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波動商売 [余談]

前のエントリ黒猫亭さんとちがやまるさん、OSATOさんにいただいたコメントにレスを書いていたら長くなって、しかも少し話がよそのほうに向かってしまった(いや、これはうちのコメント欄ではいつものことか)ので、独立したエントリにしてみる。
以下は現時点での個人的見解だし、有効な反論はいくつもありうる、と思う。と云うか反論募集。

話のそもそもは、江本勝氏の会社が販売している波動測定器が法外な価格だ、と云うこと(この辺はFSMさんがお水様で金儲けと云うエントリでちょっと詳細に触れられている。ところでぼくはHADOと云う綴りを見ると「ヘイドゥー」と発音したくなって仕方がなくなる。どうでもいいけど)。

金儲けと云うのをどう考えるか、商取引に関わる倫理・道徳と云うのをどう捉えるか、と云うのは難しい問題で。「そのことでお金を稼ぐこと」の是非、と云う話になると、携わる個々人の意識レベルではあまり簡単に云えなくなってくる。

きくちさんがよく云うことだけれど、「水からの伝言」とかそこで云う「波動」と云うものは、ニセ科学としても例外的なくらいにそのニセ加減がはっきりとわかるもので、そこに対して「科学」と云う角度から嘘だと指摘できる。そこにつけられている値段がいんちきだ、と云うのがわかる。

ただ、信じてしまえば、そのひとにとってその価格は正当だ、とも云うのも事実で。そして、どんなものにどんな値段をつけるのも、ある意味で問題ない、とも云える。法外な価格が、必ずしも良心に背くもの、とはならない。それは、支払うひとと受け取るひとのあいだで相互承諾が得られれば、その段階では問題のないものなので。

これは、実体がなく、根拠にも曖昧さがあるのに価格がつけられて流通しているものを連想すればわかりやすい。要するに、相場が立つもの。典型的には株価。
株価にはそれなりの根拠も理論もあるけれど、究極的には需給だけで決まる。そして、株価とその推移を解釈するにあたっては数多くのニセ科学的理論が存在する。違うのは、どれがうそでどれがほんとうかわからないこと(わからないから市場が成立する、と云う側面もある)。

ぼくが買った株式が値下がりした。ぼくは大損した。で、ぼくにその株を「値上がりしますよ」と云って勧めた証券会社の社員は売買手数料分儲けた。じゃあぼくは詐欺にあったのか、証券会社の社員は良心を曇らせていたのか、と云うとそう云う話にはならない。このあたりはその株を買うことを決めてお金を出したぼくの自己責任(端的に云って勉強不足)だからで、例えば実は値下がりするだろう、と云う予測を証券会社の社員が持っていたとしても、詐欺ではない(証券会社の社員の良心のありどころ、と云う話をすると微妙になってくるけど)。このあたり、「ニセ科学を信じて自分で損をするのは勝手」と云うロジックにつながってくる。

で、この原則があるので、ぼくには「ニセ科学商品を売って稼いでいる」ことについては、「それが嘘に基づいている」と云う部分を越えて批判することはあまりできない。市場経済である以上、売り手のモラルと価格は必ずしも連動するものではないので。
もちろん、ものに値段をつけて売るにあたっての売り手のモラルは存在する、と思う。でもそれは、レイヤーの違う話になるし、明確な基準のない巨大なグレイゾーンのなかでの話になる。

ぼくの議論は主に、「信じてしまう買い手側」に向けられている。
知っていれば信じてしまうこともないし、お金を払ってしまうこともない。これは株式でも同じ。ただ、江本氏の言説については、その本質を理解することはそんなに難しくない——株式と比較すれば。で、例えばぼくがここで行っている批判は、「専門的知識がなくてもここまではわかる」と云う演習だったりもする(いやこれ、現実問題として知識がないことについての開き直りだったりもするのだけど)。

そう云う意味で、例えばぼくは江本氏の良心を直接取り沙汰しよう、とはあまり思わない。彼の言説と行動(と商売)が完全な善意によるものであることもありうるし、そうでないこともありうると思っている。どちらであろうと、だから許容すべきとか云う話にはならないので(これはここでの議論につながってくる)。逆に云うと、江本氏が自分の波動理論のニセ科学性について完全にわかっていたからと云って、だからより罪深い、と云うことにはならない、とも思う(もちろん、一義的には、だけど)。

ただし、その誠実さについては問われるべき、だと考える(善意であることと不誠実であることは平然と両立し、同一の人物、集団のなかで同居しうる)。
また、商品にその本来の価値と比較して法外な価格をつけて販売することの是非について、問われるべきではない、と思っているわけではもちろんない。また、ものを売るにあたって社会全体の利益に反する販売技法を用いることをよしとしているわけでもない。ただ、多分それは(深く関連しているとしても)通常のニセ科学批判とは少し違ったレイヤーに属すると思うし、別の角度から精査された議論が必要になる、と思う。

ぼく個人としてニセ科学をどちらかと云うと「受け手側の問題」として捉える方向にあるのは、こう云うあたりの発想が背景にある、と云うことでした。要するに、テルミンPremiumと同じ価格で販売していても、だめなものはだめなんです。

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OSATO

poohさんの言いたい事は良く分るのですが、その対比として株を持って来た事には違和感があります。
株の場合はリスクもあるという事も覚悟した上での事だと思います(私自身株はやっていないので、その辺の所はあまり強くは言えませんが)。
が、ニセ科学にはそれがない。それが最大の違いであり、問題でもあるとも言えます。
株と比べるならば、ニセ科学の場合は限りなく詐欺に近いと思います。
しかし、売り手側も買い手側も、双方がそれに気づかないという事が往々にしてありうる訳で、だからこそそのリスクを訴える事が重要で、だめなものはだめだといい続けるしかないのだと思います。
ニセ科学そのものが罪深いものなんですよね。
by OSATO (2008-10-21 00:38) 

pooh

> OSATOさん

> 株の場合はリスクもあるという事も覚悟した上での事だと思います

そのリスク、と云うのをどれだけ覚悟するか、と云うのは結局自己責任ですよね。ぼくは機関投資家で働いてきたことがあるので、一般のひとと業界の人間のあいだでどれだけの情報の非対称があるのかを知っています(バブルの頃に、回りじゅうの知人に「株はやめておいたほうがいいよ」と云って回って煙たがられました)。でも、個人に株を売るほうはそのリスクをもちろんあまり強調しない。強調しないから詐欺か、と云えばそう云う話でもないですよね。

リスク、と云ったときに、例えば水伝ではそれほど生々しいリスクは感じられなかったりもします。でも、代替医療ならどうか。NATROM先生の昔のエントリで「代替医療は自己責任で」と云うのがあります。

http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20070315

云いたいのは、ひとえに「良心の問題」ではない、と云うことなんですよ。もちろんそこを軸に議論するのは可能だし有意義だと思いますが、議論のレイヤーが違ってくることは認識しないとまずいよなぁ、と。根拠が非科学的である、ニセ科学である、と云うのと、詐欺であるかどうか、と云うのは別の問題ではあるんです。

ただ、「騙される」(と云う言葉をあえて使います)側からすれば、分けられるべき問題ではない、と云うのもあると思います。

> 売り手側も買い手側も、双方がそれに気づかないという事が往々にしてありうる訳で、だからこそそのリスクを訴える事が重要で、だめなものはだめだといい続けるしかないのだと思います。

ここには同意します。
by pooh (2008-10-21 07:43) 

pooh

どうもわれながらわかりづらいな。

えぇと、「うそである」ことと「詐欺である」ことは違う、と云う話です(もちろん無関係ではないですが)。で、うそかどうか、詐欺かどうかと云うことにもそれぞれ広大なグレーゾーンがある。で、そのグレーゾーンのなかで判断する場合に、その判断の依って立つべき基準は別のものだ、と云う話です。
by pooh (2008-10-21 08:24) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

少し、変な方向から反論してみますね。価格は競争により適正化され相場が発生しますよね。悪徳商法批判者時代に良く魚屋のたとえ話をしていたんですね。

私が漁村で魚を仕入れて魚屋の無い山奥の村に行商するとします。競争相手が居ないうちは、かなり高い値段で売れるけど、それにも上限はあります。山村の人が「あいつから買うよりは、山仕事を休んで漁村まで買いに行った方が良いな」と思う価格よりは少し安くしないと売れません。しかし、それでもずいぶん高くは売れます。しかし、あまり儲かる様だと、「あいつうまいことやっていやがる、俺もマネしてみよう」と競争相手が発生します。山村の人が、「2~3日に一度は魚が食いたいな」と思っているのに一週間に1度くらいのペースでしか回れなかったら、競争相手とシェアを分け合うこともできますが、供給と需要が拮抗している様だと、競争相手とシェアの奪い合いをやらなくてはならない訳です。たいていは値引き合戦から始まります。相手よりわずかに低い価格で売ることで自分から買って貰おうとするわけです。かくして、互いのつける価格は低下していきます。では、いつまでも低下するかというと、そこにも下限が生じます。なぜなら、仕入れや運送費に自分が生きていくための最低限の利益を割り込んで価格を下げることはできなくなるからです。競争相手と自分が同じような境遇で競争すると、この最低価格も近い物になり、その価格付近で値下げがとまり、愛想の良さとか、「じゃ、刺身にしておきましょう」といったサービスの競争となり、それも拮抗した状態で複数の魚屋が売りつ続けることになるわけです。これが、価格の相場が形成され、かつサービスの相場が形成された状態ですね。

とまあ、poohさんにはいわずもがなの話ですが、我々が価格に関して「高い、安い」という意識を持つ場合に、こうやって形成された相場観と比較している事が多いわけです。

でもって、いわゆる「ニセ科学商品」を見ると、こういう競争による相場形成がほとんど起こっていないものが多いです。中には「マイナスイオン」のように陳腐化した競争となったものもありますが、それは例外的ですね。なぜ、まともな競争が起こらないかというと、上の魚屋でいうと、両者の扱う物に共通性があり、購入者もその共通性の元で比較するからです。つまり、多少の生きの良さの違いとかはありながら、サバはサバ、アジはアジとして両者を比較出来るわけです。それゆえ価格の比較も可能であり相場観が形成される訳です。実のところ波動測定器のようなニセ科学商品は名前こそありながら、アジなのかサバなのか分からないしろものなんですね。それゆえ、たとえ競争相手が発生してもまともな競争が起こらず、競争を経た後の安定な相場も形成されない訳です。こういう物に関して、普通の「高い、安い」を論ずることそのものが無理なんですね。

何が言いたいかというと、基本的に市場に出してはならない商品なんです。中身のはっきりしないものは市場を混乱させる役にしかたたない訳ですからね。

by 技術開発者 (2008-10-21 08:25) 

pooh

> 技術開発者さん

市場による競争を可能な限り避けてより大きな利益を確保しようとするのは一般的な企業行動で、どの企業もそこを目指して活動するわけです(高い、安いで論じられない商売を目指す、と云うことですね)。それはシェアの確保(市場内の優位性)であったり、商品の優位性であったり。

で、ニセ科学によって確保される優位性と云うのは、うそに基づいているわけですよね。そこは問題だけど、市場のメカニズムからすれば、そのうそを見抜かなければいけないのは買い手、と云うことになるわけです。

> 基本的に市場に出してはならない商品なんです。

ただ、現実問題市場に出てきている。相対で取引が成立している。
となると、取引の場では問題をひとえに売り手側に帰することは難しい。なので、まずは買い手側の知識と理解力(この場合、科学リテラシー、と云うことにもなるのかもしれません)が問われる種類の問題である、みたいに考えるんですよ。
by pooh (2008-10-21 08:38) 

黒猫亭

>poohさん

>>ぼくは、江本氏が自分の云っていること、商っているものについて信じていようが信じていまいが、そのことをどのようにご本人の中で理解していようが、同じことだと思っています。

poohさんのこのお考え自体はやはりご見識でしょうし、いつの時代にも必ず普遍的に一定数存在するはずの有害情報の発信者ではなく、受信者のほうを向いた問題として考えていくことが重要であるというのはオレも首肯するところです。また、江本氏の考え方如何によって江本氏の行為の社会的意味が変わると考えているわけでもありません。そういう意味では、ちがやまるさんのご意見も、その考え方自体には何ら異論のないところではあります。

ではなんでそんなことを気にするのかと謂うと、これもやっぱり受信者を向いた問題ではあるんです。前回のエントリーでpoohさんが指摘しておられる江本氏の言動の「技巧」というのは、かなり不特定多数の人々に「伝わる」わけですよね。何故伝わるのかと謂えば、受信者の側にこのような論法に対するレセプターがある、つまり発信者と受信者の間でコードが共有されているからではないかと思うんです。

その問題に関して、poohさんは「呪術」というキーワードでこれまで何度も考察を重ねておられるわけで、オレも何某かの所感を述べたことがありますが、送受両者の間にそのようなコードを成立させる呪術的な心性とは具体的にどんなものなのか、という部分について、江本氏が人を騙しているという自覚があるかないか、という部分が関係してくるのではないかとオレは考えているんですよ。

で、思い切ったことを謂えば、江本氏がどう考えているかということそれ自体の当否はどうでも好いという言い方も出来まして、それを通じて水伝を受け容れる人々の心性のようなものにアプローチ出来ないかな、とちょっと考えておりまして。つまり、江本氏の物の考え方というのは、どうも人間一般が自身を取り巻く現実を誤認識するやり方のかなり強烈に戯画化されたパターンなんではないかと思うんですね。だから江本氏の言葉は妙に「伝わる」んではないか、と。

ちょっとこの方向性の筋が良いか悪いかはまだ自分でもわからないんですが、水伝授業の問題などもそうですけど、批判対象を踏み込んで考察することが何らかの発見に繋がるのではないかということを、今は少し考えているところです。
by 黒猫亭 (2008-10-21 08:51) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

>で、ニセ科学によって確保される優位性と云うのは、うそに基づいているわけですよね。そこは問題だけど、市場のメカニズムからすれば、そのうそを見抜かなければいけないのは買い手、と云うことになるわけです。

経済学的にはそうなるけど、社会学的には、市場のメカニズムで矯正出来ない部分に司法や行政的なメカニズムが導入されるということになっている訳です。今年のノーベル経済学賞じゃないけど、市場メカニズムにまかせていると寡占や独占状態が生ずるから、公取委が独禁法を使って防止するみたいにね。

でもって、本来「売り手の嘘」を「買い手」が常に見抜くというのは難しいから、景品表示法があったり特定商取引法があつたりするわけでなんですね。ただ、それらの法の機能が機能不全を起こしている面があります。それは、「嘘をつくもの」と「嘘に基づいて販売するもの」とか分離し始めているという現象です。本来、これらの法は「売るために嘘をつくものを排除する」なんですが、そこが分離し始めると機能出来ないんです。例えばマイナスイオンですと、最初に嘘を付いた堀口昇は排除出来ます。しかし、「面白い話題だから」と広めた「あるある」などのマスコミは直接嘘を付いて売っていないので排除出来ないわけです。そして充分に流行してから「今、流行のマイナスイオン」と製品を売り出した家電もまた排除出来ない訳です。




by 技術開発者 (2008-10-21 14:32) 

pooh

> 黒猫亭さん

とりあえずエントリを分けたのは、「科学的に嘘である」ことの是非と「うそに基づいた商品を高額で売っている」ことの是非をいったんはっきりと分離しないとまずいよなぁ、とか感じたからなんですよ。いやまぁ、どなたもそんなことはおわかりだとは思うんですが、ぼくが混同しそうになったので。

前者と後者を分別しないと、科学的な真偽から直接善悪を導ける、と云う理解につながってしまう。いや、科学を装っていると云う点でニセ科学はすでによくないものではあるのですが、それは多くの商品が背負っているストーリィと同質のもの、と捉えることもできるわけです。科学と云う観点でのみ特権的にそれを裁ける、と考えると、道徳や倫理を科学から直接導ける、と云う発想につながってしまう。ここを、ぼく自身が混乱したくなかった、と云うことです。
ちなみに科学を直接道徳や倫理の根拠に置けるか、と云う点については、2年ほど前の「菊地=小飼論争」とでも云うべきものにつながってきます。kikulogではこのエントリですね。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1164299987

で、おっしゃる角度からのアプローチは、ぼくもやってこなかった部分です。「技巧」と云う書き方はちょっと適切ではない部分があるんですが、たしかにある種の心性なり心理的メカニズムに訴えるテクニックは(事実上)駆使されている。その「駆使する側」に対する理解は、あまり(ぼくは)やってこなかった部分ではあります。避けてきた、と云うより、目配りしてこなかった。
どんなふうに展開できるんでしょうね。
by pooh (2008-10-21 22:06) 

pooh

> 技術開発者さん

ノーベル経済学賞と云うのはなんか微妙な位置づけの賞みたいですね。ぼくはクルーグマンについては山形浩生氏の訳書1冊とサイト上での翻訳しか読んでいないので(しかもちゃんと理解できたとは云えないので)、今回の受賞がどうか、と云うのはわからないですけれど。

> > 社会学的には、市場のメカニズムで矯正出来ない部分に司法や行政的なメカニズムが導入されるということになっている訳です。

ここには異論はもちろんないです。ただ、レイヤーが違うわけじゃないですか。これも云わずもがなの話ですけれど、どちらが基礎でどちらが応用か、どちらが原則でどちらが実践か、みたいな話ですよね。ぼくがこのエントリで当然のように前提に置いている「市場」と云うのも、社会学のレイヤーからは批判なり評価の対象になるわけで。
ここのレイヤーを混同して議論すると、なんか嫌なものが入り込んできそうだなぁ、と(ぼくが自分で)思ったのでした。
で、それはそれとして、やっぱりホリスティックな視点、と云うのもまた必要なわけで(ご存知のとおり、むしろぼく自身はそちらに引っ張られがちです)。

> > 最初に嘘を付いた堀口昇は排除出来ます。しかし、「面白い話題だから」と広めた「あるある」などのマスコミは直接嘘を付いて売っていないので排除出来ないわけです。

これ、「共同体と機能体」の議論につながってくる話かも、ですね。リアリティの欠如、と云う話でもあるような。
by pooh (2008-10-21 22:07) 

亀@渋研X

こんばんは。
自分ちでエントリを用意しているうちにこちらのエントリが上がったので、「おお、シンクロニシティ」とTBさせていただきました。
あの商売自体をどう評価するかというのは、かなり難しいですね。アチャラカを出版する出版社の責任とか編集者の責任なども考えてしまいます。いや、異質な部分も多々あるのは承知の上で(うちのこんにゃく問答───あ、こんにゃくゼリーに関する議論です──の影響が、かなりあります)。

まあ問答は、まだ全然消化できていませんが、あの主張の背後にそう言うものが(後先があるにせよ、ないにせよ)あるのだよ、という構図はときどき示しておいた方がよかんべえ、という点では変わらないと考えたものでこさえたエントリです。

Poohさんのこのエントリともつながるぞ、と思ったまでで、意見を差し挟むといった性格のTBではございません。深読みなされぬよう(^^)
by 亀@渋研X (2008-10-22 00:15) 

ちがやまる

取引きなんかには暗黙の標準(スタンダード)があって、詐欺はそこをうまく利用して(形式だけまねたりして)価値の低いものをつかませようとする、ということでしょうか。すると詐欺を排除しようとする立場には、取引きの当事者だけでなく、標準(スタンダード)を護ろうとする人も含まれますね。
ずっとインサイダー取引きのことを思い浮かべて皆さんのお話を伺ってました。これは特別な顧客にどこまでサービスするか、という話と見ることもできますね。しかしそのサービスは一般投資家を犠牲にして成立するわけですから、市場そのものの存続をおびやかすことになって、市場を運営する立場とはどこかで対立することになるでしょう。そのような対立の末、排除ということになると、やはりなんらかの権力にたよらざるを得ないですよね。まさに「共同体と機能体」の話の一部になってくると思います。
by ちがやまる (2008-10-22 00:24) 

FSM

こんばんは。
ちょっとまた違う方面からの話になってしまうので申し訳ないのですが、「水伝」の悪質さは、「買い手」側の判断を誤らせるメカニズムをも内包しているところではないかと思います。株で言うなら、「上がれ上がれと念じてくださいね、株価が下がったらあなたの念じ方が悪いせいですよ」と言って売る、というような。単なる詐欺以上のものがあるのでは、と。

「水伝」に限らず、ある種の「スピリチュアル」なんかにも共通してますけど、この手のものは「買い手」側に知らず知らずに自己責任を植え付けているのだと思います。今の自分が幸せじゃないのは全部自分のせい、給料が安いのも、正規雇用につけないのも、お金落としたのも昨日転んで怪我したのも全部自分の(何かに対する)感謝が足りないからだ、と。実際どう努力してもリストラされたりする世の中ですから、具体的なモノやコトよりも、祈る心にすがりつきたくなるという風潮は理解はできます。

だんだん話が大きくなってきてしまうのですが、物言わぬ人間、黙って忠誠を尽くす人間を作る装置になっていると思うのですよね。「売り手」側が自覚してるかどうかは別にして(飯田史彦あたりはかなり自覚的とされているようですが)。船井幸雄は経営コンサルタントだし、経営者には都合のいい思想なんじゃないかと思います。

江本氏らによる直接の波動商売はきちんと批判しないといけないし、なぜ批判しなければいけないのかのロジックも組み立てないといけないのだけれど、社会にとってはそれ以上に重大な問題をはらんでいるのではないか、と思っています。
たぶん、これもリアリティの欠如と絡んだ話だと思うのですが、私もまだ整理できてないです…。まとまらなくってすみません。
by FSM (2008-10-22 02:12) 

黒猫亭

>poohさん

>>とりあえずエントリを分けたのは、「科学的に嘘である」ことの是非と「うそに基づいた商品を高額で売っている」ことの是非をいったんはっきりと分離しないとまずいよなぁ、とか感じたからなんですよ。

割合この辺のところは「いつか来た道」で、議論が混乱するパターンではあるのでしょうね。これまでの見聞で考えると、ニセ科学というのは「嘘に『なる』」パターンが多くて「嘘を『吐く』」という基準で捉えると「それはわからない」という話になるということは理解出来るんですよ。

その意味で、江本氏が「嘘を『吐いている』か否か」という論点が警戒されるというのは理解出来ます。基本的にそれは外側から確実に言い得ることではなく、推測しか出来ないところなので、これを議論しても事実について何を言ったことにもならないといことがありますし。また、基本的に「嘘に『なる』」パターンであるか「嘘を『吐く』」パターンであるかによって社会的な意味が変わることもないと思います。

では何故殊更にそれを問うのかと謂えば、社会的な意味に違いはなくても、「何故騙されるのか」という機序が変わってくるのではないかと思うからなんですね。

受信者視点で考えれば、たとえば「嘘を『吐く』」場合の騙され方を考えると、嘘であることが判明した瞬間に「騙された」という自覚が生じます。嘘を吐く騙し方というのは、人間の心理の盲点を突いて言葉巧みに誘導し所与の行動をとらせるという機序で騙すからですね。心理の盲点を突かれてうまうまと誘導されたわけですから、たとえばカネを巻き上げられた後でカネを払うだけの実態がないとわかれば「ああ騙された」となります。

これは悪質な新興宗教なんかの場合でも、一種の洗脳技術という騙しの技術が駆使されている側面がありますよね。さまざまな手法で人間の冷静な判断力や意志の力を奪って騙す側に都合の好い規範や認識を刷り込む、そういう意味で人間が新興宗教に騙されるというのも、詐欺的な機序で騙しているのだと謂えるでしょう。

しかし、ニセ科学って明確な騙しの機序が判明していないと思うのですね。で、騙している側にも明確な詐術の意志があるのかないのかはっきりしない場合が多い。寧ろ、ニセ科学を唱道する側に騙す意図があってもなくても関係ない部分があります。であるならば、意図的な騙しの技術が駆使されているとは限らないにも関わらず、人はニセ科学を信じ込むし、それはニセ科学が「嘘に『なる』」以上は「騙されている」という言い方も出来ますよね。

これは普通の詐欺の場合と違って、「嘘である」ということが判明しにくいということがあるのかもしれません。幾ら何でも「嘘である」と心底わかっていれば騙され続けるということはないと考えられますから、「ニセ科学は嘘ですよ」と教えても騙された自覚のない人が多いのは、何故それが「嘘に『なる』」のかということをよくわかっていないだけ、という考え方も出来ます。

で、ニセ科学の唱道者に関して「騙している自覚があるのかないのか」ということを考えるのは、普通意図的に他人を騙す場合は、それが嘘であることを認識していて、騙される側に対して上位の視点に立っているから人間心理の盲点が突けるわけですよね。騙されるほうはそれが嘘であることがわからないわけですから、騙す側と騙される側の力関係はそこで決するわけです。

オレオレ詐欺とかフィッシング詐欺なんかの手口を視ると、心理学にも通底するような「しかじかの状況に置かれた人間には、これこれの隙が生じ、かくかくの行動をとりやすい」という部分を巧みに突いていて、その結果人は騙されるわけです。無論、手法自体は簡単に真似出来るものですから、世間でオレオレが流行っているようだから自分も一丁やってみるか的な便乗犯というのも多いでしょうが、まず最初に手口を考え附く人間は明確に騙す意図を持っていて、しかも騙される人間の心理をメタ的に考察して詐術のシステムを設計しているわけです。

そういう或る種の詐術としての技巧的洗練というのは、ニセ科学の場合あまり感じないわけですね。たとえば江本氏の談話に対してpoohさんが仰った「技巧」というのは、人を騙す技巧ではなく自説を正当化する・または批判をかわす詭弁としての「技巧」ですよね。勿論、ニセ科学の場合は自説を正当化することで人が騙されるという側面はありますから、そこを分けて考えることに意味はないという意見もあるでしょう。

ただ、オレとしてはニセ科学のように一種「野暮ったい」洗練されていない嘘がこれほど強力に人を「騙す」ということについて、その機序に関心があるんですよ。江本氏の談話についても、人を騙そうとして吐いた嘘だとしたら剰りに野暮ったく洗練とは縁がない。にも関わらず洗練された騙す為の嘘と同程度に人が騙されるというのは、どうもニセ科学ビリーバーの騙され方というのは、一般的な詐欺や悪質宗教の騙され方とは異質な部分があるのではないかと思うんですよ。
by 黒猫亭 (2008-10-22 03:28) 

pooh

> 亀@渋研Xさん

たぶん、分類としてはバイブル商法だと思うんですよ。
ただ、新味としては、

1.科学を装っている

2.道徳にアプローチしている

3.これら技法のハイブリッドによって、教育現場など人格が形成される基礎となる場に入り込んでいる

みたいな部分があるのかな、と。
で、はたしてこれがどう云う観点から、どんなふうに悪質なのか、みたいな話だと思うんですね(なんかひとめでわかる気もしますけどね)。
by pooh (2008-10-22 07:48) 

pooh

> ちがやまるさん

インサイダー取引、と云うと話は変わってくるかもしれませんが。
まぁ、機関投資家には、一般の投資家に(商取引上のルールとして)流してはいけない情報が流れてくるのも事実です。非合法ではなく。

> 詐欺を排除しようとする立場には、取引きの当事者だけでなく、標準(スタンダード)を護ろうとする人も含まれますね。

そうなんですよ。で、ここでの「詐欺」を、このエントリでの議論とちょっと逆のほうに敷衍すると、「社会的不正」ということになって。で、ここでの議論の用語を適用すると「共同体への不正」と云うことにもなるのかな、と思うわけです。詐欺とニセ科学をある種等価のものとして取り扱うためには、そこまでいったん遡った認識が必要なのかな、と。
by pooh (2008-10-22 07:54) 

pooh

> FSMさん

これ、おっしゃるように考えると相当大きな話なんですよ。で、ぼくは技術開発者さんやみなさんのお考えを借りながら、そのはじっこに喰いついている、みたいな感じなんですが(^^;。

ちょっと単純化しますが。
「ある一定のわかりやすい考え方のルール」に「自己責任」で準拠しなさい、みたいな主張であり、しかもそれが道徳として教育現場で教えられたりする、とか考えると、慄然とする状況ではあるんですよね。
by pooh (2008-10-22 07:58) 

pooh

> 黒猫亭さん

> オレとしてはニセ科学のように一種「野暮ったい」洗練されていない嘘がこれほど強力に人を「騙す」ということについて、その機序に関心があるんですよ。

この部分、重要な視点だと思います。で、たぶん相当数の要因がここには絡んでくるんだろうなぁ、みたいにも直観的に感じます(ひとのこころに関わってくる部分なんで、そんなに単純なはずはない)。

ただ、この部分については、それほどひとあしとびに何らかの解答の道筋にたどり着ける、と云うような種類の話でもないだろうなぁ、とも、まぁ思うわけです。ニセ科学の議論は裾野がだいぶ広いので、そう云う部分については少しずつ全容に近づいていく、と云う方法しかないのかな、とも思ったりしています(少なくとも、ぼくにはそう云うコミットの仕方しかできなかったりする現実もありますし)。
by pooh (2008-10-22 08:03) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

>ここのレイヤーを混同して議論すると、なんか嫌なものが入り込んできそうだなぁ、と(ぼくが自分で)思ったのでした。

純粋に一つのレイヤーで思考するというのはやるべき価値はあるんだけど、こと人文学的な考察では、その結果にあまりこだわらない方が良い場合が多いです。というのは対象とする人間とか人間の営みというのが様々なレイヤーの積み重なりだからなんです。

例えば、一昔前まで「なぜイギリスは鉄鋼業が盛んなのか」と言われれば、「鉄鉱石と石炭が国内で産出出来たからだ」なんて地理学的説明で説明がついていた。ただ、だんだんとそういう地理学で説明出来ないことが起こってくると「最初は小さな差でも取引を繰り返すうちに差が広がっていく」なんて事を理論づけなくてはならなくて、人間の心理という要素を入れなくては説明がつかなくなるんですね。私もまだ勉強中だけどクルーグマンの業績の一つがこれなんですね。いちおう、まだ未完成だけどたとえ話としてはハイブリッド車のシェアなんてのが例になるかと考えています。別にトヨタホンダに限らず米国の自動車会社も開発研究はしていたし、その時の差はそれほど大きいものではなかったんだけど、今、欧米のハイブリッド車の市場では大きな差が付いていますからね。

私は或る意味でレイヤーの重なり合いの切り分けと再構築の思考が最も特異なのかも知れませんね。

ニセ科学についていうなら、まず「基本仕様論」があるわけです。人はもともと不合理な話に惹きつけられる仕様を持っている。これはこれで一つのレイヤーであるわけです。

ただ人は過去の経験則から文化を構築し、その仕様が「生き延びる」のに悪影響を及ぼさない様にしてきた。ここで社会文化というレイヤーがその上に重なっている訳です。このあたりが「社会の健常な保守性」論にあたります。でもって、同じレイヤーですが、「保守性に穴を開けるシステム」というのも構築していた。これが自然科学に限らないのですが「研究開発」という分野ですね。そこに身を投じた者たちには、保守性を一時的に忘れることが求められ、同時に厳しい仲間内評価を科して、その仲間内評価をくぐり抜けた新規性のみが社会に出される事を許す感じですかね。つまり、「生き延びるため」に保守性をまとい、進歩するためにその例外システムもまた構築したということです。

問題は、この保守性に穴をあけるシステムがめざましく機能して、非常に速いペースで社会を変えてしまった訳です。そのため、原則が保守的で「学者の仲間内評価をくぐり抜けた新規性」が例外という事が怪しくなり、保守性そのものが嫌悪されてしまった面がありそうです。

この保守性の嫌悪という話は、別にニセ科学問題に限らないんですよね。金融の国際的規制緩和なんて、多くの保守的な人が反対した訳ですが、なんとなく「保守的であることが悪い」という雰囲気の中で規制緩和が進んだわけです。でもって一時的にはうまく行っても、今回の様な世界恐慌が起これば、全ての国がダメージを受ける訳です。

by 技術開発者 (2008-10-22 08:52) 

pooh

> 技術開発者さん

ぼくが気にしているのは(あまり具体的には書きませんが、議論のなかでしばしば生じる)「目的と手段の取り違え」なんですよ。レイヤーを混同したり、どちらがより基礎に近い部分なのかと云うのを見極められなくなってくると、気付かずにしばしば生じるじゃないですか。

> 純粋に一つのレイヤーで思考するというのはやるべき価値はあるんだけど、こと人文学的な考察では、その結果にあまりこだわらない方が良い場合が多いです。

もちろんそうです。
と云うか、たぶんご存知かと思いますが、おそらくぼく自身がだれよりもレイヤー間を向こう見ずにいったりきたりしてます。それはそう云うアプローチに意味があると思っているからで、でもその危うさを自覚しなきゃな、みたいな。

> 私は或る意味でレイヤーの重なり合いの切り分けと再構築の思考が最も特異なのかも知れませんね。

そうなんですよね。で、ぼくは向こう見ずな分そのあたりスマートじゃなかったり。

で、ちょっと違っているのは、「保守性」と云うことに対するスタンスなんでしょうね。でも、

> 問題は、この保守性に穴をあけるシステムがめざましく機能して、非常に速いペースで社会を変えてしまった訳です。そのため、原則が保守的で「学者の仲間内評価をくぐり抜けた新規性」が例外という事が怪しくなり、保守性そのものが嫌悪されてしまった面がありそうです。

背景にこう云う認識をお持ちだ、と云うことであれば、たぶんぼくも実際にはスタンスはあまり変わらないのかな。と、勝手にちょっと安心したり(^^;。
by pooh (2008-10-22 22:28) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

>背景にこう云う認識をお持ちだ、と云うことであれば、たぶんぼくも実際にはスタンスはあまり変わらないのかな。と、勝手にちょっと安心したり(^^;。

保守性というとめったやたら新規な物を嫌う感じになっちゃうかも知れないけど、なんていうか毒味役に食わせて様子を見てから食うくらいのイメージはあるわけですよ。その毒味が済まないは食わないという意味での保守性ね(笑)。

私は、研究者集団(学会)という機能体を社会という殿様の食事を吟味する毒味役みたい思うわけです。でね、毒味役だって何だって食うという訳じゃないよね。食う前に臭いを嗅いだり、良く眺めたりして、食う前に傷んでいそうなものは排除するよね、食中毒になりたくないものね。でもって研究者集団という毒味役も初期の頃に比べると「食う前に排除」の技術が進歩して、食うなりバッタリという事が減ってきたのね。時々はバッタリしてくれると、社会という殿様も「確かに毒味役にしっかり食わせてから食わないと危ないな」と思うんだけど、バッタリが減ってきたので殿様も「毒味役なんぞに食わせて冷めてから食っても旨くないから直ぐに食いたい」なんてゴネ始めた感じを受けている訳です。でもね、殿様は命がけで築いた食う前に或る程度見分ける技術なんて持っていないのだから、危なくて仕方ないよね。

by 技術開発者 (2008-10-28 08:55) 

pooh

> 技術開発者さん

いや、なんかどこかで明言していただかないと、単純な保守性擁護に読めてしまいがち、と云うのもあったんですが(^^;。保守性、と云うか、技術開発者さんの概念は「社会の健全な保守性」まで揃わないと伝わるべきものがぜんぶ伝わらない、みたいに感じたのもありました。

> 研究者集団(学会)という機能体を社会という殿様の食事を吟味する毒味役みたい思うわけです。

カナリアですよね。しかも(科学の持つしくみを通じて)互いに行状を監視しあっているカナリア、みたいな。

> 殿様は命がけで築いた食う前に或る程度見分ける技術なんて持っていないのだから、危なくて仕方ないよね。

そう云う話ですね。

ぼくら殿様の庇護下で暮らす市井の民としては、じゃあどのカナリアが信用できるのか、信用できるカナリアの見分け方はどのへんなのか、と云う話になるかと思います。これは結局、「カナリアがどうしてカナリアたりうるか」と云うことについての知識を持って、それをベースに考えること、なんだろうとか考えています。
あえて露悪的な言い方をすると、ぼくらの社会はそうやって活用するためにカナリアを飼っているわけですからね。
by pooh (2008-10-28 21:57) 

黒猫亭

>技術開発者さん、poohさん

>>殿様は命がけで築いた食う前に或る程度見分ける技術なんて持っていないのだから、危なくて仕方ないよね。

先日TVで木村拓哉主演の「武士の一分」を観ていたら、主役のキムタクは毒味役の一人なんですが、毒味をした料理で気分が悪くなったのに「武士は喰わねど高楊枝」でやせ我慢してるんですよ。「いや、大丈夫でござる」とか言って。

で、毒味役が誰一人即死しなかったから、当然料理は殿様の前に出されて殿様が箸を附けようとするんですね。そのタイミングでキムタクが到頭堪えきれなくなってぶっ倒れて、それでみんなようやくこの料理が危ないということに気附いて、殿様が喰うのを阻止する為に走るというサスペンスが演出されていたんですが、観ていて莫迦じゃねーかと思いました。

毒味役が喰い物に中たって具合悪くなったのに、我慢したんじゃ役向きの意味ねーじゃん、と(笑)。
by 黒猫亭 (2008-10-28 23:46) 

pooh

> 黒猫亭さん

それは(^^;。
なんと云うか、役向きの形骸化、と云うか。鳴かないカナリアは、なんで自分が飼われているのかわかんなくなってるだろ、って感じですね。

カナリアのまんま行くと、例えば水伝なんて科学者の誰もが「ひとめで喰えないってわかるじゃん。殿様だってわかるでしょ」とか思って警告を出さなかったら、つぎつぎ喰う奴がでてきた、みたいな経緯があったりしたわけですよね。
なので改めて「これは喰えませんよ」なんて声をあげる科学者が出てきて、みたいな経緯があったんですよね。カナリアはやっぱり鳴かなきゃ、みたいな。
by pooh (2008-10-29 07:37) 

技術開発者

こんにちは、pooh さん。

>カナリアのまんま行くと、例えば水伝なんて科学者の誰もが「ひとめで喰えないってわかるじゃん。殿様だってわかるでしょ」とか思って警告を出さなかったら、つぎつぎ喰う奴がでてきた、みたいな経緯があったりしたわけですよね。

というか、毒味役の例えで言うと、「食うまでもなく食えませんよ」と殿の御前に出さないでおいたら、変な茶坊主がいつの間にか縁側の殿の側に運んでおやつに食べさせていた感じですね。

>なので改めて「これは喰えませんよ」なんて声をあげる科学者が出てきて、みたいな経緯があったんですよね。

毒味役がそれを見つけて「殿、それは毒味いたしておりません。召し上がらないでください」なんて言うと「だって、おぬしはこれを毒味もせずに放っておいたそうではないか」と言われた感じですね。だから、毒味役には長年培った「食わなくても不味いとわかる」があるんだってば・・・(笑)。

なんていうか、カナリアはただ洞窟に連れて行かれ、人が死にかける前に素直にコトンと死ぬのが仕事だけど、毒味役は何でもかんでも食って死ねと言われるのはさすがに辛い。私の知っている人で上九一色村に防護服で行った人が居るんだよね(毒物の専門家なのでね)。その人がぼやいていたのが「カナリヤが可哀想」って苦情だったりするのね、「俺はカナリヤより可哀想じゃないのか」なんてね(笑)。

by 技術開発者 (2008-10-29 08:20) 

pooh

> 技術開発者さん

> だから、毒味役には長年培った「食わなくても不味いとわかる」があるんだってば・・・(笑)。

歴代の毒見役が何百年も喰っておなかを壊した歴史があるわけですよね。
だから、喰わなくてもわかったりする。ふつう、フグに毒があるかどうか喰ってみて確かめるひとはいないわけです(それがだれもみたことのない新種のフグでも)。ましてや「毒があるかどうかおまえが喰ってみてから確認しろ。否定するならまず喰え」とか云われても、ってところかなぁ、と。自分で喰え、って話ですよね。

> 「俺はカナリヤより可哀想じゃないのか」なんてね(笑)。

笑えるような笑えないような。なんと云うかこのへん(いつも持ち出しますが)「コストの感覚」ですよね。
by pooh (2008-10-29 21:44) 

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