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「疑似科学入門」のレビューを書かない [ひと/本]

前のエントリで書いたとおり、レビューは書きません。

疑似科学入門 (岩波新書 新赤版 1131)

疑似科学入門 (岩波新書 新赤版 1131)

  • 作者: 池内 了
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2008/04
  • メディア: 新書

単純にタイミングを逸して、すでに良質なレビューが多数出ているからです。

ぼくとしては、こちらのレビューに完全同意。ほとんど付け加えることはないです。

池内了「疑似科学入門」感想katsuyaさん

で、これにFSMさんのレビューの内容を付け加えれば、ぼくの感想はほとんど網羅できます。

『疑似科学入門』FSMさん

要するに「誰に勧めたらいいのか分からないし、誰にも勧められない」と云うのが主要なぼくの感想。と云うか、ぼくなんかがニセ科学について言及するような際の立脚点に近い場所から発されているとおぼしき内容があまりにも粗雑で(と云って悪ければ簡潔に過ぎる内容で)、どうもなんかむしろ不信感を招く虞れもある気がするので。誤解せずにすむくらいのひとは、もう読まんでもいいのではないか、と云う気もするし。

このあたり、ぼくは感覚的にはlets_skepticさんに非常に近い。

池内了『疑似科学入門』が懐疑論者ホイホイな件についてlets_skepticさん

と云う訳で、レビューをしないレビューでした。
(手抜きじゃないのよ。ほんとうに云うべきことをとうの昔にみんな云われてしまってただけなのよ)
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コメント 45

FSM

こんばんは。
 推測でしかありませんが、たぶん、池内さんは疑似科学の理論的な分析をしたかったのだと思います。科学論の一部として、と言ってもいいのかもしれません(現代社会における科学、という意味で)。様々な現象から根底にある物理法則を探るように、疑似科学を分類し、共通項を見つけ、疑似科学が蔓延する背後に潜む法則を探る、と。
 そういうわけで、疑似科学の既存の定義をあえて一旦解体し、より本質に迫る再定義をやろうという試みなのだというのが私の理解です。
 なので、サンプルとして取り上げられた個別の「疑似科学」について、この本で理解しようというのは無理だと思います。著者の専門でもないですしね。だからといっていい加減な記述が許されるというわけではありませんが。
 まあ新書で「○○入門」とつければ手に取る人は○○の入門書だと思うわけで、売れるための戦略としては良かったのかもしれませんが、妙な誤解を振り撒きそうなのは残念ですね。

by FSM (2008-05-22 21:49) 

pooh

> FSMさん

弾さんも、おなじような評価をしていたかと記憶しています。ただ(試みの価値そのものはまぁともかくとして)成功しているか、と云うと微妙かな、とか思います。
入門書としては、やっぱりどうかなぁ、みたいに思いますね。
by pooh (2008-05-22 22:38) 

pooh

あれ?

> FSMさん

ひょっとして「こちらでははじめまして」でしたっけ?
なんかぜんぜんそんな気がしないので、「いらっしゃいませ」が抜けてました(どうでもいいと云えばいいのですが)。
by pooh (2008-05-23 00:30) 

FSM

> poohさん

はい、こちらでは「はじめまして」ですね。
私のほうに来ていただいたことはありましたが。
なんせ腰が重いもんで、なかなか他人様のところでコメントできないもので。(^^;;

> なんかぜんぜんそんな気がしないので

そう言っていただくと、素で嬉しいです。(^^)

本の話に戻すと、私も「成功」とはまだまだ言えないだろうな、と思います。議論の叩き台、という感じでしょうか。
by FSM (2008-05-23 01:35) 

pooh

> FSMさん

全体の分量を含め、触れていらっしゃるようなマーケティング的戦略との整合、と云うのもある気はするんですよねぇ。書きたいことを必要なだけ書けなかった可能性、と云うか。
入門書が議論の叩き台では、少しまずい気がします。
by pooh (2008-05-23 07:47) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

>推測でしかありませんが、たぶん、池内さんは疑似科学の理論的な分析をしたかったのだと思います。科学論の一部として、と言ってもいいのかもしれません(現代社会における科学、という意味で)。様々な現象から根底にある物理法則を探るように、疑似科学を分類し、共通項を見つけ、疑似科学が蔓延する背後に潜む法則を探る、と。

元の本を読んでもいないので、ピント外れかもしれないんですけどね。私などもかなりこういう方向への傾向を持っている訳です。そして、物理学会での池内先生の講演などを見ても、私などはかなり納得出来る面があるんですね。ただ、それを入門書的に書くというのはかなり無理があると感じる面があるんですね。

なんて言いますか、「ニセ科学の蔓延問題」の社会学的考察は、一番最初にパラダイムシフトみたいなものが必要なんです。或る程度の合理性が保たれている社会で生きている人は、「合理的である状態」が普通であると認識して、そこからの逸脱として「不合理性の蔓延」という見方をしてしまうわけですが、その考え方では、たぶん、解析が行き詰まる訳です。もともとに人間は不合理でり、人間社会もまた「不合理化しやすい」とおいて、ただ社会の淘汰圧みたいなものが、「社会は合理的で有る方が生存競争に生き残りやすい」という方向で働くので、とりあえず社会は合理性を大事にする方向で発展してきたに過ぎないのだろうと思います。

相変わらずのたとえ話をしますと、雨が降らなくて作物が枯れるときに「雨乞いをしたら降るんじゃないか」というのが10人の内9人くらい居ると思っている訳です(いい加減な比率ですけどね)。もともとはそうなんだけど、残りの一人くらい、「雨乞いしても降らないから、ため池を作ろうよ」なんて動き始める訳ですね。でもって、ため池は確実に作物を救うから、ため池を作った者たちは繁栄して、雨乞いをしていた部族を飲み込んでしまうわけです。結果として「ため池を作る」という合理的文化を持つ社会の方が優勢になる訳ですね。そういう社会で生きていると「人間というのは合理的」と思ってしまい易いのだけど、その社会の人間個々はやはり10人のうち9人くらい「不合理なことの方に心が動きやすい」傾向は持っていると思っている訳です。

これは、なかなか入門書としては書きにくい事だろうと思ったりします。

by 技術開発者 (2008-05-23 08:55) 

newKamer

> 疑似科学の理論的な分析

 をするためには、疑似科学がどのように提示されているかを知らなければダメだと思うんですよね。でも、池内氏は自身が参考文献としてあげているものすらまともに読んでないかと思うほど無知です。最初はとても好意的に読み解こうと思ったのですが、無理でした。

 よい思考のためには、関連領域に関する知識が必須だと思うのですが…。同じような失敗作としては『疑う技術―ウソを見破る9つの視点』藤沢 晃治 (著) なんかも酷かったです。
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4569656404/
by newKamer (2008-05-23 15:42) 

alice

poohさんのトップページにリンクをはらせていただいてよろしいでしょうか?そういえば最近はトラバできるならリンクフリーという感じなんでしょうか。
トピ違いの質問ですみません。問題があれば削除してください。
by alice (2008-05-23 18:30) 

pooh

> 技術開発者さん

結局ですね。そう云うアプローチを意識されている割には、どうにも浅いんです。なので、例えば書かれていることが正当だ、と思えても、どうもそのことが説明しきれている印象がない。入門書としては、これはけっこう致命的かも、とか思います。説得力を生み出せないので。

おっしゃるようなパラダイムシフト、と云うか、そもそもの構図の複雑さ、みたいなものを新書の限定された要領でちゃんと伝えるのは難しいでしょうし、それ以前にその部分を著者がどれだけ認識しているのか、と云うのもちょっとあやしいかもです。
この辺り、全体として著書にある主張が不当ではなくても、タイトルで期待されるような内容になっているか、と云う点でちょっと厳しいかも、とか思います。
by pooh (2008-05-24 00:03) 

pooh

> newKamerさん

無知なのか、明晰な理解に至っていないのか、それとも編集者が無能なのか、についてはわからないですけどね。お感じの印象はわかります。そう見えてもあれでは不思議じゃない。

> 『疑う技術―ウソを見破る9つの視点』藤沢 晃治 (著) なんかも酷かったです。

これ、未読なんですけど、アマゾンで平均星3つなんて本は初めて見たような気がします。お金を払って買って、時間を費やして読んだのなら、それこそ認知的不協和からだけでも甘めの点数をつけてしまいがちなんじゃないかと思うので、たぶんほんとうに酷いんでしょうね。
by pooh (2008-05-24 00:07) 

pooh

> aliceさん

もちろん、ここはインターネットなので、リンクは自由です。

トラックバック届きましたよ、と云うコメントを書こうとしたら、はてなユーザ限定にされているんですね。
by pooh (2008-05-24 00:09) 

FSM

皆さんこんばんは。

たぶん論点は3つあって、
(1)本書の性格(とタイトル)
(2)メタなレベルでの分析
(3)個別の現象の分析
で、まず(1)で失敗しているとは思います。内容からしてどう考えても普通の意味での入門書じゃないですよね。ある程度ニセ科学について知ってないと読めないのではと思います。

(3)については、特に第3種とされているものについては私もよくわからないことが多く、なんとも評価のしようがない部分があります。所々、それは言い過ぎだろ、みたいな部分は確かにあるのですが。個別の問題に興味を持って調べている方からしたら、色々と言いたい事はあるのだろうというのは想像がつきます。第1種、第2種についても多少不十分な書き方をしている部分があったと思いますしね。そこはそこで具体的な批判が出てくると、内容の理解も深まると思います。
 ただ、(3)に関する問題が(2)の分析に決定的な悪影響を及ぼしているかと言うと、そうではないだろう、というのが、私の理解です。

 まあ、私自身の興味として(2)の部分が大きいし、誰かがとりあえず書かないことには議論が始まらない(もちろんネット上ではニセ科学の分類とか色々ありましたけど、やはり本になる意味は大きいし、科学論・科学哲学業界への刺激にもなると期待してます)ので、そういう意味で私の評価はかなり甘いと思います。そこは割り引いて聞いていただけたらと思います。

 いずれにしても、「入門書としてはいかがなものか」という批判よりも(それは勿論問題ではありますが)、これは入門書ではないのだという前提で、分類方法や第3種とされたものの捉え方についての議論が拡がると建設的でいいなあ、と個人的には思っています。

 …砂糖4つ入れたコーヒーぐらい甘々の評価かもしれません。(^^;;
私の個人的関心から言うと、そういう評価になる、と思っていただければ。
by FSM (2008-05-24 01:09) 

alice

poohさん、そういえば!Σ(゚Д゚)(今日はこればっか)日記を開設したとき何となくびびって、コメントは、はてなユーザ限定にしておいたのでした。
今は解除できたと思います。
リンクもいたしました。ありがとうございます。
by alice (2008-05-24 01:21) 

pooh

> FSMさん

お書きのことに同意です(と云うか、同意できる意見がすでに存在していたので「書かない」エントリなのでした。そう云えば)。

第3種の部分については、問題提議としての意義はたしかに小さくないはずだ、とも思います。ただ、全体のこの本における論調のなかで(当座とはいえ)こう云う方向の結論はすんなりと肯んじ得ないなぁ、みたいに感じますし、多くの読者にとってはこれがファースト・オピニオンなんで、どうかなぁ、とか思ったりします。
by pooh (2008-05-24 07:10) 

pooh

> aliceさん

あ、いや、「お返事できませんでしたよ」と云うだけでした。
by pooh (2008-05-24 07:11) 

きくち

実は僕もまだ読んでなくて、店頭で目次を眺めただけなんです。目次だけからすると、よくも悪くも(悪くもというと語弊があるのだけど)池内先生らしいなという感じでした。池内先生としては、第3種の議論がはずせないんだと思います(って、読まずに書いてますが)
 
いや、「ニセ科学入門」という本を書いてる(ことになってる)のですが、「疑似科学入門」という本が出ちゃったので、タイトルどうしようかと、書き上げてもいない本のことで悩んでいるという馬鹿な話。
で、なぜ書き上がっていないのかといえば、まさにこのあたりで議論されていることで悩んじゃうからですね。

by きくち (2008-05-24 08:54) 

pooh

> きくちさん

これまでの議論を踏まえてお書きになる以上、たぶんここで挙げられている「問題点」と目されているような部分については、ナチュラルにクリアできるのではないかなぁ。書き方による印象はあるにしろ、「よく考え込まないで書いてるんじゃない?」みたいなふうに見られることはまず起こりえないと思いますよ。

でも、確かにタイトルは悩ましいなぁ。「ニセ科学教室」ってどうだろう(昔小松さんが「SF入門」を書いて、筒井さんが「SF教室」を書いた、と云うのがあったような。後者は小学校の頃の図書室におけるぼくの愛読書でした)。
by pooh (2008-05-24 12:44) 

alice

> poohさん
はい、了解しております…が、コメつけていただいたようで、わざわざありがとうございました。
by alice (2008-05-24 13:52) 

newKamer

> きくちさん
 池内氏は最初第一種と第二種だけで書いていたという話をしています。第三種は本を書きはじめて、ある程度進んでから「これも含めよう」と決めたようなことが書いてありました。

> なぜ書き上がっていないのかといえば、まさにこのあたりで議論されていることで悩んじゃうからですね。

 「蓋然性の低さの主張(評価)と積極的否定の違い」「大槻教授の批判の仕方のダメさ」「知らない分野への安易な言及の問題」といった辺りを把握していれば、同じ轍は踏まないと思います。

 私個人としてはきくちさんなら悩まなくても、ここまで酷い評価にはならないことを無条件で信頼してます。既に十分理解していることに反することを書くのは難しいですから。
by newKamer (2008-05-26 09:30) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

kikulogに変なたとえ話を書いてしまったんですね。「雨乞いとため池」なんてたとえ話です。人間はもともと汗流してため池を作るよりも、雨乞いに頼りたい生き物である、から始まって、でも「ため池派」が結局生き延びるから、雨乞いよりもため池が尊重される文化が育つなんて書いていて、突然「対案が無いときの不合理性の蔓延」なんて話になってしまうわけです。実はこの「雨乞いとため池」のたとえ話をこさえていて「じゃあ、長雨に対する晴れ乞いの場合は」と思いついたら、突然出てきてしまったんですね。

実は「政治絡みの性急な「科学的」断定を第3種疑似科学」という部分にこの「対案の無さ」みたいな部分を感じるわけです。なんて言うか「雨乞いの儀式」にしろ「晴れ乞いの儀式」にしろ、その中では論理はある訳ですね。雨乞いなら枯れない湧き水を汲んできてまき散らすとか、晴れ乞いなら水を含んでいる物をひたすら乾かすとか、呪術的な意味での論理性は持っている訳です。ただ、雨乞いはため池を作ってその水が充分にあればその呪術的な合理性は相対的に不合理とされるけど、晴れ乞いの場合、相対的に「こっちの方が合理的」というものが無いからその儀式のもっている合理性が生き延びてしまう感じです。

何か参考になりますでしょうか?
by 技術開発者 (2008-05-26 11:40) 

pooh

> newKamerさん

ひどい評価、と云うか、「誰に向けて書いたか」と云う部分だと思うんですけどね。
おっしゃることに同意です。
by pooh (2008-05-26 21:36) 

pooh

> 技術開発者さん

結局のところ、結論をちゃんと検討するほどのアイディア(と云うと違うかもしれませんけど)が出揃ってない、まだ揃えられない、と云う状況なのかな、と思います。
その状況で「当座はこう考えるのが妥当だ」と云う提案だと思うので、むしろそれはオピニオンであって。入門書にオピニオンが入るのはどうか、みたいな話にもなるのかな、とか。
by pooh (2008-05-26 21:42) 

きくち

まだ読んでません。
僕の「ニセ科学入門」もそうなのですが、「入門」という言葉はいわゆる「入門書」の意味で使っていません。これ自体が一種のレトリックで、「こういう問題があることを知ってちょうだい」という程度の意味です。
だから、オピニオンがはいることは問題ではないと思います。
 
現時点で、言葉の真の意味での入門書が書けるとは思えないな。

by きくち (2008-05-26 23:07) 

pooh

> きくちさん

いや、オピニオンが入っちゃだめだ、と云うことではないのですよ。
ただ、そのオピニオンに向かうまでの過程、と云うのもあって。

> 現時点で、言葉の真の意味での入門書が書けるとは思えないな。

そりゃまぁそうかも。
でも、「入門する(場所にいる)ひと」を想定読者として書くことは可能ですよね。そこが大事かと。
by pooh (2008-05-26 23:49) 

田部勝也

読みました。

きくちさんの「僕の「ニセ科学入門」もそうなのですが、「入門」という言葉はいわゆる「入門書」の意味で使っていません。これ自体が一種のレトリックで、「こういう問題があることを知ってちょうだい」という程度の意味です」という「入門」の使われ方にまったく問題は感じませんし違和感もありません。この点については、同書も「あとがき」で弁解をされていますから、それについて文句はないのですが……。

いかんせん内容がひどすぎます。
私には、newKamerさんのコメントほど礼儀正しい態度をこの本に対して維持するのは、かなりの重労働です。ほとんどページを繰る毎に、事実誤認、誤った推論、藁人形論法、周回遅れ、……のオンパレードという感じです(校正者としての私の立場からは、誤字なども気になります──「二重盲見法」(p.166)とか)。
読む前は、FSMさんの「分類方法や第3種とされたものの捉え方についての議論が拡がると建設的でいいなあ、と個人的には思っています」という意見に期待をしていたのですが、この本を叩き台としてされる議論は危ういなぁ……と、本気で心配します。
「第3種とされたものの捉え方」についての同書の主張なんか、リスク論や意思決定論などといった分野の研究者から見て、どう映るのかなぁ(何周遅れ?)──と、思いますし。個人的には、黒木玄氏の言うところの「単純予防原則論者」として、池内了氏の名をあげるべきだという気さえします。「単純予防原則論者」についての参照URL(↓)。
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/NakanishiJunko/#pp-r

──といった事は、あちこちでレビューされているようですので、個人的な話を。

私は長い間、JapanSkepticsに在籍していて(現在は退会)、池内了氏の講演などをテープ起こししたり、記事にしたりしていましたから、氏の疑似科学批判への情熱や実践はよく存じていたつもりだっただけに、とても残念です。
善意や正義心、焦燥感はとてもよく伝わってはくるものの、いかんせん、論が、自分の頭の中だけで作り練り上げられてしまったという雰囲気です。あえて言えば、「印象論」の範囲を出ていない。個人的には、『国家の品格』の藤原正彦氏に肩を並べてしまわれたか──と、ため息が出ました。余談ですけど、『国家の品格』と『疑似科学入門』は、その論理構造がとてもよく似ているなぁ──と、私は感じました。

あと、「あとがき」まで読んで、担当編集者が、私の趣味の知り合いである可能性が浮上してきました。今週末に、その趣味の集まりで彼に会う事になっているので、機会があれば話を聞いておきたいと思います。
by 田部勝也 (2008-05-28 21:18) 

pooh

> 田部勝也さん

ぼくは素人なので新書が出版されるまでのプロセスとかあまりよくわからないのですが、なんとなくこの本については関与した編集者にも責任があるのではないか、みたいに感じていました。
なにかその辺りお聞きいただくことができれば、また教えていただければうれしいです。
by pooh (2008-05-29 00:27) 

newKamer

> 田部勝也さん
> 私には、newKamerさんのコメントほど礼儀正しい態度をこの本に対して維持するのは、かなりの重労働です。

 えーと、私は酷いコメントしか書いていないような気がするのですが…。皮肉なのか真面目なのか本気で悩んでしまいました。

> ほとんどページを繰る毎に、事実誤認、誤った推論、藁人形論法、周回遅れ、……のオンパレードという感じです

 というのに同意ですけれども。
by newKamer (2008-05-29 23:04) 

きくち

そうですか。なかなか悩ましそうですね(まだ読んでない)
 
予防原則については難しい問題がたくさんあって、少なくとも「単純な予防原則」がうまくいかないことはほぼ自明だと思います。

by きくち (2008-05-30 02:23) 

pooh

> きくちさん

そこはやっぱり「原則」と示してあれば問題ないのでは。でもないか。
by pooh (2008-05-30 06:15) 

田部勝也

担当編集者さんと、ほんの少しですがお話ができました。今の私は(別の人と)飲んだ後でかなり酔っぱらっている状態ですし、書ける事と書けない事、書くべき事と書くべきでない事もあるでしょうし、どこに書くかも含めて、よく考えた上で後日、事情を書いておきたいと思います。(完全な第三者である私が)書いておくべきだと思った事は、まぁ、いくつかありました。

>newKamerさん

もちろん真面目です。……というか、私には、こういうときに洒落た皮肉のひとつでもこぼすような技量も器も(欲しいとは思う事はありますが)まったくありません。
newKamerさんのコメントは確かに「酷い」のでしょうけど、「礼儀知らずの不作法」とは言えないでしょう。少なくとも、読んだ人が、論の内容を吟味する以前にその書き方に憤慨して、表現の仕方についての感情的な言い合いにしかならない──というような危惧は、あまりないのではないでしょうか。上で書いた「礼儀正しい態度」とは、そのレベルの話です。
今回の自分のコメントがそうなっているかどうかは分かりませんけど、それでも、あの程度の書き方に抑えるのに、相当精神的に苦労した──という事です(ちなみに私は、かなり感情的に激しやすいタイプで、ふま君に「ニセ科学批判者」認定された人間のなかで、私が一番「口よりも手が先に出るタイプ」なのは間違いないです……今さら書くまでもないかも知れませんけど)。
by 田部勝也 (2008-05-31 02:49) 

pooh

> 田部勝也さん

> (完全な第三者である私が)書いておくべきだと思った事は、まぁ、いくつかありました。

あぁ、それはぜひお聞きしたい。
ご自分のところでも、ここでも。このエントリはきくちさんも読んでるようだし。

> 私が一番「口よりも手が先に出るタイプ」なのは間違いないです

ぼくも相当、感情的ですけどね。
by pooh (2008-05-31 06:00) 

pooh

エントリを起こすまでもないので、ちょっとエントリの主旨と違うけどこちらに。

バイオシーパルスを検証するきくちさんと、ニセ科学について解説するさまきさん。

http://www.youtube.com/watch?v=aoab960vKy4
http://www.youtube.com/watch?v=j50F7MI5NVA

5/28「ミヤネ屋」からの映像です。 某マイミク(笑)の日記経由。
by pooh (2008-05-31 06:05) 

田部勝也

とりあえず、書きやすい話だけ。例の件は、また後で(ちょっと仕事がいろいろ大変で、頭の切り替えの余裕がありません……)。ちなみに、このコメントは、例の編集者との話とはまったく関係ありません。

>きくちさん「予防原則については難しい問題がたくさんあって、少なくとも「単純な予防原則」がうまくいかないことはほぼ自明だと思います」

「第三種疑似科学」についての同書における主張・結論は、池内了先生がどうしても語っておかなければならない強烈で切実な積年の「想い」なのだと思います。それは、(今思えば)池内先生の数多の過去の著作にも多かれ少なかれ滲み出ていたもので、もしかしたら、池内先生の継続的な読者にとっては、それほど違和感のないものだったのかも知れません(恥ずかしながら、池内先生の著作はあまり読んでこなかったので、いい加減な印象論で書いてます)。
ただ残念な事に、池内先生は、リスク論も意思決定論も(温暖化問題については)スターンレビューも、(おそらくは)ご存じなかった。そうなると、池内先生がその「想い」を統一的・論理的に他者に訴えきるためには、「単純な予防原則」に頼るしかなかったのかも知れない……というのが、読後の第一印象でした。もちろん、根拠も何もない勝手な邪推です。
──ただ、同書のなかで、池内先生自身、「疑似科学と断じる私の方が疑似科学だと言われかねないと覚悟している(あとがき)」といった事をたびたび書いているという点は、忘れ去られるべきではないかも知れません(それをもって免責しろと言うのではなく、その点についての自覚があるという点で、藤原正彦先生への一線をかろうじて踏みとどまっているというだけですけど……悔悛の余地は大きい気はします)。

>poohさん「ぼくも相当、感情的ですけどね」

そこで本当に手が出してしまうか、対外的に紳士的な態度を保てるかは、人間の器の大きな差が出るところだと思います。
by 田部勝也 (2008-06-01 00:10) 

田部勝也

>田部勝也「(前略)「単純な予防原則」に頼るしかなかったのかも知れない……というのが、読後の第一印象でした」

「頼るしか」というよりは「すがるしか」と書いた方が良かったかも……。
いずれにせよ、池内先生がリスク論や意思決定論の(まともな)議論に触れる機会があれば、今後の池内先生の言動はかなり変わる余地があるかも知れない──という印象は、私にはとても強いです。
「第一種疑似科学」や「第二種疑似科学」における同書の内容の問題点も、単純に、知るべき情報をまったく知らないまま書いていたという事だけにほとんど帰せる気もするわけで、今後、池内先生が同じような主旨の著作を書く事があるかどうかは分かりませんが、池内先生はかなり多作な方で今後も数多くの出版予定があるようですので、池内先生自身なり岩波書店なりに、直接批判を送る価値はあるかも知れません。
by 田部勝也 (2008-06-01 00:25) 

pooh

> 田部勝也さん

あぁ、そうすると、その部分でぼくやみなさんが「欠陥かも知れない」と思っていたことは、より本質的な意味で「欠陥」だったわけですね。なんと云うか、直接的な批判や議論の俎上に乗るような。

こう云う部分については、きくちさんに関してはあんまり心配する必要はないかな、と思います。主張の当否はともかく(と云うかそれは世に問う部分なので)ある主張に対してどのような視点から受ける側が捉えるか、そこにどのような視点があり得るか、については相当量のケーススタディをベースとして熟知されているはずなので。

> 対外的に紳士的な態度を保てるかは、人間の器の大きな差が出るところだと思います。

たぶん、器、ではないですよ。ぼくに関して云えば、ぼくのほうが悪辣なんだと思います。
by pooh (2008-06-01 07:07) 

田部勝也

担当編集者(以下「彼」と書きます)に聞いた話についてです。話を聞いたのはとても短い時間でしたし、あまり面白い話は書けないと思いますが、お許し下さい。でもその前に……。
・彼には、私に話した事が誰かに伝わるとか、ましてやウェブ上で公開されるとか、そういった点についての了承は取りつけていませんし、その事について十分自覚・覚悟して話してくれたのかどうか、私には分かりません。私のこの行為は、私個人の美学や矜持とは強く反する行為なのですけど、一応起きうるあらゆる事態を(良いものも悪いものも含めて)考えた上で書いているつもりです。……とは言え、ここに書いた事はあまり他に広めたり、直接的に引用したりしないで欲しいとは思っています。
・以下の話は、私の記憶に基づいて書いています。正確性についての保証はありません。また、彼は私の知人で(年齢や地位など一般的な社会通念に照らして)目上の人でもあります(仕事上の関係はまだありませんが)。贔屓目に話を受け取っている可能性は否定できませんが、そうならないように注意はしたつもりです(意識しすぎて逆に批判的に過ぎる色眼鏡がかかっているかも知れません。ごめんなさい、このへんは空気や行間を読んで下さいとしか言えません。私も人間なんで……)。なんだか責任逃れしたい感ばりばりな文章ですけど、これが自分の精一杯の誠実さのつもりなんで、情けなくはあるのですけど、田部勝也はそういう人間なんだという事で許して下さいとしか言いようがありません。ごめんなさい。

さて、以下、彼に聞いた話です。
・彼は以前、雑誌『科学』の編集をしていて、2006年9月号の特集「疑似科学の真相/深層をよむ」にも関わっていた(田部注:なお、この特集には池内氏も執筆している)。
・池内氏には彼から執筆のオファーを出した。その時点では、彼は具体的な企画の内容までは考えていなかった。
・「疑似科学入門」という企画は、池内氏のほうから提案された。どうやらこの企画は(岩波書店内も含めて)あちこちたらい回しにされてきたという経緯があったようである。
・最初に原稿を受け取ったのが去年(2007年)の夏~秋頃だった。初めて原稿を見たときの印象は「う~ん……」。
・第1章第3節「超常現象の心理学」については、菊池聡氏の著作のほぼ引き写しという事もあり、内容や表現についてだいぶチェックした。
・ウェブ上などで多くの否定的な批判がされている事は承知している。もとより予想の通りであった。それらの批判についての反論はない(田部注:個別の批判点についてそれぞれ概ね反論はない──という意味で受け取って構わないと、私は感じた)。
・同書はかなり売れている。

以下、彼に話を聞いていて感じた私個人の印象です。
・最初に池内氏にオファーをした際、彼は軽い読み物(エッセーなど)を期待していた節がある。
・内容の問題点については、原稿を受け取った当初からある程度認識していた節がある。
・ただ、「第一種」「第二種」については個々の文章の問題点について具体的に明晰な指摘ができるだけの能力がなく、「第三種」については池内氏を説得できるだけの力がなかった──という感じでなのか、それとも、全体的に何がどう問題かはよく分からないけど、直感的に漠然と内容について違和感を持っていた──というだけだったのか、そのへんは私には分からない。
・原稿を受け取ったときからずっと、このまま出版しても良いのだろうかと悩んだのは事実らしい。様々な事を秤に掛けた結果の出版だったという事は強く感じた。
・同書について話す事を避けたがっていた。

この件について私が書ける事はたぶん以上です。
by 田部勝也 (2008-06-03 03:22) 

田部勝也

>poohさん「あぁ、そうすると、その部分でぼくやみなさんが「欠陥かも知れない」と思っていたことは、より本質的な意味で「欠陥」だったわけですね」

そうだと私は認識しています。ただ、poohさんが「そうすると」で想定されているであろう私が書いた内容は、コメント内にも書いたように、あくまで私の受けた読後の印象にすぎないという事は、念のために強調しておきます。
ただ、真実は知るよしもありませんが、いずれにせよ、同書が「直接的な批判や議論の俎上に」乗せるべきものである事は間違いないと、私は思っています。むしろ、「人の性格をたった4種類に分類しているから血液型性格判断はダメ」といった、たびたびなされる「間違った批判」のFAQを作る叩き台として、同書は相応しいかも知れません。同書に対して、『相対論の正しい間違え方(松田卓也・木下篤哉、丸善・パリティブックス)』みたいな感じのまとめサイトを作れば、「あの」池内先生でさえ犯してしまう間違いなのですから、FAQとしての価値は高そうです(即座に「そう言うお前がやればいいじゃん」とか言われそうですけど……(苦笑))。

ところで、初等理科教育に関わっていた人間としては、apjさんのブログの「指導要領解説」エントリ(↓)
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=4411
でも話題になりましたが、「行き過ぎた構成主義的理科教育」の話を思い出してしまいました。詳しくは、日本物理学会でのニセ科学についてのシンポジウムにおける田崎晴明氏のレジュメ(↓)(pdfファイル)http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/events/JPSsymposium0306/tasaki.pdf
の5~6ページ目に「コップに付いた水滴」の話が出てきますけど、十分な知識のない人間にとっては、「コップの中からしみ出してきた」という結論はとても説得力があるわけです。肯定する証拠はいくつも見つける事ができます。反証を(探す意思があったとしても)見つけるのはとても難しく、見つけられる保証はありません。どこまで考察・探究した段階で(差し当たっての)結論を出せば良いのかのコストとベネフィットの計算も考える必要がありそうです。

私の受けた印象では、「コップに付いた水滴」について一人で考察・探究してみた結果、藤原正彦氏(や多くのニセ科学な人たち)は「コップの中からしみ出してきたんだ、間違いない」と信じ込んでしまっていますけど、池内了氏は「現時点の私は、コップの中からしみ出してきたとしか思えない。批判を乞う」と言っているわけです(というのが私の読後の印象です)。
むしろ、同書は「直接的な批判や議論の俎上に」乗せられる事を望んでいるのではないでしょうか。

>poohさん「こう云う部分については、きくちさんに関してはあんまり心配する必要はないかな、と思います」

同感です。「コップに付いた水滴」の喩えを続ければ、「どこまで考察・探究した段階で(差し当たっての)結論を出せば良いのかのコストとベネフィットの計算」に関して、きくちさんよりも(いろんな意味での)コストをかけて考察・探究させられるハメになった人間は、少なくとも日本国内にはいないでしょう──というのは、poohさんが書いている事と同じ事ですね。
正直、本が出版されたとして、その内容に対して、過去一度もきくちさんが経験した事のない批判が新たに出てくるとは思えないんですよね。執筆に悩んでいるとしたら、むしろ、有り得る批判が分かりすぎていて、それに対する予防線をどう張るべきか、またはあえて無視すべきかの案配にあるんじゃないのかな──とか、勝手に想像してたりして。


以下は本論とは全然関係ない自己満足のためだけの一人ツッコミです。
>田部勝也「反証を(探す意思があったとしても)見つけるのはとても難しく、見つけられる保証はありません」
apjさんのトコでは「水滴をいくら拭いてもコップの水が減らない事くらい小学生でも気づく」といった事を自信満々に書いた人がいましたが(誰とは言わない)、実際にこの実験をやってみると、コップの中の水もちゃんと減ってるので、仮に「答えを知ってる」小学生がその点を突いても自爆する事になってしまうと思います。
いずれにせよ、自分が一度導いたり納得したりした「正しい」結論に対し、まだ懐疑的・批判的に検討し直す余地があるのかも知れないという謙虚な気持ちを持つ・持たせるのは、本当に難しい事です(自説を受け入れない他人に対して(自分の事は棚に上げて)「そういう気持ちを持て」と怒鳴りたくなる気持ちを持つのは簡単なのにね)。そして、そういう態度やその際の望ましい手続きを身につけさせる事のできるのが、初等理科教育の優れたところであり、その点にこそ初等理科教育の価値がある──と、私などは考えてしまいます。上のapjさんのブログに書いた私のコメント(↓)参照。
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=4411#com4492
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=4411#com4558
その点で、「数学」の藤原先生と「理科」の池内先生の態度の違いがちょっと面白かったりします。いや、もちろん、これらのハナシは科学的なハナシとは何の関係もありませんけど。

>poohさん「たぶん、器、ではないですよ」

まぁ、器かどうかは別にして、私はそういう自分が(他人に嫌われる大きな要因の一つである事は承知しつつも)嫌いではないんで、困るのです──主に他人が。
by 田部勝也 (2008-06-03 03:34) 

pooh

> 田部勝也さん

ご教示ありがとうございます。
なんと云うか、題材に対してどのようなアプローチをすべきか、と云うのがいまひとつ明解でないまま出版された、と云う感じですね。
いや、たぶん、そこに大きな問題があるわけじゃなくて、意義は「問うた」と云うところにあるとも云えるわけで。ただ、そう考えると、読んだひとたちにどのように受け止められたか、について、レスポンスする必要もありそうです。

> 同書はかなり売れている。

やっぱりそうですか(なんかそう云う印象がありました)。問題なし、とは思いませんが、基本的にはいいこと、なのでしょう。ニーズがある、と云うことがわかったわけなので(と云う言い回しで某氏に軽くプレッシャー)。
by pooh (2008-06-03 07:39) 

pooh

2008-05-31 06:05でぼくがコメントしたテレビ番組に関連した話題をきくちさんがwebちくまでお書きなので、ここからリンク。

http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/kikuchi/05_1.html

納得力、って、誰が言い出したんだったかな。
by pooh (2008-06-08 09:20) 

田部勝也

>pooh さん「納得力、って、誰が言い出したんだったかな」

まぁ、驚天動地ってほどの独創的なアイデアではないですから、何度も何度も独立に言い出されているのでしょうけど、納得力──じゃなくて、説得力のあるアイデア・言葉ではあると思います。
私個人は、「納得力」という言葉を、植木不等式氏の著書『悲しきネクタイ(地人書館)』で知りました──というか、そんな事はどうでもいいですね。たぶん私が『kikulog』に初めてコメントしたのがこの件だったので、ちょっと懐かしくなって思わず書き込んじゃいました。ごめんなさい。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1132677934#CID1132725866
by 田部勝也 (2008-06-09 00:16) 

pooh

> 田部勝也さん

いや、これって、大昔のぼくらの仲間内のジャーゴンだったんですよ。おっしゃるとおり他の方が同じ時期に(ひょっとすると別のニュアンスで)使われていたことも充分あり得ることですけど、当時のぼくのまわりの人間で云い出したのはだれだったかな、と云う程度の話でした。
by pooh (2008-06-09 06:23) 

ちがやまる

ニュアンスは様々なところにありそうですが、私は普通の話でも納得力は高すぎないほうがいいと思います。ニュアンスをいちいち整理・確認する手順をはぶいて相手にあわせてしまうということになりがちでしょうから。あとでズレが問題になった時、責任は手順をはぶいた側がかぶらざるを得なくなる。
by ちがやまる (2008-06-09 06:53) 

pooh

> ちがやまるさん

そうですよね。納得力≠理解力、なので。
納得してしまった時点で、それは納得した側の責任になってしまう。
この辺り、あまりよろしくない方面でいろいろ応用されているようにも思います。
by pooh (2008-06-09 07:49) 

田部勝也

>poohさん「いや、これって、大昔のぼくらの仲間内のジャーゴンだったんですよ」

あ、それは、上で引用したエントリのコメント欄の会話から察してはいました(いたつもりにはなっていました)。あのコメント欄を引用しておいて、「おまえはそんな事も気づけなかった人間なのか」と思われたままでいるのも癪なんで(苦笑)、ちょっと釈明。
植木不等式氏も「大昔のぼくらの仲間内」に含まれていたのかは、少し興味がありますけど……。
by 田部勝也 (2008-06-10 02:09) 

pooh

> 田部勝也さん

いや、なにぶん仙台での話ですし、20年以上も昔の話ですので。
植木不等式氏は(多分)面識はないですし、ぼくの当時の「仲間」には含まれないです。きくちさんについてはわかりませんが。
by pooh (2008-06-10 06:22) 

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