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伝えるべきこと [よしなしごと]

朝日毎日新聞の元村有希子記者による発信箱:むなしい科学=元村有希子(科学環境部)と云う記事については、KazuyaMitsutaniさんによる虚しい科学ジャーナリスト元村有希子と云うエントリで的確な批判がなされているけれど。

そもそもこの記事、だれになにを訴えたくて、だれを批判したくて書かれたものなのやら、判然としない。
そして今月、北朝鮮が地下核実験を実施した。「成功」を伝える発表文は「科学者、技術者らの要求に従い」と始まる。
で、それはほんとうなんですか? 将軍様は科学者の要求に押し切られて実験をした、と本気で考えてるんですか?
以降の文意の展開を最大限の善意をもって読むとなんかそう読めてしまうのだけれど、いくらなんでも科学ジャーナリスト大賞まで受賞したプロのジャーナリストが、とか思う。

で、そうじゃないとしたら。
政治家が科学者を利用し、科学者は無邪気に目標を追いかけ、多くの命を奪い、地球を汚し、誰ひとり幸せにしなかった。
この科学者ってのはどう云う謂だ。「北朝鮮の核科学者」か。そんな存在を批判したくてこの一文が書かれたのか(将軍様をたぶらかす悪の科学者?)。もしそこから連想した科学者像をなにかしら科学者全体に敷衍したいのなら、それは科学ジャーナリストが云々以前にまずジャーナリストとしてどうか。それよりそもそも報道を職業とする社会人としての当事者意識はどうよ。

彼女についてはそもそもその文章力に問題があるんじゃないか、と云う指摘も以前からあって、なので伝えようとしていることがうまく伝わっていない、と云う部分もあるのかもしれないけど、それ以前にやっぱりそもそも、なにを伝えようとしているのか、と云う部分がわからない(高校の新聞部でも没にされる水準の記事だと思う)。いや、その当の「伝えようとしているもの」と云うのを想像しようとすると、ちょっと暗澹たる気分になるんだけど。
タグ:自然科学
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黒猫亭

この種の安い文明批評を、ジャーナリストの肩書きで恥ずかしげもなく垂れ流す無神経さと謂うのはどうにかならないものなのでしょうか。

以前ウチで集中的に批判した「子猫殺し」の坂東眞砂子なんて、文明社会が厭だとか日本が嫌いだとか言ってタヒチに移住して、自分は文明とは無関係に暮らしていると言わぬばかりの大面で文明批判や現代社会批判を垂れ流していましたが、そんなところで快適に暮らしていけることや、何も生産せずに文章を書くだけで生活していけること自体が窮めて不自然で文明的な現実なのだと謂う認識がない。

挙げ句の果てには、「最近首都までの道路が渋滞して不愉快だ」とか言っていて、それは自分もクルマを使って移動しているからだと謂う当たり前のことにすら気附かない。

>>政治家が科学者を利用し、科学者は無邪気に目標を追いかけ、多くの命を奪い、地球を汚し、誰ひとり幸せにしなかった。

この方の論理も同じように底抜けで、科学ジャーナリストなどと謂う何も生産しない職業が成立するのは何故かと考えると、こう謂う無思慮な放言をさせる為ではないことくらいわかりそうなものですが。

もしも「誰ひとり幸せにしなかった」と謂う断定が、単にご自分が今現在の社会の在り方の中で幸福を感じないと謂う個人的な心象だけを根拠にした意見であるなら、こんな恥知らずな言明もないですね。
by 黒猫亭 (2009-05-31 22:05) 

pooh

> 黒猫亭さん

まさにおっしゃるとおり、底抜け、です。
文明批評にさえなっていない。と云うか、文明批評のアーカイヴから語形だけとりだしてきて並べてみた(のでフォーマットだけは批評にみえるようになっている)けれど、結局自分でも何が云いたいのかよくわからないまま、みたいに思えます。

少し前に、サイエンスライターの置かれた厳しい環境、みたいな話題が松永和紀さんのエントリからすこし取り沙汰されましたが、その逆としてこう云う安泰なご身分で好き勝手な中身のない放言を吐き出す手合いが科学ジャーナリストとして評価を受ける、と云うのもどんなものか、みたいに思います。
どうも、科学ジャーナリスト大賞と云うのの権威も、ベスト・ジーニスト並みなんじゃないか、とか思えてしまいます。
by pooh (2009-05-31 22:16) 

ちがやまる

朝の字は打ちまちがえですね。夕べは、松永和紀さんのことなんかを検索でたどり始めたまま帰ってこれませんでした。湯川さんが原爆開発にどう関わったか、についても私が見た範囲では結局何もわかりませんでした。
まとまらない羅列ですみません。「科学ジャーナリスト」が何も生産しない職業であるかのように読めてしまう文になったのは、黒猫亭さん疲れているのかなーとかも思いました。
by ちがやまる (2009-06-01 07:19) 

pooh

> ちがやまるさん

ご指摘ありがとうございます。修正しました。

こう、まぁ「生産」と云う言葉の意味合いの捉え方かも。確かに誤解を招きがちな表現ですね。
by pooh (2009-06-01 07:28) 

黒猫亭

>ちがやまるさん

少し言葉が足りなかったかもしれませんね。伝統的な実業・虚業的な感覚で「何も生産しない」と謂う言い方をしたわけですが、これは「モノ」を基準にした捉え方です。「モノ」だけで社会が廻っているわけではありませんから、こう謂う言い方それ自体に抵抗のある方もいらっしゃるでしょう。

作家なり科学ジャーナリストなりと謂う職業は基本的に「モノ」を生産しない職業ですが、人間の生活を支えているのが「モノ」の生産であることは間違いないわけで、その恩恵をすべての人間が享受しております。

そのような「モノ」の生産の次元において唯一有効に働く原理が自然科学ですから、その恩恵に与りながら「モノ」を生産しない立場にあるものが、そのような次元の事柄に対して無責任な放言を繰り返すことが果たして誠実な職業的実践と謂えるのか、そう謂う話でした。
by 黒猫亭 (2009-06-01 10:35) 

技術開発者

こんにちは、黒猫亭さん。

>伝統的な実業・虚業的な感覚で「何も生産しない」と謂う言い方をしたわけですが、これは「モノ」を基準にした捉え方です。

知識とか視点と言った「モノ以外」の生産においても、もはや日本のマスコミは「生産力」を失っている気がします。マスコミも「生産性」を失っているけど、消費者も「購買力」を失っているのが「知識・視点」という生産かも知れないという気がするんです。

昔、やはり元村さんの話題で、「イタリアのサッカーの専門紙」なんかの話をしたことがある訳です。勝利に貢献したゴールを決めたMFでも、守備に戻る動きが怠慢であれば容赦なく辛い批評をするのが専門紙であり、ゴールが決められなくとも守備で貢献すればそれを評価するのが専門紙であるなんて話です。そして、サッカー専門紙を読むようなファンは、その批評が的を射ているかをまた評価して、悪ければ購入しなくなる訳ですね。

なんていうかな、きちんとした「様々な見方」を売るべきマスコミがそういう視点を売らなくなり、その見方を含めて評価しながら情報を買うべき消費者が、一定の視点のものしか買わなくなっているのが今の日本かも知れないと思うわけです。

例えば、どこかでサリンが撒かれる事件が起こる。警察が被害者の一人を疑って任意聴取を始めると、「警察が間違えているのではないか」なんて視点も同時に出すべきなのに、「ぶらさがり慣れ」したマスコミは「犯人に違いない」と一斉に犯人扱いするなんてね。もちろん、そういう情報を購入する消費者も「いろんな視点で解析してくれ」なんて望んでいない訳です。

元村さんの記事もそういう意味では「ぶらさがり慣れ」の典型ですね。「権力者が言ったことは微塵も疑っては成らない」のです。北朝鮮の政府が「科学者や技術者の要請に従い」と言うなら、それはもう金科玉条ですね、微塵も疑いをもってはならない訳です。そして、その上で自分の気分に合うことだけを書き連ねる。日本に大政翼賛会が再度できる日も近いでしょうね。

by 技術開発者 (2009-06-01 17:16) 

ちがやまる

どんな立場でも「無責任な放言を繰り返す」のはだめでしょう。私たちは分業ってのを介していろんな仕方で共通の文化を担ってるんじゃないでしょうか。「二重らせん」のワトソン氏なんか有名ですけど、自分で実験したわけでもX線回折データを解析したわけでもなかったのに、分子モデルを提出して複製での意義を予言した、というのでノーベル賞をもらってしまいました。その後も重要な仕事を共著者として出版したりはあったようですが、CSHLという研究所を運営したり、教科書を書いたりと主に自分の得意とする活動で科学に相当の貢献をしたそうです。この人は分子生物学の中の人だったわけですが、「科学ジャーナリスト」とは紙一重の仕事をやっていたのですね。
新聞の「科学欄」に記事を書けば一人前の「科学ジャーナリスト」と呼ばれていいとは思っていない私は、その点でことばの使い方がゆがんでいるのかも知れませんが。
by ちがやまる (2009-06-01 17:42) 

pooh

> 黒猫亭さん、ちがやまるさん

ぼくはこの部分の捉え方についてはややちがやまるさんに近いです。ただ、黒猫亭さんもあえて視点を固定しておっしゃっている、と云うことはわかるので(推測ですが、ご自分がどちらかと云うとジャーナリストに近いお立場にいらっしゃることの自覚から来る言い回しじゃないでしょうか)、おふたかたにたぶん実感としての相違はあまりないんじゃないでしょうか。
実際になにかを(抽象的な意味合いを含めて)つくる側と、それを広く伝える側に、そのこと自体に起因する営為の価値やプライオリティの上下はない、と思います。ただ、実際にその立場でおこなわれることについての、なんと云うか品質のようなものはまぁ厳然としてありますよね。で、伝える側の行為が低水準だった場合に、それはつくる側への軽視・冒涜になりうる、と云うのはあるかと思います。
by pooh (2009-06-01 21:34) 

pooh

> 技術開発者さん

以前ぼくが元村さんについて言及したときには、「それでも言論をおこなう立場と高い評価をお持ちである以上、うまく利用する方法はあるんじゃないか」みたいに云って、あまりみなさんから同意をいただけなけった記憶があるんですよ。
でも、正直これじゃだめですね。

> 北朝鮮の政府が「科学者や技術者の要請に従い」と言うなら、それはもう金科玉条ですね、微塵も疑いをもってはならない訳です。

これ、いくらなんでも疑わしく感じるんですが、そう捉えないと全体の文意がとおらないんですよね。
なんか、ほんとうにそう信じているとしても、そう信じていないにもかかわらず結果ああ云う文章になったと云うことだとしても、なんかジャーナリストを名乗るのに決定的に不足しているものがあるんじゃないか、みたいに思います。
by pooh (2009-06-01 21:35) 

ROCKY 江藤

> 北朝鮮の政府が「科学者や技術者の要請に従い」と言うなら、それはもう金科玉条ですね、微塵も疑いをもってはならない訳です。
いくらなんでもそこまでナイーヴでもないでしょう。
単に枕というか、話の導入部として、最近のニュースから「科学者」が主体になっている文章を拾って持って来たけど、あんまり深くは考えていなかったので、本論の部分との論理的なつながりが見えなくなった、と言うことではないかと。

by ROCKY 江藤 (2009-06-01 22:39) 

黒猫亭

>poohさん

>>実際になにかを(抽象的な意味合いを含めて)つくる側と、それを広く伝える側に、そのこと自体に起因する営為の価値やプライオリティの上下はない、と思います。

仰る通りです。「つくる側」においては「つくる」ことで社会的な営為は完結しているわけですが、「それを広く伝える側」の営為は「つくる側」がつくったモノについて言及し有益な情報を発信することですよね。つまり、後者は前者に言及することで分業の一端を担っているわけで、これは一方的な関係性です。

元村氏の場合は「科学ジャーナリスト」だそうですから、「科学」と謂う他者の営為に言及して情報を発信することで職業的な営為が成立しているわけですが、科学の実態に取材が行われた形跡もなければ妥当な見識もない雑駁な文章で「科学は人間を幸福にしなかった」と全否定すると謂うのは、自身の職業的な存在意義をも全否定することになるのではないか、その意味で矛盾した姿勢ではないかと考えた次第です。

>>ご自分がどちらかと云うとジャーナリストに近いお立場にいらっしゃることの自覚から来る言い回しじゃないでしょうか

ジャーナリストに近い、と謂うと口幅ったいですが、虚業の一端に与していると謂う自覚に基づく意見ではあります。虚業には虚業の存在意義と誇りがあるはずで、別段虚業が実業に価値的に劣るとは考えていませんが、他者の営為に言及することで成立する職業的立場には、言及対象に対する誠意が厳しく求められると考えています。

>>ただ、実際にその立場でおこなわれることについての、なんと云うか品質のようなものはまぁ厳然としてありますよね。

問題はそこですね。「伝える側」としては、その情報のクオリティが保証されない限り、何かについて言及することはマトモな国語能力さえあれば「誰にでも出来ること」なので、今回の元村氏の発言のように、単なる素人の繰り言のような発言を「ジャーナリスト」の肩書きの下にされては、「伝える側」に属する職業者全体が困るわけです。これはつまり、ジャーナリストなどと謂う専門的な職業領域には実態がないと謂うことも同然なわけです。

poohさんも「高校の新聞部でも没にされる水準の記事だと思う」と仰っていますが、いやしくも「科学ジャーナリスト」が、専門的な言及対象である「科学」について「人間を幸福にしなかった」と断言するのにそのレベルの情報発信ってのはどうよ、と謂うのは、対象についての言及テクストが最終産品であるジャーナリストとして、言及対象に対する誠意と謂う観点から許し難い怠慢だと感じます。
by 黒猫亭 (2009-06-02 00:16) 

No.4560

「原爆をつくった科学者たち」は読んでないんですけど、フランク報告↓とかは載ってないんですかね。
(載ってないとすれば本をまず批判したくなるけど、科学ジャーナリストさんなのだから他にも類書をきっと読んでるでしょうから、今回の記事の内容とは関係ない、というか、知らないとは言わせない。)

・フランク報告(一九四五年六月一一日)pdf
http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/education/docs/frankrep-hiroshige.pdf

・ヒロシマ新聞:科学者の反対 葬られる 度々の請願 軍が阻止
http://www.hiroshima-shinbun.com/abroad/abr1945080603.html

・開発、投下の背景詳しく 広島原爆資料館が拡充
http://www.47news.jp/CN/200403/CN2004033001000828.html
(僕は多分この展示で知った、というのは内緒。)

もちろん北朝鮮の科学者にも複雑な心境のまま核実験に協力させられている人もいると思うんですけど、彼女のようにイメージの中の「アメリカの科学者」を一括りとして見て、「お前らも無邪気にやったんだから…」と核実験に協力している科学者も多分いるんだろうなぁ、と思うと、当時の(無警告の)原爆投下に反対した人たちが報われなくて、僕もむなしいですね。


フランク報告等の科学者の活動もきちんと伝えてよ。これはこれで無邪気な発想でしょうけど、北朝鮮内部で核実験に反対する動きが出るとしたら、間接的なエールにもなるかもしれないんだし。
(あちらでも読める人は読めるんですよね?毎日新聞。口でも伝えられるし。


追記:
…えっと、(以下、下記リンク先の引用)
「湯川秀樹はほとんど関与していなかったと、連合国軍総司令部(GHQ)が結論づけていたことがわかった」
のですか。今知りました。

・「ユカワは原爆研究に関与せず」 - 湯川秀樹研究Wiki
http://wiki.yukawa100.org/index.php?%A1%D6%A5%E6%A5%AB%A5%EF%A4%CF%B8%B6%C7%FA%B8%A6%B5%E6%A4%CB%B4%D8%CD%BF%A4%BB%A4%BA%A1%D7

・日米の原爆製造計画の概要(pdf)
http://www.viva-ars.com/bunko/fukui/fukui-6a.pdf
by No.4560 (2009-06-02 02:15) 

pooh

> ROCKY 江藤さん

> あんまり深くは考えていなかったので

そんなところのような気がぼくもしますが、その時点で「重鎮科学ジャーナリスト」としてはだめですよね。
by pooh (2009-06-02 07:23) 

pooh

> 黒猫亭さん

実業・虚業と云う言葉のつかいかたには、ちょっと違和感はあるのですが。
どちらが実、と云うことではないと思います。

ただ、おっしゃる感覚はわかります。自分がどの部分を分担しているのか、と云う認識(と、それに伴う矜持)をどれだけリアルに持っているのか、と云う部分から疑わしく感じさせる記事だと思いますし、これはおっしゃるように誠意(言及する対象に対して、ではなく、自分自身の生業に対しても)の問題なのかもしれません。
by pooh (2009-06-02 07:28) 

pooh

> No.4560さん

> 北朝鮮の科学者にも複雑な心境のまま核実験に協力させられている人もいると思うんですけど、彼女のようにイメージの中の「アメリカの科学者」を一括りとして見て、「お前らも無邪気にやったんだから…」と核実験に協力している科学者も多分いるんだろうなぁ

たぶん、じっさいにはどちらもいるんでしょう。で、それはあたりまえのことで。
なので、どちらに決め付けてもいけない。と云うか、ナイーヴに決め付けるような言説を公器でするのはたぶん単純にまずい。

> フランク報告等の科学者の活動もきちんと伝えてよ。

彼女はそこまで求められる立場だ、とぼくも認識しています。そう感じていないとしたら、いろいろとまずい。
by pooh (2009-06-02 07:33) 

黒猫亭

>poohさん

>>どちらが実、と云うことではないと思います。

「虚実」と謂う対置自体が価値判断を伴う言葉のようなイメージがありますから、誤解を招く表現ではありますね。これは撤回したほうが話が通りやすいと思いますので、文筆業や情報産業と謂うふうな言い方が好いかなと思います。

>>自分がどの部分を分担しているのか、と云う認識(と、それに伴う矜持)をどれだけリアルに持っているのか

社会の分業と謂う観点で考えると、たとえばよく技術開発者さんが挙げられる喩えで、原始の村の役割論なんかがありますよね。この時代の分業と謂うのは、飽くまで狩猟や農耕と謂う生産ベースで「モノ」が中心になっている点がわかりやすい。たとえば祭祀や王権に関係した役割でも、その時代の感覚においては生産と密接に関係しているわけですよね。

そこから政治や経済と謂う分業も確立していくわけで、安定生産を可能にする秩序維持の機能や生産されたモノの価値の流通機能が整備されて、社会構造が複雑化していきます。そのような社会の発達に伴って、生産からの距離が離れた分業が分化していくと、段々社会構造の全体像が俯瞰しにくくなってきます。

この辺からpoohさんの問題意識にある「想像力」の問題にも繋がってくるかと思いますが、文筆業や情報産業と謂うのは、専業として確立したのは高々百年ちょっと前で、社会的役割分化のかなり尖端のほうに位置していて、高度な文明を前提に成立している職業分野だと思います。

これは科学者も同様で、近代以前は哲学からの延長で専業ではなく貴族のような有閑階級が担ってきた役割ですね。それが「科学技術」と謂う形で生産ベースの社会システムに組み込みが可能になってくると、科学者と謂う専業が確立してきます。ちょっと素朴な言い方になりますが、生産に直結しない役割が専業として成立すると謂うのは、高度に文明的な事柄なのだと考えるわけです。

たとえば、他に収入手段を持っていない人間が小説だけ書いて生活出来る、それもかなり豊かな生活が出来ると謂うことは、これは高度に文明的なことなのですね。オレは現代のような高度な文明社会の意義を否定しませんし、文明が或る程度人間を幸福にしたと考えていますから、別段小説だけ書いて喰って行けることが後ろめたいことだとは思いませんが、そう謂う高度な文明や役割分化の尖端に位置する職業者が安直な文明否定を口にするのは、そうではない職種の人間よりも下劣なことだと考えます。

翻って元村氏の発言を考えると、

>>政治家が科学者を利用し、科学者は無邪気に目標を追いかけ、多くの命を奪い、地球を汚し、誰ひとり幸せにしなかった。

戦争で大量死が起こったのも、環境破壊が起こったのも、政治家が科学者を利用し、科学者が無邪気に目標を追い掛けたからで、科学がもたらしたものは誰ひとり幸福にしなかった、と断言しているわけですね。この意見は、政治も科学も他人事だと謂う感じ方に基づくもので、政治の実態も科学の実態も通り一遍に一からげにして全否定しているわけです。政治とも科学とも完全に無関係に社会が成立していて、こう謂う悪者が世界に悲惨をもたらすのだ、と謂うような、偏向した認識だと思います。

これは、少なくとも近代以降の社会の在り方の全否定ですから、では近代以降の社会の在り方に基づいて成立したあなたの職業的立場やその職業的営為の意義をも全否定しているわけですね、と謂うふうに考えるわけです。しかも「科学ジャーナリスト」が科学の社会的意義を全否定すると謂うなら、そんな自分が無価値と断ずるものについて言及し情報発信することを職業にしているのか、その職業的誠意は奈辺にあるのか、と謂う話にもなるでしょう。

元村氏の仕事を詳しく識っているわけではないですが、この方は「科学は人間を幸福にするものではない。科学者は危険な人種だから監視して暴走を止めなければならない」と謂う「原始に帰れ」的な持論を訴えておられる方なのでしょうか。そうだとすると、かなり極端で過激な警世家みたいな立場だと謂うことになりますからわからなくもないですが、それはジャーナリストではなく過激思想家だと謂うことになりますね。

ジャーナリストの場合、発信する情報や提言の社会的意義が価値を創出し対価をもたらしているわけで、それにも関わらず「科学ジャーナリスト」が科学の社会的意義を全否定すると謂うのは、自身の発信する情報の価値の全否定でしょう。オレが反感を覚える不誠実さと謂うのは、そう謂う種類のものです。

引き合いに出した坂東眞砂子についても、観光以外に主要産業がない絶海の孤島であるタヒチに外国人が移住して快適に暮らせること、その生活手段が文章執筆であること、さらにその原稿をエアメールなりPCメールなりで入稿出来ることで在外の執筆活動が可能になること、これらすべてが高度に文明的な生活様態なのだと謂う認識もなく文明否定を口にすること、自分は文明とは無縁に暮らしていると嘯くこと、これはどんだけ愚昧な人間なんだと謂う話になります。

オレは別段、文筆業者やジャーナリストが社会に「養ってもらっている」卑屈な立場だとは考えていませんし、生産に関連する職種の人に比べて価値的に劣るとも考えていませんが、少なくともその職業的立場は高度な文明に立脚していると考えます。或る種の文学的修辞としての文明否定や文明拒絶の表現は在っても構わないでしょうが、真面目な提言なり一社会人としての発言なりの形で安直な文明拒絶の姿勢を暴露することは、職業者としての自分の立場がどんなシステムの上に立脚しているのかについて目を背ける愚昧であると思います。
by 黒猫亭 (2009-06-02 12:01) 

YJS

こんにちは。poohさん、黒猫亭さん、みなさん。

黒猫亭さん:
> 政治も科学も他人事だと謂う感じ方に基づくもの…

元村さんのコラムだけでなく、発信箱の他の方のコラムもいくつか読んでみたのですが、なんとなくどれも「劇場のスクリーンを見て、それについてコメントしている」という感じが、私の場合は拭えないのでした。
黒猫亭さんが指摘しているのも、そんな感じなのかな、と。

ちょっと脱線になるかもしれませんが(って、脱線以外のコメントをしたことがないのですが)、マスメディアだけでなく個人のブログでも似たようなスタンスのコメントって多い気がしてまして…もし私だけでないとすると、何かその手のコメント(=ヌルくて、雑駁で、感情的でありながら斜に構えたような)を好む性向がヒトにはあるのかな、と。
そして、そんな性向がヒトにあるとしたら、その手のものを格好良く感じさせるのはいかなる(大昔?の)進化心理学的要因なのだろうか?、と。

by YJS (2009-06-02 14:30) 

技術開発者

こんにちは、YJSさん。「人間の基本仕様論」を説いている技術開発者です。

>そして、そんな性向がヒトにあるとしたら、その手のものを格好良く感じさせるのはいかなる(大昔?の)進化心理学的要因なのだろうか?、と。

う~ん。なんていうか猿の群れというのは大きくても数十頭という所でして、百頭を超えると群れが分かれます。まあ、餌の量の関係が大きくて、百頭を超える群れが集団で餌をあさると足りなくなるのが大きいんですけどね。ただ、その結果として人間が感覚的に把握出来る群れの大きさというのもそれほど大きくは無いのだろうと思います。人間の文化は非常に長い狩猟採取時代を経て農耕・牧畜とかを始めた訳ですが、狩猟・採取時代の群れの大きさというのは、まあ猿とあまり変わらなくて百人を越すと餌が足りなくなるので、数十人単位のむらだったのだろうと思います。農耕をはじめて餌が足りるようになって百人とか千人という「国」になって来たわけですが、おそらく、そういう大きな群れという経験は、まだ1万年くらいしか経験していなんだろうと思います。

そういう意味では、猿の群れ以上の大きな群れに関しては、感覚的に自分の群れとして把握するのが難しいというのは基本的にありそうに思います。

ここから「基本仕様論」になる訳ですが、私が「リアリティ」とか言うときに「他人事でなく自分の生きている社会の事として考えろ」みたいな意味で言うけど、おそらく感覚的には無理なんですね。でもって、私が「基本仕様でまかなえない部分を文化でまかなう」なんて言うのが「取り扱いマニアルとしての文化」論なんですが、或る意味で、猿の群れの大きさを超えてしまった社会では「この社会はお前の社会なんだぞ」を教育とか社会風潮を利用してかなり意図的に刷り込んできたのじゃないかと思うんですね。ただね、人間の歴史は、その刷り込みを悪用されることも結構あった訳ですね。別な所にも書いたけど、戦前・戦中の「大日本帝国国民」みたいな話ね。でもって、日本の戦後は、その悪用されたことの反省にたって、あまり「この社会はお前の現実の社会なんだぞ」みたいな刷り込みにブレーキが掛かっている気がする訳です。まあ、全体主義に陥るより安全ではあるんと思うんだけどね。でもね、そういう文化的な刷り込みを弱めた事で、もともと感覚的には把握出来ない社会というのが「他人事」として語られる様になるというのは、すごく自然な気もします。

by 技術開発者 (2009-06-02 17:24) 

YJS

こんにちは。技術開発者さん、みなさん。

技術開発者さん:
> 猿の群れ以上の大きな群れに関しては、感覚的に
> 自分の群れとして把握するのが難しい

やはり、その辺りでしょうかね。私にとってはとても説得的なご意見です。
実は、私がこのエントリを拝見し、そして黒猫亭さんの最初のコメントを読んだ時、モソモソと考えていたことが3つありました。

ひとつはヌルさ、というか分析の甘さ。
ひとつは他人事感覚、もしくはコミットの弱さ。
ひとつは繰り返されること、もしくは淘汰の弱さ。

他人事感覚については、技術開発者さんの説明を受け入れるとして、そうするとヌルさや分析の甘さについても、だって他人事だから・ちゃんとした分析は大変だから、という理屈がある程度つくだろうと思います。
そして、科学ジャーナリストという職業上、そんな他人事扱いでヌルい分析を披露するのはどうなのよ?、と批判されるのも理解できます。

でも、最後の、この手のヌルい言説が繰り返し出現すること。
これには、主張する側の好みと主張を聞く側(=受け入れる側)の好みと、両方が絡んでいて、それにもヒトの性向が根っこにあるのかなぁ、と。
と言うのも、他人事じゃないはずなのにヌルい分析って、元村さんの話だけでなく、結構多いのではないかと感じているんですね。経済学・医学・心理学・などなど。
いわゆる筋のよろしくない話を専門家と目される人がする。しかも、人は変われどいろんな分野で繰り返し。

これがきちんと淘汰される場合とされない場合があって、科学関連は淘汰される方になるでしょうがニセ科学とかエセ経済学とか…淘汰が弱いのかシブといのか。減らない(というよりむしろ増えている?)。

真剣になっていないことに手を抜くのは合理的でしょうが、真剣になっているはずのことでもキチンとしない・ヌルいのが良い、という感覚。主張する側も受け入れる側も。
しかし一方で、キチンとしていると気持ちが良いという感覚もあって、なにか変だと感じて調べて脱却っていうパターンも、実際に私の身近で聞いたりもします。
つまり、どちらもひとりのヒトの中に同居していて、技術開発者さんがおっしゃるところの教育などで刷り込むことで飼いならしてきた…つまり上手な飼いならし方を開発する余地があるのかなぁ、と。

私には、やはりニセ科学に関連するもろもろと、今回のエントリの話は無関係ではないように感じます。淘汰圧を高める方法があれば…などと。
まとまりが無くて申し訳ありませんが。

by YJS (2009-06-02 18:59) 

pooh

> 黒猫亭さん

> この意見は、政治も科学も他人事だと謂う感じ方に基づくもので

これはそう感じます。個人としても、職務としても、自分自身にすくなからざるコミットメントが存在する、と云う意識がしっかりとあれば、ちょっと書き方も変わってくるはずですよね。

> この方は「科学は人間を幸福にするものではない。科学者は危険な人種だから監視して暴走を止めなければならない」と謂う「原始に帰れ」的な持論を訴えておられる方なのでしょうか。

うぅむ。いや、「理系白書」で有名になった方なので、基本的な定見としてそのような視点で言説をおこなっておられる、と云うわけではないのですけど。と云うかそもそも定見がどのあたりにあるのかよくわからなかったり。

> 真面目な提言なり一社会人としての発言なりの形で安直な文明拒絶の姿勢を暴露することは、職業者としての自分の立場がどんなシステムの上に立脚しているのかについて目を背ける愚昧であると思います。

とりあえずぼくが問題視したいのは、引用させていただいたなかでの「安直な」と云う部分です。
過激な意見は過激な意見で、なんらかの定見から導き出されたものだったら、まぁしかたがない部分もある(この場合、問われるのはそのような言説を許容する報道機関としての毎日新聞のスタンス、と云うことになるでしょう)。でも、詰めて考えていない立脚点からそう云う種類の言説がでてきた、と云うことだとすると(そう云うことのように見えますが)、それはすくなくとも科学ジャーナリスト大賞を受賞した斯界の第一人者のものすべきものではない、と思います。
by pooh (2009-06-02 21:35) 

pooh

> YJSさん

まぁ一般的に云って、発話者としての自分の立ち位置をきっちり示すのはけっこうおっかないことではあるじゃないですか。発話の対象から距離をとるほうが、なんとなく云いたいことを云っても突っ込みを回避できるし。その気持ちはすごくよくわかるし、なのでぼくもなにかについて発言するときにあらかじめ理解やコミットメントの水準を示してから書くこともけっこうあります(予防線を張る、と云うのとはまたちょっと違いますけど)。

ただ、そうやって書いたものが届くか、そもそも届けたいのか、届いているのか、と云うのはあるかと。
斜に構えただけの言説って、結局かっこわるいだけのものが多い気もしますし。

> その手のものを格好良く感じさせるのはいかなる(大昔?の)進化心理学的要因なのだろうか?

これはわからないです(^^;。技術開発者さんの仮説は、わりと同意してきた部分ではありますが。

いや、ヌルい言説・ヌルい対話に意味がない、価値がないと云うわけでもないとは思うんですよ。でも、そう云うヌルさのなかで醸成されるさまざまなものが、結果的にとりかえしのつかない事態を引き起こす背景となりうる、と云うのは思ったりしていて。ちょっとこの場ではうまく云えないし説明できないのですが、そう云う危機感めいたものはあります。

ただ、そう云うヌルさは、元村さんには許容されるべきではないんですよ。そこをなんとか自覚してもらう方法はないものか。
by pooh (2009-06-02 21:36) 

pooh

> 技術開発者さん

> そういう文化的な刷り込みを弱めた事で、もともと感覚的には把握出来ない社会というのが「他人事」として語られる様になるというのは、すごく自然な気もします。

これ、どれくらいがちょうどいい場所なのか、と云う判断がものすごく難しい部分ですよね。
なんと云うか、慣性みたいなものが働くために、そうそう簡単に方向転換ができるものでもないし。
by pooh (2009-06-02 21:36) 

技術開発者

こんにちは、YJSさん。もう少し説明しますね。

>でも、最後の、この手のヌルい言説が繰り返し出現すること。
>これには、主張する側の好みと主張を聞く側(=受け入れる側)の好みと、両方が絡んでいて、それにもヒトの性向が根っこにあるのかなぁ、と。

私の「人間の基本仕様と取り扱いマニアルとしての文化」論において、重きをなしているのは「文化」というものなんです。その文化というのがかなりプラグマティックな側面を持っているという考察なんですね。この場合で言うと、「天下国家を論ずるのが格好良い」と思わせていた社会風潮みたいなものです。もともと人間は仕様的に天下国家を感覚的に把握はできない訳で、何も無いと100人以上の社会は瓦解するしかない訳です。そこで、例えば「知識人たる者は社会を把握出来、そしてそれを議論出来る」みたいな意識を社会に作り上げ、「知識人が天下国家を論ずるのは格好が良い」みたいな風潮をつくる機能が文化のどこかに築かれていたのじゃないかと思うわけです。

こういう文化があると、TPOに応じてではありますが「ヌルさを出すのは恥ずかしいこと」という意識が生じます。TPOがあるというのは、知識人といえども仲間内で酒を飲むような場では、身の回りの感覚的な話をしてもそう恥ずかしくは無いけど、例えば、知識人と見なされる場に記事を書くような時には恥ずかしいことである訳です。そういう文化が「親しみやすさのインフレーション」と私が呼んでいる様な流れで壊されている気がします。

「親しみやすさのインフレーション」というのは、例えば謹厳実直な社長と思われている人が飲み会の二次会でポロっとエッチな話をすることで「あの人にも人間的な面があるのね」と言われていたものが、「親しみやすい方が良いよ」で、一次会で猥談をするようになり、最後は朝礼ででもついやっちゃう様なイメージですね。謹厳実直なイメージがあるから、二次会のセクシージョークが人間性の認識になるのであって、朝礼でエッチな話をするようになったら、単なる下品でしょ(笑)。

by 技術開発者 (2009-06-03 08:38) 

YJS

こんにちは。poohさん、技術開発者さん、みなさん。

技術開発者さん:
> ヌルさを出すのは…知識人と見なされる場に記事
> を書くような時には恥ずかしいこと…そういう文化
> が「親しみやすさのインフレーション」と私が呼ん
> でいる様な流れ壊されている

なるほど!
この「親しみやすさのインフレーション」というのは、実にうまいネーミングですね。(いつかどこかで使いたいですね。典拠を示すためのURLとかって、ないですか?)
それって、以前から変わらず働いていたんでしょうか? それとも最近になってからかなぁ…最近からの気がしますが。

もしかしたら、技術の進歩で発信のコストが低下している最近のトレンドとも協調した動きかもしれませんね。発信のコストが高い時には、分析として精密であることの方が重要視されることも考えられますから。

うーむ。ヒトの好みとしても、親しみやすさは重要ですよね。発信のコストの低下も、私としては支持したいところです。

pooh さん:
> ヌルい言説・ヌルい対話に…価値がないと云うわけ
> でもないとは思うんですよ。でも…結果的にとりか
> えしのつかない事態を引き起こす背景となりうる

poohさんのコメントとも対応しそうですね。
昔のようにコストを高めるのはスジ悪だとおもっているので、そうするとメリットを下げる(特定の局面ではマイナスにする)って方向しかないのでしょうが…聞く側が問われるってことですね。上手く文化を設計するくらいしかないかも。

by YJS (2009-06-03 12:09) 

技術開発者

こんにちは、YJSさん。

>この「親しみやすさのインフレーション」というのは、実にうまいネーミングですね。(いつかどこかで使いたいですね。典拠を示すためのURLとかって、ないですか?)

典拠もなにも私がいろいろと人と話をしているうちに出てきてしまった言葉なのでね。

>それって、以前から変わらず働いていたんでしょうか? それとも最近になってからかなぁ…最近からの気がしますが。

昔から、怖くて近くに寄れないような偉い人が、ちょっとエッチな話をしたり、ミーハーな事を言ったりすることで「親しみが湧く」は有るわけです。でもね、もともと怖くて近くに寄れないような偉い人というのは、日常的な事以上の事を考えなきゃ成らない者であったわけですよ。例えば、高速道路が休日千円になると、社員は「何処に遊びに行った」と雑談していられるけど、ちょっとした会社の社長なら、土日の高速道路の渋滞が会社の製品やら原料の輸送に与える影響が無いか気に掛けなきゃ成らないわけです。そのために、自分が遊びに行く気にもなれず、「どこに遊びに行った」なんて雑談に加われないのね。昔なら社員も「社長はきっと難しい事を考えて居るんだろう」と親しみは湧かないけどその立場は忖度した部分が有るわけですね。でも、そういう「親しみの湧きにくい態度は良くない」となれば、無理して遊びに行って「私もどこそこに行った」くらいは言わないと成らなくなるよね(笑)。でもって、それが、社員と違うことも考えながら、でも社員に合わせているうちは問題じゃないけど、そうやって社長の「親しみが湧く」態度を見て成った次の社長が、「高速道路が安いから遊びに行く」事ばかり考えて、土日の高速道路の渋滞が会社の製品やら原料の輸送に与える影響が無いか気に掛け無くなったら、会社は危ない訳ね。

by 技術開発者 (2009-06-03 18:02) 

pooh

> 技術開発者さん

おっしゃる文脈での文化、と云うものは、自由を制限するものではあるかもしれませんが、すくなくとも自主を維持するためには必須のもの、ですよね。
by pooh (2009-06-03 21:46) 

pooh

> YJSさん

> 聞く側が問われるってことですね。

いや、発する側ももちろん問われるんです。伝えるべき内容と、目的と、手法のバランスですよね。
by pooh (2009-06-03 21:47) 

YJS

こんにちは。みなさん。

poohさん:
> > 聞く側が問われるってことですね。
> いや、発する側ももちろん問われるんです。

あっ、これ、「淘汰が働くようにするためには」です。
結局、メリットの方が大きいから、いろんな場でだれかしらのTPOを弁えないヌル発言が絶えず繰り返されるだろうと思っています。
親しみやすさは大事だし、発信のコストが高かった昔に戻すのも嫌だと。すると発言者にとってメリットが激減するようにするくらいしかない。
そのためには…聞く側が…という話です。

TPOを弁えずにヌルい言説を吐いてまわる発言者に対しては、「つまらん、あんたの言う事はツマらん!」という態度を「聞く側」が持つというのしか無いのだろう、と。

こんなふうに考えると、淘汰がうまく働いて、良い議論が生き残るように(まがりなりにも)なっている科学って…一種の奇跡かもしれない、と。この世界においては。
by YJS (2009-06-03 22:34) 

かも ひろやす

poorさんの誤記にじょうじて、関係がなくはない情報です。元村有希子記者の毎日新聞での役割に相当することを朝日新聞で担っているのは、辻篤子論説委員という方のようです。朝日新聞朝刊で論説委員が交代で執筆しているらしい署名入りコラムに、その手のことを不定期に書いていらっしゃいます。内容は、元村有希子さんよりは良質です。

読売新聞に相当する方がいらっしゃるかどうかは存じません。

by かも ひろやす (2009-06-04 01:30) 

pooh

> YJSさん

あぁ、すみません。そう云うことですね。

科学について云うと、やっぱりその仕組みが結果的にうまくデザインされている、と云うのが大きいんだろうな、と思います。なので、仕組みをおおざっぱにでも理解して、適切に信用する、と。
by pooh (2009-06-04 07:26) 

pooh

> かも ひろやすさん

そう云うかたがたの社内的な地位、と云うかポリティカルな位置づけって、どんな感じなんでしょうね。
by pooh (2009-06-04 07:27) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

>おっしゃる文脈での文化、と云うものは、自由を制限するものではあるかもしれませんが、すくなくとも自主を維持するためには必須のもの、ですよね。

そうですね。我々の文化というのは「個人の自由を制限する事で個人の自由を守る」という変な構造になっている面があります。昔、良く「自力救済の禁止とその代償としての民事裁判」なんてことを説明していました。例えば、取り返すことが許される金でも、自分で相手を押さえつけて相手のサイフから取り返してはならない訳ですよ。本来、個人が「自力救済権」というのを持っていると考えると、これは自由の制限である訳です。ただ自力救済に任せると、力の強い者は行使出来るけど弱い者は行使出来ない訳です。世界一強い人は一人しかいませんから、後の人は皆、強いものによって救済されない可能性をもつ訳ですね。つまり、救済される権利というものが侵害されるおそれがある、つまり不自由になる訳です。そこで個々が持っている自力救済権という権利を棚上げして、民事裁判とか裁判所の強制執行というシステムをつくる事で、「救済される権利」というのを守る訳です。

by 技術開発者 (2009-06-04 08:43) 

黒猫亭

>技術開発者さん

仰るような「自由」の逆説的な在り方を見失うと、新自由主義の自己責任論みたいな話にもなってきますね。自由競争を無思慮に促進すると、競争と謂うのはそもそも「強い者が勝つ」ものですから、一握りの強者だけが無制限の自由を謳歌出来て、それ以外の多数の弱者の自由が侵害されると謂うことになります。

こう謂うことを政府が言い出して、「競争に敗れるのは自己責任だ」と謂う理屈で強者に対する規制を抑えると謂うのであれば、そもそも権力や制度が何故必要なのかと謂う大本の理念が忘れられます。効率的な搾取や富の集中を促進する為に権力があるのなら、その種の収奪的な権力は打倒さるべきものだと謂うのは近代以前にコンセンサスが確立しているわけですね。

蒸し返すのも何ですが、元村氏の発言にせよ新自由主義にせよ、自身の拠って立つ社会的な存在基盤を全否定するような愚かしさがあるわけで、ジャーナリストに期待されている役割、権力に期待されている役割、そう謂うものが忘れられて、社会全体の中で妥当に位置附けられた役割を逸脱して害悪を及ぼしているのではないかと思います。

おそらく、社会悪と謂うのはそう謂う機序で発生するのかな、と思わないでもないです。
by 黒猫亭 (2009-06-04 13:09) 

pooh

> 技術開発者さん、黒猫亭さん

このあたり一連の、社会規範とか権威とかをめぐるニセ科学周辺の議論とも接続してくる部分だと思うんですが。
このへん、どのあたりが適切なのか、と云う部分にはわかりやすい最適解はなくて。と云うか、社会と個人との係わり合い、と云った部分で、簡単に解がある、とか考えてしまうと当然ながらすでに危ういものでもあるわけあったり。

ただ、まちがいなく云えるのは、そこに批判的な目を向けるにあたっては、それがなぜ存在するのか、と云うことをまずは認識する必要がある、と云うことだと思います。その意味で黒猫亭さんの、

> 自身の拠って立つ社会的な存在基盤を全否定するような愚かしさがある

と云う見解に同意します。社会の木鐸たることを要請される立場の人間がそのあたりを忘れて発言するようだと、端的に云ってそのひとはあるべき機能を果たしていない、と云うことになるかと。
by pooh (2009-06-04 21:56) 

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