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奈辺に愛か存じませぬが [世間]

ニケさんの「愛」とか『愛』とか“愛”とか・・・。と云うエントリを読んだ。

あくまでも私の受け取り方を前提としての考えではあるが、「ニセ科学批判」というものは疑似科学批判のうちの特殊な一部に過ぎないということである。このニセ科学批判を行う際に疑似科学批判の考え方を持ち込まれてビリーバーを反科学的だとの烙印を押したり反社会的な行動言動と非難することには断固反対する。
ここでおっしゃるニセ科学批判疑似科学批判もニケさんのオレ定義のようなので、意味が判然としない。「ニセ科学批判」というものは疑似科学批判のうちの特殊な一部に過ぎないと云うのは、多分この前の段にある「ウィキペディアで『ニセ科学』を調べたら載ってなくて、『疑似科学』の項目の一部に『ニセ科学批判』と云う言葉が載っていた」と云うことから受けた印象以上の根拠は多分ないのだろう。そのことに基づいてなにごとかが語れる、と本気でお思いなのだとしたら、ちょっとどうかと思う。
批判に当たって「ニセ科学」と云う用語が選ばれてきた背景については、まずは菊池誠による定義が存在する。彼による「ニセ科学」入門に記載されていて、誰でもいつでも読める。批判的な文章を書くにあたってニケさんがこの定義すら踏まえていない(定義なしで一般的に用いられることが多い「疑似科学」と違って、「ニセ科学」については用語の解釈の相違こそありえても通常最低限の語義共有が不能な「オレ定義」は生じない)、と云うことはにわかには信じがたいのだけれど、でなければ上掲の文章と矛盾が生じる。
上記の引用部分にもあるように、「ニセ科学批判の目的が科学の啓蒙や社会の論評であるといった誤解がなされることがあるが、」であるなら本来は啓蒙ではないので、一般人にはその主張を受け入れなければならないなどの何らの批判・非難受ける筋合いのものではない。
ニケさんの引用部分はニセ科学批判を行う人間に対する執拗な荒らし行為で著名な「ふま」氏による度重なる編集が加えられている部分なので、やはり論拠とするには信頼性が低すぎる(と云うか、ウィキペディアを「参考」とするのではなく、それだけを根拠になんの検討もなしに議論が進められるようなものだ、と考えている時点で、残念ながらある程度主張における誠実さを疑われても仕方がないと思う)。
個人的に「水伝批判」に傾倒して水伝に対してトンデモだとか非科学だとかと考えることは自由であるが、他人に対して批判・非難は出来ないと考える。
非難はともかく批判については、この文章は見事に自分の喉笛を切り裂くブーメランですね。
何故物理学教授が「陰謀論批判」を行うのか?には関心がある。いまだ理由がわからないままであるが、「水伝との親和性」ということらしい。
根拠もなく楽しくらしいでものを云う前に、そもそも陰謀論批判がどのような文脈から行われてきたのかをまず確認したほうが、恥をかかずに、誠実さも疑われずにすむと思う。公開の場で議論されているのだから。
しかしそれこそ科学的な思考でないと私は考える。
根拠もなく楽しく考えたことを開陳する前に、そもそも陰謀論批判がどのような文脈から行われてきたのかをまず確認したほうが、恥をかかずに、誠実さも疑われずにすむと思う。公開の場で議論されているのだから。
いきなり名指しで批判してきたのはたんぽぽ氏であり、先ずはそのやり方に批判がある。
「彼らは、相手の「間違い」を見つけると、いきなり名指しで攻撃して平気である。」
こういうのは性癖といえるのでなかろうか?と感じてしまったのがこの引用部分である。
ちゃんと名指しで批判したほうが、「誰の、どんな言説に対して」批判しているのかがはっきりわかっていいじゃん。正直ぼくはニケさんのこの文章で執拗に出てくる「愛」について、誰がどんな意味合いで使っているものに対して言及しているのかさっぱりわからないので、相当もやもやしているわけだけど。まぁ、こう云うことをおっしゃっているニケさんご本人が、この同じエントリの中でたんぽぽさんや菊池教授、天羽准教授に対しては名指しで批判しているわけなのだけれどね。
それよりも大事なことは「ニセ科学批判」そのものが疑似科学批判として私が理解していることから大きく外れ、常識のないやり方で、一般人を相手の「魔女狩り裁判的な」ところを感じるし、「謙遜などは微塵もなく『矜持』などはどこかへ忘れてきたかのような知識人として恥ずかしい態度」が、水伝批判に名を借りた他の方達へ病気のようにどんどん蔓延して行っているようだ。
どうも日本語として文意の取りづらい文章なのでよくわからない。この文章の意味がよくわからない理由としてはほかに、先述のように疑似科学批判として私が理解していることがなんなのかわからないこと(それは誰とも理解を共有されていない。特定の意図をもって編集されたウィキペディアの文章を鵜呑みにしている、と云う理解で構わないのならちょっとはわかるけれど。まさかね)、魔女狩り裁判的と云う言葉で何を表そうとしているのかがわからないこと(魔女狩りと云う言葉は意味が強いうえに非常に幅広い含意を持たされてきた歴史があるので、「どのような意味で使っているのか」をまったく示さないで用いるのは危険)が挙げられると思う。
「水伝は科学を騙った」ただそれだけ。その点は批判するに値する。ただそれだけ。
ただそれだけ。が2度も用いられているけれど、よくわからない。引用されているのが吉岡英介氏の文章なので、例えば「ニセ科学を根拠にアトピーに苦しむひとたちやその家族を相手にして商売をする」ことをもただそれだけ。と言い切っているように読める。ほんとうにそうなのだとしたら、ニケさんの姿勢そのものをぼくには許容できない。
「ニセ科学批判」とは、このようなものである。
ニセ科学批判とは、そのようなものではない。

ニセ科学擁護者や、ニセ科学で商売をしているひとたちの偏った言説に基づいて批判をする前に、最低限いくらかは批判対象のことを理解するように努めましょうよ。手短に読めるFAQだって存在するんだから。
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TAKESAN

今晩は。

色々言及する無茶な私も、さすがに採り上げるのをためらったのでした(某所でほんのちょっと触れたけど)。

あまりにも、調べずにものを書き過ぎ、ですね。あまりにも。いや、その前に、文章の意味が解らなかったりするんですけどね…。
by TAKESAN (2008-06-13 22:47) 

pooh

> TAKESANさん

ちょっと角度を変えて見ると、「論理」より「人格」に重点を置いてものごとを論じようとするとこうなる、と云うケーススタディだったりもするんですけどね。
by pooh (2008-06-13 23:01) 

田部勝也

私は「人格」に重点を置いてものごとを論じるのは大好きですよ。人間としての「矜持」や「誇り」に非道く悖(もと)ると思うモノだけを非難しているつもりですし、そう表明もしているつもりです。たまたまその中に「ニセ科学」と呼ばれるモノがあるだけ。どんなに科学的に間違っていても、論理的に無茶苦茶でも、それが「謙遜などは微塵もなく『矜持』などはどこかへ忘れてきたかのような(by ニケさん)」モノでなければ、私は非難しませんから(↓)。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1212837778#CID1212847960
まぁ、そんな人間は、「ニセ科学批判者」(と、ふま君に認定された人間)の中ではきわめて奇特で、私がほぼ唯一の(そしてたぶんそれ故に疎まれている)存在だとは思いますけど。

──で、ニケさんの擁護しようとしているモノ・人は、「謙遜などは微塵もなく『矜持』などはどこかへ忘れてきたかのような」モノじゃないと、ニケさんはおっしゃるのでしょうね。そのニケさんがおっしゃる「愛」というのは、一体誰に対するどんな「愛」なのか、聞いてみたい気がします。

そんなわけで……、

>poohさん「「論理」より「人格」に重点を置いてものごとを論じようとするとこうなる、と云うケーススタディだったりもするんですけどね」

「人格」に重点を置いてものごとを論じたら、「水からの伝言」に共鳴するような事は有り得ないはずだろ──というのが、私が「水からの伝言」について言い続けている唯一の事なわけで……。あれほどあからさまに「人格」を侮辱し冒涜し貶めている言説は、他に探すのが難しいくらいだと思うのですけどね。
by 田部勝也 (2008-06-13 23:40) 

黒猫亭

この方には以前、私事で丁寧なご挨拶を戴いたことがあるので、あんまり殺伐としたことは申しあげたくないんですが、ずっとブログを拝見していて、危ういところに差し掛かっているようには思っていました。

やはり、既定の結論を補強する為に材料を探すという考察の方法は筋が悪いんですね。ニケさんが日頃お書きのことを拝読すると、言説の正しさよりも目的の正しさのほうに拘りがおありになるのだと思いますが、言説の性格が目的の性格までも疑わせてしまうということもあるのだと思います。

内容については、poohさんやTAKESANさんが指摘されているように、調べずに書かれている部分が目立ちますし、誤解されている部分もあるように思います。それと、ニセ科学批判という理念自体の意義を否定されても、正月の騒動という個別のケースに関しては何らニケさんやぶいっちゃんさんに益するところはないと思うのですが、どうも筋の悪いところに拘っておられるという心証を覚えます。

いろいろとニセ科学批判に関して情報を吸収しておられるようですから、すでにお読みになっているのかもしれませんが、「ニセ科学批判まとめ %作成中」や「『水からの伝言』の基礎知識」を子細に読んで戴ければ、また違うご意見になるのではないかと思います。
by 黒猫亭 (2008-06-14 03:11) 

TAKESAN

黒猫亭さんも仰るように、多分ニケさんは、ニセ科学批判について、少しは調べておいでだと思います。その関連で、せとともこさんの所などでもお見かけして、そういう場では、丁寧で慎重な感じでした。

でもまあ、それはそれで、読解不足・調査不足は否めないですよね。吉岡氏を援用する筋の悪さくらいは、認識なさった方がいいなじゃないかな、と余計なお世話を申し上げたくなります。

一つだけ言うとするならば、「水伝を批判しているという一点のみで他の認識や態度まで一様と看做すのは全く筋違いだ」、という事でしょうね。

とその前に、文章の構成を何とかした方が良いですが。
by TAKESAN (2008-06-14 03:24) 

pooh

> 田部勝也さん

いや、ここで書いている「人格」と云うのは、特定の人物の人格、ということです。ニケさんはそう云う文脈のうえで言及先のエントリをお書きになっているとおぼしき部分が多々あるので。「人格」を「あまねくひとの持つもの」と云う意味合いで捉えれば、田部勝也さんのおっしゃることには同意です。
by pooh (2008-06-14 05:49) 

pooh

> 黒猫亭さん

いや、ニセ科学に批判的な発言をしたひとがいて、批判されたひとがいて、前者に対して後者を擁護するために「ニセ科学批判を批判する」のでは誰がみても順番が違う訳じゃないですか。そこで「敵の敵は味方」みたいな発想をすると、自分の論理を強化するために吉岡英介氏の主張なんかを援用してしまう羽目に陥るわけですよね。その時点で、そもそも主張の正当性に自分で瑕疵を付け加えてしまう。
by pooh (2008-06-14 05:56) 

pooh

> TAKESANさん

ぼくも以前、ニケさんがぼくのところに言及された際に、言及の内容について要望を伝えた際には、ご丁寧な対応をいただきました。

> 「水伝を批判しているという一点のみで他の認識や態度まで一様と看做すのは全く筋違いだ」、という事でしょうね。

どうも「〜派」と云うのを設定して、「好意」でつながったり「応援」しあったりして団体戦を行う流儀、と云うのが存在するようです。以前dlitさんがおっしゃっていたような「そう云う文化圏」と云うお話なのかも。
by pooh (2008-06-14 06:01) 

PseuDoctor

こんにちは。

ニケさんがどの様な方か寡聞にしてよく存じませんし、仰る内容の当否については既に皆さんが論じていらっしゃいますが、それらを別にしても、ご主張には構造的な矛盾が含まれていますね。
最も解り易いのは、
----引用ここから----
「ニセ科学批判」というものは疑似科学批判のうちの特殊な一部に過ぎないということである。このニセ科学批判を行う際に疑似科学批判の考え方を持ち込まれてビリーバーを反科学的だとの烙印を押したり反社会的な行動言動と非難することには断固反対する。
----引用ここまで----
の部分です。つまり文の構造だけ取り出すと
「NはGの一部である」
「従って、Nを行う際にGで用いられる考え方を持ち込んではならない」
となり、明らかな矛盾を示しています。むしろ「全体を批判できる考え方を持ちいれば、一部の批判も可能である」と考えるのが一般的でしょう。
もし「Nの考え方を無条件にGに適用してはいけない」だったら解るのですが、ニケさんの仰るのは逆ですものね。

あるいは「特殊な」の部分に非常に重点を置いておられるのかもしれませんが、その場合は2点ほど反論が可能です。まず、特殊であっても一部分である事に変わりは無いので矛盾は成立しており、逆に矛盾が成り立たないほど強く特殊性を強調されるのであれば、それはもはや「一部」とは看做せないという点。次に、あえて特殊性を問題にするのであれば、その特殊性が如何なるものかを説明する責任は、勿論そのように主張する側(ニケさん)に課せられるという点です。
by PseuDoctor (2008-06-14 11:58) 

pooh

> PseuDoctorさん

基本的に、ニケさんのエントリの趣旨は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」です。黒猫亭さんのおっしゃるように、感情で思考が濁ると矛盾なんてなんのその、って感じになってしまっていますね。

まぁ、彼をこんなふうに追いつめた側に責任なし、とは云えないかもしれませんが。正直云うと、ここまで行くと痛ましいなぁ、と云う感じです。
by pooh (2008-06-14 12:27) 

せとともこ

poohさん。こんにちは。
地震の方、気にしていましたが、こうしてコメントを書かれている由。
安心を致しました。
さて、
私も初めて当該エントリーを読んだときは「あらあら、、、困ったっちゃん」と思い、当惑していました。
詳しく検証する間もなく秋葉原関連を行ったり来たりしていたのですが、
此方でエントリーを挙げられているので、ほんのちょっと書かせてくださいね。

ニケさんは、疑似科学(多分、ニセ科学も含めると考えます)についての認識はしっかりとお持ちです。勿論、万全ではないかもしれませんが、
万全なんて誰もいらっしゃいません。
過去に、技術開発者さん、亀さん、あるいは黒猫さん、あなたとも対話なさっています。
ニケさんはニケさんの到達点で疑似科学について理解を示されていると私は了解しています。
ただ、今回のエントリーの混迷はニケさんの中での「擬似科学批判」についての在り方に言及したことではと考えます。
PseuDoctor さんもご指摘のように「疑似科学批判」と「ニセ科学批判」を仮定の段階で、特殊命題と処理したにも関わらず、
結論で全称命題にすり替えた矛盾は否めません。
では、何故、ニケさんは命題を「疑似科学批判」にしたかというならば、昨今のアレコレであることは論を待ちません。

「まぁ、彼をこんなふうに追いつめた側に責任なし、とは云えないかもしれませんが。正直云うと、ここまで行くと痛ましいなぁ、と云う感じです。 」とpoohさんは言われる。

私はpoohさんのように、「痛ましい」なんて言えない。
寧ろ胸が詰まります。
ニケさんは、疑似科学そのものと言うか卑近な例で言うならば水伝についての本質を理解なさっているのです。
だがしかし、批判の有り様のアレコレを見ていて疑問を呈し、
あろうことか水伝ご本家を引っ張り出してきたとしたら、
これは看過出来ない問題であり、今後の課題でもあると考えます。
つまり 
奈辺は「疑似科学批判の有り様」なのではないでしょうか?
批判の有り様に「愛」を持ってこい、、、、と言われているのでしょう。

少なくとも、
私はブログやネットと言う小さな世界であっても、
その影響については信じている者です。
だからこそ、細々とではありますが、書き続けています。
と、言うことで、
もうちょっと考えを纏めて、ニケさんには私も伝えていきます。
ニケさんはあなたや黒猫さん、そして技術開発者さん、亀さんを信頼なさっています。
ここへきて、ますます「疑似科学・ニセ科学」の危険性を声を大にする必要を強く感じています。

これからも、いろいろご教示くださいね。
楽しみにしてます(^.^)


by せとともこ (2008-06-14 13:53) 

黒猫亭

>poohさん、せとともこさん

オレは基本的にこの方は真面目な人なのだろうと思っています。そうでなければ、喧嘩する為に立ち上げたブログのIDで「pierrot_789 」なんて「嗤われる立場」を意味する名称は選ばれないでしょう。

多分この方の発話の動機は「誰かの為に何かをしたい」というものであって、そういうお気持ち自体は誰が何を言う筋合いのものでもないと思います。この方は本職の科学者に科学の土俵で批判を加えても勝ち目がないことくらいわかっておられるのだろうし、ご自分のニセ科学批判批判の言説が、それ自体正しいなんて思っておられないんではないかと思います。

ニケさんがなんでこんなことを書かれたのかと言えば、或る特定の批判者の特定の批判の実践が正しいと思えなかった為に、その特定の批判者の言説の正当性の根拠となる理念自体を否定したいという動機に基づくものではないかと思います。しかし、それはどうやっても不可能なのだし、特定の批判者を批判したいのなら、その理念の正当性を一旦受け容れた上で、実践の具体を視ていくのでなければ、有効な批判は出来ないとオレは考えます。

だからこそ、ニセ科学批判の知見の積み重ねをもっと学んで欲しいと思うのです。少なからぬニセ科学批判者が、最終的にこの問題にコミットせざるを得なくなったのは何故なのか、それを考えて戴ければ、ニセ科学批判という理念自体の意義を恣意的な強弁で否定する必要などさらさらないはずなのです。

今回の問題に関して、何故ニセ科学批判者が水伝を肯定する発言を行ったぶいっちゃんさんを殆ど批判しないのかを疑問視する声があるようですが、その答えは過去の議論の積み重ねの中にあります。それは「何の為にニセ科学を批判するのか」という命題と密接な関係を持っていますし、今回の問題においては、ニセ科学批判者はそこを軸にして問題にコミットしていったのだとオレは考えています。

ニケさんという特定の論者が幾らニセ科学批判の意義を否定したとしても、それは単にメタ的な観点から恣意的にニセ科学批判の言説を批判する論者が一人増えたというだけの話にしかすぎず、正月の騒動はなかったことにはならないのだし、ぶいっちゃんさんのご発言が間違っていなかったことにもならないわけで、ニケさん個人の言説が信用を喪うという以外の成果など得られません。だから筋が悪いんです。

オレがニケさんの言説に感じている危うさというのは、そういう無意味な自傷性に対する危惧というか、誰かの自己犠牲が必ずしも他の誰かにとって有益な何かをもたらすとは限らないということへの危惧なんですよ。

ニケさんが求めておられる答えは、メタ的な観点からニセ科学批判を批判する論者の言説の中にはなく、寧ろ首までどっぷり泥に浸かりながら、それでも固陋なビリーバーを説得し得る言葉を模索する真摯なニセ科学批判者の言説の中にこそあるのではないかと思います。
by 黒猫亭 (2008-06-14 16:26) 

alice

私は正直、ニケさんのエントリには若干の共感を感じざるを得ません。

黒猫亭さんがおっしゃっているように、ニケさんはメタ的観点からニセ科学批判を批判していると思います。(もし私が“メタ的観点”の意味を勘違いしていなければ)それは具体的には「ニセ科学批判する人」の「ニセ科学を(今は)否定しきれていない人」への物言い、態度、言葉遣い、目線…そういったものかと思います。これらは行間ではなく、実際の文章の書き方によって感じられるものです。

また、もともと理解できる共通の下地ができている特定の集団内では書かれた文章だけからは決して感じないようなニュアンスを、そこに突然直面した個人が感じてしまうというのは、良くあることでしょう。そういう、新たな場面に直面したときの個人の感情的な問題を、その個人でさばければいいのですが、うまくさばけない人であれば、反感から外に出られないのだと思います。その導入時期を、その個人のスキルに任せるだけでなく、これまで多くの“ビリーバー”に対処してきたニセ科学批判派であれば、もうちょっとうまくさばいてもいいんではないか、というのが正直な感想です。

(このあたりから、たかだか4月ぐらいからしか水伝騒動を見ていない私はきちんと把握できていないかもしれません)もちろんニケさんが最初に直面したのは直接のニセ科学批判派ではなく、別に科学者でもなんでもない人でした。その後ニケさんがニセ科学批判派と思える数人に質問した時点では、特段、ニケさんが自分の感情的な問題を処理できなかったわけでもないようですよね。つまりニケさんが感情的になったのは他の要因だと思いますが(以下略&水伝騒動への言及終了)。

ともあれ、もしニセ科学批判が、(科学をよそおう)ニセ科学が社会的に害をもたらす状況に物申すという目的があるのなら、もう少し人間の感情的反応にも注意を向け、対応技術を磨いても良いのではないかと…まぁその、多少は思わないでもないのであります。

あ、ちなみにここでは誰が対応上手だとか誰が対応下手だとかではなく、ニセ科学批判派の中に、そういう雰囲気がそこはかとなく漂っているとだけ申しておきます。話題によっても、発話者によっても、状況によっても感じ方は異なります。そのため「そう感じるのは具体的に誰のどの発言ですか」といわれてもお答えできません…。

by alice (2008-06-14 17:22) 

せとともこ

黒猫亭さん。
こんにちは。
コメント、何回も拝見いたしました。
今回の黒猫さんのコメント、最後から検証させてくださいね(^.^)

「ニケさんが求めておられる答えは、メタ的な観点からニセ科学批判を批判する論者の言説の中にはなく、寧ろ首までどっぷり泥に浸かりながら、それでも固陋なビリーバーを説得し得る言葉を模索する真摯なニセ科学批判者の言説の中にこそあるのではないかと思います。 」

御意。
私もその様に考えます。
だからこそ、真摯なニセ科学批判について「如何にあることが望ましいか」を突きつけられていると考えます。
その有り様の中に、敬意とか理解とか、およそ人が他人の言説を納得するための取っ付きやすさ(それをニケさんは愛とこの場合表現しています)が必要では???と、問題提起しているのでは、、、と私は考えています。


「ニケさんという特定の論者が幾らニセ科学批判の意義を否定したとしても、それは単にメタ的な観点から恣意的にニセ科学批判の言説を批判する論者が一人増えたというだけの話にしかすぎず、、、、中略
ニケさんの言説に感じている危うさというのは、そういう無意味な自傷性に対する危惧というか、誰かの自己犠牲が必ずしも他の誰かにとって有益な何かをもたらすとは限らないということへの危惧」

と黒猫さんは言われるが、私も、当該エントリーの無意味な自傷には驚いています。
「なぜ???」
と。
それが、何かを守るためのものであるとするなら、
〜〜〜それは違う。
守るべきものは、もっと別のモノである〜〜〜
ことを伝えなければならないのでしょうが、
多分、ご本人自身が百も承知なさっているのも事実かと考えます。


ニケさんは、あなたや、技術開発者さん、亀さんとの対話で、納得されていたのですが、、、
一人のこうした論者のためらいと言うか迷いを目の当たりにして、ますます疑似科学蔓延の怖さを思います。
言ってみれば、ニケさんでさえ「そうなのです」
疑似科学云々に接することさえない人々が、まだまだ沢山いらっしゃいます。
その方たちは、
於いておや、、、です。

だからこそ、ニケさんのこのグルグルと周り回っている考えを大切にすることは重要ではと考えます。

と、言うことで、
そもそもの初め「水は言葉を理解する」が是か非か、
ここから、もう一度ニケさんと考察を深めていこうと私自身は思っています(^.^)
黒猫さんにSOSを出したり、ご教示をお願いすることも多々あろうかと存じますが、その折は宜しくお願いいたします。

では、、、また。



by せとともこ (2008-06-14 17:28) 

TAKESAN

今晩は。

aliceさん
 >そういう雰囲気がそこはかとなく漂っているとだけ申しておきます。

これは非常に困ります。最も困るものの言われ方です。
by TAKESAN (2008-06-14 18:15) 

TAKESAN

あ、後。

ちゃんと、ニケさんが書かれた文を読まれました?

根本的な勘違いや勉強不足があり、そのまま的外れな論を展開するのですから、批判するしか無いし、共感などしようがありません。

よろしいですか。
ニケさんは、たんぽぽさん達が主となった「水伝騒動」の話を、他の論者にまで敷衍しているのですよ。きくちさんやapjさんにまで。しかも、吉岡氏の主張を援用してまで、です。

ニセ科学は批判しているが、「水伝騒動」に全くコミットしていない人は、たくさんいる訳です。私もそうです。
にも拘らず、他の議論で感じた印象を一般化されても、困るのです。

たとえば、ニケさんの文を読んで、きくちさんが不当に非難されている、とは思われませんか?

きくちさんやapjさんまで非難するのであれば、その方々が書いたものや主張を採り上げて検討するのが筋ではありませんか?

そういう話です。
by TAKESAN (2008-06-14 18:29) 

pooh

> せとともこさん

ぼくが痛ましい、と云っているのは、そのようなスタンスで発話をせざるを得ない状況についてです。ご本人が自分のロジックの矛盾に気付いていたとしても、いなかったとしても、やはりこんな発話は見たくない。
それでも、最終的には自業自得だ、と思っていますが。
by pooh (2008-06-14 18:48) 

pooh

> 黒猫亭さん

実際のところ、ニケさんが「わからない」ひとだと思っているわけではないんですよ。なので逆に、言及先のエントリのようなことを書くに至った経過(ぼくも完全な傍観者ではありませんが)を忖度してしまう部分はそこにはあって。
でも、言説は言説です。その意味では、2008-06-14 18:29のTAKESANさんの見解に強く同意します。
by pooh (2008-06-14 18:54) 

pooh

> aliceさん

ニケさんが、ニセ科学批判をどのようなものだと評していらっしゃるのかは、もちろんお読みですよね。

> もうちょっとうまくさばいてもいいんではないか

これは、永遠に云われ続けるのでしょうね。絶対に瑕疵のない言説を為し続けるのは難しいし、どんな言説でもつっこみどころはいくらでも探せる。柔らかい批判は届かないし(どころかそもそも批判だって理解してもらえないし)、直截的な批判は人格批判であると云うことにされてはねつけられる(この辺りNarrさんの考察にあるとおりです)。
それがいやなら黙れ、ってところなのでしょうが。

なので結局、動機の問題、と云うことになるのでしょう。
by pooh (2008-06-14 19:05) 

pooh

> TAKESANさん

「水伝騒動」そのものにリアルタイムで見解を出したのはぼくくらいのものでしょう。だから、ニケさんがぼくに対して批判を行うのならわかるのです。でもそれはぼくに対して云うべきことであって、そこからニセ科学批判と云う行為がどう云うものか、と云うことを評価できるはずはない。

ぼくもあまりこう云う評価をニケさんから受ける筋合はないと思いはしますけどね。
by pooh (2008-06-14 19:09) 

alice

>ちゃんと、ニケさんが書かれた文を読まれました?
はい、読んでます。

>根本的な勘違いや勉強不足があり、そのまま的外れな論を展開するのですから、批判する
>しか無いし、共感などしようがありません。

この辺です、ひっかかります。

うーん、私もTAKESANに話しかけるべき言葉が今、出てきません。
しばらく考えさせてください。
by alice (2008-06-14 21:37) 

黒猫亭

>皆さんへ

いや、この言説だけで言うなら、「恣意的な強弁」という以上のものではないと思いますし、それについては批判を受けて当然です。殊に、TAKESAN さんが指摘しておられるように、誰かを擁護する為に他の誰かに対して不当な言及をして好いということには決してならないでしょう。それは単に不合理のツケの圧し附け合いにしかなりません。

また、ニケさんは個人対個人の意味合いにおける善意に基づいてこの言説を発話されたのだと思いますが、それが別の意味合いにおける善意に基づく活動に対して不当な悪影響を与える可能性というのも無視出来ないわけです。

たとえば、TAKESANさんが仰った、

>>「水伝を批判しているという一点のみで他の認識や態度まで一様と看做すのは全く筋違いだ」

という論点ですが、オレが正月の騒動の問題にコミットした動機は、この唯一つの理由のみだと申しあげても過言ではないので、そこを混同されて考察を展開されるのだとしたら、個人的にも非常に残念に思います。オレなりに言葉を尽くしてそこを論じさせて戴いたつもりですが、それがまったく伝わっていないことになりますので。

そして、オレがこの方に申しあげたいのは、「何かの答えを求めておられるのだとしたら、その答えはそこにはないだろう」ということなんです。同じような問題意識を真摯に考えておられるニセ科学批判者はたくさんおられるのだし、たとえば黒影さんのモノサシ論などもそういう問題意識において語られたものでしょう。

だから、「何の為にニセ科学を批判するのか」ということを考えて戴きたいし、それを考え抜いた方の議論から学んで欲しいということなんです。たとえば、表面的にはそれほど実害があるように見えない水伝が、何故ニセ科学批判の代表的な批判対象と見做されているのかと言えば、科学的リテラシーがごく普通のレベルの人なら、ぶいっちゃんさんのようなリアクションをしても仕方がないような悪質な詐術性があるからです。

それは極当たり前の意味で「水伝に引っ懸かった」ということなのだし、だから過剰に批判するには当たらないけれど、水伝に引っ懸かった人はそれを喧伝することで別の他者に対する「加害者性」を帯びることになる、そして多くの人は自分が「こんなくだらない子供騙し」に引っ懸かったことを認めたがらないから訂正に応じない、結果的に水伝の伝播に一役買って一定の加害者性を負うことになる。だから水伝は厄介なんです。

その意味で、ぶいっちゃんさんは訂正を行っているのだから、その問題はそこで終わらせるべきなのです。ニセ科学批判の論者の方々の概ね一致した見解として、水伝に引っ懸かった方の責任の取り方として発言を撤回乃至訂正する以上のものはない、だから今回の議論において殆どぶいっちゃんさんの発言が問題にならなかったわけで、これは殆どの方が異存を覚えられない共通認識でしょう。

それを正月の時点に遡って免責しようとまで考えるなら、結局その擁護の為の言説が新たな加害者性を担うことになる。ぶいっちゃんさんの場合と違って、ニセ科学批判や水伝批判の言説の存在を認識した上で恣意的な強弁を行うのであれば、それは単純にニセ科学に「引っ懸かった」というだけでは済まなくなる。たとえば水商売関係者が当事者的な利害からapj さんを攻撃する行為と実質的に変わらないことになってしまいます。つまり、援用しておられる吉岡氏と同じ立場に立つということです。

そこまでして何が得られるかと言えば、ご自身の言説の意義を貶めるという以外には何もないわけで、擁護としても批判としても何ら有効性のない言説となってしまう。それをして「筋が悪い」「無意味な自傷性」と申しあげているわけです。
by 黒猫亭 (2008-06-15 02:52) 

Light

こんばんは。再度おじゃまします。

aliceさんのおっしゃっていることに、私も何か同じようなひっかかりを感じまして、記事を一つ書いてみました。
トラックバックさせていただきましたので、よろしくお願いします。

(黒猫亭さんのご意見を読んだ後では、何か的外れな意見だったような気もしますが・・・^^;)
by Light (2008-06-15 03:06) 

柿の木

はじめまして。柿の木と申します。お邪魔いたします。

>まぁ、彼をこんなふうに追いつめた側に責任なし、とは云えないかもしれませんが。正直云うと、ここまで行くと痛ましいなぁ、と云う感じです。

 騒動勃発時から経緯を追っておりますが、誰もニケ氏のことを追い詰めてなんかいないと思いますよ。 ニケ氏のことは、かなり早い段階から誰も (騒動で「批判派」とされた方々は) 相手にしなくなりました。

 ですので、もし「追い詰められた」とニケ氏が感じておられるとしたら、むしろそのことのほうが痛ましいです。


by 柿の木 (2008-06-15 03:49) 

pooh

> 黒猫亭さん

思うのですが、ぼくエントリ本文でなにかおかしなことを書いてますかね?
コメント欄の対話では、それは流れに従って、現存する状況に対するぼく自身の見解も書いてますけど。

このぼくのエントリそのものは、水伝騒動とは切り離されたものです。
by pooh (2008-06-15 05:53) 

pooh

> Lightさん

すいません。トラックバック、届いてないようです。
by pooh (2008-06-15 05:54) 

pooh

> 柿の木さん

いや、事実がどうだ、だれがどう云う対応をした、と云う話はいいんです。

言及先のエントリに書かれていることは、まともじゃないです。ニケさんがそもそもどう云う方か、なんて云うのはともかくとして、これだけまともじゃないことを書いてしまうのは、尋常な状況に置かれているとは思えない。
もちろん、だからなんらかの免責がされるべきだ、とは思いません。
ただ、ニセ科学に対して特に問題視しない、と云うスタンスから、ニセ科学批判に対して積極的に否定する立場に至ったひとが現にいる、ということをどう捉えるか、でもあるかと。
by pooh (2008-06-15 06:00) 

黒猫亭

>poohさん

いや、まったくおかしなことは書かれていませんし、poohさんのご意見に対する反論というつもりもありませんでした。仰る通り、この言説はこの言説として水伝騒動とは切り離して論じるべきであろうかと思いますので、以後気をつけさせて戴きます。
by 黒猫亭 (2008-06-15 06:11) 

pooh

> 黒猫亭さん

あ、いや、経緯もあるので難しいところもあるんですよ。
その辺り、基本的に黒猫亭さんが誤解されているとは思ってません。
by pooh (2008-06-15 06:48) 

alice

エントリの内容自体は、正しいと思いますが、余りにも網羅的に正しく批判してしまっているのは問題かも知れないです。
網羅的な批判の欠点として、批判された文章を書いた人にとっての枝葉末節さえも細かく批判されてしまう可能性があり、全人格否定された気分になる可能性があります。少なくとも無力感(自分が何を書いても相手はわからないだろう)を感じることは必至でしょう。

批判する点を最重要の1~2点に絞り、後は思い切って捨て置くか、別の機会にとりあげるようにすると、相手が議論に参加しやすくなるのではないかと思います。

また、非難がましい表現が少ないながら散見されるので、それらは含めない方が良いと思いました。poohさんが実際非難したかったなら別です。目に付いた表現はこれらです。人によるとは思いますが、感情を煽りがちな表現だと思います。

本気でお思いなのだとしたら、ちょっとどうか
自分の喉笛を切り裂くブーメラン
根拠もなく楽しく"らしい"でものを云う前に
根拠もなく楽しく"考え"たことを開陳する前に
恥をかかずに
まさかね

by alice (2008-06-15 15:34) 

きくち

「水伝」に関して言うと、かつてこれ(↓)だけのことをやってみたのですが、このような作業をいつまでも続けるのは不可能ですよ。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?mode=category&aim=A5CBA5BBB2CAB3D82CBFE5A4ABA4E9A4CEC5C1B8C0&display=list

愛も擦り切れるかなあ

by きくち (2008-06-15 16:42) 

pooh

> aliceさん

必要な論点はできるだけ明解に書きます。

表現は届いてなんぼ、です。言及先の論者のスタンスにもよりますが、必要だと思えば記述上のどんな手法も使います。
ぼくはこのエントリにおいて、ニケさんの論の内容と同時にその発話姿勢を非難しています。ニケさんがなんらかの誤解に基づいて言及先のエントリを書いているようなら、これらは必要ないものでしょう。そうとは思えない以上、もとの主張と同じ水準の強さで反論する必要はあると思います。
by pooh (2008-06-15 20:30) 

pooh

> きくちさん

どうも批判者には、それが要求されるようですよ。
by pooh (2008-06-15 20:31) 

apj

 ちょいとサイト移転やら訴訟資料公開やらで出遅れました。

 さて、言及先のニケさんが引用している吉岡氏ですが、前回の口頭弁論で「製品の表示の科学的根拠を出せ」と言われて、ダメダメなものを出してきています。

 http://www.i-foe.org/h19wa1493/index.htmlで公開中でして、原告提出の甲33から甲43までなんですが、何が凄いかって、
・私が資料をネットで公開するという理由で、測定データのグラフの縦軸と横軸の単位やラベルを隠す(この辺の論理が意味不明)
・迷惑がかかるという理由で、測定者の名前や相談先の大学の先生の名前を隠す(出したら測定者が困るようなデータを裁判所に提出したってこと?)
・実験条件がまるで書いてない(真面目に追試されたら困るって意味か?)
・大量に出てきた体験談の個人名を隠すのはわかるとしても、読んで「マグローブの体験談」と特定できないものがいくつも混じっている。体験談中で言及された時期にはまだマグローブを売ってなかっただろー、な内容まで出てくる。(まだ存在しないはずの製品の体験談が根拠になるって一体?)

 ここまでいくと、愛云々も無意味で、箸にも棒にもかからない、という評価以外にどうしようもないです。
 こういう物を出してくる人の言説を真に受けた時点で、ニケさん、終わってますよ……。
by apj (2008-06-15 23:15) 

pooh

> apjさん

2008-06-14 03:11付の黒猫亭さんのコメントにもありますけど、やっぱりご自分のバイアスへのナイーヴさがあるのかなぁ、とか思います。認知的不協和、とまで云うと言葉が強すぎるかもしれませんが。
by pooh (2008-06-15 23:24) 

田部勝也

私が皆さんを本当に心から尊敬するのは、まずは「対話」をしようという姿勢を見せている点です。私には絶対にできない事です。皮肉でも何でもなく、本当に素直に畏敬の念を抱いています。

上の(2008-06-13 23:40)のコメントを読んでもらえば分かるように、私が何かを非難するときは、本当に怒っているときです。真剣に激昂しています。その言説をとてもでないけど許せないと怒りに震えて非難しているわけです。
もし万が一そう見えないのだとしたら、「これも、きっと無知や不思慮によるもので、少し別の視点を提示してあげれば、自分と同じ感情を共有できるかも知れない」という微かな望みが滲み出ているか、受け手がよほど鈍感か、どちらかでしょう(あと、「自分の無知・不思慮のよる見当外れの言いがかりかも」という気持ちも大きいかも(苦笑))。

私個人としては、相手をいたわる気持ちなどはほとんどなくて、ただ、放置しておくわけにはいかない許し難い言説のすぐ近くに対抗言論を置いておく(それによって許し難い言説だけに触れ、それに傾倒し、それをさらに広める人が出てくる可能性を少しでも潰す)という事を第一の目的にして、批判活動をしています。

上の(2008-06-13 23:40)のコメントで、「そのニケさんがおっしゃる“愛”というのは、一体誰に対するどんな“愛”なのか、聞いてみたい気がします」と書きましたけど、自分が批判活動するとき、「愛」の対象は、これまで生きてきた人間すべてと、今生きている人間すべてと、これから生まれてくる人間すべてです。
わがままで分からず屋な利己的人間によって、それらすべての人たちが侮辱され冒涜され苦しまされる事になっているのに、非難がましい表現を控えられるとしたら、どんな聖人君子なのかと思ってしまいます。
あえて喩えれば、自分の恋人を陵辱した相手を目の前にした人に向かって、相手を傷つける事なく優しく対話し共感を求めなさい……と言われているような感じです。

──でも、多くの「ニセ科学批判者」は、間違いなく本当にそれをしようとしている。私はそれはとても崇高で偉大で人類としての誇りや矜持が到達しうる境地を見る思いです。
そういう人たちの邪魔をしないようにしないとなぁ……とは思うのですけど、やっぱり私には難しい……。


そんなわけで、……

>aliceさん(2008-06-14 17:22)「もう少し人間の感情的反応にも注意を向け、対応技術を磨いても良いのではないかと…まぁその、多少は思わないでもないのであります」

ROMの人たちも含め、「(よく分からないけど)この言説に、これほど傷つき激昂し許し難い気持ちになっている人間がいるんだ……知らなかった。悪い事をしたかも……」といった「人間の感情的反応」を引き出すにはどうしたら良いのだろうか──という「対応技術」としては、確かに甘すぎるのかも知れませんね。そういう意味では、「本気度」が伝わっていないのかも。

>aliceさん(2008-06-15 15:34)「網羅的な批判の欠点として、批判された文章を書いた人にとっての枝葉末節さえも細かく批判されてしまう可能性があり、全人格否定された気分になる可能性があります。少なくとも無力感(自分が何を書いても相手はわからないだろう)を感じることは必至でしょう」

そこまで批判されるような文章を書いた人間には無力感を抱いてもらわなければ困ると思います。間違いだらけのオレ理論・オレ世界観で社会に関わられては大変ですから。
無力感を抱いた人間が、自己否定に陥ったり自分の世界に閉じ籠もったりするか、現実を受け入れて自己研鑽に励むかは、また別の問題でしょう。


──最後に余談。
「あまり強い非難は、相手を先鋭化・カルト化させる」というのは良く言われますし、実際そうなのだと思いますけど、最近、「別にそれでいいじゃん」と思うようになっています。
あからさまに先鋭化・カルト化してくれれば、まだその言説に接していなかったり半信半疑だったりするどんなに鈍い人だって、「これは怪しい」と思うでしょう(それでもなびいてしまう人はそもそも処置なしでしょう)。これは当初の目的を達したと言えるのでは……などと考えるようになっています。
それによってオウム事件のような事も起こるかも知れません。でも、それは自分たちの社会が生んだ事であって、自分たちの社会で引き受け決着する事こそ望ましいと言っても許されるような気がしてきています。何の罪もない犠牲者に対して、あまりに不遜だと叱られるかも知れませんけど……。
でも少なくとも、何も知らないこれから生まれるすべての人たちに望ましくないモノを押しつけ受け渡すような事態よりは、人間の「矜持」とか「誇り」とか「愛」とかといった言葉を汚さない結果だと思うのですけど……どうなんだろう。自分には分からない。
by 田部勝也 (2008-06-16 00:26) 

きくち

>どうも批判者には、それが要求されるようですよ。

愛にも限りがあるからな。
賽の河原に石を積むような気になることが、ないとは言えないよね、正直な話。

by きくち (2008-06-16 00:49) 

TAKESAN

私としては、不当に非難された側が、非難した側に対して心を砕いて慎重に丁寧に接しなければならない、という意見については、首肯しがたいものがあります。一つの見解ではあると思いますが。

その部分については、田部勝也さんのご意見に近いかも知れません。

そもそも私は、このpoohさんのエントリー自体が、ごく丁寧に書かれたものだ、と感じたのです。これ以上丁寧に書くのは難しいのでは、と思ったくらいです。
感情を煽りかねない言葉など、いくらでも「さがす」事が出来ます。結局は、他者の心情の推測なのですから。

この言葉は相手を傷つけるのでは、という指摘そのものが、その言葉を意識させてしまう機能を担う可能性も、あるのでは? 「可能性」としては、そいう事だって言えますね。
by TAKESAN (2008-06-16 00:56) 

pooh

> 田部勝也さん

首肯できない論そのものに関しては、曖昧な部分を残さないように否定すべきだと思っています。論者に対する配慮が不要だとは思っていませんが、実際にはそれは対話が成立してから、じゃないと困難であるようにも思います。
by pooh (2008-06-16 07:55) 

pooh

> きくちさん

積み上げた議論も、いつでも任意の場所に差し戻しを喰らうわけだしね。
でもまぁ、やっぱり、これも動機の問題。
by pooh (2008-06-16 07:57) 

pooh

> TAKESANさん

それでもまぁ、「感じたこと」は「感じたこと」で、それは仕方がないんでしょう。

> この言葉は相手を傷つけるのでは、という指摘そのものが、その言葉を意識させてしまう機能を担う可能性も、あるのでは?

これはありますね。ぼくの指摘そのものを読む前に、ぼくの「態度」を問題にすることに方針を変えてしまう、とか。「これは不当な人格攻撃だ、支持してくれるひともいる」みたいな感じで。と云うか、最近そう云う論法をよく見かけます。
by pooh (2008-06-16 08:02) 

せとともこ

おはようございます。
ニケさん問題に関しては、ニケさん固有の拘りがあるようなので、もうコメントは控えようと思っています。

と、言うことで一般論としてですが、、、若干書かせてください。

「積み上げた議論も、いつでも任意の場所に差し戻しを喰らうわけだしね。
でもまぁ、やっぱり、これも動機の問題。 by pooh (2008-06-16 07:57) 」

poohさんはこのように言われる。
確かに、
積み上げた議論であっても、初心者にとっては「初めて」なのです。

私自身は確か2006年の春の物理学会で菊池さんがニセ科学に対して講演なさるまで知らなかったのです。
そこで初めて知って、少し勉強を個人的にしたのですが、それでも、その頃は私の中では「ニセ科学」は格下の位置づけでした。
つまり合間の学問と言う意味しかなかったのですよね。
(菊池さん、ゴメン。しかし菊池さんが本職で一流であることは確り存じていますから、、、)

学校教育の中で苛められている理科教育の現実にため息つくことはあっても、ニセ科学の汚染には気がつきませんでした。
が、初等中等教育に関する提言などを読み込むうちに、考えない子たちを是とする方針とニセ科学のもたらすものが不可分だと気がつき、これは警鐘を鳴らす必要があると、やっと気がついたのは一年くらい前です。
http://www.jsap.or.jp/activities/education/others/20041222.html

それはさておき、
私は子どもたちに勉強を教えるときは、一番悩んでいる子、ひっかかっている子に照準を合せます。
出来る子は自分でドンドン進みます。
手助けを求めている子を大切にする事は、良くできる子も伸びていくことだと私は経験から学びました。
「教育の層は広く厚く」
です。

ニセ科学も教育の一貫としてとらまえている私には、
初心者が積んだり崩したりする作業に対して、
apjさんのような「終わっている」発言は考えることができません。↑

私たちはいつだってトライ・&エラーの積み重ねではないですか。

別に「愛をもって批判しろ」とは言いませんが、
エラーしたら、もう一度トライしていけばいい、、、と指し示すのが先人(先に関わっているという意)の務めでは、、と考えます。

みんながすぐに分かる、納得するわけはありません。
時間がかかるのです。
だから気長に待つことも時には必要です。
勿論、軌道修正をはかることは言わずもがな、、、です。

そうでなければ、
一体、なんのためのニセ科学告発なのだろう???

今回のニケさんが投げかけた問題は、
とても深い問題では、、、と思っている私です。
私自身が試されていると、私は考えています。

by せとともこ (2008-06-16 10:05) 

newKamer

 私は多分、田辺さんと一番近い感情を持っていると思います。が、aliceさんの言うこともかなり良くわかります。

 今は、うまく表現できないので、どう伝えたらいいのか考え中ですが、批判派には「共感」が足りないことが多いのだと思います。相手の主張に一度は同意すべきといったような表面上の話ではなく、心を開いた上での議論が必要ということです(これもまた曖昧な表現ですが)。

 私は、いろんな実例を見る限り、批判者の表面上の言葉が少々酷くても、批判者の「開かれた心」を感じると、信奉者も真面目に考え出し、弁明しなくてはならない気分になるのだと考えています。

 とはいえ、こういった話は、私のように主張を伝えたい相手に信奉者が含まれている場合です(私は含んでいたほうがいいという価値観をもっています)。「目的」が違えばアプローチの仕方も変わるでしょうから。「本当に自分の目的に合致したアプローチか?」という事さえ気にかけていればいいのでしょう。
by newKamer (2008-06-16 10:38) 

TAKESAN

お早うございます。

うーん。
この問題で重要なのは、ニケさんは、疑似科学に対しては批判的である(ように見える)、という所なのだと思うのですが。
その意味で、ニセ科学を信じている人とのやり取りとは、基本的に違う。

結局、疑似科学が問題なのは解るがニセ科学という概念はダメだ、という、そういう主張なので、物凄く困る意見ですよね。そこが問題な訳で。
そもそも、「ニセ科学」は「疑似科学」の部分集合でも無いのですし、そこら辺から、かなり基本的な勘違いがあるのですよね。

>せとともこさん

apjさんは、まさに「当事者」ですよ。

後、多分、批判する人は(少なくとも私はそうですが)、すぐ解れ、納得しろ、と言っている訳では無いと思います。

------

我ながら、冷たい意見ですね。読む人に、こいつはさぞかし傲慢で、すぐに相手を切り捨てるに違い無い、と思われそう。
by TAKESAN (2008-06-16 11:17) 

せとともこ

poohさん、
poohさんのブログ運営に反するようなら今回だけごめんね、
TAKESANさんへ書かせてください。

>TAKESANさん

「apjさんは、まさに「当事者」ですよ。」



そうです。
だからこそ、慎重にと言うことです。
つまり、余計な形容詞は書かない、
事実だけ書く。
事実誤認を指摘するだけで十分。

と、言うことです。

「書かれたことは読み取る」のだから。


ただ、ここで私自身の立ち位置をもう一度確認させていただきますが、
apjさんの言ったことをアレコレと言う者ではありません。
当時者の例として挙がっていて、なおかつここでコメントなさっていたので、つい立ち入りました。
今後、私の発言がさらなる議論の対象になるならば、
「教育的配慮」で討論・議論していけたらいいな、、、と思います。

つまり、
私がいつも問題にしているのは、
「教育的配慮」。
これだけです。

今後も検討を重ねていくつもりですので、
アドバイスやご教示お待ちしています。

by せとともこ (2008-06-16 11:58) 

newKamer

 ひとつ強調しておきたいのは、aliceさんやせとともこさんや私が主張しているのは、必要条件の話ではなく、十分条件をどう考えるかという話だということです(aliceさんやせとともこさんの主張を勝手に解釈してますが)。

 「~せねばならない」ではなく、やっていることが正しいことは大前提として、それは「目的」を実現するために適切か?ですね。ニケさんのブログの内容はたんなるきっかけに過ぎず、もっと普遍的な内容を対象としています(←それは不適切という指摘もあると思います。まあ、各自自分語り的な要素が結構あると思います。)。

 もちろん、それは議論の目的や理想とする将来像によって、大いに変わってくることだと思います。

 aliceさんは自身の目標を明示していないので、主張としては不十分だと思いますが、せとともこさんは目的を明示してますよね。私も、信奉者の説得が視野に入っていることを明示しておきます。
by newKamer (2008-06-16 13:18) 

きくち

その意味でいうと、これはずっと言い続けていることですが、僕には「信奉者を説得したい」という意識はもうありません。経験的に「信奉者は説得できない」という結論に達してしまったので、その努力はしないことにしました。
あるいは、それではあまりにも効率が悪いということです。
 
僕がさまざまなことを伝えたい相手は、主として半信半疑くらいの人です

by きくち (2008-06-16 15:50) 

alice

newKamerさん

>aliceさんは自身の目標を明示していない
そうですね、確かに。もともとこのエントリはニケ氏への反論であり、ニケ氏は信奉者ではない…とか考えているうちに、文中に目標を明示しないままになってしまいました。
ニセ科学批判の目的は、信奉者に科学的観点というものを教えることだと思います。せとももこさんのいう教育であり、newKamerさんのいう説得である、それに異論はありません。

ただこのエントリについていえばもう少々話が複雑な気もしています。

ニケ氏は信奉者ではないが、ニセ科学批判そのものに対する漠然とした疑問と反感をいだいていますよね。その疑問と反感は、彼の勘違い(十把ひとからげ)によるものなのか、無知(疑似科学とニセ科学の混同&誤解釈)によるものなのか。それともニセ科学批判そのものが、彼が指摘するところの態度の頑なさのようなものを、多少とも実際に持っているのか。

私はそれらが全部ごっちゃになって、ニケ氏がエントリを書くはめになった(わざと少し同情的に書いてます)と思うのですが、その後きくち先生やpoohさんなどのコメントを見ていると、“科学に教育まで踏み込めと言えるのか…”という疑問も出てきて、これは安易にどうとか言えない事態だなぁと、考えている次第です。

きくち先生が「これだけやってるのに…」とおっしゃるけれど、それだけやっていてだめだというのは、何かが足りないのだと思います。これはきくち先生の活動について非難しているわけでは全くなくて、やはり、人文系特に教育界の人があまり踏み込んでこないところに問題がありそうです(コメントでどなたかが触れてた気がします)。学際的なニセ科学批判フォーラムみたいのがそろそろあってもいいですよね。しかし活動資金がどこからも援助されそうにないのがアイタタ…ですかね。“と学会”方面は…何となく同人誌世界ぽい偏見があって、ほとんど見ておりません。すみません。

ところでこの文章の主題は「ニセ科学批判にはそろそろ別なアプローチが必要なのではないか、しかしそれを単純に科学界に求めてもいいのだろうか」という、主張というより疑問提起、でした。
by alice (2008-06-16 16:02) 

alice

あ、上のコメントですが「それだけやっていてだめだ」というのは書きすぎでした!すいません!!
効果は十分に上がってると思うのです。何しろ私など、牛乳有害説について半信半疑だったところを、kikulogで聞いてコメンターのかたがたにさんざん凹まされつつ、良い情報もいただきながら、「なーんだ、要は、量を飲みすぎなければいいのね」と納得できて、今では牛乳やヨーグルトを後ろめたさなく摂取できる喜ばしい毎日を送っております。
他にも、水商売などに引っかかりそうになった人が、kikulogで「やっぱおかしい」と認識できた例をいくつか拝見しております。

とはいえ、ニケさんのような人が感じる疑問を払拭できるものではないし、そこに私のようなものが多少とも共感してしまう現実はあるかと思います。kikulogの効果を十分に認識した上で、さらなる高みを目指す場合は、別なアプローチが必要だろう、というのが上のコメの主旨です。

あと、信奉者の説得についてはきくち先生に同感です。ニセ科学批判で半信半疑の人を教育できるだけでも大きな効果です。(自分が実際、恩恵を受けてますので)
by alice (2008-06-16 16:16) 

newKamer

> きくちさん
> 経験的に「信奉者は説得できない」という結論に達してしまったので、その努力はしないことにしました。

 私はきくちさんの発言の影響力の強さを感じているので、弊害の観点から、この発言はあまりして欲しくないと思っています。きくちさんのように払える限りの労力を使って信奉者と対峙した経験を積んでいない批判者が「キャッチフレーズ」のように、使っていると感じているからです。
 きくちさん個人の意見としては、実際に払ったであろう労力を思えば、尊敬することしかできませんし、反対する気持ちはありません。

> あるいは、それではあまりにも効率が悪いということです。

 私は、信奉者を説得する気持ちで議論に臨んだ方が、半信半疑の人にも、ゆるい信奉者にも訴えかける力が強いと感じています。「信奉者の説得ができたか」で見ると、効率は極端に低いことは間違いないですが、結果的に全体的な効率は悪くないのではないかと。明確な根拠を示すことはできないので、単なる印象論です。

 といっても信奉者にも色々な人がいるので、もちろん対象から外れる人もいます。例えば、吉岡氏とかは対象にしようと思ったことすら全くないです。
by newKamer (2008-06-16 17:48) 

きくち

対話をしないという意味ではないです。
ただし、対話はあくまでもそれを読む第三者のためにするのだ、ということですね。

by きくち (2008-06-16 17:57) 

apj

せとともこさん、

>ニセ科学も教育の一貫としてとらまえている私には、
>初心者が積んだり崩したりする作業に対して、
>apjさんのような「終わっている」発言は考えることができません。↑

 「終わってる」ものを「終わってる」と言うのは問題無いと考えます。
別の「終わってない」論を出してくればそれでまた違う方向に進むわけだし。
「終わってる」場所に突っこんでいる場合には、早めに「終わってる」ことを指摘する方が、方向を模索するにも役立つのでは(指摘を受け入れる、受け入れないは人それぞれですけど)。

 しかしこの場合、何の初心者なんでしょうね。
 ニセ科学(批判)の初心者だからWikipediaのニセ科学についての記載を鵜呑みにした、というのならわかります。
 吉岡氏については、引用された個所にたどり着くまでには吉岡氏が書いた他の部分も見るはずですが、それで変であることに全く気付かなかったのだとしたら、それはニセ科学批判の初心者かどうかというという問題ではなくて、「人生の初心者」だったり、「文章読解の初心者」だったり、「常識の初心者」だったりするんじゃないかと思ったり……。

 あと、相手の説得ということについては、ダメな場合は何をやってもダメです。現在進行形で吉岡と訴訟合戦をやってますが、裁判所でやったってダメなものはダメ。仕方がないので裁判資料を(第三者のために)公開してますけど。
by apj (2008-06-16 18:37) 

TAKESAN

自分の所にも書きましたが、重要なのは、ニケさんが、吉岡氏の論を引いて非難を行っている、という事実です。

aliceさんに、ニケさんのエントリーを読まれたか伺ったのは、吉岡氏を援用してまで、かなり強烈に非難しているのを読んだ上で、共感を覚えたのだろうか、という疑問からでした。

apjさんが書いておられますけれど、吉岡氏のサイトを読めば、そのおかしさは解るはずなんですね。いくら何でもこの書き方は変じゃないか、と気付くようなレベルです。すぐには解らなくとも、非難されている当事者(apjさんやきくちさん)の論も参照して検討するのが、筋というものです。

これはちょっと物凄いな、と思える不当な非難のエントリーであるのに、その不当さを指摘する前(でも後でもいいですけど)に共感を表明するのは、ちょっとどうなんだろうな、と思った次第です。
by TAKESAN (2008-06-16 19:04) 

alice

TAKESANさん

吉岡氏の文章については、apj氏との裁判が終わるまで何も触れたくないという気持ちがあります。apj氏の文章についても同様です。

ニケ氏が引用された部分は、ニケ氏が引用するにいたった気持ちについては共感できます。
他の部分はよく読んでいません。裁判が終わったら読むかも知れません。
by alice (2008-06-16 20:23) 

pooh

> せとともこさん

どなたかと対話されるのは、ルール違反ではありません。ただし、発言に対して誰か返答者を指名したりするのはご遠慮ください。また、誰かを名指しした発言でも、その他の方が返答される場合がありますので、その場合は許容してください。

> 私たちはいつだってトライ・&エラーの積み重ねではないですか。

もちろんそうです。
そしてぼくは何度もくりかえし、同じことを云っています。「いつまでも『水伝』ばっかりごたごたいってんじゃねえよ」「上から目線で叩きたいだけだろ」「『自分はわかっている』って思ってえらそうに」なんて、罵声を浴びながら。
もちろん、「はじめて知った」ひとのために、意識して。
このことについては、こんなエントリを書いています(最近のものなので、リンクするまでもなくお読みでしょうが)。

http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-05-12

まぁ、「やり方がまずい」と思っていらっしゃるから、こんなふうにおっしゃるのでしょう。ぼくもちょいと音をあげて、こんなエントリを書いたりもしました。

http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-04-24

> みんながすぐに分かる、納得するわけはありません。
> 時間がかかるのです。

存じ上げているつもりです(実践を通じて)。
でも、ぼくは「出来るだけ届く」アプローチをすることで精一杯です。無限の時間も持ってはいません。
せとさんにご満足いただけるような言説をすることは、一生できないかもしれません。進歩もかたつむりのようです。申し訳ありません。
ニケさんの今回のエントリについては、まず「対抗言論をなすこと」を優先しました。そのあとで、対話になれば、と云うスタンスです。申し訳ないのですが、ニケさんの言説がネットの上で野放しになるのを防ぐことのほうが、ニケさんおひとりのお考えを対話を通じて変えていただくよりも、ぼくにとっては優先されます。そのためには、どこに問題があるのか、できるだけ「読んでもらえる」書き方で書いています。言及相手に限らず。

> > 「書かれたことは読み取る」のだから。

吉岡氏の文書に書かれていることを「読み取」れているのなら、ニケさんはこんなエントリはお書きにならないでしょう。
読み取れていない理由を忖度するのは、本来おとなの論者に対してすべきことではありません。「読み取れていないこと」を問題にして、そこに書かれていること以上の部分について(個々の論者に対して)立ち入るのは、基本的に行き過ぎです。論者は、自分の発信した情報がネットを流通する、そのことに責任を持つべきです。
そして、ぼくはその部分を含めて、反論するエントリを書いたわけです。そしてこのエントリは、それ以上の内容にはなっていないはずです。

ちなみに、ぼくは誰に対しても、対等の場所から発話しているつもりです。ぼくは誰かを教え導くような場所から発話しているつもりはありません。これは単純にぼくのとっている立ち位置の表明でしかありませんが。

> 「教育的配慮」。

だれもそれをすることを、せとさんに対して止めてはいません。ただ、誰かを教育するような立場にぼくはない、と云うだけです。

・・・と書くと、「なんて冷たい」とお思いでしょう。「自分の問題として引き受けないつもりか」と。感情的な反応とは、そう云うものです(どんなところにでも、感情を害される要因は潜在しています)。
by pooh (2008-06-16 21:55) 

pooh

> aliceさん

> 「ニセ科学批判にはそろそろ別なアプローチが必要なのではないか、しかしそれを単純に科学界に求めてもいいのだろうか」という、主張というより疑問提起

ぼくは以前、こんなエントリを書きました。

http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2006-11-21

このエントリは明治学院大学の稲葉振一郎先生に取り上げていただきました。反応をいただいただけではなくて、朝日新聞のコラムでも引用していただきました。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20061130/p3

その1年半後に、現状があるわけです。この時点での問題意識を、ぼくは失ったわけではありません。むしろ、ずっと抱き続けています。では、ぼくにできることはなんでしょうか? ぼくに足りないのはどんなことだ、とおっしゃいますか? できたはずのことは?
正直、曖昧さのない、なまなかな共感で本質がゆがめられてしまうことのない対抗言論をあげるのが、ぼくごときに出来るせいぜいです。
ただ、この1年半のあいだに、朴斎先生やdlitさんの言説も登場しています。人文系の動きは大きいとは云えませんが、まったくないわけではありません(ぼくが働きかけたから、ではないですが)。

・・・いえ、もちろん、批判いただくことを否定しているわけではありません。aliceさんの優先順位を、否定するものでもありません。
ぼくもいろいろな方法を模索しています。ただ、ニケさんおひとりよりも、インターネットに流通しているニケさんのエントリを読んでなんらかの影響を受ける可能性のある不特定多数の方々のほうを、ぼくはまず懸念しています。「おまえの優先順位が間違っている」とおっしゃいますか?
by pooh (2008-06-16 21:57) 

pooh

> newKamerさん

ぼくとnewKamerさんのスタンスの相違は、以前お話ししたことがあるかと思います。そして、ぼくはnewKamerさんのスタンスに敬意を抱いています。そして、その部分がぼくに欠けていることも認めています。

ただ、ぼくに出来るのは、対抗言論の用意とロジックの強化がせいぜいのところです。このお話も、させていただいたことがある気がします。充分だ、と思っているわけではありませんが、少なくともいわゆるビリーバーの方に対して発話するのは(ぼくには意義のある発言はおそらく出来ないので)厳に慎むようにしているつもりでした。
ぼくも未熟者ですので、自分の力量を超えないようにするのがいまのところせいぜいです。ご容赦ください。
by pooh (2008-06-16 21:58) 

pooh

> きくちさん

ぼくとしては、言及された相手には「うすらぼけのpoohがなんか云ってる」って思ってもらって構わないんですよ(このことは何度も云っています)。読むひとには、poohにもわかる程度のことはわかるはずだ、って信じて。
それ以上のことはできない。相手に「どうしてわからないんだ」って詰め寄ることはできません。極力具体的に、明瞭なかたちで書くぐらいしか、ぼくにできることは基本的にないと思っています。
by pooh (2008-06-16 21:59) 

pooh

> apjさん

なんと云うべきなのか、難しいところです。
正直、ぼくとしては、自分の発言に自分で責任を負うことができるはずのおとなの論者がおかしな言説を発信するだけで、充分に責めを負うべき理由になると思うんですけどね。
by pooh (2008-06-16 22:00) 

pooh

> TAKESANさん

多分、そうなった背景をお考えなのだと思います。
ただ、ぼくのエントリは、その背景についてなにも語っていないはずです。単体のエントリ、単体の言説に対して、批判を行っています。おとなの論者が発信している内容に対して、その背景を忖度するのは、本来失礼に当たると思っています。

・・・ただ、それまでの経緯を知らないわけではないので、コメント欄における対話では、背景を「なかったこと」にはできない。この辺り、実際のところご迷惑をおかけしている部分です。ごめんなさい。
by pooh (2008-06-16 22:00) 

alice

poohさんのこのエントリはすばらしいです。完全に賛同します。
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2006-11-21

私はpoohさん個人に対し、責めているわけではないです。

となると、poohさんのエントリに対するコメントとしては、ずれてきてしまうので、そろそろ引っ込むことにします。また、自分自身勉強不足なので、もう少し勉強してきます。
by alice (2008-06-16 22:56) 

pooh

> aliceさん

いや、提示されたような視点を、ぼく(たち)が持ち合わせてこなかったということではないんですよ、と云うのをお伝えしたかったんです。

例えば、この問題に関する教育学アカデミズムのプレゼンスの薄さは、ほとんど信じ難いほどだと思っています(。現場で教鞭をとっていらっしゃるかたは、例えばkikulogやTAKESANのところの常連でいらっしゃるドラゴンさんのような方もいらっしゃるんですけど。

この部分、どうすればいいのか、ほんとうにアイディアがない。ぼくなんかもふつうの安サラリーマンなので、専門的な知見にはやっぱり欠けている。専門家にもっと発言してほしいなぁ、とか云ったら怒られたりして、そうだよなぁ、やっぱりコモンセンスの強化だよなぁ、とか思ったり。

http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2007-09-10

これからも、一緒に考えていただけると嬉しいです。

それはそれとして、面白いですよ。フロベールの「紋切型辞典」。
by pooh (2008-06-16 23:16) 

TAKESAN

ちょっと細かいですが。

確かドラゴンさんは、教鞭を取られてはおられなかったような。
すみません、どこかでそうドラゴンさんが仰っていたのを読んだ記憶はあるのですが、ちょっとどこだったかは思い出せません。もしかすると、私の勘違いかも知れませんので、よろしくです。
by TAKESAN (2008-06-16 23:41) 

pooh

> TAKESANさん

ありゃりゃりゃ、そうでしたっけ。
これは致命的な誤解です。なんでそう思い込んでいたんだろう。いまのいままで現場の方だと信じてました。
by pooh (2008-06-17 00:19) 

田部勝也

上の(2008-06-13 23:40)のコメントで書いたニケさんへの疑問──「そのニケさんがおっしゃる“愛”というのは、一体誰に対するどんな“愛”なのか、聞いてみたい気がします」を、直接ニケさんに尋ねてみました。で、ニケさんのお返事がありました。

正直言って失望しました。

こんな人間に、自分は、

>ニセ科学批判者に 愛 が感じられるか?
>私の答えは“NO(ノー)”である。

とか言われなければならないのか……という気持ちです。

もうね、あんまりにも浅すぎる。「この人、何歳ですか?」って感じですよ。きっとこの人は、血の涙を流しながら人を殴ったり、心から祈り応援する事で人を追い詰めたり、大切な人を守るために誰かを裏切ったり、そんな経験をしたりされたりした事はないのでしょうね(いや、普通はない(苦笑))。
それにしたって、ちょっとは、そういう事態を想像してみてもらっても良いだろう……と思ってみたりもしたのですけど、甘かった。

でも、まぁ、これが批判された人間の一般的な反応なのかなぁ……。
上の(2008-06-16 00:26)のコメントで、「(非難された事で)無力感を抱いた人間が、自己否定に陥ったり自分の世界に閉じ籠もったりするか、現実を受け入れて自己研鑽に励むかは、また別の問題でしょう」と書きましたけど、現実は厳しいですね……。

──なんて事を書くと、また、「人間の感情的反応」なんたらといった反発があるのは分かりきってはいるのですけど、器の小さな自分では、こんな人間と「共感」を得るのは正直難しいですよ。やっぱり自分の能力では「対抗言論」を置いておく事しかできません。もしもそれでROMの人たちに私の怒りが少しでも伝わってくれれば、それだけで十分です。

もちろん、「信奉者を説得したい」という志しには心から敬意を抱きますし、それは、上の(2008-06-16 00:26)のコメントで、十分表明していると思います。
by 田部勝也 (2008-06-17 01:01) 

田部勝也

ちょっと気持ちが高ぶりすぎて眠れません。こういうときにコメントなんてしないほうが良いに決まっているのですけど、「人間の感情的反応」なんたらが議論のポイントに思えるので、あえてコメントしてみます。

はっきり言って、ここまでひどいと、ニケさんの言説に腹を立てているのか、ニケさんの性根に腹を立てているのか、ニケさんの人格に腹を立てているのか、自分でもよく分かりません。

「人格否定」をうんぬんする人たちに、ぜひ教えて欲しいんです。それも本当に心から切実に。

私はこんな人間ですから、当然、たった7年間、中学・高校で教員をしただけで、「あの先生を辞めさせて下さい」から「死ね」まで、「人格否定」と言っても許してもらえそうな事はいくらでも言われ続けてきましたけど、自分では(「しっかり」だったり「それなりに」だったりしますが)それらを受けとめて、自己研鑽に励んできたつもりです(さすがに「お前のせいで物理が嫌いになった」と言われたときには、なかなか受け入れられずに、立ち直るまで長い時間がかかりましたけど)。
でも、「人格否定はしないで下さい」とか、ごねていれば良かったのでしょうか? 「人格否定するような人の言う事には愛がない」とか言って、つっぱねているべきだったのでしょうか? 教えて下さい。

逆に、私のような聞く耳持たないろくでなしの教員に対して、自分の子どもを心配する親が「あの先生をどうにかして下さい」と言うのは、教員に対する「人格否定」だから決してしてはならない事なのでしょうか? そのような親には「“愛”がない」と非難すべきなのでしょうか? 教えて下さい。

教員や親が、子どものためを真剣に思って、「この子の将来のために、いま、この子の性根を叩き直してあげなければならない」と考えるのは、「人格否定」なのでしょうか? そんな事を考えるのは、本当は「愛」などないのでしょうか? 教えて下さい。

「人格否定」って何ですか? なぜ「人格否定」はいけないんですか? 「人格否定」がいけないのなら、問題の所在が「人格」にあると思われる困難にはどう対処すれば良いのですか?


教えて欲しい事がもう一つ。

「あの先生を辞めさせて下さい」とか「死ね」とか「お前のせいで物理が嫌いになった」とか言われれば、本当にとても傷つくし、なかなか受け入れられないのは、そんな事はいくら私にだって分かっているんです。
たぶん、言うほうだって、いろんな覚悟の上でいろんな事を秤に掛けて勇気を振り絞って言ってるはずです。一人の人間が、誤謬の指摘から、不快感の表明から、傷ついた相手のフォローまで、全部しなければいけないんですか? 全部一人でできないと、誤謬の指摘も不快感の表明もしてはいけないんですか?

昔はともかく、今の学校では生徒指導も完全分業制です。職員室では、「A君の態度はクラス全体のためにも一度しっかり叱っておかないといけないと思うのですけど、多分反発してふて腐れると思いますので、A君がなついてるB先生、フォローお願いします」といった事は、普通にあるわけです。そのへんは、昔、『kikulog』に書きました(前後の数コメントも読んで欲しいと思います)。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1164299987#CID1171442853
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1164299987#CID1171637869

私は、たぶんこれからも、許し難い言説のすぐそばに「対抗言説」を置き続けると思います。そうすれば、直接非難された人が傷つくのは当然分かってやっているわけです。でも、他のいろんな事を秤に掛けて、いろんな覚悟の上でそれをしているつもりです。
もしも、それで傷ついた人をなだめて癒して正しい方向に導く事ができると思う人がいれば、私にはできないそれをしてあげて下さい。
でも、私にはそれができないからと言って、人類全体への冒涜・侮辱であるような許し難い言説を放っておく事は、心情的にできないんです。それはいけない事なんですか?
by 田部勝也 (2008-06-17 06:59) 

pooh

> 田部勝也さん

難しいなぁ、とか思うのは、意味が広くて、なおかつ強い言葉の取り扱いですよね。
「愛」なんて言葉は、どんなふうにでも意味づけできます。文脈によっても意味が変わってくる。そのひとがどんな思いを込めてその言葉を使っているか、は、かっちりした文脈の提示がないとおそらく余人にはわからない。「あなたには『愛』がない」と云われたときに、その「愛」が定義されていないと、何を非難されているのかわからない。それでも「愛」と云う言葉を口にする側は、なんらかの決定的な指摘をしているつもりになれてしまう。

「人格」も同じです。
実は議論に自分の人格を乗せてしまうと、どんな反論も「人格否定」になってしまう、と云う蟻地獄のような構図があります(このあたり、Narrさんのところで考察が続けられています)。人格は重んぜられるべきものだと思いますが、便利に使われてしまうと、そのひとの「聖域」みたいな意味になってしまう。

「愛」については、こんな安手のメロドラマみたいなエントリを書いたことがあります。

http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2007-08-05

なにかの論拠として使おうとすれば、それこそよほど大事に口にしないといけない言葉だと思います。そうでないと、絶対にその意味は相手に通じない。そこで口にしている「愛」と云う言葉の意味が違う以上、過剰に気にすることにはそんなに意味はないと思いますよ。
by pooh (2008-06-17 07:51) 

newKamer

 ごめんなさい。ちょっと前までは「誰もがもっと信奉者を大事に扱うべきだ」と思っていましたが、今は目的が違う人(信奉者の説得に重点を置いていない人)にまで押し付けるのは、単なる自分勝手だと思っているので、「やって欲しい」という事は言いません。混乱させることになり、ご迷惑をおかけしました。

 それから、私が伝えることができていないので(言葉の使い方も怪しい)、誤解を受けて当然なのですが、以下の話に関しては誤解されています。

> 批判派には「共感」が足りないことが多いのだと思います
> 心を開いた上での議論が必要ということです

 私が「心を開いた議論」と考えているもののひとつのあり方は、田部勝也さんの2008-06-17のコメントのようなものを信奉者とのやり取りで伝えることです。余計に分かりにくいかもしれませんが、まだうまく説明できません。
 また私の勝手な意見ですが、田辺さんは今のここで投稿しているスタンスのままで、信奉者と対話して欲しいと思ったりします。
by newKamer (2008-06-17 09:21) 

せとともこ

おはようございます。
夜は忙しいので書き込み出来なかったのですが、
その間、apjさん、poohさんからコメントを頂きありがとうございました。


>apjさん。
「こういう物を出してくる人の言説を真に受けた時点で、ニケさん、終わってますよ……。」
と書かれていたので、ニケさんが「終わっている」と一刀両断なさったのかと思いました。
が、次のコメントで「終わっているのは吉岡さん」と言うことだとお聞きして了解。
勿論、それを引用したニケさんに瑕疵があるのは当然です。

ただ、私が言いたいのは以下の通りです。
間違い、勘違いした相手に、それが間違っていると伝えるやり方として、
抽象的な部分に関しては深い吟味を、具体的な部分は、事実を元にして事実の中に不当性を見つる。
後はアレコレと評価しない。

と、言うことです。

次に初心者について。
私が上で述べたのは一般論に入ってから「初心者」と言う語を使いました。誰でも初めは初心者です。
言葉通りにとってください。
なお、当該の当時者については「初心者」云々は私は分かりません。
推測は極力、さける事にしています。
ただ事実として、私の所で、技術開発者さんや亀さんと対話なさり、
ニセ科学についていっていの理解をなさったことはここに記しておきます。
その後の変遷は、私の知るところではないので、言及しません。

最後のダメ論云々については、
本当にお疲れさまと心から敬意を表します。
ダメなものはダメ、、、と言うか相手は相手の利害で訴訟しているので、
正論が正論としてとおらないのでしょうね、、、
apjさんには、本当に頭が下がります。
あなたはあなたの分野で、
私は子どもたちを対象に、
伝えていくべきことを伝えていきましょう。
by せとともこ (2008-06-17 10:24) 

せとともこ

poohさんのご好意に甘えて、
田部さんに書かせてください。

田部さん。
コメント、何回も拝見いたしました。
またご紹介のきくちさんのエントリーとコメントも拝見いたしました。
身につまされる思いでもありました、、、
ずっと考えて、これからも考えます。


さて、
このエントリーをpoohさんが挙げられた理由は私は以下の通りと解釈していました。
「ニケさんが誤った情報を引っ張り出してきて牽強付会、自論に持ち込んだと言う分かりやすい事例を挙げることで、今後、初心者が対応するときのためにFAQhttp://www39.atwiki.jp/cactus2/くらい読もう」と。

そこで私が「批判の方法」も考量すべきでは、、、と問題提起をちょっとしたのです。

先にapjさんにも書いたのですが、
批判するときは事実は事実のみ。
概念や考えの時は丁寧に。
「思った、感じた」は批判のときは極力避ける。
批判の際「人格」は一切、考慮しない。
勿論、諸々のケースがあって、個別具体的な事象によっては違うのですが、
私はなるべく、その様なスタンスで議論・討論に臨もうとしています。


さて、田部さんから数多くの疑問・問題が提起されたのですが、大きな幹は「人格否定」と言うことで解釈して宜しいでしょうか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「「人格否定」って何ですか? なぜ「人格否定」はいけないんですか? 「人格否定」がいけないのなら、問題の所在が「人格」にあると思われる困難にはどう対処すれば良いのですか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

一般論としては討論することで何を獲得するかをまず考えます。
人格にさえ踏み込むことで、生産的なものが獲得出来る場合は、人格否定も是ではないかと思います。

たんに「言いたいだけ」なのか「言うことで今後の行動に影響を与えるか」を斟酌することが議論・討論の初めには必要と思います。

不毛な討論や議論は禍根を残す場合が多いので発議する前によくよく気をつけていますが、現実には失敗ばかりの私です、、、

なお、これはあくまで一般論です。
田部さんが田部さんのスタイルで議論・討論に臨むことになんら異論を挟むものではありません。

私は新学力感からゆとりに至るまでの子どもたちの変化を見、教科書の変遷を見る中で、
守るべき教育について、これからも拘っていく所存です。
先にも書きましたように、これからも考えていきます。
いつか機会がありましたら「教育」についてご教示頂けると、嬉しく思います。
これからも宜しくお願いいたします。






by せとともこ (2008-06-17 10:59) 

ちょちょんまげ

poohさん、こちらでははじめまして。
すみません、全く空気の読めていないコメントを残すことをお許しください。

今、こちらで行われているのは「属人的」な議論、ですよね?
(そうであるならば)この議論は「ニセ科学批判の文脈」では行われていない、ということでしょうか。

自分のブログにも書きましたが、私のところからはapjさんのブログが読めないので、思いっきりはずしている可能性も大なので、ご助言いただけたら幸いに思います。

言うまでもないことでしょうが、「議論内容」そのものへの疑問ではありません。

by ちょちょんまげ (2008-06-17 12:20) 

PseuDoctor

こんばんは。

元のニケさんのエントリとは離れまして「信奉者を説得の対象にするかどうか」という論点について述べさせてください。
私もどちらかというと信奉者には冷たい方なのですが、そんな私にもnewKamerさんの御意見は(以前から仰っている事と重なる部分があるとはいえ)大いに腑に落ちるものでした(特に「必要条件ではなく十分条件」のあたり)。
おそらく殆どの方は「信奉者を説得できた方が良いか」と問われればyesなのでしょう。ただそこまでは手が回らない人とか、諦めている人とか、棚上げにしている人とか、色々な方がおられるという事だと思いますし、それぞれの立場があって当然だろうと考えています。
私自身の場合も、基本的には「ダメなら仕方ない」と思いつつも「結果として説得できたらいいな」とムシのいい事を思っている部分も多少はあります。

あと、きくちさんとnewKamerさんとの御意見の対比で言えば「信奉者」の指し示す範囲が少し異なっているように感じます。私の記憶している限りでは
きくちさん「ガチガチのビリーバーは説得できない」
newKamerさん「ゆるいビリーバーまで殺さないでください」
という感じで仰っておられたと思うので、全く相反する意見という訳でもない様に感じます。つまり「科学-非科学」の軸と同様に「批判者-どっちつかず-信奉者」の軸もグラデーションで連続的に繋がっているので「信奉者」という言葉の示す範囲にも注意が必要なのでしょう。

ただ勿論、newKamerさんの御懸念も解ります。以前どこかで「解り易いスローガンの弊害」について皆さんに教えて頂いた事がありましたが、確かに「ビリーバーは説得できない」というのはスローガン化し易い言葉であり、都合よく引用される危険性があるな、と思います。「ガチガチのビリーバーは説得できない」とすれば、また随分と印象が変わる様にも思えます。
by PseuDoctor (2008-06-17 22:14) 

pooh

> newKamerさん

それでもぼくはnewKamerさんと目的は(最終的には)同じだと思いたいし、ぼくにとってnewKamerさんのご意見がありがたいものであるのと同じくらい、newKamerさんのお役に立てる論考が提示できれば、と思っています。まぁ、力量的に限界はあったりする部分はご容赦いただいて、志だけ。
by pooh (2008-06-17 22:38) 

pooh

> せとともこさん

究極的には、やり方はそれぞれなんですけどね。それぞれのひとが、いちばん有効だと思うやり方をするしかない。もちろん、そのやり方に問題があるとすれば、互いに批判しあうことにも意義があります。

例えば、ぼくの文章にはわりと「思った、感じた」が頻出します。そう云う文体を採用しています。そのことが原因で文意が曖昧になったらそれはぼくの責任ですが、その文体で曖昧さができるだけないように書く、と云うことをこころがけています。

例えば(この部分、Narrさんが深堀されていますが、またそれに較べるとぼくの理解はだいぶ浅いのですが)すべての批判は「人格否定」になり得ます。批判を受ける側が自分の意見と自分の人格を分離して考えていなければ、称揚以外の意見はすべて人格の否定です。これは言及する側、対話しようとする側がどんなに気をつけていても、自動的にそうなります。

何が云いたいのかと云うと、結局は加減の問題だよなぁ、と云うことです。それだけに難しいし、特定の方針が万能だったりも、たぶんしないんですよね。

> > たんに「言いたいだけ」なのか「言うことで今後の行動に影響を与えるか」を斟酌することが議論・討論の初めには必要と思います。

ただ(何度か云っていますが)おとなの発話者には、自分の言説に伴う責任と云うものがあります。「言いたいだけ」で何を云ってもいい、と云うことにはなりません。
あれ? ちょっと違うな。
多分、ぼくは「責任の取れる範囲なら何を云ってもいい」と考えているらしいです。で、そのうえで、云ったことに対して(ネガティヴ・ポジティヴ両方で)反応が来ることを受け入れること、反応に対しては可能なら誠実に対応すること、が必要だ、と考えているようです。

あと、

> 「ニケさんが誤った情報を引っ張り出してきて牽強付会、自論に持ち込んだと言う分かりやすい事例を挙げることで、今後、初心者が対応するときのためにFAQhttp://www39.atwiki.jp/cactus2/くらい読もう」と。

これはちょっと違います。
「すぐ読めるし読みやすいんだから、何度も読んでよ、ニケさん」と云う以上の意味はもともとありません。
by pooh (2008-06-17 22:41) 

pooh

> ちょちょんまげさん

いらっしゃいませ。

まず、ぼくの元のエントリは、ニセ科学批判の文脈にそのまま乗ったものです。お読みいただいたとおり、「水伝騒動」の文脈とは切り離されています。で、コメント欄での議論は属人的な議論と云うよりは本質的には「具体例に即したケーススタディ」です。ケーススタディを属人的、と考えることも可能でしょうが、ちょっと違うと思います。

・・・とまぁそのはずなのですが、複数のひとが特定の背景をご存知で、でちょっとその背景からの情報を切り離して論じるのも難しい、と云う状況もあったりはするわけです(知っていて、その知っていることからある程度精度の高い類推が可能な状況で、そのことを切り離して考えるのは難しい)。ぼくも多少、そちらに触れるようなことは云っています。

そう云う意味で、通常ここのコメント欄で行われているような「ニセ科学批判の文脈にのっとった議論」からははみだす部分があるのは事実です。程度問題の範疇を大きく超えているようなことはないと思いますが。
by pooh (2008-06-17 22:42) 

pooh

> PseuDoctorさん

> こまでは手が回らない人とか、諦めている人とか、棚上げにしている人とか、色々な方がおられるという事だと思います

ぼくは「向いてない」(と云うか、そちら方面には能力が足りない)人間だと自分で思います。

ぼくの場合、ビリーバーは相手にしない、と云うことではないんです。切り分けとしては、信じているかどうかよりも、主張としての意味合いの強さで切り分けている気がします。
by pooh (2008-06-17 22:59) 

ちょちょんまげ

>poohさん
ご説明、ありがとうございます。
了解いたしました。
by ちょちょんまげ (2008-06-17 23:05) 

きくち

PseuDoctorさん
おっしゃるとおりで、newKamerさんの考える信奉者の範囲と「信奉者」がずれていると思います。
「信じる側も多様である」というのは、僕が講演の際には話すことで、信じかたもいろいろです。
 
「ガチガチのビリーバー」の話をしているというより、ある意味でトートロジーでして、「説得できないほどのビリーバーは説得しない」というような意味です。
説得できないほどかどうかは対話を通して見極めているつもりなのですけど、どうやってとか、何を根拠にとかは人に伝えがたいです。こういうのは、勘と経験なので(^^
そういう意味では、「説得の通じないビリーバーがたくさんいることを知っているので、そういう人たちに対しては説得の努力をしない」と言ったらいいのかな。

by きくち (2008-06-17 23:32) 

PseuDoctor

>切り分けとしては、信じているかどうかよりも、主張としての意味合いの強さで切り分けている気がします。

以前に伺った事のある「言葉のリーチ」と関連しているような気がします。強い主張を持つ人に対して言説を届かせるのにはリーチが足りない、そんな風にお感じなのかな、と。

能力というより、やっぱり適性の問題なのかも。
by PseuDoctor (2008-06-17 23:42) 

PseuDoctor

>きくちさん
コメントが入れ違いになってしまいました。
なるほど、トートロジーですか。実感のこもったお言葉ですね。
何とか一言で表現しようとするなら、
「いくら言っても解らん奴には通じない」
というところでしょうか。
by PseuDoctor (2008-06-17 23:51) 

pooh

> ちょちょんまげさん

いや、微妙な部分があるとは思っています。
by pooh (2008-06-18 07:58) 

pooh

> きくちさん

基本的に「対話が成立しなければそこまで」と云う以上の話ではないのではないでしょうかね。
by pooh (2008-06-18 08:00) 

pooh

> PseuDoctorさん

みなさんとお話ししているうちになんとなく分かった気がするのですが、ぼくについて云えばnewKamerさんのおっしゃるような切り分けで言及の範疇・対話の対象を考えているわけではないようです。
どうも「その言説が他者に向けられた主張であると判断できるか」が基準になっているみたいですね。どんなことにもとづいて切り分けているか、と云うと自分でもちゃんと説明できないですが。

あぁ、いやまぁ、ぼくの基準なんてどうでもいいことですけど。
by pooh (2008-06-18 08:06) 

TAKA

ニケさんの言いたかったことは、こんな感じ?「絶望した。批判が目的で、批判を継続する賢者たちに。私は決して、同じ過ちをしたくない。たとえこの身に、ニセの災厄が、現実に振りかかろうとも。たとえ他人の、ニセ科学な趣向でさえも。逐一突っ込みを入れる批判者の、嬉しそうな姿を苦苦しく見るのは、もうたくさんだ。」

色々な思いが有りますな。ニセ批判をする人、それを見て思案する人。私の場合、次のような思いかも。
「DAIGO風に言うと、こんな感じ?(^-^」「ていうか、ここのコメント欄の深いやり取りには、超マジやられましたね。」
「漢詩で言うと、こんな感じ?(^-^」「杜甫は読みました。登楼を。 諸葛亮は読みました。梁甫吟を。」

ニケさんは今、途上と言ったところなのかも知れませんね。ニセ科学批判の意味、意義を知るための道を。私も以前、似たような事を考えましたから。「しつこく批判する動機は、ただの優越感?(^-^」「批判された人の感情は、一切無視?(^-^」

今はこんな感じです。「とにかく自分自身は、『言説。』ただ、それのみを見て、判断する。関心の無いことには、すぐに飛びつかない。まずは、信頼できる人の意見を参考にすること。思いを述べるのは、考えがある程度まとまった、その後で。」
何しろ諦めましたから。「すべての人に届け、この思い。」という考えは。「異論に対してイチャモンをつけるのは簡単だけど、ポケモンのような正しい批判の接し方は、ベリー難しい。」という感じですね。

ちなみに私は以前、自分中心な、ひねくれた考え方を持っておりました。しかし今は、少しは良くなったかも。科学の考え方に触れたのが、一番の理由ですね。「宇宙物理、進化論、量子論。」「ニセ科学批判の有り様。」「余分な部分を廃し、必要な部分を読み取る。」これらを学ぶうちに、視点が変わり、以前よりも幅広く、社会が見えるように成った気がシマスーニィャ。

また、若い頃に土木や林業を通じ、自然の摂理に触れていたのも、良い寄与をしているのかモルフォン。いや、実は悪徳商法関連の勉強が、一番良かったのかシラー?

『詐欺師の歌』参考:ベートーヴェン第九合唱(よろこびの歌)
花咲くマルチに いこえるネズミ 吹く風さわやか みなぎる詭弁
心は楽しく 貯金もあふれ 響くは 詐欺師の よろこびの歌

『詐欺被害の歌』
増えたる利息に おびえる日々を 貯金は消え去り 詐欺師と共に
マルチで綻び みんなで破産 見かわす我らの 引きつる笑顔

『墓守りの歌』
枯れたる林と漂う塵よ 小鳥は飛び去り荒地の空に
心は穏やかここから去れば 見渡す限りの瓦礫の大地

夢散る彼の地に眠れる友よ 鎮まぬ棺の呻きと共に
心はいくらか憂いをなして 響くは我らが墓守りの歌

…ちらっと歌ってみました。
by TAKA (2008-06-18 23:15) 

pooh

> TAKAさん

絶好調ですね。

> 何しろ諦めましたから。「すべての人に届け、この思い。」という考えは。

でも、届くこともあるんです。届いたこともあるんです。
そこを信じたい、みたいな感じですかね。
by pooh (2008-06-19 07:39) 

pooh

ところでこのエントリ、タイトル以外は間違っても「愛」について語っているエントリじゃないのに、なんだかふしぎなリンクのされ方をしている模様。
お越しの方にがっかりされてしまうかもなぁ。ぼくのせいじゃないといえばないんだけど。
by pooh (2008-06-20 07:53) 

ちがやまる

「議論」という姿に昇華できない魂たちを"Guardian Angel"さまが救って歩いている、という、これはやっぱり愛の姿そのものではないでしょうか。
by ちがやまる (2008-06-20 14:38) 

黒猫亭

看板を見て「鼠が棲んでいるのだろう」と思った猫がそこに入っていくと、そこには何故か世界で一番有名な熊がいて、逃げようと思いながら振り返ってよく見たら、その熊は守護天使だったという窮めて複雑な御伽噺ですね。
by 黒猫亭 (2008-06-20 16:23) 

pooh

> ちがやまるさん

いや、えぇと、恥を晒しますが。ってえか以前にエントリで挙げたこともあるんですけど。

ぼくが所属しているとある秘密結社(^^;では、通り名はルール上ドイツ語なんです。で、ぼくはSchutzengelなんですけど、サイトのスタート時にスペルを間違えてしまって。

そう云うわけで、ドイツ語のはずがスウェーデン語になってしまったのでした。
by pooh (2008-06-20 23:35) 

pooh

> 黒猫亭さん

そう考えると、ここは猫旦那の餌ですね。
サイト名とハンドルとURLがばらばらだとけっこうややこしいですね。
お伽噺と云うか、マハーバーラタのエピソードみたい。

サイトタイトルはトリプルミーニングぐらいあるんですが、シンプルに翻訳すれば「薄汚い単車」くらいの意味です。
URLはまぁ説明したとして、ぼくは四半世紀前くらいからあるコミュニティでpoohなので、そのまま名乗ってます。その昔の無垢で愛らしかったぼくの姿を見て、周りのひとたちが名付けてくれたままです。
ってえかkikulogで初めて書き込むときに、この名前を名乗ればきくちさんはこっちが誰か分かるので名乗って、そのまま続いているだけですけどね。
by pooh (2008-06-20 23:41) 

黒猫亭

>poohさん

>>サイトタイトルはトリプルミーニングぐらいあるんですが、シンプルに翻訳すれば「薄汚い単車」くらいの意味です。

ああ、バイク関係のスラングでしたか、元バイク乗りのくせに恥ずかしながら識りませんでした。なんとなく「ステンレス・スチール・ラット」を連想していたというのはヒミツです(笑)。

バイク関係のスラングでオレが識っているのは、白バイ警官のことを「PIG ON THE HOG」と呼ぶというのがありますね。これは直訳すると「豚に乗った豚」という意味ですから、まあどういう階層の間のスラングかは推して知るべしですが(笑)。

調べてみたら、アメリカ英語では「PIG」というのは一定の体重に満たない子豚のことで、「HOG」というのは成長した大人の豚というほどの意味らしいですから、でかい豚に乗った子豚というのが正確なのかな。

これは元々ハーレーダヴィッドソンのフルカウルでヴォリュームのあるバイクのことをHOGと呼んだことから来た洒落みたいです。でかい豚みたいなバイクに、着膨れしてゴーグル掛けた豚みたいな奴が乗ってやがるぜ、と。

で、ハーレーサイドでも自社のバイクのことをHOGと呼んでいるらしくて、有名なオーナークラブの略称もH.O.Gですね。こっちは「ハーレーオーナーズグループ」の略だそうですが、偶然じゃなくて意図的な洒落みたいです。

http://www5.airnet.ne.jp/hobby/dictionary.htm

さすが、バイク乗りの世界は荒っぽくておっかないです(笑)。
by 黒猫亭 (2008-06-21 07:38) 

pooh

> 黒猫亭さん

ヒミツ、って、典拠のひとつをばらされてしまった(^^;。
いや、ほんとはハーレー以外のバイクでRatって云い方はあんまりしないし、うちのはカワサキなんですけどね。

ハーレーを囲むカルチュアってのは、もともと「つくる側」じゃなくて「乗る側」が形成して来たもので。でも、ある時期(たぶんウィリー・Gがデザインを仕切るようになった頃)から、つくる側もわりと積極的にそのカルチュアに近づいていくようになった、と云うような経緯があるような気がします。スラングとしてのHOGと云う言い回しは古いんですけど、H.O.G.(これはハーレーダビッドソン社自身が主催するオーナーズグループです)の歴史はけっこう浅いんですよ。フランチャイズごとにチャプターを置く、と云うモーターサイクルクラブのスタイルを、ハーレー社自身が真似た、と云う部分もあるのかな、と云う感じです。
by pooh (2008-06-21 07:57) 

黒猫亭

>poohさん

>>ヒミツ、って、典拠のひとつをばらされてしまった(^^;。

あ、マジでそうだったんですか(笑)。そうすると、このご清潔な電脳社会のゼンタイシュギ的なシステムの網の目をかいくぐって世界を救ったりリクルートしたりするわけですね。などと言ってはみたものの、実はハリスンは一冊も読んでいないんじゃなかったかな、オレ。格好良いSF作家ってイメージはあるんですけどね。

とりあえず、ネタバレをして申し訳ないので、お返しにウチのブログタイトルの典拠をバラしても構いません←いや、バレバレなんですが、poohさんはミステリを読まれないらしいからご存じないかも(笑)。

>>いや、ほんとはハーレー以外のバイクでRatって云い方はあんまりしないし、うちのはカワサキなんですけどね。

やっとヒントがもらえたので調べてみました。「RAT BIKE」のRATってわけですね。で、以前のコメントと突き合わせて考えると、カワサキ乗りで日本ではそれ一台しかない珍しいエンジンを積んだバイクというと、タンデムツインの憎い奴で、多分ライムグリーンですかね。結構旧いバイクですが、あの時代のカワサキは電装系がヤヴァイと聞きました。今でもちゃんと生きてるんですか?

まあ、珍しいエンジンのバイクと言えば、ニセV4エンジンを積んだヤマハのRZV500とかありましたが(笑)。ヤマハ、ホンダ、スズキ車までは乗ったことのあるオレですが、カワサキ車だけは乗ったことがなくて、その前にバイクを降りてしまいました。

バイクの嗜好としては、VT系が好きですね、あの自己主張のないカローラ感がたまりません(笑)。ボトムズのスコープドックのような無個性さというか凡庸さというか、そのくせしっかり働くぜ的な実直さが逆にいいですね。数々乗り継いだVT系の中ではSPADAが一番好きでした。

あ、今気が附いたんですが、こういうネタなら、スカイクロラのエントリーに書き込めば好かったんですね(笑)。
by 黒猫亭 (2008-06-21 09:40) 

pooh

> 黒猫亭さん

いや、べつに内緒でもなんでもないのでネタばれは構いません。
ちなみにそちらがどうバレバレなのかもわかりません(^^;。ごめんなさい。

で、そのバイクではないです。現行の、どちらかと云うと重量車です(比較的とろくさいタイプの)。
と云うか、そのバイクはぼくにはもはや乗れません。乗ると面白いんでしょうけどね(2サイクルだし。昔、ヤマハのSDR200を借りて乗っていたときは面白かった)。

> > ニセV4エンジンを積んだヤマハのRZV500

憧れですね、当時もいまも。あのエンジンって、前2気筒と後ろ2気筒の設計チームが別だそうですよ。滅茶苦茶な話ですが。

> バイクの嗜好としては、VT系が好きですね、あの自己主張のないカローラ感がたまりません(笑)。

保有したことはないですが、名車中の名車ですよね(スーパーカブと同じ意味で、と云うのはけして皮肉でも揶揄でもなく単なる絶賛です)。

> こういうネタなら、スカイクロラのエントリーに書き込めば好かったんですね(笑)。

あぁ、そうかも。
でもまぁいいんじゃないでしょうか。ここ、コメント欄の複線化がわりとふつうに起きますから。
by pooh (2008-06-21 19:09) 

alice

poohさん

>それはそれとして、面白いですよ。フロベールの「紋切型辞典」。

このダメ押しに惹かれて図書館で借りて読み始めたのですが、まじで面白いですね。たった30ページ読んで面白すぎて買うことを決めました。

というか、2項目目の

アイスクリーム屋[glacier] みんなナポリ生まれ。

妙にどつぼにはまって、これだけで悶絶です。
by alice (2008-06-21 20:55) 

pooh

> aliceさん

猛烈に面白いでしょ。
でも実は、笑える、ではすまないんです。冷静になると、けっこう恐ろしい書物でもあります。我々の思考がどのようなものか、を裏側から透かして見せられてる、と云うか。
by pooh (2008-06-21 22:12) 

ちがやまる

一昨日は単車の話が出たところで "Easy Rider" を思い出してPeter>Hery>,...とグーグルの遍歴に出たまま帰ってこれませんでした(カリフォルニアのサリーナあたりにたどり着いたような記憶が)。
ゆうべは、「アイスクリーム屋」のまねをしてみようと頭をしぼって、、、結局寝入ってしまいました。

それにしても、救われない魂たちは大変ですね。私には、見守る、ということしかできませんが。
by ちがやまる (2008-06-22 15:21) 

pooh

> ちがやまるさん

なんだかひねったコメントが流行ってるのは、きっとTAKAさんのせい(おかげ?)にちがいない。

よくわからないんですけどね。強弁を積み重ねるような議論をしていると、そのひとの言葉のどこまでを信じていいのか、どこまでを読み取ってほしいのか、示せなくなってしまうんです。それって、ご本人にとって損だと思うんですけどね。
by pooh (2008-06-22 16:30) 

黒猫亭

思うに、日頃poohさんがあんまり「過疎ブログ」だなんて言うもんだから、ここの閲覧者なんて二、三〇人くらいだと思われているんじゃないですかねぇ。
by 黒猫亭 (2008-06-23 21:50) 

pooh

> 黒猫亭さん

いやまぁ、さすがにそこまで少なくはないですけど。kikulogみたいに日に30,000とかPVがあるところと較べれば、それはまぁ過疎だ、と云う話で。

で、いつも云ってますが、侮られるのは大歓迎です。構えられるよりはいろんな意味でいいです。
by pooh (2008-06-24 07:53) 

alice

kikulogって3万PV/日ですか、さすが。
どうりで、ふまがkikulogに私のブログのURL貼ったら、びっくりするようなアクセスがあったわけです。3万のほんの2%でも気まぐれにリンクをクリックしたら…2日間はちょうどそんなアクセスの伸び方でした。
後は時折poohさんところとTAKESANところからいらっしゃる人がいました。

それまではほんとに黒猫亭さんがおっしゃるぐらいの過疎ブログだったんで少しびびりました(何しろブログ自体始めたばっかだし)。(^^;

今は、だいぶ落ち着いてきてほっとしています。

>poohさん

【侮られるのは大歓迎です。構えられるよりはいろんな意味でいいです。】

なるほど~。
構えられてしまうと、情報の伝達を控えられてしまい、結局お互いを理解しにくくなるということかなと思いましたが、これで合ってますでしょうか?

しかし侮られていると感じてしまったら、しばらくの間は頭がカッカしちゃって、おさまらないですよね。人間て(たぶん)そういう風にできてるんで、そこはしょうがないですね。(大歓迎と言えるpoohさんはすごい)

ちょっと話が逸れてしまいますが、それは進化上そういう風な反応をするほうが、生存に都合が良かったからとか、そういうのあるんでしょうかねぇ。そう考えるとこの問題は興味が尽きません。(そしてまた読みたい本が増えてしまう…orz)
by alice (2008-06-25 18:09) 

pooh

> aliceさん

> kikulogって3万PV/日ですか、さすが。

これって上に表示されているカウンタを読んだだけですけどね。さすがにユニークユーザじゃないだろう、とか思います。

> 構えられてしまうと、情報の伝達を控えられてしまい、結局お互いを理解しにくくなるということかなと思いましたが、これで合ってますでしょうか?

それもあります。いろいろです。
ひとを侮っているときの言葉には、その人間のとりつくろわれていない素の中身がそのまま出る、と云うのもあります。

> 大歓迎と言えるpoohさんはすごい

すごくないですよ。単に陰湿なんです。

> それは進化上そういう風な反応をするほうが、生存に都合が良かったからとか、そういうのあるんでしょうかねぇ。

その辺りは分かりませんが、怒りとかそう云う心理の動きはなんと云うか、ヒューリスティックに合理的だったりする場合もあるだろうと思います。当て推量ですが。
by pooh (2008-06-25 22:37) 

黒猫亭

>aliceさん

たしかにkikulogは凄いですが、apjさんのところもそれに近いレベルのアクセスがあるはずです。オレのブログなど、どう考えてもアクセスを稼げるような性格のものではないですが、過去にいろいろな方に採り上げて戴いたお陰で、まあコンスタントに三桁台のアクセスはあったんですが、apjさんのところで採り上げられたりするとアクセスが数倍に伸びて四桁台まで届きますから。

さらに言うと、こちらも敢えてはてなを避けて実験的にSo-netを選ばれたそうなので、はてな的な見え方からするとそんなに目立たないですが、きくちさんやapjさんのところと比べても、一桁くらいしかアクセス規模が違わないはずですよ。

つまり、ここも見た目以上に(というとpoohさんに失礼ですが(笑))人目に立つ場所だということですから、こちらに書き込みする以上はそういう公然性は意識したいものですね。勿論オレは二、三〇人しか覗いていない場所でも同様な公然性は生起すると考えていますが、そういう考え方をなさらない方もいらっしゃるようです。
by 黒猫亭 (2008-06-25 22:50) 

PV

20000PV前後です。ユニークではないし、PVなので一度に10ページ見たら10PVです。仕様なので、しかたないです。
たぶん人数にしたら1/10以下では

by PV (2008-06-26 09:54) 

alice

フロベールの「紋切型辞典」ですが、役者あとがきを見ると、「アイスクリーム屋[glacier] みんなナポリ生まれ。」がなぜおかしいのかが見えてきますね。
ありえないほど極端に一般化しているくせに、どっかにそういうこと言う奴がいそう、という奇妙な実感がないまぜになって、何とも言えないおかしみがあります。
もともとフロベールはこの本を、“良く考えたら全く馬鹿らしいこと”を訳知り顔に言う人間への皮肉として書こうとしていたそうです(未完成で亡くなってしまった)。

そこで思いついたのですが、「ニセ科学批判紋切型辞典」というのはどうでしょう。

ニセ科学批判者: みんな上から目線
ビリーバー: 説得できない

みたいな。
(ちがやまるさんもそれをやろうとしてるうち、寝入ってしまったのでしょうか?)
by alice (2008-06-26 15:32) 

ちがやまる

(爆笑) お見事です。ちょっと太刀打ちできそうにないですね。
by ちがやまる (2008-06-26 16:03) 

pooh

> 黒猫亭さん

なんかうちのアクセス解析をクラックでもしてらっしゃるように、妙に的確にうちのアクセス状況をご存知で。なぜかしら。

ちなみにPVとユニークアクセスとユニークユーザは分けて考えないとややこしい話になります。うちはブログのつくり的にユニークユーザに対するPVが多くなる傾向にあります。例えばTAKESANちと較べると、1日のユニークユーザ数は同じでも(で、読まれている内容も同じ量だとしても)数字としては倍とかになったりもするのかも。
by pooh (2008-06-26 22:10) 

pooh

> PVさん

って、きくちさんですよね。名乗り方が某たんみたいになってますよ。

30000PVって数字は、この話題が出たときにkikulogに表示されていた「前日のアクセス」です。

ちなみにうちはPVとユニークユーザで10倍も変わらないなぁ。
by pooh (2008-06-26 22:12) 

pooh

> aliceさん

「紋切型辞典」の恐ろしさは、そこに挙がっているものがすべて「うがっていて、真実をエスプリたっぷりに言い表しているように見えて(と云うことはその発話を受けた者にそう云う印象を与えながら)、じつはなにも云っていない」と云うことにあるんだと思います。

挙げられた例、ありがちなようで、実は相当深いです。
by pooh (2008-06-26 22:15) 

pooh

> ちがやまるさん

そう云うわけで是非、「紋切型辞典」のご一読を。
by pooh (2008-06-26 22:16) 

黒猫亭

>poohさん

実はそちらのアクセス解析をクラックしているのです(笑)。いや、どこだか忘れましたが、以前仰っていたことと、こちらでウチのエントリーを紹介して戴いた時にこちら経由で来られた閲覧者の割合からの推測です。

どのくらいのレベルかまではわかりませんが、四桁クラスのPVがなければああいう動きにはなりません。何というか、それにしては内輪の掲示板みたいな感覚のコメントが最近多かったな、という話でして(笑)。
by 黒猫亭 (2008-06-26 22:39) 

pooh

> 黒猫亭さん

鋭いです。3桁でも5桁でもありません(5桁のわけはないか)。

> 何というか、それにしては内輪の掲示板みたいな感覚のコメントが最近多かったな、という話でして(笑)。

おっしゃりたいことは分かります。
by pooh (2008-06-26 23:05) 

きくち

はは、ふまくんみたいになっちゃったね。PVは僕です。
真剣にアクセス解析してないので、1/10というのは単なる勘です。

by きくち (2008-06-27 00:18) 

pooh

> きくちさん

短いコメントでも文体でわかるね。

ちなみにkikulogもうちみたいにPVがふくらむつくりじゃないので、実際は1/10以下、ってことはないと思う。
by pooh (2008-06-27 07:40) 

pooh

2008-06-26 22:10のぼくのコメントで、TAKESANさんの名前が敬称略になってしまった。ごめんなさい。
by pooh (2008-06-27 08:45) 

ちがやまる

poohさんがサリンジャーを挙げておられましたが、「にんじん」「博物誌」のルナールなんかにも近いところがありますか。下のリンク先に全文があるようです。<紋切型
http://membres.lycos.fr/gustaveflaubert/pagedegarde.htm

ちなみにアイスクリーム屋の箇所は
「GLACIERS : Tous Napolitains.」
となっています。どうも、ソフトクリームのことを glace italienne という(らしい)ところに引っかけたんですね。
ウェブの翻訳サービスでは追いつけない生活感みたいなものを知っている必要もあるでしょうから、面白さには翻訳者のセンスも寄与している可能性がありますね。 あ、もう嵌りかけてるかも。
by ちがやまる (2008-06-27 10:04) 

TAKESAN

お早うございます。

敬称つけ忘れは、全然気にならないです。むしろ、これは敬称をつけるべきかどうなのか、というのを考えさせてしまう自分の名前の付け方のセンスを疑います。音を脳で再生しながら入力すると、つい付けた気になってしまう、という事もあるでしょうしね。「たけさんさんち」なんて、舌を噛みそうです。

まあ、意図的につけない場合でも、ああ、つけ忘れだな、と思えるので、便利でもあります(笑)

ちなみに、私の所は、アクセス数は訪問者数(←ココログ式)の3・4倍です。
by TAKESAN (2008-06-27 10:57) 

ちがやまる

けさの続きですがこんなのもありました。
SCIENCE : Un peu de science écarte de la religion et beaucoup y ramène.
科学 卑小な科学は信仰から離反し、偉大な科学は信仰に回帰する。

フローベールは彼の生きた時代に、こういう考えをおちょくる視点を持っていた人だったのですね。
by ちがやまる (2008-06-27 13:33) 

pooh

> ちがやまるさん

ポイントは、「気が利いているようで、発話者にも受話者にも思考停止しかもたらさない用語」と云うところにあるので、実はルナールとは真逆かも、です。
by pooh (2008-06-27 21:31) 

pooh

> TAKESANさん

あぁ、やっぱりそうなりますか。ぼくはもう少し乖離が大きいです。これは仕組みと云うか書き方の問題。
ぼくの場合、トップから入った方は興味をおもちの話題しかお読みにならないと云うつくりなので、PVは基本的にそのまま「ちゃんと読まれた数」になります。TAKESANさんのところは1アクセスで複数エントリをちゃんと読み込む方もいるわけなので。
by pooh (2008-06-27 21:35) 

ちがやまる

たしかに真逆ですね。書いてあることは。書いた人の視点は似てるかな、と思ったもので。ところでフローベールってダーウィンと時代が相当重なっているんですね。
DARWIN : Celui qui dit que nous descendons du singe.
ダーウィン:私たちが猿の子孫だと言った人
by ちがやまる (2008-06-27 21:55) 

pooh

# 自分で投稿に失敗してしまった。

> ちがやまるさん

要するに、「社交の会話」なんですよね。
コミュニケーションの意義をどう捉えるか、と云うのは状況や当事者たちの資質によりけり、と云う部分があるんでしょうけど、基本的には「なにも伝え合わないコミュニケーションのための用語集」と云うか。

さんざん話題にしておいてやっと平凡社ライブラリー版の「紋切型辞典」を引っ張り出して来ました。"SCIENCE"は「学問」の項目になってますね。

学問:なまかじりは宗教から遠ざからせ、深く究めればふたたび宗教に立ちもどらせる。

ちがやまるさん訳のほうが格調高いですが、実用を考えると口語訳のほうがいいのかも。しかしこの言い回し、19世紀にすでに「紋切型」だったわけですね。

ダーウィン:われわれの祖先は猿だと言った男。

用法としては揶揄を込めて口にし、場に居合わせた人間は笑いながら同意を示して盛り上げるのが礼儀なんでしょう。空気をコントロールするマニュアル、とも捉えられます。

ところで今回10年ぶりくらいに拾い読みしていてひっくりがえったのが、

革新:つねに「危険」。
仮説:しばしば「危険」、つねに「大胆」

の2項目でした。
紋切型って表から使っても裏から使っても、対話や議論の意義を無化する強力な力を持っているみたいですね。
by pooh (2008-06-28 08:45) 

pooh

> 表から使っても裏から使っても

わかりづらいな。
「肯定的に使おうが否定的に使おうが、そのフレームワークのなかで思考する限り」みたいな意味でした。
by pooh (2008-06-28 09:08) 

田部勝也

いつも流れぶった切って申し訳ありません。田部勝也です。

自分は、たくさん人が見ているところに書き込むほうが気分が楽です。間違った事やとんちんかんな事を書いてしまっても、誰かが訂正してくれると期待できますから。
逆に、自分の間違いを正してくれる人が期待できない場所で喋るのは、とても緊張します。あとで「まずい事を言ってしまった」と気づいたけど、もはや訂正する術もない……というときの、なんとも言えない罪悪感と自己嫌悪は、耐え難いものがあります。

そんなわけで……、

>黒猫亭さん「何というか、それにしては内輪の掲示板みたいな感覚のコメントが最近多かったな、という話でして(笑)」

黒猫亭さんに限らず、どのへんが「内輪の掲示板みたいな感覚のコメント」だったのか教えて頂けると幸いです。同じ過ちを(しかも自分でそれと気づかずに)繰り返すのは何よりとても嫌なので、この機会にはっきり指摘して頂けないかと期待しています。気になって夜しか眠れません。
by 田部勝也 (2008-06-28 22:12) 

黒猫亭

>田部さん

ああ、紛らわしい書き方をしてすいませんが、田部さんのことでは決してありません。それはオレが関与した対話に関する感想ではなく、別の方の対話に関する野次馬としての意見です。
by 黒猫亭 (2008-06-29 09:27) 

黒猫亭

>poohさん、TAKESANさん、きくちさん

オレはニフからネット歴をスタートしたものですから、判断に困ると取りあえずニフにしとけ、みたいな悪い癖がありまして(笑)、ブログ開設の際も結局ココログにしてしまいました。こういう人間はニフからしたら絶好のカモですので、貧乏人のくせにうかうかと有料会員になってしまったわけですが、お陰様でけっこうアクセス解析は優秀なものが使えます。というか、オレ的な有料会員としてのメリットとしては、それ以外だとあの変な自前のデザインが使えるということしかないんですけど(笑)。

で、ウチの作りから言うと、まずトップページはpoohさんのところ同様目次としてしか役に立ちませんので、個々の記事を読んだか読んでないかはすぐわかりますね。詳細ログを調べれば、行動履歴も把握出来ますので、エントリー本文にアクセスしても数十秒後に別のエントリーに移動したりしていればマトモに読んでいないだろうということがわかります。

そういうふうに、割合詳細に読み手のアクションがわかりますので、一般的な読み手の傾向なんてのもわかります。ウチの場合、とにかく片っ端からエントリーを開けていって、どれもちゃんと読まない訪問者の割合が多いですね、本文の性格上(笑)。で、大体の傾向を見ておいて、後から改めて特定のエントリーを読む、というパターンで定着される方が多いようです。勿論、検索から飛んできてはみたものの、その後二度と来ないという人のほうが圧倒的に多いですけど(笑)。

で、大体PVとユニークの比率は平らに均すと半分くらいの割合です。ウチくらいのアクセス規模だと大体半分くらいで、作りにも拠りますが規模が膨らんでいくと段々開きが大きくなっていったりするのかな、という感じですね。
by 黒猫亭 (2008-06-29 16:35) 

pooh

> 田部勝也さん

> 間違った事やとんちんかんな事を書いてしまっても、誰かが訂正してくれる

それは田部勝也さんが、訂正を受け入れるスタンスでいらっしゃるから感じることができることで。…と云うようなことが、黒猫亭さんのおっしゃりたい種類の話だったと思います。
by pooh (2008-06-29 22:07) 

pooh

> 黒猫亭さん

単に(比較すると)うちのほうがエントリ追加の頻度が多い、と云うのもあるのかな、とも思いますけどね。とりあえずのぞいてみに来られる方とか。
by pooh (2008-06-29 22:09) 

田部勝也

>poohさん「それは田部勝也さんが、訂正を受け入れるスタンスでいらっしゃるから感じることができることで」

そこで、こちらのエントリ(↓)
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-06-18
の(2008-06-25 00:39)のコメントで書いた1つ目の問題意識ですよ。「その“認知的不協和”は、現在、社会として望ましい適切なレベルと言えるのか?」「その“認知的不協和”を、社会として望ましい適切なレベルに保つにはどうすれば良いのか?」という問題。
【注】ここでいう「認知的不協和」は本来の意味に加えて、「認知的不協和」の状態に陥った結果、精神分析でいう「防衛機制」のうち(好ましくない形で)「抑圧」や「合理化」が生じる事をも含めて使っています。

誰しも譲れない事はあるだろうし、なんでもかんでも自分のほうが間違っているかも知れないと思いながら生きていくわけにもいかないわけで、ある人がある事象に接して「認知的不協和」に陥った際に、常に自分に対して批判的な態度でその「認知的不協和」を解消する必要はないと思います。思いますけど、何度も引用しているように、以前『kikulog』に書いたような子どもたちの態度(↓)
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1164299987#CID1171442853
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1164299987#CID1171637869
に接してきた身としては、あまりにもあらゆる事に対して「訂正を受け入れるスタンス」がなさすぎるというか、ヒヨコの刷り込みじゃあるまいし、自分の第一印象・最初に得た認識への固執の異常さというか、まるで「自分の第一印象や最初に得た認識を少しでも疑う事は、あなたの創造主であらせられる神への冒涜である」という教義でも信仰しているのかと思ってしまうというか……。

要するにバランスの問題なんですけど、少なくとも、私個人としては「その程度の事で、それだけの強さの“認知的不協和”が発動してしまうというのは、人として(社会の中の“人”として、自分自身の幸せを追求すべき“人”として、両方の意味で)どうなんだろう?」と悩む部分が大きいわけです。
【注】しつこいようですけど、ここで「認知的不協和」という言葉は、本来の意味を超え、精神分析でいう(好ましくない形での)「抑圧」や「合理化」が生じる状態をも含んで使っています。

ものすごく単純化して考えて、それまでに自分の持っていた印象とか認識とかを、その印象・認識の(本人にとっての)重要度に応じて数直線上に並べてみたとしますね。で、ある印象・認識を否定するような事象に接した際に生じる「認知的不協和」の強さは、たぶん、重要度が高いものほど強く、低いものほど弱いのでしょう。
数直線上のどの範囲の印象・認識を否定されると、どの程度の強さの「認知的不協和」を生じるのかは、もちろん人によって違うのでしょうけど、社会の中の「人」として、自分自身の幸せを追求すべき「人」として、両方の意味で、あまりにそのバランスがいびつに過ぎる人が多すぎるように、私の目には見える──というのが、別エントリ(↓)
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-06-18
の(2008-06-25 00:39)のコメントで書いた1つ目の問題意識──「その“認知的不協和”は、現在、社会として望ましい適切なレベルと言えるのか?」「その“認知的不協和”を、社会として望ましい適切なレベルに保つにはどうすれば良いのか?」──の発端なのでした。

で、私が本当に「訂正を受け入れるスタンスでいらっしゃる」のだとしたら、(それが望ましい事だったとして)それを他の人ができない理由・できないようになってしまう理由が(もしあるのならば)知りたいものだなぁ……と、今は思うのでした。
実はこの問題意識は、私が教員を志す以前から持っているもので、自分にとっての最大の哲学的テーマ・人生論の課題と言って良いかも知れません。そういう意味では、あまり建設的・実践的ではない話に付き合わせてしまって申し訳ないのですけど……まぁ、それだけ悩んでいるって事で、お許し下されば幸いです。

【付記】最初のこの問題意識を表明したコメントで、
--------------------
ちょっと余談になりますけど、以前、亀@渋研Xさんのブログ記事「学校教育になにを期待するか」(↓)
http://shibuken.seesaa.net/article/87906746.html
で取り上げていただいた私のコメントは、私にとっては、この問題意識と根は同じだったりします。
--------------------
と書いた理由が少しでも伝われば良いのですけど……(本当は『事象の地平線』「指導要領解説」エントリに書いたコメントを引用したいのですけど、当該エントリがどこにも見当たらない……)。
by 田部勝也 (2008-07-03 01:29) 

pooh

> 田部勝也さん

あぁ、なるほど。すこしわかったような気がします(いつもながら鈍くてすみません)。認知的不協和と云う現象(なのか?)ではなくて、それを頻繁に起こす向きが増えているように見える状況とその背景を、ご自身の経験からお考えになっている、と云うことなのですね。
うむむ。これはひとまわりお話のフィールドが広くなるなぁ。ぼくが頻繁に口にする「紋切型思考の拡大」とも関連してくるのかも。論じるべき切り口はどこだろう。
by pooh (2008-07-03 07:45) 

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