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善意の外に [よしなしごと]

NOVTANさんの科学が超えられない善意の厚い壁と云うエントリを読んだ。

ニセ科学に絡む、絡まないは別にして、「善意」と云うものに関してはここでもときおりあれこれ書いたりしてきた(ここを始めたばかりのころのエントリは、実に考察が粗雑で恥ずかしかったりもするけれど)。
しかも、善意の真実性はさっぱりわからんのだよね。商売のためのニセの善意であることも。
このへんこっちで書いたけれど、善意、と云うのは「善きもの」であって、その真贋は自問することはできても、他者からは問うことが原理的にできないのでやっかいだ。他者から見てそれが商売のためのニセの善意だとしても、そのことを基にして一定の評価をひととひとの間で共有可能にすることは本質的に不可能だ。つまるところ、(法的な用語としてではない)「善意」「悪意」は、なにがしかの行為の評価を共有するための基準としては現実問題役に立たない。いや、その善意がおよぼす実効性をなんらかの方法で数値化して評価する、と云うような一種テクニカルな方法は可能かもしれないけれど、それはそれで本質を逃すことになるように思う(このへんのことはこっちで粗々ながら書いた)。

いつも書いている気がするけれど、結果に対して善意の有無がなにごとかを免責することはない。まぁこのへんのことは書いていて正直気分があまり良くないのだけれど、評価基準として機能しないのだからこれはしかたがない。なので、結果に対して評価を下さなきゃいけないときには別の基準を持って来るしかない。原理として、ひとの外にあるものを。典型的には、自然科学のような。
善意のみをよりどころにしているわけではないからこそ、医者は厳しいことも言えるということになかなか気づいてはもらえないのだろう。
そう、気付いてもらえないのだなぁ。

善意と云うものを、それがそもそも機能しうる範囲を超えて援用しようとすることは、根本的に当の「善意」と云うものの価値を冒涜することにはならないか、みたいにぼくなんかは思うのだけれども
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