定の読み手の誰それがあくどく貶したということに対して、書いた本人が「頼まれもしないのに」それに反論するというのは実に変な話なのだし、少なくとも作品に沿った誹謗に関しては文句を言うべき筋合いなんかないんですね。

読者のサイドから「自分たちはこう思うが、瀬名さんご本人はどう思うんですか?」と振られてはじめて作家は自作を語り得るわけですが、その場合でも、自分はこういうつもりで書いたし実際にそうなっているだろう、だからあんたらは読み方を改めろ、ということまで言ってしまってはいけないわけなんです。どう読むかは完全に読者の自由に任された事柄なのだし、そのような得手勝手な読みが無前提で許されているから、作家はそのような読みを表現によってどうコントロールするかに意を砕くわけで、実作以外の場面で言葉で註釈を加えるのは筋が違うわけです。

本来きくちさんが書かれたようなこと(わかるように書くべきだ)というのは、作家自身が言うべきことであって、「そういうつもりで書いたんですが、読者に伝わらなかったのは、こちらの書きようが拙かったと思います」というふうに納めるのが、当たり前の職業作家の仁義というものです。腹が立ったら家に帰ってから内々に大暴れすればいいのであって、それは徹底して感情論の問題でしかありません。

つまり、職業作家が自作を語るというのは、飽くまで読者側から請われた場合にのみ成立する「付加サービスの一つ」でしかないわけで、読者に何かを要求する為に読者の許に押し掛けて自作を註釈する、読者と議論する、というのは作家に許された権利じゃないんですね。

たとえば一躍有名作家となった瀬名さんの、実作とはまったく無関係な私生活に関してネット上にあることないこと流したというのなら、これは作家であるとか公人であるとか言う以前に犯罪性が疑われる行為ということになります。飽くまでその当時のネット観に基づいて判断すべきことですが、そういう種類の誹謗中傷が行われた場合にのみ怒る権利があるでしょう。それでも、それだって相手と議論するという種類の問題ではないですね。で、外野が乱入してきて制御不能なほど荒れる前の段階では、流石にそんな話ではなかったんですよね?

>>でも、それを瀬名さんのところのコメント欄で行うべきかと云うと、ぼくはあんまりそう思わなかったり、です。

賛成です。瀬名さんのご意見は真意が不可解ではありますが、一種の個人的な感情論だというのは疑う余地はありません。感情論に対して筋論で応じても、予期される落とし所は「論破」しかありませんし、感情論が筋論で論破されるのは当たり前なのだし、論破の落とし所が新たな感情論の動機を作るだけだと思います。

この種の感情面のこじれは、公的発話としてのやりとりではなく、個人対個人の直接対話で納めるのが最も合理的かな、と思います。それで蟠りが解消されれば、要求するまでもなく瀬名さんのほうで不当な物謂いを撤回されるでしょうし、それを待つというのがたった一つの冴えたやり方だろうと思います。
by 黒猫亭 (2008-03-22 14:32) 

きくち

いやあ、なんというか、悩むよね。
書かないほうがいい、と言うのは簡単ですが(^^。
コメントを書きかけたものの、投稿はしてないんだな。
 

by きくち (2008-03-23 03:57) 

黒猫亭

>きくちさん

他人様の個人的な問題に差し出がましい口を利くのも尾籠がましいですが、たとえば瀬名さんの一方的な言い分に対してきくちさんに不満があったとして、瀬名さんのブログに反論のコメントを投稿するとしますよね。

その場合、読み手からすると、瀬名さんの片口に対してきくちさんの片口が対抗言説として提起されたということになって、この時点でもどちらが本当なのかわからないということになります。そして、瀬名さんのコメント欄の姿勢からして「菊池さんがそう仰るのであればそうだったのかもしれません」的な曖昧な応答があることが十分予想出来ますよね。実際に瀬名さんの立場から考えると、そういうふうな受け方しか出来ないという言い方も出来ます。で、それで菊池さんに対する誤解や不利益が払拭されるかと謂えば、実はそうでもないと思うんですよ。

瀬名さんに対して同情的な読み手(あそこを読んでおられる方にはそういう方が多いでしょう)は、「瀬名さんはこう仰っているが、菊池さんとの正面衝突や議論の泥沼化を避けておられるだけで、反論したい気持ちを抑えておられるのだ」というふうに解釈する人も多いのではないかと思います。つまり、瀬名さんは言葉を濁して菊池さんの反論を曖昧に受け流すことで、ご自身の主張を間接的に通すことが出来るわけですし、きくちさんもそれ以上言い募ることが出来なくなります。

よしんば瀬名さんが正面からきくちさんの反論を受けて立って「いや、自分の考えは違う」というふうに反論されて、それに対してきくちさんが再反論するという流れになったとしても、これは当時のログが再掲されるわけではない以上、互いの主観的な記憶に基づく言い合いにしかなりませんから、絵に描いたような水掛け論になって、やっぱり真相は誰にもわからなくなるわけです。

もっと謂えば、もしもきくちさんに当時のログを再掲するご用意があったとしても、当時とまったく同じく(というか今のネットの現状を考えればさらなる規模で)関係ない外野がワラワラ乗り込んできて一大論争が勃発し泥沼化した挙げ句、まったく同じように炎上するという悲劇の再現すら予想されますよね。嘗て大森望さんがどういう役割を果たしたかは存じませんが、今ならもっと迷惑な愉快犯が幾らでもいます。

それは後から幾らでも「菊池誠が瀬名秀明のブログに殴り込んで炎上させた」と言いふらすことも出来るわけで、それに反応して瀬名さんの同情者が逆に菊池さんのブログに乗り込んできて炎上させるということも十分予想出来るわけです。

つまり、きくちさがアウェイな場所ではっきりと反論することで、瀬名さんがどのように対応されても、尚更真相が藪の中になり、解消不能の感情的な対立が残るだけ、という事態になりかねないということが予想出来ます。

相手の片口だけが提起されているのは不公平だから対抗言説を提起する、というだけで満足されるのであれば、それはそれでも構わないという話になりますが、その場合はきくちさんの気が済むというだけの話で、第三者的には余計事実関係がわからなくなっただけで、きくちさんに対する誤解は抜本的には解消されないということになります。

別の観点から考えると、瀬名さんが文壇で地位を築かれた今になっても、或る種誰が視ても不公平な片口で昔のことを蒸し返されるのは、きくちさんに対する感情的な蟠りが未だに解消されていないということだと思うんですね。これに対して「そういう言い方は不公平な片口だろう、こちらの言い分はこうだ」というふうに言明されることは、その感情の蟠りの解消には何ら益しない、というより、嘗ての行き違いを今現在のご両人の対立の根拠として固定化してしまうおそれがあると思うんです。

繰り返しになりますが、瀬名さんが今更それを持ち出されたのは徹頭徹尾個人的な感情が動機だと思われます。それが、成熟した公人の行いとして多分に不審な言動であることは、良識のある読み手なら誰しもそう思うでしょう。ですから、それを批判すること自体は、すでに結果が見えています。瀬名さんがこの時点で子供っぽくキレることが出来るような人でない限り、きくちさんのご意見を表面的には受け容れるしかないことですし、万が一瀬名さんがキレて議論が泥沼化した場合、瀬名さんの公的活動にも影響が出る、それは公人としての菊池誠と瀬名秀明の対立に発展します。

それはネットニュースに恰好の下世話なニュース種を提供するでしょうし、「十数年を隔てて再燃した著書の貶し合い」という非常に下品な煽り方が予想されます。ニセ科学批判を茶化して喜んでいる手合いに煽りの種を提供するでしょうし、きくちさんは構わなくても、この論壇に連なる他の論者はその種の下品な煽りを目にする度に不愉快な気分にさせられるでしょう。

どう考えても、ろくな結果にはならないんですよ。

そのリスクを冒してまで、この時点でクレームを入れることに意味があるのか、という問題だと思うんですね。さらに、筋論で謂えば、個人的な感情の問題を衆人環視の下で論じ合う絶対的な必要はあるのか、という疑問もありますし、すでに敵対的な間合いにある相手ならそれを隙と視て攻撃することにも意味があるでしょうが、多分この界隈の人々は、菊池誠と瀬名秀明という科学啓蒙の分野で大きな存在同士が昔の因縁で不倶戴天の敵同士となることなど誰も望んでいないでしょう。

対立感情が残った儘であれば、表面的に対話がどのような結論に落ち着いたとしても、瀬名さんの同情者は瀬名さんに都合の好いように解釈されるでしょうし、きくちさんの理解者はきくちさんに都合の好いようにとるでしょう。瀬名さんに好意的な方と、菊池さんに好意的な方の間の対立という、至極馬鹿馬鹿しい副次的な影響も懸念されます。こういうのは、まさかこんなマトモな人たちに限って、と思っていても、間に緊張関係が存在する限り幾らでも在り得る話です。

幸いにも、と謂ってしまいますが、事は個人的な感情論の問題でしかありませんし、感情論というのは互いの振る舞い一つで円満に解決可能な可能性を持っています。

個人的な感情論の問題は、誰も見ていないところで当人同士の直接対話で話を附けても誰からも文句を言われる筋合いのことではありませんし、寧ろ公にそれを持ち出したこと自体が間違いなのだから、筋から謂えばそのようにして納めるべき事柄ではないかと思います。

その上で、瀬名さんに一方的な言い分の撤回を求めるなり、相手の言い分の幾許かを受け容れるなり、冷静な議論で決めれば良いことなのではないか、その合意に基づく公的開示のアクションがあれば第三者も完全に納得するのではないか、そういうふうに思います。

昔、パライブを巡ってどんな遺憾な事件が起こったのか、それを当事者同士が話し合うことで概ねこういうことだったという合意が出来れば、どちらかの言い分が間違っていたという勝負を避けてその合意のみを公表することが最善の結末ではあるわけですよね。当事者同士がその結論で合意し満足していることが明らかであれば、他の人間がそれ以上のことを邪推する必要もなくなります。

きくちさんの日頃の活動は、悪人を斬るという性格のものというより、人を活かす性格のものではないかと思いますので、活殺何れかを問えば活人の行いですよね。しかし、今すぐに瀬名さんのブログに乗り込んで反論するということは、瀬名さんを退っ引きならない立場に追い込むことで、瀬名さんを斬るか菊池さんが斬られるかという間合いに短兵急に入っていくことだと思います。

他人が勝手なことを言うのも失礼ですが、その前に何か蟠りを解く試みをして戴ければこれに勝ることはありません。多分、瀬名さんの片口による誤解や不利益を完全に解消するには、それが一番の早道ではないかと愚考致します。
by 黒猫亭 (2008-03-23 06:34) 

きくち

いや、まったく黒猫亭さんのおっしゃるとおりで、実際、書きかけて投稿しなかったコメントは「昔のことを書こうが書くまいが、いずれの対応をするにしても、僕にとっていいことはない。瀬名さんの記事の書き方は僕に究極の選択を迫るという意味でフェアではない」という内容でした。
 
それだけではなかなか終われないので、書きあぐねて、やめちゃったのですけどね

by きくち (2008-03-23 11:06) 

TAKESAN

今日は。

直接やり取りした方が良い、という私の書き方は、極めて早計で無責任なものでしたね。
考えが足りませんでした、済みません。
by TAKESAN (2008-03-23 12:17) 

きくち

まだ書くかもしれません。わかりません。
瀬名さんの態度はフェアではないと思っていますが、それだけ書くのもどうかという気がします。
もっとも、だんだん馬鹿馬鹿しい気になってきていて、もうどうでもいいからキレちゃおうかな、と思うことが今のところ、日に二度くらい、ですかね。
 
とりあえず、当たり障りのないことについてはコメントを書いています。

by きくち (2008-03-23 13:50) 

黒猫亭

>きくちさん

長広舌、失礼致しました。きくちさんほどのお方ならいろいろお考えだとは思いましたが、前のコメントを「投稿保留(投稿の可能性もあり)」というニュアンスで読んでしまったものですから。大変立ち入った余計なことを申しあげてすいませんでした。

>>それだけではなかなか終われないので、書きあぐねて、やめちゃったのですけどね

そこなんですよね。一度だけコメントして、瀬名さんの宿怨が晴れてきくちさんへの誤解も回復されて、それでスパッと終われるのなら、瀬名さんのブログで公に話し合うことにも意味があるのでしょうけれど、十数年を経て未だ解消不能な感情が絡んでいるだけに難しいでしょう。筋論では、多分アスペクトが噛み合わないんですよ。

思うに、こういう種類の事柄というのは、ネット上での話し合いには向かないんですよね。互いの顔が見えないうえに、人目と立場があるから引くに引けなくなる局面もあって、意に染まぬ形で火に油を注ぐことが多い。これも立ち入った言い方になりますが、昔の一SF青年同士に戻って、衆人環視の下では言えない本音の一言をぶつけ合わねば済まない局面というのもあるんではないかと想像するんですね。

この際、何を話し合ったかとか、どんな議論が持たれたかというのは、瀬名さんときくちさんのご両人だけの胸一つに納めた「私事」としてしまったほうが、誰からも不満は出ないだろうし、対立をスパッと短期決戦で解消する妙手では、と考える次第です。

瀬名さんが何と仰っても「その言い方自体はフェアではないな」という見方が一方的な誤解の流布に対するカウンターとして当たっていますから、性急に事を解決する必要はないと思います。機会をつくるのも大変だとは思いますが、一度対面的な対話を持たれることを切に望みます。

発端は昔日のSF青年同士の真っ直ぐな激論という、一種「他愛ない」すれ違いだったとしても、各々の領域で影響力を持つ成熟した職業人となった今に至るまで持ち越された感情の縺れというのは、互いのスケジュールをやり繰りしてでも対面的に解消すべきシリアスな問題であるとオレは思います。

というわけで、また余計な無駄口を叩いてしまいましたので、レスはご無用にて。オレのほうも、もうこの辺で差し出口は慎ませて戴きます。
by 黒猫亭 (2008-03-23 14:30) 

きくち

黒猫亭様
重ね重ねありがとうございます。「真っ直ぐな激論」などではないです、正直。いまだに釈然としないですね。作家と読者の立場は対等ではないと思うので。
 
とりあえず、「ニセ科学には笑いを浴びせよう、それが最大の批判効果をもたらす」なる言葉(僕が言ったことの要約ということになっている)についてのコメントと、別のコメントへの返答にあった「これはSFではない」問題についてはコメントをしました。

特に「笑いを」は瀬名さんの批判の中で大きなポイントのひとつ(もうひとつは実験至上主義)なので。幸か不幸か、上記の言葉に相当するものを僕は自分の過去の文章の中から1個しか発見できず(実はそれは意外で、違う文脈で何度か書いている気がしていました)、それは文脈からしてまったく違うと思うので、事実を指摘してあります。
もちろん、僕が発見できなかった別の文章があって、そこには瀬名さんの書かれたようなことが書いてあるのかもしれません。

by きくち (2008-03-23 21:03) 

pooh

> 黒猫亭さん、きくちさん、TAKESANさん

少し触れないでいるあいだに、濃いお話がすすんでいたようですね。
交わされている議論そのものに、ぼくからあえて付け加えなければいけないことはないです。
by pooh (2008-03-24 07:46) 

pooh

亀ですが、黒猫亭さんの2008-03-22 14:32のコメントにレス。

> 黒猫亭さん

確かに、こう云う感じ方にはぼくがもともとSF者だ、と云うのもあるでしょう。ただ、いまは「あり」だ、と感じてると云うのは、むしろ昔と違って「直接対話の機会が増加している」と云うことと関係している部分です。要するにネットですが。

「パライヴ論争」は、ネットを介して公に作者と読者が対話する、と云うことの最初の萌芽のようなものです(もちろんそれ以前もあったんでしょうが、そこそこのスケールのものとしては。ちょっと雑な言い方で恐縮ですけど)。
だから、実はなにかしらそのあたりから「作者」と云うものと「読者」と云うものの立ち位置も変化しているのかもしれない、と云うような。ひどく陳腐な言い方をしている気もしますけど。

この「作者と読者の立ち位置」と云うものの捉え方については、ぼくと黒猫亭さんのあいだで相違があるんだろうな、と思います。ぼくは読者ですが、あまり「消費者」的な思考がなくて。なので、そこには自分が享受する文芸作品に対するアマチュアリズム的な把握の仕方があるんだろうな、とは思います。ただこのアマチュアリズムは、おそらくSF的な、と云うより、むしろ「文学的な」アマチュアリズムなんだろうな、と自分では思っていたり。
by pooh (2008-03-24 07:55) 

黒猫亭

>poohさん

>>この「作者と読者の立ち位置」と云うものの捉え方については、ぼくと黒猫亭さんのあいだで相違があるんだろうな、と思います。

たしかこちらは話題の逸脱を或る程度許容しておられたかと記憶していますので、誤解を避ける為に、きくちさんと瀬名さんの話題から完全に切れた逸脱としての一般論であるとお断りしてから語らせて戴きますね。

実際、ネットの発達が作家と読者の距離を縮めた側面はあると思います。まずその辺の歴史的経緯を検証させて戴きますと、それこそ、最初期の草の根BBSの時代から商用PC通信の時代を経て、著名人のホームページ開設の一般化があって、そのサブカテゴリのしての掲示板があり、今はSNSとブログの時代、というプロセスになるかと思います。

poohさんはたしかオレと年齢も近いし、ネット歴も最初期の黎明期から関わっておられると思うので話が早いと思いますが、草の根BBSの時代から商用PC通信の初期に至るまでの期間というのは、「ネットワーカー」という人的な括りがありましたよね。

今では、ネットワーカー「としての」というように、或る個人のネットにおける立場を表す言葉でしかないですが、その当時は若干意味合いが違って、「ネットワークにアクセスする人々」という文字通りの意味で、特定の人的階層を意味する言葉だったと記憶しております。つまり、ネット人口が現在とは比較にならないほど限られたレベルだったので、ネットを活用する人口自体が一種の階層的括りとして機能していました。たしか、一種のヲタク的なニュアンスも含んでいたかと思います。

その当時は、PCを使いこなすこと自体が一種のヲタク的な行為と視られていたと思いますし、それはオレが一大決心をしてマックを買ってネット活動を始めた九〇年代半ばまでギリギリ残っていた感覚だと思います。そこから二〇〇〇年代までの数年間が商用PC通信の提供するコミュニティ文化の最盛期で、ASAHIネットやPC−VAN、ニフティなどのTTY=テレタイプ方式のパソ通隆盛の時代が「少数者としてのネットワーカー文化の最盛期」だったとオレは認識しております。

二〇〇〇年代になって、さらなるパイの増加を目指す商用ネットワーク企業はプロバイダ事業に参入してポータル的なサービスにシフトしていき、TTYには不可能だったマルチメディアを売り物にしてホームページ文化をターゲットにしていきます。この辺の事情に関しては、オレもニフのフォーラムスタッフとして活動した時期がありますから或る程度ニフ側の事情も識っております。

今でもSNS的なクローズドのコミュニティとしては、TTY時代のニフのフォーラムシステムが最良だったと思うんですが、あれはやはりパイの上限がかなり限定されるシステムではありますから、「少数者としてのネットワーカー」という括りにおける到達点だったのだろうと思います。

たとえば、poohさんが仰るような「その場に作者が怒って乗り込んでいくのも、実はあり」という状況があり得たのは、おそらく草の根の時代から商用PC通信初期の頃までの感覚ではないかと思うんですよ。その辺の時代性になるとオレは伝聞の範囲でしか識りませんが、ネットの先輩から数々の逸話を聞いています。

で、たとえば例の猫さんのような作法というのは、その当時のネット方言の感覚として自然だったと思うんですね。オレがPC通信を始めた頃は、チャット(リアルタイム会議=RTとかニフでは謂っていましたね)でよくああいう流儀のネットワーカーとお会いする機会があって面食らうこともありました。

基本的に年齢職業性別問わずタメ口で呼び捨て、現世での社会的立場は一切考慮せず、ハンドルとIDによって同定されるのみの対等な人間同士として対話する、議論する、そういう対等性を強調した作法というのが現役だった時代というのは、たしかにあったんだと思うんですよ。それこそ「一バイトは血の一滴」とかその頃でもよく謂われましたし、ネットのリソースの贅沢な使い方は顰蹙された時代ですから、とくにチャットなんかでは敬称略とか敬語抜きの最短の文章量を心懸けるというのは経済性の問題でもありました。

古手のネットワーカーからよく聞くのは、たとえば作家やマンガ家や脚本家、映画監督と謂ったつくり手サイドの方でネットに明るい開明的な方が、よくBBSやチャットに直接参加して烈しい議論を交わしたり、そういう著名人に対してネットバトラー的な論者が因縁を吹っ掛けたり、というような状況ですが、そういう状況は商用PC通信の円熟期には次第に影を潜めていきます。

つまり、ウィンドウズ95の登場による爆発的なPC人口の増加と、ネット企業の積極的な営業によってどんどん新規参入する人口が増えていって、ネットワーカーという人的な括りが機能しなくなってきたわけですね。現在の、ケータイを含めれば大半の人間がネットに繋がっている状況の萌芽が現れてきたわけです。そういう意味で、パソ通の掲示板で何か書くということは、昔ほど限定された場の直接対話という性格を持たなくなってきたわけですね。たしかニフでは、流行っているフォーラムでも一日数百単位のアクセス規模だったと思うんですが、その程度の規模における「公」が意識されるようになっていきます。

二〇〇〇年代以降の、インターネットが普及していく時代性に関しては、現在に連なる時代性の話ですから今更詳述するまでもないので端折りますが、ホームページのサブカテゴリーや専用サービスの掲示板を経て、今はSNSとブログに二極化したということになりますが、多分インターネットの掲示板というのが一番中途半端なメディアだったんじゃないかと思うんですね。不特定多数に公開されたインターネット上でSNS的なコミュニケーションを行うわけで、一般的な参加者の公私の意識も曖昧だった為にいろいろなトラブルがありました。

そういう公私の意識というのはつい最近まで問題視されていたわけで、不特定多数に対して開かれているネット上で、数人の識り合いとの間の内輪話のような意識で交わした会話が元で大騒ぎに発展するという事件が後を絶ちませんでしたが、ここ最近になって漸くブログにおける公の意識もネットリテラシーという形で周知されるようになり、誰が視ているかわからない公の発話であるという意識が浸透してきました。

私的なコミュニティとしての役割はSNSが担うようになっていきましたが、SNSのクローズド性も形式的なものでしかなく、公開のネット上に晒される危険は常にあるわけで、或る程度その区別は筋論的な部分に留まるかと思います。

というわけで、「←今ココ」というのが大体の歴史的経緯であるかと思いますが、くだくだしい前提提示が終わりましたので、一旦コメントを分けます。
by 黒猫亭 (2008-03-24 13:24) 

黒猫亭

このような歴史性の中で、たとえば作家が読者の暴論に怒って反論するというような事態が在り得たのは、最初期の頃に留まるというのがオレの認識であるというふうに申しましたが、それはつまりその当時は人的な括りとしての「ネットワーカー」という尖鋭な意識があったからじゃないかと思うんですよ。

前提提示において「現世での社会的立場を考慮しない」と申しましたが、それは仮面舞踏会のような現世の社会的立場を明らかにせず「おしのびで」という意味ではないということは勿論です。職業作家等の著名人の方には、全然別のハンドルを用いる方もおられたようですが、堂々と普通に社会で通用している名前で参加される方も多かったと聞いております。また、たとえハンドルを用いていたとしても、その方が著名作家であったりマンガ家であったり、ということは、その場の常連には概ね周知されているのが一般的な状況であったかと思います。

「社会的立場を考慮しない」というのは、つまり社会的立場によって特定の誰かを特別視しないという建前が一般的だったということで、著名人の方にとってはそういう空気のお陰で安心して議論を楽しめた側面はあったでしょう。

どんなに社会的にエラい人であっても有名な人であっても同じネットワーカーだ、という平等感や対等意識があったわけで、勿論その当人に対する敬意や愛好によって自ずからなる礼儀のようなものはあったかもしれませんが、基本的にネットワーカーはすべて対等だという意識があったのではないでしょうか。最初期のネットワーカーは職業的にPCを用いる有識層かヲタク的なPC小僧という割合極端なギャップがあったようですし、そういう対等意識というのは双方にとって魅力的なものだったかもしれません。

それ故に、作家が自作を巡って読者と議論するという場合、対等者同士として論をぶつけ合うネットワーカーの一人が「たまたま」著名作家だったという扱い方をする、その文脈上でそのネットワーカーが独自に持っている情報として自作に関する言及を行う、そういう言説の階層であったかと思います。

ただ、これはネットワーカーが極狭い人的括りとして活きていた時代性における話になると思います。オレの友人の作家も古株のネットワーカーなんですが、オレがニフで識り合った頃にはもうそういう状況ではなかったと考えているようです。PC通信最盛期の頃のネットワーカーというのは、最早限定された少数者でもないし、人的な括りでもなかったんですね。

なので、もうその頃には作家の方が直接書き込みをして読者と語らうというような行為は慎まれるようになっていました。表面上数人しか書き込みしていなくても、背後にどの程度のROMが存在するかわからない、もし誰かが暴れ出したらスタッフが与えられた権限の範囲内で対処することは出来ますが、やはり理念的には対等者同士の自律的運営というのが建前となっていて、スタッフも一般会員のボランティアですから、一旦もめ事が起こると後々まで尾を引くことが多かった。

もうすでにその頃には、ネットに参入するというだけで特定の意識や空気を共有することは出来なくなっていたのだし、著名作家はネット上でもやっぱり著名作家として扱われるようになっていたわけです。

現状において多くの作家の方は、たとえば公式サイトを立ち上げるとか、公式ブログを開設するという行為によって、「その作家のファンコミュニティ」を提供するという意識において公的な発話をされているわけです。そこでは作家と読者は決して対等者ではないのだし、作家が読者に対して対等者として議論を挑むというような事態は起こり得ません。

すでに結論を言ったも同然ですが、オレは作家が読者に対して怒りを覚えて議論を挑むという状況が在り得たのは、彼らが「同じネットワーカー」という意識を共有していた短い期間における特定の時代性の賜物であると考えていますし、それは作家と読者の立場を一般論として考察する場合には特殊例でしかないと考えています。

何故なら、そのような事態が成立したのは、「ネットワーカーという人的な括り」が機能するなら、作家と読者は異なる立場を捨象した対等なネットワーカー同士だという建前が成立するからです。この場合、この二者はすでに「作家」と「読者」という立場において議論を行っているわけではない。

対等なネットワーカー同士が、「たまたま」一方の当事者が著した書籍を巡って「たまたま」作家と読者の立場に立つ者同士が対等に議論をしていたというだけで、それはつまり、現実的な意味合いにおける作家と読者の立場の違いが捨象される特殊要件だったということだと思います。

実際、今現在の時代性においては、どんなにナイーブな作家でも読者の意見に対して怒りを露わに議論を吹っ掛けるなどという行為を行う人は概ねいません。職業作家の間でもそれは筋違いのことであるという認識が浸透しているらしく、たとえば近い過去においても、作家やマンガ家の公式サイトの掲示板において、書き込みへの対応を巡っていろいろなトラブルが頻発しましたが、そういう事件に関して作家側の肩を持つ意見というのは聞いたことがありません。作家が読者と対等の立場に立って議論を交わすというのは、やはり筋違いのことなんですよ。

で、大括りな話をすると、オレはネットが既存の概念の本質を根本的に変えるとは思わないんですね。ネットが発達したり介在したりすることで、過渡的に変容を蒙ることはあっても、物事の本質というのは大筋変わることはない、ネットによって加速されたり到達範囲が拡張されたりはするのだろうけれど、たとえば作家と読者の立場というような極一般的な概念が根本的に変容するとは思えないわけです。

社会経験の未熟な若い作家の中には、酷評する書評ブログのコメ欄に殴り込んで怒りをぶちまける人も出て来るでしょうが、それはやはり一般的な感覚としては顰蹙される例外的な行いのままだろうと考えています。狭い範囲ですが、オレの知人の数人の作家の実際の感覚としても、そんなところだというふうに聞き及んでいます。

それは、プロの作家の感覚としても読者と議論して得るところはない、というのが一般的だからだとも思います。どんなに妥当で興味深い書評でも、それが遡って執筆の実践に役立つかと謂ったらそうでもないわけで、小説の書き方の参考になるのは評論家の発言なんかよりも、やっぱり同業者や編集者の意見だったりするんですね。その意味でも読み手(評論家は読み手の為に存在するわけですからこちら側ですね)と書き手の立場というのはかなり違うと思います。
by 黒猫亭 (2008-03-24 13:24) 

黒猫亭

補足ですが、オレが作家と読者の議論に何も期待しないことについて、アマチュアリズムの観点で謂うと、友人の作家が「文芸サークル時代の合評が厭だった」という話を聞いたこともあると思います。

書き手に対して同じ書き手の立場で有益なアドバイスを与えられるのは、やはり書き手としての職業経験を積んだ同格以上の書き手に限られると思うのですが、文芸サークルの合評というのは、早い話が素人同士の叩き合いなんですね。それぞれが一人の書き手だった人々が、別の一人の書き手の作品を巡って、一人の読者の立場に立って得手勝手な感想をぶつける。

本来は同じ書き手の立場に立って、現状の作品から当人の執筆意図を見抜き、それにはこのようにしたら効果的なんではないか、伝わりやすいのではないかと提案する、ここが問題点なんではないかと指摘する、それなら有意義なアドバイスになりますが、大概の場合、そこまで的確な立場に立てる素人作家というのはいないんですね。大概は一人の読み手になってしまって「オレが望む小説」を滔々と語り、その前提で他人の作物を叩くという形になる。それは執筆の実践においては何の益ももたらさないんですね。

精々「ああ、他人というのはこういうふうに勝手に読むのか」という実感を覚えるとか他人から叩かれるタフネスを鍛える精神修養の一環になるくらいで、それを定例化するのは剰り建設的なことではない。褒められて伸びるタイプの人だと、そういう読み手的な読みに基づく叩きが逆効果な場合のほうが多いわけです。そういう意味で、サークルの合評というのは、よっぽど目の確かなリーダーでもいない限り、不毛な叩き合いに堕す可能性が高い。

で、一般的な意味での「読者の意見」というのは、そういう意味で作家の実践とは断絶したロジックの意味性になるわけですね。

で、読み手の意見が全然無駄かと謂えばそうでもなくて、要するにそれはマーケティングの問題になるんですね。こう書いたらこう読まれることが多いのか、ではこう書いたらどうか、そういう経験的なフィードバックなので、サンプルからの意見があればそれで好いのであって、それに作家の側が応答したり反論したりする必要というのはハナからないわけです。「ご高閲ありがとうございました。次作の参考にさせて戴きます」の世界なんですね。

精神の強靱な作家なら、あらゆる酷評を冷静にデータとして蓄積出来るわけですが、作家だって人間なので、糞味噌の酷評やあくどい誹謗は聞きたくないのが人情ですし、そもそもそこまで悪く言う論者というのは、原則的には自作に格別の興味や特定の関心を持たない読者なので、マーケティングデータとしても剰り参考にならないわけです。

だったらモチベーションが下がるだけだから、高評価の意見だけ聞いて悪評に関しては無視するというのが実際的だろうというふうに考える作家も多いわけで、よほど信頼している「辛口」論者の意見以外は、悪評が飛び交う場所は覗かないという作家も多いということです。まあ、2ちゃんとかのことですが(笑)。

で、おそらくpoohさんが仰っているのは、作品を媒介にして作品で提起された概念や問題性を作家と読者が議論するというような意味合いなのかな、とも思うのですが、一方が作品を書いた側で一方がそれを読んだ側である以上、どうしても夫々の当事者性を捨象して冷静に議論するという形にはなりにくいわけで、寧ろ作家と読者という立場にある者同士は、その作家の作物自体とは無関係な事柄について論じ合ったほうが好い。

その場合も、他の作家の作品を巡って議論するのでは、以前に語った通り作家の文芸論というのは必ず自身の実践に遡って意味附けられますから、剰り大っぴらにやるというわけにもいかない。つまり、作家と読者の間の議論という意味では、文芸批評の文脈を離れた共通の関心に基づく一般的議論なら限定的にアリだろう、と思います。
by 黒猫亭 (2008-03-24 14:12) 

pooh

> 黒猫亭さん

うぅむ。実はこの件に関しては、ご指摘通りぼくの感覚のほうにずれがあるんだろうな、と云う気がしてきています。
実は「SFファン」なり「ネットワーカー」なりの特定の立場のなかでふるまってきた経験が、ぼくの感覚をずらしているのかもしれないです。まさに文芸サークルの人間でもありましたし。

> > 作品を媒介にして作品で提起された概念や問題性を作家と読者が議論する

一時期これを筒井さんが盛んに試みていたじゃないですか。結果はともかく、当時ぼくはそれが文芸のまっすぐ進む方向から生じたものだと思っていて。そのあたりの感覚が残っているのかも。

かたちをなして世に問うた自作について著者が語るのは、まぁふつうに考えると異様なことではあります。さすがにぼくもそれが一般的になるべきだ、とは思っていません。ただそれが(ちょっと言葉は適切ではないですが)禁忌とされるべき事柄なのか、それともそこから何かが生まれうる新しいフェイズなのか、については、ここでは保留させてください(自分の感覚に固執するわけではないですし、顕著な成功例もまだないことも分かっていますけれど、可能性として)。
by pooh (2008-03-24 22:18) 

きくち

僕は作家と読者は対等になれないと考えているので、意見交換もまた決して対等には行い得ないと思っています。所詮、作家は書き、読者は読むという立場をひっくり返すことはできないです。
筒井さんなどは、そういう行為も含めた「文学」を創造しようとしたのであって、それはたとえば寺山修司が街中で市民を巻き込んだ演劇をやろうとしたことに近い。
今問題になっている普通の意味の小説とはメタレベルが違うわけね。
 
いずれにしても、瀬名さんがやったことは、作家がやるべきことではないと今でも思うのですよ。
もし誰かとやりあうのであれば、同じ「パライブ」をくそみそに貶した人でも、素人がネットの掲示板(10年前の掲示板なんて、屁のようなもんです)で罵詈雑言を言い合っているところに乗り込んで来たりせず、雑誌の書評欄など公の媒体で貶した人と文章で戦うべきだったはずなんだよ。擬人化に怒っている書評はいくつもあったはずなのだから。

by きくち (2008-03-26 02:04) 

pooh

> きくちさん

黒猫亭さんの指摘も読んで思ったんだけど、上のほうでぼくは過度の一般化につながるような非常にナイーブな書き方をしています。特定の(より普遍的な)ケースをあてはめられるものではないよね。

> 所詮、作家は書き、読者は読むという立場をひっくり返すことはできないです。

分かります。だから筒井さんなんか、そこにアプローチするのを文学的営為としたんだよね。

> 擬人化に怒っている書評はいくつもあったはずなのだから。

そうだよね。
ぼくがはっきり覚えてるのは浅田彰と田中康夫の対談かな。
by pooh (2008-03-26 07:44) 

きくち

浅田彰と村上龍じゃない?

by きくち (2008-03-26 10:14) 

黒猫亭

>きくちさん、poohさん

>>もし誰かとやりあうのであれば、同じ「パライブ」をくそみそに貶した人でも、素人がネットの掲示板(10年前の掲示板なんて、屁のようなもんです)で罵詈雑言を言い合っているところに乗り込んで来たりせず、雑誌の書評欄など公の媒体で貶した人と文章で戦うべきだったはずなんだよ。擬人化に怒っている書評はいくつもあったはずなのだから。

何度か書いていることですが、パライブ論争の実態を識らないオレが、瀬名さんの言い分を聞いて真っ先に不自然に思ったこともそれです。世の中全体で瀬名秀明という新人作家のデビュー作を酷評し、作者の見識を嘲笑する意見が、きくちさんの主宰する掲示板に集う方々の意見だけだったとは到底思えないのですね。

仰るような擬人化の問題というのは、オレも初読の際には「ああ、誰の身体の中にも存在するミトコンドリアをモンスターに見立てたところが新味のホラーなのね」という素朴な印象を覚えましたが、オレ個人としてはその当時ニフティのホラー映画フォーラムのスタッフを務めていたこともあって、このジャンルの文芸で何かを擬人化することが問題だとも感じていませんでした。

たとえば筒井康隆の「お紺昇天」なんかは、SFの文脈で言えばAIの人格テーマという話になりますが、語り物の構造としては今で謂うカーナビを擬人化した日本的な付喪神的情話として分析したほうが適切だと思うんですね。山本七平の空気の研究の話なんかにも繋がってきますけど、あの話は思弁からアプローチするよりも情話という説話構造の側面から読み解いたほうが適切な話だと思います。で、ホラー小説というのはSFに比べて説話構造が最大限に重視されるジャンルだと思うので、思弁や考証というのは二の次だったりするわけですね。この作品も、現在の書き手が書けばAIカーナビの擬人化萌えの文脈で書かれたはずです。

ホラー小説、就中モダンホラー小説の文脈では、モンスターの存在原理が不合理だったり不条理だったり論理的に破綻しているということは、寧ろジャンルの要請でもあるのですね。所謂「理に落ちる」ホラーはちっとも怖くない。古拙な不合理を現代的な視点の緻密なリアリティの積み重ねによって迫真力を持って描くことが現代におけるホラーの眼目なのですから、たとえば「オバケの祟り」レベルの素朴窮まりない不合理でもモンスターの存在原理としては構わないわけです。リングの貞子とか呪怨の伽椰子とか、元を質せばただの不合理な「オバケの祟り」なわけですが、それでちゃんとモンスターとして成立しているわけです。

その代わり、語り口とか書きようの部分の技術を厳しく問われるのが、「怪談という語り物」を原点に持つホラー小説のジャンル性というものだと認識しております。体系的な論理として説明不可能な不合理を、文芸のリアリティとして成立させるのが語りの技術であるわけで、寧ろホラーという不合理を扱う文芸ジャンルが現在においても成立しているのは、語りの技術に一義的にリアリティを依存する文芸形式だからでしょう。

その意味で瀬名さんのパライブなんかは、モンスターの存在原理の部分で妙に科学考証的に頑張っているわけですが、描写ではなく合理で説得しようとする部分がホラーとしては少し違うだろうし、その分描写の技術が弱い、という感想はあります。

きくちさんの仰る「ジャンル小説」の考え方に沿うものかどうかはわかりませんが、ミステリにせよSFにせよホラーにせよ、それぞれジャンル固有のコードに則って書かれるべきだし読み解かれるべき筋合いのものと考えます。たとえば瀬名さんがセールスの方便として「ホラーの冠」を受け容れただけで、執筆の実際においてはSF小説として書いたのであればホラー小説としては間違っているのだし、瀬名さんが方便に譲歩してホラーとして書いたのであればSFのコードで読み解くこと自体が間違っているという言い方になるでしょう。

瀬名さんの作品の性格上、おそらく書き手の側にも読み手の側にも、その部分の認識に混濁があったというのが実態ではなかったかと思いますし、パライブに関しては或る程度SF的な文脈の批判を蒙りやすい性格があったということになるかもしれません。本来、キングのようにモダンホラーの書き手としての自意識に揺るぎのない小説家なら、SF的な文脈の批判に対しては正面からホラー小説のジャンル性を掲げて「擬人化のどこが悪い」と真っ向から反論すれば好いことで、「擬人化していない」という論旨の反論というのは、オレの感覚だと少し変なんですね。

パライブというのは、作者の「つもり」がどうあれ、当時のホラーブームの中でバリバリのモダンホラーとして売られた作品のはずなんですね。普通に考えて、ホラーとしてのジャンル性の意識で書いていないということなど在り得ないはずなんです。それ故にオレの感覚では擬人化論争それ自体が的外れな話だろうし、瀬名さんがそれに反論するのであれば「ホラーとして書いた」と明言するのが筋なんですね。SFファンダムにおけるSF的なコードに基づく読み解きに、同じSF的文脈上で反論するということ自体がおかしいわけです。

それこそ瀬名さん式に言えば、版元が「SFだと売れないから」という理由でホラーとして売ることにしたとしても、作家自身がその意向を受けて書いていないとは思えないわけですから、そもそもSF小説という前提でSF的コードに基づく批判を受けて立つことには無理があるのだし、ホラーだと思って買った読者に対してはあんまりフェアな態度とも言えないわけです。

もっと言えば、SFファンダムがSF的なホラー小説をSFのコードで読み解いて、それがジャンル性の観点で的外れだったとしても、それは素人のファンダム活動における自由な内輪話の範疇の事柄のはずなんですね。また、当時の草の根BBSの状況を考えれば、一種現在で謂うSNSのコミュニティ的な性格の場所だったでしょうから、そこに作者が乗り込んで行ったとしても、それはその場にいる特定少数の当事者との私的対話にしかならないはずなんです。

職業作家の反論というのは、きくちさんが仰る通り公に為されるのが筋であって、如何にネットという媒体が原理的に開放端になっているからといって、当時の時代性で謂えば、そこで特定少数の当事者たちと私的対話を戦わせても意味はないはずなんですね。

何度も言っていることですが、アマチュアの読み手としての立場で語らっていたきくちさんたちに、私的対話として反論を行うというのであれば、全国に数限りなく存在する同じような立場と意見の素人の読み手に反論行脚をして廻るのか、という話にしかなりようがないんですね。

飽くまでファンダムのアマチュアでしかないきくちさんたちだけを特別扱いして、閉じられた場の私的対話として噛み附く名分がないんですね。逆に謂えば、巷に溢れているその種の批判に対する作者の真意という情報を、何故きくちさんたち特定少数者にのみ明かすのか、という話にもなるわけです。それを瀬名さん自身の口から聞きたがっていた読者も、当時大勢いたはずなんですよ。

きくちさんが仰るように、「プロの読み手」である書評子が公の媒体に書いた「同趣旨の批判意見」をその種の意見の代表と視て飽くまで公に反論するくらいが、職業作家としてはフェアな態度と言えるでしょう。

by 黒猫亭 (2008-03-26 10:33) 

黒猫亭

まあ、それよりもオレが気になるのは、あちらのブログに書き込まれた瀬名さんの反論の意味が「まったく読み取れない」ことで、論理の筋道を追うことすら出来ないです。これは皮肉でも何でもなくて、瀬名さんがどのような筋道で何を仰っているのか全然理解出来ないんですが、それはオレだけなんでしょうか?

どうもオレには、瀬名さんが階層性や文脈の全然異なる事柄同士を、表面的な言葉の相同に基づいて無理矢理継ぎ接ぎしておられるようにしか見えないし、きくちさんの問い掛けのアスペクトを極端にずらして応えておられるようにしか見えないので、整合的な論理を追うことが困難だと感じるのですが、ここまで読解の難しい反論をぶつけられると、意義ある議論になるのかどうか非常に不安を覚えます。

オレの直観では、典型的な泥沼化を呼ぶコメンタリーなんですね。オレよりもっと理解出来ている読み手でも、おそらく瀬名さんの真意の大部分を追うことは出来ていないだろうから、それで瀬名さんに反論しても取りこぼしが出てくる、それに対して瀬名さんがまたこの調子で反論する、そういう流れになったら、おそらく収集が附かなくなるのではないでしょうか。

また、何というか、第三者の読みを無視して、当事者同士の間でしか通じないことを腹芸で書いておられるような印象すら覚えますが、こういう局面でそのような思わせぶりな書き方をされることが、果たしてフェアなことなのか、少し疑問に感じます。

まあ、きくちさんが周到に避けておられるパライブ論争の話が何の話にでも漏れなくついて回る辺り、やはり瀬名さんがきくちさんと語りたいのはそこなのかな、とは感じられるのですが、オレの心証では、瀬名さんの対応が剰り適切だとは感じませんでした。

一言で言って、あの瀬名秀明が書いたコメントとは思えません。
by 黒猫亭 (2008-03-26 10:40) 

TAKESAN

今日は。

黒猫亭さん
 >瀬名さんがどのような筋道で何を仰っているのか全然理解出来ないんで
 >すが、それはオレだけなんでしょうか?
私もです。コメントが続くほど、何を主張したいのか、皆目解らなくなってくる。
当然、当時の事情を知らないから、というのもあるのでしょうけれど、それを考慮しても、意味が取れないです。

あちらのコメント欄を読んでいて、頭にクエスチョンマークが浮かぶ人は多いのではないか、と推察します。
そもそも、本文で、書評と絡めて以前の話を持ち出した訳で、その話を知らない人に向けて紹介する、という面もあったはずなのに、結局、「解る人にしか解らない」ような書き方を続けていますよね。
黒猫亭さんと同じような感想です。
by TAKESAN (2008-03-26 14:23) 

きくち

僕が例の論争の時点で純粋にアマチュアだったかというと、若干微妙ではあります。翻訳と文庫解説くらいはしていたかな。公の媒体で継続的に書評をし始めるのはその翌年になります。
ただ、掲示板に書き込んで罵詈雑言を言ってたのは僕をのぞけば完全に「単なる読者」だったはずですけどね


by きくち (2008-03-26 16:04) 

きくち

僕が自分のブログにフェアネスの話を書いたことを無理矢理深読みされたのかなあという気もします。あの話は文字通り受け取ってもらえばいいんですけどね。単に当たり障りのない話を書いたわけで。

by きくち (2008-03-26 20:31) 

pooh

> きくちさん

> 浅田彰と村上龍じゃない?

そうだったかも。よく覚えてない。何の雑誌だったかな。
by pooh (2008-03-26 22:03) 

pooh

> 黒猫亭さん

瀬名さんは「パラサイト・イヴ」を、ホラーとして書いたんですよ。それは間違いなくて。ただ、おっしゃるような読まれ方(と読者層)を持つような書き方をした、と云うのは確かなんですね。
どうなんだろう。これは不幸なことなんだろうか。よく分からない。
ぼく自身の「パラサイト・イヴ」と云う小説についての意見を述べるのは、ちょいと話を濁らせるのでやめておきます。

> オレよりもっと理解出来ている読み手でも、おそらく瀬名さんの真意の大部分を追うことは出来ていないだろうから、それで瀬名さんに反論しても取りこぼしが出てくる

これですねぇ。ぼくも瀬名さんの意図がまるで分からない。
by pooh (2008-03-26 22:11) 

pooh

> TAKESANさん

> コメントが続くほど、何を主張したいのか、皆目解らなくなってくる。

「誰に」「なにを」云いたいのかが、分からないんですよね。で、そこを詳らかにしたいのかどうかもよく分からない。自分のところであれを続ける意図も分からない。

ぼくはここのコメント欄ではずっと、きくちさんに一方的な自重を求めるようなアンフェアな云い方をしています。でも、瀬名さんがしたい話があれなんだったら仕方ないよな、みたいに思い始めています。
by pooh (2008-03-26 22:15) 

pooh

> きくちさん

なんかもう、よく分からないです。どうしても自分の読者の目のあるところでああ云う話をしたいのかな。一方的にきくちさんに自重を求めるのが正しいのかどうか、分かんなくなってきた。

黒猫亭さんのおっしゃるように、「あの瀬名秀明が」って感じです。
日頃仲が悪いわけでもないでしょうにね。
by pooh (2008-03-26 22:20) 

きくち

少しコメントしました。
それから、Brain Valleyについて、僕のブログに書きました
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1206548551
by きくち (2008-03-27 01:54) 

pooh

> きくちさん

「笑いを武器にする」ことはやっぱりきわどくて(ちょうど昨日のエントリについてTAKESANさんに懸念を表明されてしまっています。ご懸念はわからなくもない)。ただ、逆に云うとぼくたちなんてほかにあんまり武器を持ってない。
慎重ではありたいですが、それは敬して遠ざける、と云うことではなくて。いずれきわどい話になるにしても、そこを踏まえてどう踏み込むか、みたいな。
by pooh (2008-03-27 07:51) 

黒猫亭

結局乗り込んでしまいました。典型的な「留め男が手を出すパターン」ですね、お恥ずかしい次第です。
by 黒猫亭 (2008-03-28 15:10) 

黒猫亭

早速某さんがお出迎えしてくださいましたが(笑)、あの人にしてはいいこと言うなぁ。なるほど、愚にも附かない戯言を黙殺する自由もあるということね(笑)。
by 黒猫亭 (2008-03-28 17:40) 

pooh

> 黒猫亭さん

おっかないなぁ。
でもまぁ、認めます。ぼくはきくちさんや黒猫亭さんに対してアンフェアでした。瀬名さんのことは心配だけど、本人が往来で馬上試合がしたいってんならしかたない。

> 愚にも附かない戯言を黙殺する自由もあるということね(笑)。

まぁなんにしても彼は因縁を付けるための言質が欲しいだけですから。
by pooh (2008-03-28 22:50) 

黒猫亭

>poohさん

オレのコメントについては「事情を識らん奴は黙っとれ」ということで門前払いだったようです(笑)。「黙っとれ」も何も、多分読み手の多くは過去の事情を識らない人であるということ、そういう人には瀬名さんのご意見がどのように読まれるのかということ、そもそも現状の書きようで読み手に何かが伝わっているのかということについて、客観的で冷静な視点がないように感じます。

まあ、ああいう形で批判されたら仕事に差し障りが出るわけで「そんなことを言っているわけではない」と応えざるを得ないわけですから、ああいうふうに言ってくださっても結構ですが、今現在もそういう誤解を蒙っているのだということ、少なからぬ読者がそういうふうに解釈して不審と戸惑いを覚えているということに気附いてくださるといいのですが。

まあ、事実上の終結宣言を出されていますから、或る程度「まずいことを書いた」という意識が出て来たと思いたいところです。何というか、最初から最後まで御自分の体面を繕っておられたのが厭な感じでしたが、潰れて困る体面があるのなら最初から他人の体面を潰そうとして暴論を吐くのはやめておけという話ですね。馬上試合がしたいなら、落馬したときのリスクを考えてやるべきです。
by 黒猫亭 (2008-03-29 02:49) 

pooh

> 黒猫亭さん

ここで、(ぼくや黒猫亭さんみたいなすれっからしの読み手ではない)ふつうの瀬名ファンがあの議論のやり方を見てどう思うのか、と云うのがちょっと見えなくて不安ではあるんですけどね。

> 或る程度「まずいことを書いた」という意識が出て来たと思いたいところです。

これは、本当にそう思います。
いや、もう少し計算高く「体面を繕って」くれたのなら、まだ安心できたんですけど。あ、これはぼくだけか。失礼しました。
by pooh (2008-03-29 06:47) 

きくち

僕は瀬名さんのことを特に心配していません。心配する義理もない。
いいおとななんだから、自分でなんとかしてもらわないと。
 
あちらにさらにコメントを書くかもしれないし、書かないかもしれません。相変わらず、どう書いても僕にとっていいことはあまりないという状況に代わりはないなあ


by きくち (2008-03-30 02:41) 

FREE

おはようございます。
 
書こうか書くまいか考えていたら遅くなってしまいました。

瀬名さんの文章は、なんとなく言いたい事は分かるが感情が先走った文章に読めます。
私が読み取れる主張は元のエントリーやコメントをあわせて再構成し

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過去に瀬名さんがきくちさんかもしくはきくちさんに近い人から手厳しい批評をされ、嘲笑されたと思えるという個人的体験がある。厳しい批評がそのコミュニティ内の言葉を理解していない人々にとって「悪いレッテル」にしかならない場合がある。さらに「悪いレッテル」へと拡大した意図しない方向からの笑いの責任を元の評者はとろうとしない。そもそも「笑い」は「笑うもの」と「笑われるもの」という構図があり前者は後者から離れた安全圏から行うものであり、「と学会的笑い飛ばす」が本当にその意味で社会に伝わるか信じられない。評者は引き起こした拡大した笑いについて誤解を広めた責任をとる気はなく謝りもしない。誤解を引き起こしたものは謝るべきである。

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コミュニティ内の言葉とコミュニティ外の言葉という点に引っかかりを感じているからこそ、瀬名さんはジャンル性やら境界知やらという言葉に重きを置いていると見えました。そしてコミュニティ外へ広がった言葉からバッシングが起きたと捉えている、と。
 
もしかしたら「波動」という言葉の取り扱いに近い事をイメージしておられるのかもしれません。「物理の中での波動」という言葉と「水伝における波動」とはまったく持って違っており、ニセ科学批判を行う者は「水伝における波動」は「物理の中での波動で」はないと指摘・訂正しています。水伝コミュニティと科学コミュニティいう2つの言語世界の間の問題と批評を重ね合わせているのかなと思いました。
 
いつぞやの話にあった(TAKESANのところだったかも)提唱者は、拡大した話にどこまで責任を問えるのかという話が近いのかなと。(たしか百ます計算の話題で)
ただこの話を批評に結び付けてよいかは別で、批評にかんしては責任云々は結び付けるべきでないと考えます。
by FREE (2008-03-30 10:55) 

FREE

訂正があります。


>TAKESANのところだったかも

TAKESANさんのところだったかも

TAKESANさんが呼び捨てになってしまいました。
申し訳ありません。
by FREE (2008-03-30 12:47) 

きくち

主張の意図はたぶんFREEさんが推察されたとおりと思います。
でも、もとの本の書評とはなんの関係もないのでそこがまずミスリーディングだし、そもそもなんで今あれを書くのか、まったくわかりません。
 
水伝や波動の話はFREEさんが言われるような話ではないと思います。単に「笑う」という話の延長上にあるだけでは。
 
ニセ科学批判と文学批評(単なる感想でも罵詈雑言でもいいですが)を同列にしてしまったら全然だめなんだけど、「菊池のやってることはみな同じ」って考えてはるのかもしれません。それは迷惑な話で、ニセ科学といっしょくたにせずに、「菊池には文学を語る資格がない」にしといてくれればいいと思うのですが。

by きくち (2008-03-30 18:55) 

黒猫亭

>FREEさん、きくちさん

何というか、瀬名さんのご発言は、菊池さんのコメンタリーへの応答にもなっていないし、異なる文脈や階層性の要素が無闇にごちゃまぜに接合されているのでわかりにくいんですね。ご自分が菊池さんに伝えたいことを、今何を話し合っているのかとか、どういう流れの話になっているのかを考えずに、ただガーッと語っているだけ、という印象です。

別段菊池さんに雷同するわけではないですが、どうもこの件に関しては菊池さんの見方がごく当たり前で、瀬名さんは何だかわからない個人的な思い入れで突っ走っておられるように思えてなりません。

もう黙ってしまおうかとも思ったんですが、菊池さんの仰るように瀬名さんも一人前の大人の職業作家なんだから、オレのほうで気を遣うというのも傲慢な話ですね。今、自分のところに上げようと思って、少し纏まった考察を書いています。
by 黒猫亭 (2008-03-30 20:28) 

きくち

いや、そもそも、僕となにか議論をしたかったのかどうかもわかんないわけです。あの記事に僕がコメントするかしないかわかんないですよね。読むかどうかもわからない。もともとの記事では、特に僕に伝えたいことがあったわけではないような気がします。

by きくち (2008-03-30 21:01) 

たかぎF

瀬名さんの本は読んだことがないし昔の喧嘩の話は知らないし作家の立場がどうとか正直興味もないんですが,あれで終わられては「笑い」の件が全然解決してなくて困ります…いや,困るってのも変ですが…なんていうか,困る.
よっぽどきくちさんに恨みがあって坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのかもしれませんが,科学インタプリタ養成講座で講義するような人なわけですよね.批判なら批判でちゃんと批判してほしいもんです.昔の恨み言とごっちゃにしないで.
by たかぎF (2008-03-31 01:00) 

黒猫亭

>きくちさん

>>いや、そもそも、僕となにか議論をしたかったのかどうかもわかんないわけです。

これはきくちさんにしてみれば気持ちの悪い言い方かもしれませんが、どうもオレは瀬名さんが本来期待すべきでないことまできくちさんに期待しているのかもしれないと思うようになりました。多分、議論はあんまりしたいとは思ってないんじゃないかと思うんですが、何だか無暗にきくちさんにわかってもらいたがっているような気がします。

最初は昔の怨みで厭味を言って搦んでいるのかとも思ったのですが、どうもそんなに簡単な話じゃなさそうな気がします。おそらく瀬名さんは、きくちさんに自分の考えを深く理解してもらって、認めてほしいと思っているのではないかな、と。

仮に瀬名さんに何か公に主張したいことがあるとしたら、その辺の批判批判の人たちとは違ってご自身が大きなチャネルを持っている人なんですから、わざわざきくちさんやその著書をダシに使う必要はないわけで、敢えてきくちさんに搦む以上、目的はきくちさんご本人なんだと思います。
by 黒猫亭 (2008-03-31 02:17) 

pooh

あぁ、しばらく触らないでいたら議論が進んでいる。いや進めていただいてかまわないんですが。

そもそも批評と批判って違うじゃないですか。この場合向かう対象も、目的も違う。共通しているのは主体だけで、だからその意味で黒猫亭さんの読みは正しいのかも。

でも、じゃあなんでそんなことをするのか、と云う点ですよね。
やっぱり、できれば公開の場所じゃないところで(きくちさんと瀬名さんの)対話が持たれるのが望ましいんでしょうけど、でも瀬名さんはその結果を公開にしたいみたいだし。うむむ。
by pooh (2008-03-31 06:01) 

たこい

身もふたもない話なんで、書こうかどうしようかと思ったんですが……

傍目に見ていて、今回の瀬名さんの論調は「同じ自分の主張をひたすら繰り返す」「自分が認めない限り『論破』されたことにはならない」など、いわゆる「荒らし」のパターンなんじゃないでしょうか? ブログの主が自分で書き込んでいるということと、「あの瀬名秀明が」というところで話が見えにくくなっているだけで。
(みなさんそう思った上であえて書いていなかったんだったらすみません)

ただまあ、「荒らし」の状態に陥っているのであれば、放置するのが一番いいのではないか、と思ったので、書き込んでみました。
(というか、瀬名さんご本人も事実上の終結宣言?を書かれたので、これ以上なにも起こらないだろうと思ってはいますが……)

#パソ通時代からの経験上、バトルとかフレーミングとかブログ炎上という現象は、掲示板形式でコメントをやり取りしていると、どんなつまらない話題でも起こりうるもので、だれでも被害者側にも加害者側にも回りうる、掲示板型のコミュニケーションにおける構造上の欠陥だと思っています。
 ただ、過去の経験でも、もともとはそんな変な発言をしていなかった人が、何度かフレーミングをするうちに、上記のような状態に陥るのを何度か見たことがあります。
 自分がよってたかって叩かれた、と思ってしまった人が、そういう状態になる傾向があったので、瀬名さんにとってのパライブ問題というのは、そういう事件だったのではないでしょうか?(デビュー直後の作家にとっては、そりゃ、トラウマにはなるでしょうし……)
by たこい (2008-03-31 07:44) 

pooh

> たこいさん

いまさらなんですが、ぼくは直接「信じぬ者は救われる」に言及した部分を除いて、今回の瀬名さんの言動についての評価を語るのは避けようとして来ました。エントリ以降の、コメント欄での言動もあって、その辺すましているわけにはいかなくなってしまいましたけど。

正直、自分の論点に固執するあまりに論者としての最低限の一貫性を失ってしまう例は、ぼくも(最近でも)いくつか見ています。なんか残念だなぁ。いくつかの意味で。
by pooh (2008-03-31 22:21) 

黒猫亭

>たこいさん、poohさん

こういう言い方をするのが躊躇われたので言いませんでしたが、どうもオレはこの件に関する瀬名さんの態度やニセ科学に対する見方が、どうも先日こちらでpoohさんに搦んだ五徳猫さんに似ているような気はしていました。

おそらく、他の方もご自分にとって印象深い「批判批判のヒト」と重ねて視ておられたのではないかと思います。何というか、あの瀬名秀明にしては剰りに通り一遍の平凡な「困ったヒト」的な言論姿勢と現状認識なのが大いに落胆させるわけで、瀬名さんのほうできくちさんに「わかってもらえるはずなのに何故わかってくれないのか」という不満を覚えているのだとしたら、きくちさんはともかくニセ科学批判に関心を持つ論者のほうでも、瀬名さんに同じ不満と落胆を覚えたのだと思います。

TAKAさんが発掘された過去のエントリーを拝見すると、一年以上前にニセ科学やきくちさんの活動を認知しておられるのに、今に至るまで一切これまでの議論やきくちさんの活動を詳細に検証した節がない、つまり周回遅れのステロタイプな批判批判に終始する(水伝に関する言及なんて、それを巡る議論の蓄積を識らないとしか思えません)というのは、「そこには関心がない」という以上に科学的に不誠実なのではないかとすら感じます。
by 黒猫亭 (2008-04-01 10:32) 

せとともこ

poohさん。
こんにちは。
poohさんちでは初めてのコメントになりますので、「初めまして」。
いつも楽しく拝見しています。

さてさて。
私もこの間のきくちさんと瀬名さん、またpoohさんをはじめとして皆さんのやり取りを拝見しながら、ずっとずっと考え続けました。
そもそものきっかけの瀬名さんのエントリーを読んで、まず正月の水伝騒動のように、何年も前のことをほじくりだすのか?と思ったりしたのですが、、、
その後の展開で瀬名さんご自身の迷いと言うか、ためらいにも似たコメントを拝見して、「作家の魂」を思いました。
作家って、日常の中の不条理、不条理の中の哲学を嗅ぎ取る職業だと思うのです。ある出来事(ほとんどの人が忘れてしまったことでも)をいつまでも粘着する。積んだり崩したりする、、、
そんな作業の積み重ねで作品が出来ると思います。
瀬名さんにとって、パライブはそんな不条理の材料の一つだったのかもしれない、、、と思うようになりました。
なんで今更、なんて思うのは他人だからなんでしょうね。
他人からみたら(当のきくちさんはもっと)殆ど言いがかりとしか思えない事も彼にとっては整合性があるんだと思います。
おとなげない云々の評価はちょっと違うんではと考えます。
瀬名さんはこだわりの人なんだと思うのです。

そして、そんな瀬名さんが当該エントリーのはじめに書評をするわけですが、その書評や、あるいは最後の締めの「科学観」に対してこそ危惧を感じました。
瀬名さんは書評できくちさんたちが「飲み屋か、せいぜい半分内輪のトークイベントでやってほしい会話」と書いています。
これは作家という職業の人が書く感想にしては、いささか問題ありと思います。
作家は言葉をそれこそゴミ箱からでも拾い上げてつぐむ仕事ではないでしょうか?
おしゃべり、内輪のよたばなし(きくちさんたちのことではありませんよ)から、どんどん発想や想像やロマンを掘り起こさないでなんとする。と私は思います。
いえね。
普通の読者がくだんのような書評をしていもいいのですが、
作家である瀬名さんが、言葉やおしゃべりを軽んじてはいけないと思うのです。
また対談集から結論なんて出る方がおかしい。
出たら、それは宗教になる。
逡巡こそが大切と自らの対談をもってきくちさんは示しているのでしょう、、、

さらに、
科学観にかんしても「あらあら」。

こんな瀬名さんが大学で、どのような講義をなさるのか、とても興味があります。

poohさん。
ながながと書いてごめんなさい。
前にもTAKESANさんのところでも書いたように、私にとって「言葉で伝える、その伝え方」が一番興味あるところなので、
つい今回の問題も興味を持って拝見していたのです。

これからも、悩みぶつかる私ですが、よろしくお願いします。
では、、、、また。
by せとともこ (2008-04-01 11:07) 

pooh

> 黒猫亭さん

> 「そこには関心がない」という以上に科学的に不誠実なのではないかとすら感じます。

そうですよねぇ。そう云う印象になりますよね。
そこのところが怖かった。
by pooh (2008-04-01 22:19) 

pooh

> せとともこさん

> 瀬名さんはこだわりの人なんだと思うのです。

でも、そこを整合させてなんらかの作品に仕立ててこそ、作家だとも思うのですよね。

> 逡巡こそが大切と自らの対談をもってきくちさんは示しているのでしょう、、、

これはまぁ、間違いのないところです。
ただ、すべての読者がそれを受け止められるか、と云うとまぁ難しいのでしょう。で、瀬名さんの(本来意義を持ち得る可能性のある部分の)批判では、そこをエディトリアル・ワークで補うべきだった、と云うことだったんだと思うんです。
ただこれって、呑み込みやすく補ってしまうと大きく意義の損なわれる部分でもあったりするんですよね、あの対談について云うと。

> 私にとって「言葉で伝える、その伝え方」が一番興味あるところなので

ぼくもわりとそうですよ。
by pooh (2008-04-01 22:25) 

黒猫亭

>せとともこさん

>>他人からみたら(当のきくちさんはもっと)殆ど言いがかりとしか思えない事も彼にとっては整合性があるんだと思います。

多分、パライブ論争があったことで瀬名さんがいろいろなことを考えられたというのは間違いないのだろうと思います。そういうきっかけで、さまざまな問題性に想いを致すというのは、たしかに仰る通り作家の業ではありますよね。

ただまあ、この件の場合、相手のあることだというのが大きな問題で、瀬名さんが考えられたいろいろなことが、特定の相手に対する思い込みや思い入れと不可分になっているのが、作家の作業として煮詰めの甘い部分で、それ故にその特定の相手の不利益に繋がったり、ご自身の作家としての在り方に問題が生じたり、ということなんだろうと思います。

その辺をきちんと煮詰めて、パライブ論争に対する感情を昇華して語れていたら、poohさんが仰るような落とし所に納まったのではないかな、と思います。何というか、作家の内的なモチベーションやメンタリティに関してはせとともこさんの仰る通りなのですが、そういうメンタリティというのは、一面ではそれこそネットの「あらし」の人と共通する部分でもあり、一歩間違うと単なる困ったちゃんやサイコさんでしかない危険性が伴うわけですね。

「あらし」に代表されるようなただ単に粘着質な人と優れた作家を存在論的に隔てる要件というのは、そういうふうに何かに固着して内面の考察を重ねるプロセスを、効果的な表現行為として外在化し得るスキルの部分だということですね。で、瀬名さんの作品においては、その外在化させるスキルの部分で科学者としての資質が巧く効いていて、表現として機能していた部分があるのだろうと思います。

それから、瀬名さんは作家であると同時に科学者でもあり、科学と社会を繋ぐインタプリタでもあるわけです。作家の部分に関してはかなり私的な領域というのが大きなウェイトを占めるところがありますが、後二者に関しては私ではなく公が大きなウェイトを占めるわけですね。

で、今回の問題は、一作家の作品を巡る文芸論の部分と、科学と社会の関係性を巡る公論の部分がどうも不潔に混濁していて、混ぜ合わせてはいけないことがゴタゴタと一緒くたにされているのが公益の観点で如何にも不都合だ、ということがあります。たとえば作家上がりの政治家なんていますけど、文学で政治をやられたのではたまったものではないわけで、その辺、決して混ぜてはいけない部分です。

その意味でも、瀬名さんのような立ち位置の論者の公論としてはダメな論なんですね。

そのような瀬名さんの役割の多面性を考えれば、作家としてのメンタリティで考えてはいけない部分もあるわけです。たとえば彼のニセ科学に対する身振りには、前のコメントでオレが「科学的に不誠実」と評したような不審なところがあるわけで、それにパライブ論争に絡んだ感情的な動機が関係しているとしたら、それこそ瀬名さんの公益に属する活動全体の信頼性を、ご自身の私的な感情が裏切ってしまうことになりませんか、という話にもなるわけです。

もしも、瀬名さんがニセ科学批判に対して冷淡なのはきくちさんが主導的な役割を果たしている活動だからだ、というふうに視られたら、せとともこさんが「?」と疑問を感じられたように、瀬名さんの科学観自体の信頼性が問われることになりますよね。

これは瀬名さんの中で、自身の役割に関する認識が混乱している部分だろうと思いますし、菊池さんとの一件を自分の中の何処に納めるか、未だに整理の附いていない部分だろうと思いますが、そこが混乱している限り、作家としても科学者としてもインタプリタとしても、今回の一件の発話は全然ダメだったという話になるし、そこにきくちさんという他人まで巻き込んでいて、その公益的な活動も関係してくるわけですから、瀬名さん一人がダメだったというだけでは納まらない部分もあるわけですね。
by 黒猫亭 (2008-04-02 00:13) 

pooh

> 黒猫亭さん

望むらくは、瀬名さんがここからもうひとつ踏み出していただければ、と云うことですよね。今回の対話からなんらかの出口が見えれば、意義がなかった、ということにはならないし、きくちさんも(不愉快かもしれませんが)お付き合いした意味があった、と云うことになるでしょうし。
甘いかな(そう云う意味では今回のお話しについては終始甘いかも、ですが)。
by pooh (2008-04-02 07:42) 

せとともこ

poohさん。黒猫亭さん。
こんにちは。
お返事をいただき、さらに考えていました。

実は黒猫亭さんのエントリーならびに、こちらでのコメントや瀬名さんへの直になさったコメントを拝見して、私個人はとても整理されていたのです。
考えられるあらゆる立場、環境に配慮して、その一つひとつを丁寧に書き込んでくださり、
「あっ、私の言いたい事はこれなんだよね〜〜〜〜」とか、
「そうなんだ〜〜〜〜」とかとか。
と、言うことで何回も読ませていただいていたのです。
ところが、
ところが、
瀬名さんご本人の黒猫亭さんへのコメントは、じつに素っ気なく肩すかしの感がしました。
そこで、私は考えたのですよね。
瀬名さんという作家に対して。
「この人はご自分の思い、感覚はトコトン深く掘り下げ、崩し、そして積み重ねる人なんだが、、、、
が、、、
広く物事を見て行くという感性には乏しいのかしらん」
と。

黒猫亭さんのコメントは、
確かに長いのですが、少なくともあの状況で考えられる可能性に対して、多面的に言及なさったにも関わらず、ご自分の思いとは違うから答えようがない、と当事者の「作家」が返答した時、
私は瀬名さんの「思い込みの深さ」のみを見た思いでした。
そして、
先にも書いたように、そんな見識の瀬名さんが、大学で
「科学」を語るとしたら、何を語るのかと興味が湧いてたまりません。

黒猫亭さんが言われるように、
「これは瀬名さんの中で、自身の役割に関する認識が混乱している部分だろうと思います」は、
まさに今の瀬名さんの状況と思います。
しかし、これが彼の到達点とは思いたくない。
この問題、ひとり瀬名さんだけの問題ではなく、
科学を、文学を志す、あるいは真理をなんて思っている人々が、絶えず自分自身と対峙することの大切さをも教えているのかと、考えたりしています、、、

また、いろいろアドバイスを頂けると、とても嬉しく思います!

では、、、またね。
by せとともこ (2008-04-02 16:49) 

pooh

> せとともこさん

作家はそれぞれ特質があります。ある角度からそれが欠落と見えたとしてもやはりそれは個性であり、その意味でその作家にとってもっとも重要なものでもあります。そのことと「作家である」ゆえに求められなければいけない事柄がある、と云うことは、また別のレイヤーに属することなんじゃないか、なんて思います。
by pooh (2008-04-02 22:00) 

黒猫亭

>せとともこさん、poohさん

瀬名さんがコメント欄を閉じられて、今回の一件も幕ということになるのでしょうけれど、何というか、poohさんが過去のパライブ論争を「胸が痛む事件」と仰っているように、今回の一件も後味の悪い形で終わってしまいました。こういう事態になると途端に活発に書き込みするような自分の立ち位置というのは自分でも厭なんですが、多分こういう状況を黙過するのが生理的に嫌いなんだと思います。

よく識りもしない昔の事件についてあれこれ言うのは、やはり気持ちの好いことではありませんでした。今日ネット検索をしてみたら、あちらで手厳しいコメントを書き込んでおられた野尻さんも、論争の当事者というか急先鋒の一人だったらしく、そうと識っていれば彼のコメントを支持して瀬名さんを刺激するような言い方は避けたのに、と後悔しました。識らないことを語るというのは、手探り足探りで語るうちについつい何かを踏んづけたり蹴飛ばしたりしてしまうもので、相手にどれだけ刺さるかわからない短兵を突き出すのは大変怖いことです。

こういうふうに介入することで、オレ自身もパライブ論争とまったく無縁の第三者ではなくなってしまったわけで、自分が識りもしない事件の間接的な当事者となってしまったことになります。「この次」があったら、今度はオレもpoohさん同様何を言うことも出来ないでしょうね。

瀬名さんが昔の話を蒸し返して変なふうに自己正当化に趨らなければ、これほどの問題にはならなかったのに、とつくづく残念に思います。十数年来燻ぶり続けた瀬名さんの「思い込み」は、今回の一件を通過してもまったく解消されませんでしたが、あちらでの一連のご対応ぶりを視るに、このトラウマを超克しない限り今後も瀬名さんの活動に重大な危うさが附き纏うような予感がします。

おそらく瀬名さんがニセ科学批判の活動に冷淡なこと自体は、少々不審だったり遺憾なことではあっても、それほど大きな問題には見えなかったと思いますが、こういう形で菊池さんと正面からぶつかることで、何かそれが瀬名秀明という個性の根底に潜む情念の歪みのようなものと関係するように感じられるのが気になります。

正直、最初にこのお話を伺った際には、瀬名さんの中でパライブ論争がこれほど大きな痕跡を残していて、現在に至る瀬名さんの活動全体のさまざまな部分に影を落としているとは想いも寄りませんでした。

作家がデビュー作を大叩きされるなど、誰でも経験している所謂「プロの洗礼」のようなものですし、一〇年も第一線で活躍し続ければそれなりに笑って話せる余裕も出て来るものでしょう。菊池さんとの関係が悪くなったとしても、過去に因縁のある気に入らない相手の一人や二人は誰にでもいるものですから、これだってよくある話と言えるでしょう。それが何故こんなに長い間薄れもせずに瀬名さんの中で燻ぶり続けて、あちこちに根を伸ばしてしまったのか、不思議です。

瀬名さんが望んでいるように、菊池さんとの直接対話が在り得るのかどうかは、最早お二人の間の個人的な事柄になってしまったので、他人が何を言うべきことでもないですが、それで何かが解消されるのであればいいけれど、と勝手に期待したりします。何しろ菊池さんの仰ることは正論ど真ん中で(笑)、他人があれこれ心配することではないということは重々承知しているのですが。
by 黒猫亭 (2008-04-03 04:16) 

pooh

> 黒猫亭さん

この件については、なんと云うか「請けて」いただけてありがたかったです。

ただ(そちらでもちょっと書かせていただきましたが)当事者性、と云うのはやっかいなもんですね。特に、議論の場にいる面子の中に、そこに棹差して発話する人間が混じっている場合には。
by pooh (2008-04-03 07:43) 

FREE

こんにちは

http://www.sfseminar.org/arc2001/sena/

すでに既読の方もおられると思いますが、2001年のSFセミナーの瀬名さんの発表です。今回の件に関する瀬名さんの意思の輪郭を見る上で参考になるかと思います。

現在思案中。

by FREE (2008-04-03 12:34) 

黒猫亭

>poohさん

この件に無関係な第三者のオレが介入することが、poohさんのご意志に沿うことなのかどうか迷いはありましたから、そう仰って戴けるとこちらも有り難いです。仰る通り、当事者性というのは厄介な部分ですね。昨年末以来、ニセ科学批判の論壇でいろいろな議論を拝見し、自身も参加しましたが、常にこの「当事者性」という言葉がクローズアップされながら、その局面局面で全然意味合いが違う。難しい問題だと思います。

>FREEさん

興味深いリンクを紹介して戴いて有り難うございます。じっくり読み込んで考えてみたいと思います。少し目を通してみましたが、今回の一件から遡って解釈すると、一般に理知的な印象のある瀬名さんの作家活動の大きな部分が、こういう或る種ナイーブで烈しい情緒的モチベーションに基づくものであったということがかなり意外でした。
by 黒猫亭 (2008-04-03 13:45) 

pooh

> FREEさん

それ、ぼくも何年か前に後付けで読んだんですよね。
なんだか複雑な気分になりました。
by pooh (2008-04-03 22:16) 

pooh

> 黒猫亭さん

なんか、スケールによって「意味」は変わらないのに「意味合い」は変わってくる、ちょいと複雑な言葉ですよね。
by pooh (2008-04-03 22:17) 

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