So-net無料ブログ作成
検索選択

「似たもの」と「違うもの」 [世間]

ココロさんの『五十歩百歩どっちもどっちの似たもの同士』ってな〜んだ?と云うエントリを読んだ。

何度か云っているけれど、多くの場合継続してコミットしている論者によるニセ科学批判は、「信じているひと」ではなく「信じることを正当化する言説」に向けられる(少なくともぼくはたいていの場合はそう)。まぁ、そのサンプルとして。

難しい理屈はよくわかりませんが・・・
この前置きはそれに続く言明に関していっさいの免責をもたらさないんだけど、どこまでそれを理解していらっしゃるのか。まぁそれはそれとして。
「科学が何にも勝る」などと言う者がいれば、
神様が笑っちゃうよ〜なんて思うんだけど、あららっ
神だって科学で証明なんか出来ないじゃ〜んって・・。
まぁ「神を科学で証明できた」みたいなことを云いだすひとがいたら、そのひとの科学はまず間違いなくニセ科学ですね。神様じゃなくて、科学者が笑っちゃうと思う。宗教と科学は別のものだし、領分も違うし。
この辺、NOVTANさんが科学と宗教の区別がつかない人はいい加減どうにかしてくれと云うエントリでお書きの「科学信奉者の基本」と「ニセ科学の基本」で明解に示されているけれど。
「そして、科学者だって、初詣にも行くでしょうに・・・
どうやって、気持ちの折り合いをつけてるんだろうか?
信仰や習俗や伝統は科学と別のものでしょ。そこで気持の折り合いをつけられない、と云うのは、その辺りの分別がついていない、ってことで。
この種の言い回しってありがちなんだけど、どうも単に「自分にその辺の分別がつけられない」ことを世間一般のおとなに対して無反省に敷衍しているだけなんじゃないか、とか思うことがある。
ニセ科学批判みたいな論理は、究極に追及すれば
世界中の宗教の信者と議論を戦わせなければならなく
なるんじゃないの〜?って心配になってしまいます。
科学者に限らずたいていのおとなは、科学と宗教の違いを理解してます。ご心配無用。
nice!(0)  コメント(20)  トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 20

TAKESAN

今晩は。

唯物論者で無神論者なのに初詣には毎年行く私は、どうすればいいんでしょうか。

ニセ科学批判=科学以外の文化(特に宗教)の排斥 という素朴な認識って、根強いですねえ。そこら辺が誤りなのを明確にするのが「ニセ科学」批判でもあるのですが、さすがにそこまでの理解を期待は出来ないですね。

「ニセ科学」は「科学という文脈で閉じた」概念である事は、やはり積極的に知らしめていかなきゃならないなあ、と思いました。
by TAKESAN (2008-11-25 00:59) 

pooh

> TAKESANさん

たぶんですね。科学にしても、おなじぐらい宗教にしてもこのかたにとっては切実さのない、距離のある事柄なんだと思います(ご本人の認識、として)。興味深いのは、その状況でなんらかの批判的なニュアンスを持つ言説を行おうとする動機だったりもします。

> 「ニセ科学」は「科学という文脈で閉じた」概念である

ここには多少異論があります。異論、と云うより、認識と立ち位置の違いかも(表現の違いかも)。
ニセ科学と云う概念は確かに科学の文脈内で定義が閉じるものです。ただ、問題定義としてのニセ科学はその文脈内でのみ捉えられるべきものではないと思います。
この構造自体はそう複雑なものには思えないんですけど、故意にか無意識にかこの部分を考慮に入れずに混同したままの言説が横行する傾向があります。この部分については、やっぱり「云いつづける」しかないんだろうなぁ、みたいに思います。
by pooh (2008-11-25 07:48) 

TAKESAN

今日は。

ご指摘の部分は、多分引っ掛かりを覚えられるところだろうな、と思いつつも、言い切りのかたちで書いてみました。一応、「概念」としてはさほど複雑なものでは無い事を強調する意味で、そう表現しました。無闇にややこしく捉えられる場合もかなり見受けられますし。
by TAKESAN (2008-11-25 11:39) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。別なブログにコメントしているうちに、毎度おなじみの原始の村のたとえ話ができたので紹介します。

ある原始人の村が寒い地方に移住したんですね。でもって冬は何ヶ月も蓄えた食料やら薪でしのがなくちゃ成らないとしましょう。当然ですが、「食料は一日このくらい、薪はこのくらいで冬を乗りきろう」なんて、思う存分食べることもできないし、大きなたき火で暖まることもできなくて冬を乗りきった頃もあるだろうと思います。

その炉端でね「今年は春が早く来るんじゃないかという気がする」「そうだと良いね」なんて話が出ることもあったと思うんですね。別にそんな話題があってもかまいはしないのね。それがいつの間にか「今年は春が早く来る」になって、「食料と薪をもっと沢山使っても良いよね」にならなければね。そんな雰囲気に村がなって、食料も沢山食べ、薪も沢山使って、そろそろ尽きる頃にその冬の終わりの大寒波がドンと襲ってきて、村人は飢えて凍え死ぬなんてね。だから、実際、炉端で「春が早ければ良いね」「そうだね」のレベルなら、村の老人たちも止めたりはしなかったと思うけど、「今年の春は早く来るんだ、もっと食べよう、薪も燃やそう」だったら、村の年寄りたちは止めたんじゃないかな。

なんていうか、ニセ科学批判って、既に問題となりそうな事が起こったから始めた面がありますよね。炉端で「今年は春が早いだろう」なんて言っているだけなら、「そんなの根拠無く言うな」とは言う気もなかったのだけど、「春が早いから、もっと蓄えを沢山食べても良いはずだ」みたいな雰囲気が強くなって実際に数人でも割り当て以上に食べ始めたら、「春が早いなんて根拠もなく言って蓄えを食べるな」って言わないと、はるが遅ければ飢えるからね。実際に大手の家電メーカーはマイナスイオン製品を出したよね。これは炉端で「今年は春が早いぞ」と言っているだけなのか、春が早いと信じて蓄えを食い始めたことなのか、どっちだろうと考えて欲しい訳です。血液型を人事の参考にしている、あるいはこれからするという会社の話は別にそんなに少なくなく聞こえてきています。これは炉端の無駄話なのか、蓄えを食い始めたという事なのか考えてみて欲しいわけです。水伝を教育に使うという話は沢山あるし、国会で「教育に取り入れろ」とせまった公明党の松あきらという議員もいるよね。これは炉端なのか蓄えなのか考えてみて欲しい訳です。


by 技術開発者 (2008-11-25 17:09) 

pooh

> TAKESANさん

あぁ、まぁ、わかっていますとも。
基本は基本、です。そこを踏まえない批判は、それだけのものでしかない。
by pooh (2008-11-25 22:33) 

pooh

> 技術開発者さん

> ニセ科学批判って、既に問題となりそうな事が起こったから始めた面がありますよね。

そうですよね。
もともと実際に問題が生じる環境があったから、後追いではじめたものです。で、そのおおもとの「問題」と云うものをどんなふうに認識しているのか、と云う部分を外すと、批判にしても批判批判にしてもあまり有益なものにはならない。

で、結局のところ「春がはやく来ないとおなかがへることになるぞ」と云っているのが傲慢ゆえだとは、ちょっと肯んじ得ない、と云うところがあります。
by pooh (2008-11-25 22:39) 

apj

ニセ科学批判は、普通の宗教とは問題無く共存できますね。
カルトとは戦うことになる可能性が高いです。カルトは、なぜか、教義を正当化するのに科学を装ってみたり、副収入源として怪しい宣伝で水やら健康グッズやらを売ったりすることがあるので。
by apj (2008-11-26 01:07) 

黒猫亭

>>この前置きはそれに続く言明に関していっさいの免責をもたらさないんだけど

にも関わらず、この前置きはそれに続く言明に関していっさいの責任を持たないことの断り書きとして用いられますね。

素直に「面倒臭いツッコミお断り」って書けばいいのに。
by 黒猫亭 (2008-11-26 01:58) 

pooh

> apjさん

その辺での宗教とカルトの差異については、ほんとうはぼくあたりのスタンスからはもうちょっと精査しなきゃいけないんだろうな、とか思います。思うんですが、なんと云うか知的に手元不如意、と云うような状況におります。
by pooh (2008-11-26 07:33) 

pooh

> 黒猫亭さん

でも、じゃあなんで表通りで喋ってるの? てな話になるかと。いろんなひとに聞こえるよ、みたいな。
ツッコミお断りなら、まずツッコんでこないようにするほうが先かと思います。
by pooh (2008-11-26 07:36) 

技術開発者

こんにちは、 pooh さん。

>その辺での宗教とカルトの差異については、ほんとうはぼくあたりのスタンスからはもうちょっと精査しなきゃいけないんだろうな、とか思います。思うんですが、なんと云うか知的に手元不如意、と云うような状況におります。

悪徳商法批判者の時代に、霊感商法やマルチ商法、自己啓発セミナーの関係で「マインドコントロール」について、ずいぶん調べました。或る意味で、一般的な宗教とカルト宗教に教義等の違いがあるとかいうよりも、心理操作性の強い勧誘をどれほど頻繁に強く行うかの差に見えます。マインドコントロールというのは私に言わせると「一種の依存症」を作り出すという事だと理解しています。

我々は成長過程の学習により「無意識の発する不安感」というものを身につけ、それと折り合いを付けながら生きています。この不安感こそが我々が何かに没頭して常識を無くしてしまうことを妨げる重要なバリアーであるわけですが、同時に生きる上で「何かしら不安で」と感じるブレーキ役ですから面白くない部分でもあるわけです。強い心理操作環境にサラされる時、この「無意識の発する不安感」が大きく弱められる場合があります。これだけだと一過性で、数日も経つと不安感は戻り、不安感に後押しされた様々な状況理解ができて「何であのときはこれを考えなかったんだろう」となるのですが、「無意識の発する不安感」が頻繁に弱め続けられると、心が不安感が現れないことによる「心地よさ」に対して依存症を生じてしまいます。これが、「マインドコントロール状態」と呼ばれるものです。

by 技術開発者 (2008-11-26 08:28) 

TAKA

今週の杞憂なお言葉【ニセ科学批判って、究極は世界中の宗教信者と、議論を戦わせるの?】

本気で心配しているのならば、ニセ科学批判の実態を詳しく調べるはずです。でも、調べる気は無さそうですね。ココロさんご自身は、ニセ科学とは無縁の生活を過ごしていらっしゃるのでしょう。

わが身にニセ科学の被害が及んでいなければ、お気楽な文章も書ける訳です。この私も、「ニセ科学批判?なにそれ?何のブランド?」と言えるような、優雅で呑気な生活を送りたいものですorz。
_________________
>素直に「面倒臭いツッコミお断り」って書けばいいのに(黒猫亭さん)

という訳で、「お邪魔なツッコミ」を作ってみました。(参考にした歌:「すいーとそんぐABC」おジャ魔女より)
『すいーとぶろぐABC』
「A!」甘い、あなたの論。「B!」びっくり、バランス度。「C!」しっとり、早とちり。「D!」どっちが同~列?「E!」えっへん、エウレカ!
悦に・入る・ブログ!おかしい、おかしい、批判のパレード。ちゃんと調・べ・て・よ!「はい!」薦めるブログは、偏りorz。
科学と宗教、何かな?学習、しま~す!
by TAKA (2008-11-26 11:26) 

黒猫亭

>poohさん

勿論、どっちにしろダメです(笑)。

ただ、「難しいことはわかりませんが」式の前置きと謂うのは、不正直で狡いと謂うだけの違いですね。同じダメなら、まだ正直にダメであるほうが可愛げがあると謂う話で(笑)。「面倒臭いツッコミお断り」って言われたら、「ああ、この方はご自分の論に対する批判に対して誠実に対応するおつもりはないんだ」ってことが最初からわかるじゃありませんか。

こう謂う言い種ってのは、勿論「難しいこと」であるツッコミに対する予防線と謂う意味もありますし、他方では「難しい理屈をこねくり回している連中より、シンプルに考える者のほうが俯瞰的に物が見えている」と謂う「愚者の知」式の図々しい認識があると思うんですね。んなわけねーだろ、と。「難しいこと」と謂う表現の裏には、要するに「面倒臭いから何も調べていないし深く考えて言っているわけではない」と謂う怠慢しか見えないわけで。

どうもですね、この魔法の呪文は、自分に出来る範囲で労力を払い誠意を尽くし、結果的に程度の低いことしか言えなかったら甘んじて他者に嗤われる覚悟を持つ、と謂う手続をすっ飛ばす便利な方便と化しているようにしか思えないんですよ。

いや、某所の問題の絡みで、ちょっと論者の誠意と謂うものに敏感になっていると謂うこともありますが。
by 黒猫亭 (2008-11-26 12:11) 

pooh

> 技術開発者さん

あぁ、その角度からの分別は可能ですね。多かれ少なかれ、カルトと呼ばれるものにはマインドコントロールの要素は存在する(スタートアップに効率がいい手法だからですかね)。現代の新興のものでなくとも、歴史上存在したものにはそう云う性向はありますよね。ただまぁ、逆にその性向からカルトを逆定義してしまっていいものか、と云うと迷いは残りますが。

難しいのは、定義なしに「宗教」と云った場合に、そちらのニュアンスが先に汲み取られる可能性があることですよね。
by pooh (2008-11-26 22:05) 

pooh

> TAKAさん

> ニセ科学とは無縁の生活を過ごしていらっしゃる

それはそれで、しあわせなことなんだろうと思いますけどね。
今後にわたってしあわせか、と云うとわからないですけど。

最近、こんなエントリを読みました。切ない。

http://www.nobodyplace.com/mutter/2008/11/21/025146.php
by pooh (2008-11-26 22:06) 

pooh

> 黒猫亭さん

いや、ぼくも「ここから先はわからない、云えない」みたいなことを書くことはよくあるんですけどね。
ただ、そう書いた部分について示唆をいただけるのはありがたいし、認識を改めることができたらそれはむしろ望ましいことで。

その意味では、そう書くことがその部分の自分の言説の信頼性に対して読み手にディスカウントを要求する、と云うことなので、ぼくの場合も言い訳には変わりないんです。ただ、ココロさんの場合も同様に、自分の発する言説の信頼性をあらかじめ下げておこう、と云う意図があるのか、と云うとどうもそうは思えない、と云う話でした。
by pooh (2008-11-26 22:07) 

黒猫亭

>poohさん

>>いや、ぼくも「ここから先はわからない、云えない」みたいなことを書くことはよくあるんですけどね。

論の中で自説の個別のプロセスにおける具体的な限界を表明すると謂うのは、誰にでもあることだと思います。オレも「これは推測に過ぎないが」とか、「これについて語り得る材料は持たないが」と謂うような留保を設けることはありますし、誰でもその類の手続は踏みますよね。

しかし、「難しいことはわからない」と謂うのは、具体的に何処がどう難しいのか何も規定していないわけで、「この部分については確言出来ないので割り引いて判断してくださいね」じゃないんですね。なんだろうがかんだろうが、その論者が「難しい」と判断することなら「わからない」として理解を拒絶出来るわけで、何処をどう「難しい」と判断するのかと謂うのは、その論者の恣意に一方的に任されているわけで、時制を幾らでも遡って適用可能だから、言論内容の具体的責任を問うことが不可能になるわけですね。

ですから、そのような留保の下に語られる論全体が無責任だと謂えるわけで、これは個別のプロセスに関して具体的な留保を置くこととはまったく質の異なるアティテュードだと思います。
by 黒猫亭 (2008-11-27 00:35) 

pooh

> 黒猫亭さん

ありていに云って、難しいことはわからないんですよね。そのひとにとって難しいことなんですもん。
で、そのうえでなにごとかを語ろうとする、と云うのがどう云う意味を持つか(持たせるか)ですよね。
by pooh (2008-11-27 07:32) 

黒猫亭

>poohさん

>>ありていに云って、難しいことはわからないんですよね。そのひとにとって難しいことなんですもん。

物凄く端折って雑に謂えば、「後出しジャンケンはダメよん」と謂うことになるんですかねぇ。いや、これも飛躍しすぎか(笑)。
by 黒猫亭 (2008-11-27 16:07) 

pooh

> 黒猫亭さん

わかってなかったことしか、わかることはできないわけで。で、わかろうとしないと、前へは進めないわけですよね。前に進むことに意義を認めるか、と云うのはそのひと次第なんですが。
いずれ後出しはあんまりかっこよくないです。
by pooh (2008-11-27 21:20) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

トラックバックの受付は締め切りました

関連記事ほか

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。