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進歩のもたらすもの [よしなしごと]

先日のエントリで書いた、英国下院科学技術委員会がNHSのホメオパシー適用を廃止する結論を出した件については、関連情報を黒影さんがホメオパシーがようやく英国から追放されそうな件についてと云うエントリでまとめをお書きになっている(さらにそれをnofrillsさんが英下院の科学技術委員会の「ホメオパシーについての報告書」の件(記事リンク集つき)と云うエントリで補完されている)。
欧米では一般的だけど日本では巨大利権による陰謀によって迫害されている、と云うのが多くの欧米由来の代替医療の支持者や従事者のロジックなので、このへんの動きについてはどんな反応が見られるのかな、とか思ってたけど、あまり話題にはされてないみたい。まぁまだ議会による審議が実施される前だしなぁ。数少ない中で見かけたのが、アロマセラピストでいらっしゃるdeepmountainさんの英国では物議を醸しているそうですね、ホメオパシーと云うエントリ。まぁアロマテラピーは代替医療とはまた違う括りに入るもののようにも思うけどね(運用にもよるけど)。

代替療法はいつの時代も苦しいポジションです。

表舞台は歩めなくても、何百年、何千年と継承され、

決して人類から葬り去られることはなかった・・・。

(フォント指定タグを除去しています。以下同様)

この種の言説にはわりとありがちなんだけど、いつの時代もってのがいつの時代のことを云ってるのか判然としない。代替療法(代替医療)、ってのは通常の医療の対義語なので、通常の医療がある程度確立する前には存在しないはずだし、そのなかで効果の見込めないものが葬り去られる時代がくるとすれば、それは基本的に今、とか、これから、じゃないんだろうか。

今の私たちが瀉血をあり得ないと思うが如く、

「メスとやらで体を切り裂いて治療している時代があったんだってね!」

と驚く日が、数百年、いや数十年後に来ないとも限らず・・・。

もちろん来ないとも限らないと思うし、くるといいな、ともそりゃ思う。ひとあしとびにそんなところまで到達するかどうかはともかくとして、医学は進歩を続けている。
ただまぁ、その医学の進歩のなかで、ホメオパシーをはじめとするある種の代替医療は瀉血と同様にすでにあり得ないと云うことがわかっているわけで。なので現時点で葬り去られているものだと云う認識をそれらの支持者や従事者が持っていないとすれば、それは医学の進歩とは直接関係ない、別種のロジックに支えられたもの、なんだと思う。

それとは別の話として、ある種の事業が表舞台は歩めない状況にあることって、事業をおこなう主体からするとけして単純にネガティヴなことじゃないんじゃないかな、とも思う。表舞台で事業を行っていると、その扱うアイテムやサービスの価格が対価として適切であるかどうか、と云う視点からの評価がより厳しくなることにもつながるから。
ほら、例えば覚醒剤が合法化されたら、いちばん困るのは現在それをアンダーグラウンドに流通させている事業者なわけだし。公的な医療手段として認められて、砂糖玉にまっとうな値付けが求められるようになったら、利鞘はけっこうしぼむかもよ。

で、そんな昨今、某ホメオパシー業者は英国下院科学技術委員会の結論に対しなんら意見を表明しないまま、長妻大臣の発言に勢いづいたのか1年半ほど前からはじめている「ホメオパシーを支持します」署名運動をふたたびプッシュしはじめているのだった。
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Seagul-X

>「メスとやらで体を切り裂いて治療している時代があったんだってね!」

これ読んで、即座に頭の中に浮かんできた映画の一シーンがあります。
「スタートレック4 故郷への長い道」(そーだよ、どーせ私ゃトレッキ〜)で原子力空母エンタープライズの上で頭を打って病院に担ぎ込まれたチェコフを救出しにいったら、ちょうど手術が始まるところ。ドクター・マッコイが現代の医者に「ドリルで頭に穴をあけるのは正解じゃない。動脈を修復するんだ」てなことを云います。(日本語字幕だとちょっと違います)
で、チェコフの頭になんか機械をのっけてピコピコ鳴ってる電子音が変わったら、見事治っちゃいました。

実際、将来からだを切り裂かなくていいようになるとしたらナノマシンとか、そういった科学技術によるものの可能性が高くて、代替医療が見直されることでそうなる望みは非常に小さいんですが、deepmountain さんはそう思われてないみたいですね。内視鏡のことには言及されてますが、ついこのあいだ、その内視鏡の手術を受けてきた私としては内視鏡とアロマテラピーやホメオパシーとがどう繋がるのかさっぱりわかりません、現代医療(万能じゃないけど←ココ重要)万歳!、というのが正直なところです。おまけに安いし。
「これで病院やっていけるのか?」って思っちゃいましたもん。まぁ、私みたいな素人の見積もりは当てにならないってことなんだと思いますが、病院経営が立ち行かなくなってるところ、全国に増えてますよね。
pooh さんの云われるとおり、公的保険の対象になったら儲からないでしょうねぇ、きっと。英国ではどうだったかは知りませんが。
…なんか本題から逸れてきたんで、この辺にしておきます、ごめんなさい。

by Seagul-X (2010-03-03 00:35) 

pooh

> Seagul-Xさん

TNGまでしかちゃんと見ていない、「元」のつくトレッキーとしては、Dr.マッコイの使うハイポ(針なし注射器)とか連想するわけですが。と云うかそれより、未来のお医者さんって医療業務以外にいろいろやるはめになって大変だなぁ、とか。

アロマテラピーそのものは本来は医療のくくりじゃないと思うし、運用次第って部分もあるんでしょうけど、隣接してるとは云え代替医療として扱うのは微妙ですよね。ただ、検証次第では通常医療の1要素として活用可能な側面だってあるのかも。

代替医療が検証を経て通常医療の一部に組み込まれる、と云うのはもちろんありえない話じゃないし、その提供する機能が現在の通常医療の枠内にあるものよりも(さまざまな角度から見て)良質でコストにひきあうものである、と云うことがあっても、原理的にはすこしも不思議じゃない、と思うんですよ。ただこのロジックから行くと、通常医療と同様に検証によって否定されたものは捨て去られるべきだし、それが例えば「信じる」ことによって有効になることはないんですよね。
by pooh (2010-03-03 07:37) 

かも ひろやす

スタートレックの注射器は小型の転送器で、薬剤なりナノマシンなりを転送によって注入するものだという説明が、VOYで出てきます。

それはともかく、医師免許制度自体が、歴史的には新しいものですよね。医師免許制度が成立するより前にはヤブ医者はいてもニセ医者はいませんでした。当然、「代替医療」もなかった。そっちの時代のほうが長いのだから、「いつの時代でも」は誇大もよいところです。

半端な保守派が「伝統的」というのはたいてい「自分が子供のころからずっと」であって、せいぜい半世紀ぐらいのことでしかないという話がありますが、ここでの「いつの時代も」もその手のものでしょう。

by かも ひろやす (2010-03-03 13:54) 

技術開発者

こんにちは、かも ひろやすさん。

>半端な保守派が「伝統的」というのはたいてい「自分が子供のころからずっと」であって、せいぜい半世紀ぐらいのことでしかないという話がありますが、ここでの「いつの時代も」もその手のものでしょう。

まさにその通りですね。別なところでも書いたけど、もともと、施術、薬草、鍼灸、祈祷は同列であり、その中から現代の医学や薬学がセレクションされてきたという流れですからね。

さらにいうと、医学や薬学が発展する過程で、それらの同列のものの中から効果のある部分を取り入れてきていると言うことも忘れて欲しくないんですね。アロマテラピーの人は、自分たちの使う香り成分が医学や薬学と別物と思っている面があるけど、ハーブ精油を直接使っていないというだけで薬効のある成分はきちんと薬理効果を明らかにする形で医学や薬学に取り入れられている訳です。例えば薄荷精油の主成分であるメントールはその薬理効果としての局所血管収縮作用が明らかになっていて、医薬品にも使われている訳です。

なんていうかな、医学とか薬学が人類の歴史の最初からあるかの様なイメージに支配されている感じを受けますね(笑)。

by 技術開発者 (2010-03-03 14:18) 

うさぎ林檎

こんにちは。

針の無い注射器は是非実現して欲しいです。保育園の予防注射で余りに大泣きするので他の子が怯えると謂われて物品倉庫に放り込まれたんですよ、私。

技術開発者さんのお話を伺っていて私が最近思ったのは、問題を起こしている「代替医療」は実はもう結果が出ているものなんだなと謂う事です。効果が認められるエッセンスはとっくの昔に普通の医療に組み込まれていて、そこからこぼれ落ちたモノだけが「代替医療」と名乗っている……今頃気付いたのかと謂うお話しですケド。

某ホメオパシー団体ですが
「鳩山由紀夫首相のツルの一声で、厚生労働省は瞑想や催眠療法といった民間医療に加え、チベット医学、ホメオパシーなどの世界各国の伝統医学の保険適用や資格制度化をマジメに考え始めた。」by 夕刊フジ2月16日(15日発行版)
http://www.homoeopathy.ac/12whatsnew/report20100217.php
とか載せてるんですケド、本当なんでしょうか(すいません、今調べている時間が無くて)。
by うさぎ林檎 (2010-03-03 15:31) 

pooh

> かも ひろやすさん

ひゃあ、あれって転送だったんですか。
小学生の頃に読んだジェイムズ・ブリッシュのノヴェライズでは、別の理屈が書いてあったような。でもそちらのほうが新しい設定みたいなので、公式、ってことになるんでしょうね。

> 医師免許制度が成立するより前にはヤブ医者はいてもニセ医者はいませんでした。

そう云うお話ですよね。

> 半端な保守派が「伝統的」というのはたいてい「自分が子供のころからずっと」であって、せいぜい半世紀ぐらいのことでしかない

アロマテラピーは発想までたどればそうとう古そうですけど、ホメオパシーはたかだか200年ですからね。とか云うとすぐにヒポクラテスとか持ち出してこられちゃうけど。
by pooh (2010-03-03 21:55) 

pooh

> 技術開発者さん

> 施術、薬草、鍼灸、祈祷は同列であり、その中から現代の医学や薬学がセレクションされてきた

そう云うことですよね。効くとわかっている、あるいは経験的に効くことが高い確率で期待できるものが、いまの「通常医療」として括られているわけで。

> アロマテラピーの人は、自分たちの使う香り成分が医学や薬学と別物と思っている面がある

ここのところは、例えば通常医療のように確立された枠組みがあるものではないようなので、ひとそれぞれの部分もあるようです。例えばこちらで言及したようなアロマテラピストのかたもいらっしゃるようですし(このかたはブログを閉じられてしまったみたいで残念です)。
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2007-04-30

> 医学とか薬学が人類の歴史の最初からあるかの様なイメージ

これは、それらが現在保有する権威がどこに由来するものか、と云う点についての理解の相違によってもたらされるもののように思います。その権威は王権神授的に絶対的に生じているものではなく、この社会に生きるぼくたちが自分たち自身の利便性のために与えたものなんですよね。
by pooh (2010-03-03 21:56) 

pooh

> うさぎ林檎さん

> 針の無い注射器は是非実現して欲しいです。

Dr. レナード・"ボーンズ"・マッコイに頼んでください。こどもだからってスポック博士に頼んでもだめですよ。

> 問題を起こしている「代替医療」は実はもう結果が出ているもの

あるいは、検証そのものを拒んでいるもの(または無効な検証結果を有効だと主張しているもの)ですよね。包括的な知識を持っているわけではないので、具体的にどれがそうだ、とは云えませんが。
ただ(なんども云っていますが)ぼくは通常医療の回避を示唆するとか、患者を脅すことで高額な費用を使わせるとか、あるいは直接的に健康被害があるとか、そう云った側面さえなければ、代替医療の存在は容認されてもいいんじゃないか、と云うふうに考えています。アロマテラピーを使用したリラクゼーションとかそう云うものに問題がある、とは思いません。もちろんなんらかの効果が期待できる以上検証に臨んで、有効な手法として通常医療に組み込まれるようなことがあればもっといいだろうな、とは思いますが。

> 本当なんでしょうか

すみません。ぼくも時間的な余裕がさっぱりありません。
ただ「ソースは夕刊フジ」ですからねぇ。こんなの公式サイトに掲載しない方がまだましなんじゃないかと。
by pooh (2010-03-03 21:59) 

Seagul-X

ドクター・マッコイのハイポスプレーは高圧で薬を皮膚に浸透させるものですね。現実にも結構昔からあることはあります。「無針注射器」で検索してみると、歯医者さんでよく使われているみたいですね。
ただまあ、原理からして使える場面が限定的なんで、いまはまだ全面的に使われるには至らないのですが、23 世紀にはたぶん注射する薬剤のほうの改良(ナノマシンが自力で皮下から目的の部位まで移動するとか)でなんとかなってるんでしょう、たぶん。

VOY の時代では原理が変わっているのは、たぶん転送技術の発達で注射器に使えるようになったんだと思います。TOS だと艦内転送が危険だって云ってたくらいだし、さらに遡って ENT だと最初の頃は生体の転送も危険だったりしましたから。注射器だけじゃなくて 24 世紀の医療室にはホロデッキの技術も投入されたりしてますし。

いかんいかん、だからこの話題は脱線なんだって>私

by Seagul-X (2010-03-03 22:54) 

pooh

> Seagul-Xさん

ぼくもおっしゃるような理解だったんですが、基本的には放送に準拠したものが正史だったと思うので、かも ひろやすさんが正しい、と云うことになるんだと思います(スター・トレックの正史は溯及します)。

って、管理人が乗っかるくらいなので、ここには脱線ってないんですよ(ぼくを含めた対話中の当事者がだれも関心を抱かない話題、と云うのでないかぎり)。
それはそれとして。

> 現実にも結構昔からあることはあります。

これはびっくり。知りませんでした。歯医者さんで使われる、って云うことは、麻酔なんかなんですかね。
by pooh (2010-03-03 23:18) 

About

こんばんは、お話の脱線ついでに、

私は45歳で北海道出身の人なのですが、小学生の頃のインフルエンザ予防接種では無針注射器が使われていました。短時間に大人数の接種が可能ということで導入されたようですが、高圧の薬液が筋肉を断裂させる恐れがある、皮膚との接触面に被接種者(でいいのかな)の血液や、雑菌が付着したまま何人もの人に注射が行われる可能性があるなどの理由で、私の受けていた期間から数年後には使用されなくなりました。

私と同郷で同年代の人とは、通称『鉄砲注射』を、打たれた実感と共に思い出せるのですが、結構それ以外では話が通じなかったりします。

そういえば、後に同じ注射器が牛に使われているのを見たことがありますね(^^;
by About (2010-03-04 02:14) 

pooh

> Aboutさん

ぼくもおおむね同世代なのですけど(西のほうの人間です)、そう云えば見たことあるような気がしてきました。金属製のやつじゃなかったでしたっけか。射たれたことがあるかどうかは記憶が定かではないですけど。
こう云うのってイノベーションが起こって、同じ基本技術を応用したものが復活する場合もあったりしますから、うさぎ林檎さんはそれを待てばよいのかもしれませんね。
by pooh (2010-03-04 07:39) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

>そう云うことですよね。効くとわかっている、あるいは経験的に効くことが高い確率で期待できるものが、いまの「通常医療」として括られているわけで。

そう、kikulogではキニーネの例を出したけど、薬学なんかは発達の途中で非常に多くの民間療法で使われる薬草を検証しているし、実はまだ探してもいる訳です。メルクの企業伝説だったと思いますが、研究者が文献調査をしていて「どこどこでは何々の病気がほとんど起こらない」という記述に目を留め、「これをもっと調べよう」と許可を貰うために上司の部屋に向けて歩いていたら向こうから上司が歩いて来た、手には同じ文献を持っていた、なんてね(笑)。なんていうか、沢山の研究者が真剣に探している訳ですね。

さらにいうと、「効果が無かった」は公表されないと言うことです。例えば、製薬会社が「ヘッポコ茸に育毛効果があると言われている」と調べて、効果がない場合にわざわざ薬学の雑誌に「効果がなかった」と報告はしないのです。実は理由があって、効果があったものの百倍以上のチェックはしているので、そんなのをいちいち報告出来ないし、報告されたら読む方だってたまらないですからね。つまり効果が無かったものについては、調査したかどうかも含めて社外には報告されないのが普通だと言うことですね。

私なんかも研究を開始する前に調査をしますが、「報告がない」は「誰もやっていない」と同じでないんですね。私と同じ発想を誰かが既に抱いて、やってみてうまく行かなくて報告が無い可能性もあるんです。このあたり、対象物とかその発想に使う道具立てが最近開発されたものかどうかで、結構予想は付くんだけどね。最近開発した分析法は、調査の段階で確実に過去に何人か(ひょっとすると何十人か)はトライしていると思いましたね(その対象物も道具も昔からあるものだったからね、うまくいかない理由も或る程度は予想出来たりした)。でも、「俺なら途中を工夫してできるだろ」でやったらできた(自慢です:笑)。

健康食品なんかの宣伝文句に「昔から健康に良いと言われてきました」なんて書いてあると、「じゃあ製薬会社は既に何度も調べただろうな」なんて思うべき何ですね(笑)。でもって有効成分とかが示されていなければ「たぶん無いかあっても大した効き目はない」と考えれば良いわけです(笑)。

by 技術開発者 (2010-03-04 08:29) 

Seagul-X

ググればすぐわかると思って前のコメントには書かなかったんですが、いま歯医者さんなどで使われている無針注射器は数年前に出た改良型みたいで、それ以前のものにあった問題がいくつか解決されたもののようです。
About さんの挙げられた問題がすべて解決されているかどうかはわかりませんが。
ただ、まだまだな点もあるみたいで pooh さんの想像されたように麻酔に使われているんですが、麻酔の効きが弱いこともあるようです。その場合は普通の注射器で追加の麻酔をするんだそうです。

で、pooh さんのお墨付きももらったことだし。(をい>私)

設定の変更が遡及する話は重々承知しているんですよ、ごめんなさい。
“トランスワープはなかった”件で痛い目をみてるので。A 型エンタープライズの壁のディスプレイに艦の図面と「トランスワープシステムなんちゃら」てな表示があって(「Mr. Scott's Guide to the Enterprise」という本で確認できます)、てっきり A 型にはトランスワープシステムが載ってると思ったら、TNG のテクニカルマニュアルで「エクセルシオでのトランスワープ実験は失敗、通常のワープエンジンに換装して就役した」というちゃぶ台ひっくり返す内容が書かれてた、って話です。
で、なんで前のコメントみたいなことを書いたかっていうと、startrek.com のライブラリの記述が高圧使って云々になってるんですよ。

http://www.startrek.com/startrek/view/library/science/TOS/article/3276.html

それと各時代の転送技術の描かれかたから、TOS と VOY の間のどこかで技術革新があったんだろうな、って。そこら辺の整合性が気になるもんで、トレッキーですから(爆)

もうひとつ、設定の変更があっても過去に遡及しなかった例がいくつかあって、たとえばワープファクターですね。
TOS の頃はワープファクターの 3 乗に光速度をかけたものが実際の速度で、TNG 以降はワープ 1 が光速なのがおなじだけでまったく違う体系(ワープ 10 が速度無限大)になってますよね。
これも TOS と TNG との間にワープエンジンの改良があって、ワープファクターの計算が変わったことになってます。
そんなこんなで前のコメントみたいな考察になったわけです。

by Seagul-X (2010-03-04 12:48) 

うさぎ林檎

こんばんは。

そう謂えば、同じ頃に歯医者で拳を口に突っ込んで麻酔注射を拒否する私のために、母が見つけてきた歯医者さんで麻酔注射の前にスプレーの麻酔をされたのを思い出しました…でもその後注射もしっかりされたのも思い出しました(笑)。

ちょっと隙を見て国会会議録検索システムで”統合医療”の答弁を検索してみました。
平成22年01月28日 参議院・予算委員会
平成22年01月29日 参議院・本会議 
平成22年02月17日 衆議院・厚生労働委員会
で答弁がありました(内容が重複するものは除く)。

あちこちで紹介されているとおり「平成22年01月28日 参議院・予算委員会」が具体的に統合医療を審議しています。しかしこの委員会でも”ホメオパチー”が出てくるのは一度のみで、それ以外はほぼ”漢方”の扱いについての審議に見えます。長妻大臣の答弁に

「これにつきましては、先ほども統合医療の項目を申し上げましたけれども、今現在は、御存じのように、漢方、鍼灸、はり、きゅうの一部については保険医療ということになっておりますけれども、それ以外について、具体的な効果、科学的な検証ということで、まず漢方以外の統合医療について、これも予算を計上して具体的に研究をしていくということ、そして漢方については特に手厚く予算を付けさせていただいて、漢方のこれまで検証が進んでいなかった分野についての科学的な検証をするというのが大きな項目でございます。」

とありますので「科学的な検証をする」としか謂っていません(鍼灸とはり、きゅうを分けているのが???ですし、ホメに関しては無駄だと思いますケド)。
またその他の答弁も「検討する」の文言しかありませんでした。
厚生労働省のWebページも一通り見てみましたが、まだ研究会等の告知はありませんでした。

と謂う事で

>平成22年2月22日(月)、日本ホメオパシー医学協会(JPHMA)由井寅子会長が、長妻昭 厚生労働大臣、及び、厚生労働省 統合医療プロジェクトチーム宛に「ホメオパシーについての提言と説明資料」を提出しました。
http://jphma.org/fukyu/country_100302_1.html

と謂うのは、単にパブコメを出しただけじゃなかろうか、と思います
夕刊フジを出したのは、以前に参考リンクに阿修羅版を出したのと同じぐらい軽率な行為だってことですね。
by うさぎ林檎 (2010-03-04 20:38) 

zorori

>医師免許制度が成立するより前にはヤブ医者はいてもニセ医者はいませんでした。

私の父は医者嫌い(もう死語かも)でした。
医者も代替医療も含めて,うさんくさい商売だと考えている風でありました。つまり,医療全体に対してあまり期待はしていなかったと思います。わずか数十年前でもそう言う認識の人は結構いたように思います。

一方,現代の医療批判というのは,当たり前のように医療の恩恵に浴しているという最近の事情によるのでしょうね。現代医療の恩恵のようなものは、はるか昔からあって当り前のものだと勘違いしているんですよ。そして、過剰期待のあまり、失望して代替医療に逆戻りするんでしょう。

水道水不信で,より危ないミネラルウォーターや井戸水にはまるのと似ていますね。

by zorori (2010-03-04 20:44) 

pooh

> 技術開発者さん

> さらにいうと、「効果が無かった」は公表されないと言うことです。

あぁ、そうか!
そりゃそうですよね。でも、ぼくにはそう云う理解がなかった。感覚的な盲点でした。

でもこれは、もうフロンティアはあんまりない、と云う意味ではないですね。ただ、研究者がまだ見つけていない画期的な薬効が発見される可能性は、ふつうに思っているより少ない、と。

あと、おっしゃるように新しい道具立てが発見されるかどうか、と云うのにかかっている部分も多そうです。

> 健康食品なんかの宣伝文句に「昔から健康に良いと言われてきました」なんて書いてあると、「じゃあ製薬会社は既に何度も調べただろうな」なんて思うべき何ですね(笑)。でもって有効成分とかが示されていなければ「たぶん無いかあっても大した効き目はない」と考えれば良いわけです(笑)。

これは判断基準として有用ですね。
あと(これは結局どの場合もおなじですが)なにを根拠に、どんな調査方法で薬効を見出したのか、と云うのを確認するのも有効ですよね。あからさまにあやしい方法なら、素人でも判断できる可能性はけっこうありそうです。
by pooh (2010-03-04 22:02) 

pooh

> Seagul-Xさん

> いま歯医者さんなどで使われている無針注射器は数年前に出た改良型みたいで

あぁ、イノベーションは止まっていないんですね。これはうさぎ林檎さんには朗報。
と云うか歯茎って粘膜の直下に毛細血管があるわけなので、Aboutさんのおっしゃるような問題点は相対的に起きづらい、と云うことのようにも思います。

> で、pooh さんのお墨付きももらったことだし。

ああもうこれだからトレッキーは。25年前に廃業してよかった。
(うそです。なんかうちのコメント欄ってこの種の話題が好きなひとが以前から多いので、ぜんぜんかまいませんよ)

正史、って云っても、細かい矛盾はあるわけで。そこをいかに意地になって整合させるか、みたいな部分にトレッキーが抱く情熱って、どこからくるんでしょうね。しかもそのあたり、細部を追求しつづけて飽きない(身に覚えがある)。

でも、ですね。こいつのおかげで、最新情報が遡及して正史になる、と云うのが原則とは云えなくなったかも、とか思う部分があります。
http://www.startrekmovie.com/intl/jp/
いろんなところがリセットされてしまった。

いや、この映画自体は好きでした。ボーンズの口ぐせが当時から変わってないあたりとか。やたらと高いところから落っこちる映画だな、とも思いましたけど。
by pooh (2010-03-04 22:03) 

pooh

> うさぎ林檎さん

どれだけ注射嫌いだったんですか。

> 「科学的な検証をする」としか謂っていません

ついでに「科学的な検証が終わっているものについては、予算が厳しいおりでもあり改めて検証しない」って云ってくれればいいのに。

> 夕刊フジを出したのは、以前に参考リンクに阿修羅版を出したのと同じぐらい軽率な行為

どうなんだろう。
じつは皮肉ではなく、マーケットを考えると、考え抜かれた適切な選択なのかもしれない、と云うふうにも思えてきます(阿修羅板同様)。
by pooh (2010-03-04 22:08) 

pooh

> zororiさん

> 現代医療の恩恵のようなものは、はるか昔からあって当り前のものだと勘違い

これってぜったいにあると思います。
水道をひねればいつでも飲める(まず劇症は引き起こさない)水があるから、「自然な」水を賛美するとか、そう云う側面はあると思います。
で、その水がどんなひとのどんな努力で自分のところまで届けられているか、なんてことを考えもせずに、琵琶湖のほとりに行って水の伝道師と一緒にロハスでスピリチュアルでハイアーセルフでリコネクションな感謝とお祈りを捧げたりするんですよ。
by pooh (2010-03-04 22:12) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

>漢方のこれまで検証が進んでいなかった分野についての科学的な検証をするというのが大きな項目でございます。

なんか、誤解があるような気がして仕方ないのね。漢方薬だって、その元になる植物に含まれる有効成分はほとんど分かっている訳ですね。漢方と西洋医学の違いは、そういった有効成分を含んだものをどう使っていくかという考え方、つまり思想の違いに過ぎないという言い方すら言い過ぎじゃない気がするんです。

なんて言うか「思想の違い」の部分を「科学的に解明する」というのはどういう事なんだろうと思ってしまう訳です。
by 技術開発者 (2010-03-05 11:40) 

pooh

> 技術開発者さん

> 漢方薬だって、その元になる植物に含まれる有効成分はほとんど分かっている

ここのところ、ちょっと考えてしまうんですが。
有効成分同士の、なんと云うかインタラクション的な部分までほとんどわかっているのだとすれば(そして人体、と云うステージにおけるふるまいまでわかっているとすれば)おっしゃるとおりだ、と思うんです。
逆に、そこの部分が別のメソッドによって把握されていたり、経験的に認識されていたりする部分は、なんかあり得るようにも感じるんですよね。いや、感覚的な部分なんで、ぼくの捉え方がずれているのかもしれないんですけど。
で、科学的な角度からそこにメスを入れることで、あらためて得ることのできる果実もあるとか、そう云う話かと。
by pooh (2010-03-05 21:26) 

うさぎ林檎

おはようございます。

>漢方薬だって、その元になる植物に含まれる有効成分はほとんど分かっている訳ですね。

そう謂えば、大分昔にTVで身分は製薬会社の会社員の人(だったと思うのです)が、余り文明が入り込んでいない場所(アマゾンだったと)に、現地の人が使っている薬草を調査しに行く場面を見た記憶があります。そんな調査に世界中の製薬会社がしのぎを削っている、そんな話だったと思います。
人類が既知でなおかつ未調査な薬草なんてもうないのかもしれませんね。
by うさぎ林檎 (2010-03-06 09:10) 

ROCKY 江藤

画期的な新エネルギーが発明されたのだけれど既得権益にしがみつく石油資本に弾圧されている、と主張する陰謀論だか詐欺だかがよくあります。私なんか、石油資本がそんなに強大な権力資金力を持っているのであれば、無名の発明家を潰したりするよりも、金の力で発明を取り上げて独占して大儲けを図りそうなもんだと思ってしまいます。
世界の製薬会社も、漢方でもホメオパシーでも呪術でもなんでも、効くものであれば製品化して利益を上げる方が得策だと思います。それが資本主義と言うものでしょう。
by ROCKY 江藤 (2010-03-06 14:46) 

mimon

漢方薬について、技術開発者さんのおっしゃるとおりです。
私の女房は、薬学部卒で、大学では、生薬を専門にしておりました。確かに、下剤によく使われるセンナなどは、「漢方」ではありませんから、あちらの業界では、薬草などのことを「生薬」と呼ぶのが正しいようです。
薬草の効能の有無どころか、その成分の何がどう効くかなんていう、基本的なところは、先人達がほとんど研究し尽くしていまして、結局、有効成分のナントカ基をカントカ基にしたら、もっと効くのではないかと、合成して実験してみたら、全然効かなくなったとかいう、研究をしていたそうです。
生薬といえば、もっと、妙な草とかを集めてきて、混ぜ合わせて煎じたりする、マカフシギな世界を期待していたのですが、まるで、カタギの薬屋さんみたいで、面白くありませんね。
あと、温室で薬草の有効成分が増えるような品種改良もしていたそうで、そうなると、薬学というよりも、農学に近くなって、ちっともロマンチックじゃありません。
by mimon (2010-03-06 18:36) 

pooh

> うさぎ林檎さん

> 人類が既知でなおかつ未調査な薬草なんてもうないのかもしれませんね。

かもしれないです。未知なもの、ならあるかもしれないですけど。
それでも、順列組み合わせ的なインタラクションはまだまだ無限にありうるかも、とか思ってたんです。mimonさんがご説明してくださいましたけど。
by pooh (2010-03-06 20:50) 

pooh

> ROCKY 江藤さん

きっとそのへんはどこぞの秘密結社やどこそこの民族の暗躍によって資本主義が歪められてるんですよ、きっと。
by pooh (2010-03-06 20:51) 

pooh

> mimonさん

あぁ、ありがとうございます。そう云う感じなのか。
なんか無駄にロマンティックな妄想を抱いてたみたいですね、ぼく。

> まるで、カタギの薬屋さんみたいで、面白くありませんね。

いや結局、共有可能で人類の財産となりうる智恵を蓄積しようとすれば、いまやそう云う一見味気ない手法をとることになる、と云う話なのかと。で、そこにはまたそれなりのロマンティシズム(と云うのが適切かどうかわからないですけど)もありうる、と云う話のようにも思います。

> 農学に近くなって

いや、こう云う学際的な展開ってロマンですよ。
by pooh (2010-03-06 20:57) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

>有効成分同士の、なんと云うかインタラクション的な部分までほとんどわかっているのだとすれば(そして人体、と云うステージにおけるふるまいまでわかっているとすれば)おっしゃるとおりだ、と思うんです。
>逆に、そこの部分が別のメソッドによって把握されていたり、経験的に認識されていたりする部分は、なんかあり得るようにも感じるんですよね。いや、感覚的な部分なんで、ぼくの捉え方がずれているのかもしれないんですけど。

なんていうか、「思想の違い」という言い方をするのは、この部分なんです。「科学的に解明する」という場合に、今、我々の持つ科学観で言えば「有効成分を明らかにして、その有効成分の他の成分とのインタラクションも明らかにしていく」みたいな、なんていうか分解・統合型の探索方法を考える訳ですね。でもって、その部分については、もう長い歴史の中でやってきている訳です。

もちろん、思想的な意味で分解・統合型の探索方法とは別のアプローチはあるのは有るんだけど、それを考えると我々の自然科学観そのものを修正しないと「科学的に解明」とは言えないんじゃないかな。

>余り文明が入り込んでいない場所(アマゾンだったと)に、現地の人が使っている薬草を調査しに行く場面を見た記憶があります。

プランツハンターですね。昔、抗生物質の探索が盛んだったときには、菌類のハンターがいたこともあります。
by 技術開発者 (2010-03-08 11:53) 

pooh

> 技術開発者さん

> 我々の自然科学観そのものを修正しないと

ここのところ、どうなんですかね。
思想体系の違いは単なる把握のメソッド違いで、その把握されている内容自体は別の(自然科学的な)理路においても解釈可能、みたいに思ってるんですけど(このへんTAKESANさんの武道観に近い)無理筋かなぁ。
by pooh (2010-03-09 07:35) 

技術開発者

こんにちは、 pooh さん。

>思想体系の違いは単なる把握のメソッド違いで、その把握されている内容自体は別の(自然科学的な)理路においても解釈可能、みたいに思ってるんですけど

 このあたり、kikulogの方で「漢方には副作用の概念がない」なんて話をすこし茶化す形で書いて見たりして居るんだけどね。なんていうかな、例えば脱毛やら倦怠感やらいろんな悪い作用があるけど癌には効く抗ガン剤を使用しても「医療過誤」とは考えないのが西洋医学で、そこで出てくる悪い作用の呼び名が「副作用」なのね。
 でもって漢方というのは一面でひどく観念的な理想論の部分があって、「身体に悪い影響を与えずに病気に対してのみ効く用法があるはずだ」なんて思想が根底にはあるのね。だから、西洋医学で言うところの「副作用」というのは「医療過誤」と見なす面がある訳ですよ。

by 技術開発者 (2010-03-09 12:22) 

pooh

> 技術開発者さん

そのへんは、たしかに思想の違い、と云う云いかたが適切ですね。
ただこのへん、対象とするものが人体と云うおなじものである以上、たがいに相対主義的に光を照らしあうことで相互に有益な考えかたの輸出入が可能なんじゃないか、とか思うわけです。
いや、これは端的にぼくがそう思いたいだけ、と云う可能性も高いですけどね。
by pooh (2010-03-11 07:45) 

かも ひろやす

本業の研究に必要で和算書の原文(漢文で書かれたもの)を読むはめになって、おもしろいことがわかりました。和算には証明の概念がないといわれていますが、それでも、和算家は証明をしているんですよ。

和算に証明の概念がないというのは、おそらく本当でしょう。私が読んだ範囲でも、証明済みの事実と未証明の予想を厳密に区別しようとする意識は感じられませんでした。それでも、発見の詳細を記述する文書には、「解題」と称するものが付属していて、この手続きでなぜ解が求まるかを説明しているんですね。それは、現代の基準でも十分に証明として通用するものになっています。

で、いいたいことは、対象の性質から必然的に必要になる概念というものはあるもので、それは思想体系の違いでどうにかなるものではないんじゃないかということです。和算に証明の概念がなくても、必要なところでは、結局、証明をしちゃってる。漢方に副作用の概念がなくても、結局、副作用の観察と分析は必要に応じて行う。そこは文化相対主義の届かないところではないかなということです。

by かも ひろやす (2010-03-11 14:13) 

pooh

> かも ひろやすさん

あぁ、そう云うことも生じるんですね。見かけ上は収斂、ですね。

> 対象の性質から必然的に必要になる概念というものはあるもので、それは思想体系の違いでどうにかなるものではない

それにしても、結果的に能率のいい角度、と云うのはあるのかも、とかまだ考えているぼくがいたりします。これはなんと云うか、まだフロンティアがそこここに残っているとか考えたい、みたいな部分なんだろうと思います。
ただ、文化相対主義的なアスペクトからそこを見るのは、まぁ違いますね。アプローチする実態はおなじなので、効果、と云う面からは相対主義的な考えかたが入り込む余地はない。
by pooh (2010-03-12 07:41) 

TAKESAN

今日は。

なんかものすごく曖昧な言い方ですが(笑)なんとなく、ジョセフ・ニーダムを思い出しました。

後、薬学的には、「有害事象」「有害反応」「副作用」は別な概念だったりしますね。後者二つは同一と看做される場合もあるみたいですが。
by TAKESAN (2010-03-13 17:20) 

pooh

> TAKESANさん

聞いた名前だな、それってだれだっけ、とか思って確認してみたら…うむむ。なんと申しましょうか。

> 「有害事象」「有害反応」「副作用」は別な概念

あぁ、なるほど。使い方と使う場所が違ったりするんでしょうね。

# このへんの弁別がときに曖昧、と云うか場合によってはそのへんの曖昧さをミスティフィカシオンに使ったりするのも、ある種の代替医療の問題点として挙げられるかも。
by pooh (2010-03-14 11:31) 

かも ひろやす

一般的な言葉の使い方では、副作用は有害とは限りません。主作用以外の作用はすべて副作用で、それが嬉しいか悲しいかは問いません。手元のお薬手帳にも、風邪薬を飲んで眠気を催し、ついでに不眠が治ってしまう例が載っています。

逆に、有害反応が副作用とも限りません。毒薬では毒性のほうが主作用です。


by かも ひろやす (2010-03-14 11:50) 

黒猫亭

>かも ひろやすさん

>>逆に、有害反応が副作用とも限りません。毒薬では毒性のほうが主作用です。

ターム論に流れた辺りで、「薬」と「毒」の関係についても正確なところをご説明戴ければ。オレの理解では、この二つの言葉は、或る切り口では同階層でも別の切り口では階層性が違うと解釈しているのですが、どうでしょう。曖昧な質問ですいません。
by 黒猫亭 (2010-03-14 13:03) 

pooh

> かも ひろやすさん

あぁ、そう云う判別なんですね。なるほど。そうですよね。副作用、と云うのは主作用の対義語ですもんね。と云うか、「主作用」と云う用語は日常には使われませんね。

問題になるのはTAKESANさんのコメントにある「有害事象」なわけですよね。ここをどう捉えるか。
by pooh (2010-03-14 20:50) 

pooh

> 黒猫亭さん

非常に理解したいところではありますけど、かもさんにお尋ねするのもちょっと違うような。
うむむ。専門違いには違いないかもですが、PseuDoctorさんのコメントがいちばんいただきたいところかも。
by pooh (2010-03-14 20:52) 

TAKESAN

今日は。

私が参照したのは、
○日本薬学会サイト内
・有害事象
http://www.pharm.or.jp/dictionary/wiki.cgi?%e6%9c%89%e5%ae%b3%e4%ba%8b%e8%b1%a1

・有害反応
http://www.pharm.or.jp/dictionary/wiki.cgi?%e6%9c%89%e5%ae%b3%e5%8f%8d%e5%bf%9c

・副作用
http://www.pharm.or.jp/dictionary/wiki.cgi?%e5%89%af%e4%bd%9c%e7%94%a8

○薬物有害反応: 臨床薬理学: メルクマニュアル18版 日本語版
http://merckmanual.jp/mmpej/sec20/ch305/ch305a.html

ここら辺です。学術的な用法・分類 としてはこういう感じである、ということで。
by TAKESAN (2010-03-15 14:01) 

pooh

> TAKESANさん

あぁ、ありがとうございます。

と云うか、それぞれにも書いてありましたけど、日常的な会話と云う角度から考えると、やっぱり文脈に留意、と云う側面は否めない感じもありますね(逆に云うとちゃんと文脈をそろえていない用法には要注意、と云う話にもなりますが)。
by pooh (2010-03-15 22:11) 

PseuDoctor

こんばんは。

書きたい事が溜まり過ぎてて首が回らなくなっています。
取り急ぎ(個人的な意見として)2点だけ。
1.「全ての薬は毒である」とは言えるが、逆は言えない。
2.一般的には毒と薬は異なるものと認識されているが、一般論のレベルであっても、必ずしもそうとは限らない。

これだけでは解り難いと思いますが、近日中にもう少し詳しく書きます。
by PseuDoctor (2010-03-16 01:33) 

pooh

> PseuDoctorさん

あぁ、なんかお忙しいなかお呼びたてしたような。

おっしゃる感じはわかるようで、やっぱりちょっとむずかしい。こう、このあたりのことを世間知レベルの認識として共有するために、どんな理解が適切なんだろう、とか考えるんですよね。文脈のなかでなにが正確な理解でなにが比喩なのか、を混同させるあたりに、いっぱんにニセ科学が広められる技術が集約されているんじゃないか、みたいにも感じているので。
by pooh (2010-03-16 07:31) 

黒猫亭

>PseuDoctorさん

>>1.「全ての薬は毒である」とは言えるが、逆は言えない。
>>2.一般的には毒と薬は異なるものと認識されているが、一般論のレベルであっても、必ずしもそうとは限らない。

お伺いしたいのはまさにそのようなお話です。昔読んだ毒物についての概説書によりますと、薬と謂う意味を持つ「pharma」と謂う言葉は元々ギリシャ語の「pharmakon」から来ているけれど、これは元々薬に限らず「魔力を持つ植物性物質」一般を意味していて、毒も薬も含んだ概念だと謂うことでした。

たとえば矢毒に用いる毒薬は「toxikon pharmakon」となって、この「toxikon」と謂うのは「toxin」の語源ですから毒と謂う意味ですね。だから無理矢理翻訳すると「毒としての魔力を持つ植物性物質」と謂う意味になりますが、言葉の成り立ちを考えると、毒もやはり「pharmakon」なんですね。有害性と有益性を併せ持つ存在を意味する「パルマコン」と謂うタームもありますが、これが示唆しているのは、薬と毒と謂う言葉は本質的には階層性が違うのではないかと謂うことだと思うんです。

一般的にイメージする「薬・毒」と謂う弁別は「発酵・腐敗」と似たような人間視点の基準に基づく分け方であって、その意味で考えても「毒にしかならない物質」はあり得ても「薬にしかならない物質」があり得るとは思えません。

かなり迂遠なロジックですが(笑)、或る種この辺の関係性をキチンと理解することはニセ科学問題の根幹に関わってくるんではないかと考えています。

>>これだけでは解り難いと思いますが、近日中にもう少し詳しく書きます。

そう謂う次第で、これはかなり重要な情報ではないかと思いますので、期待しております。
by 黒猫亭 (2010-03-16 07:49) 

pooh

> 黒猫亭さん

どのようなことばで表現され、伝えられ、それがどのような文脈をかたちづくるのか、と云う部分は、ある程度厳密な概念が世間知に(そこで不用意な意味の変換なく)ブレイクダウンされる過程においてはけっこう重要だ、と思ったりしています。単にあいまいさを排除すればいい、と云う話にもならないですし。
そこのところはもちろんそれぞれが論において考えるべき部分でもあるんですが、ここではぼくもちょっと専門性のあるかたに甘えたい(^^;。
by pooh (2010-03-16 08:12) 

PseuDoctor

こんばんは。

>Poohさん
いえいえ、呼ばれるのは嬉しいんですよ、何時でも。
ただ「応えられない自分が悲しいね」という感じなので。

>黒猫亭さん
ああ、やはりそこまでお考えでしたか。この話を始めるとどうしてもニセ科学との関係まで語りたくなってしまうのもあって、すぐには書けなかったのですが、もう遠慮は要りませんね(笑)。

では本題です。

語源的な部分はちょっと不勉強ですが、歴史的に見てもおそらく「毒」という概念が先にあって、そこから「薬」が分化してきたものと推測されます。逆に言いますと、この場合の「毒」は「薬」を含んでいますから「心身に影響を及ぼすものの総称」とでも言える概念なのですね。
医療の黎明期から残されている伝説を見ますと、東洋でも西洋でも、自らを実験台として薬を発見した聖人ないし半神の話が出てきます。他の多くの伝説と同様に、この話にもいくばくかの真実が含まれていると考えられますので、人類は試行錯誤の末に「毒」の中から「薬」を選り分けていったと解釈するのが自然でしょう。
言わば薬とは「自然を(部分的に)飼い馴らすのに成功した例」という言い方も出来ます。人間の都合で分けているという点からすれば、まさしく私も「腐敗と発酵」との類似を考えていたところです。

以上より、成り立ちからして「全ての薬は毒である」と言える訳ですが、薬理学的に見てもその通りなのです。薬が心身に何らかの作用を及ぼすものである以上、その作用が強くなり過ぎる事は好ましくありません。多くの薬の作用は投与量に依存しますので、一般的に「使い方を間違えると有害な結果を引き起こす」と言えます。
一方で、アレルギー反応の様に量に依存し難いものもありますが、いずれにしても「副作用の無い薬は無い」「有害事象を全く生じない薬は無い」と言い切って良いと思います。
この事は日常的な概念からでもある程度は類推出来ます。人体とは想像を絶する複雑さと精妙さを持った構造ですから、そこに変化を加える以上、意図しない効果が生じる危険性が常に存在するのは当たり前です。例えるなら、高度にチューニングされたエンジンでも楽器でも良いですが、そこに何らかの操作を加える場合「一方的にやればやるほど良くなる操作」などというものがあるのでしょうか。ネジ一本にしても最適な締め加減というものがあって、締めれば締めるほど(あるいは、緩めれば緩めるほど)性能が上がる、などと言う事は無い筈です。増してや、人体の場合は推して知るべし、です。

以上をまとめると、以下の様になります。
狭義の毒 + 薬 = 広義の毒
ここで「狭義の毒」とは害しかもたらさないもの、「薬」とは益と害の両方をもたらすものです。従って「広義の毒」とは「何らかの影響を及ぼすもの」となる訳です。
注意すべきは「益のみをもたらすものは無い」という点です。「有害無益」はあっても「有益無害」は有り得ないのです。

しかしながら、こういう考え方はどうも受けが悪い様です。どうしても人は「ウマい話」を求めてしまうのですね。曰く「副作用が皆無の理想的な治療法」「元手なしで安全確実に大儲け」「○○する『だけ』でみるみる改善」「あなただけに教えます」・・・
これらは全て「都合の良い話」を求める心理につけ込んだものです。ですから「ウマい話など存在しない」と言い続けるのも大事なのですが、どうもそれだけでは充分ではない。何故なら「本当はあるのに隠してるんだろう」と思われたら終りだからです。
その場合には、理屈だけでなく感性にも訴えていく必要がある。例えば、肥後守は切れ味が鈍いけれども怪我もし難いとか、電気カミソリは深剃り出来ないけど顔も切らないとかの、納得し易い経験から類推してもらうのです。
但し、この方法は切れ味の良い刃物を使い、かつ、それで怪我をした経験が無い相手に対しては、効果が薄いでしょう。その意味で、進歩した現代社会に住む我々は「痛い目を見る」機会が少な過ぎるのかもしれません。

そう考えていくと、結局、誰でも何処かで痛い目を見なければ学習しないのかもしれません。それが手の怪我くらいで済めば良いのですが、痛い目を見た経験が無ければ、あるいは経験から学ぶという事をしなければ、後からもっと酷い目に遭う可能性が高くなります。
と言う訳で、現実的に考えて最良なのは「なるべく早い時期に軽く痛い目を見させて、その経験により速やかに学習する」というあたりでしょうか。しかし強制的に痛い目を見させるのも難しそうですから、取り敢えずは「経験から速やかに学習する」という習慣から普及していけば良いのかな、とも思います。
by PseuDoctor (2010-03-18 22:26) 

pooh

> PseuDoctorさん

うあぁ。
こんな内容、1コメントとしていただいていいものか。
以前も技術開発者さんにいただいたコメントについてお願いしたことがあるんですが、エントリにしていいですか?
しかしこう云う文脈の接続を用意してくれる黒猫亭さんもすごいな。

> 自らを実験台として薬を発見した聖人ないし半神

おっしゃるとおり、これは歴史的経緯のアレゴリーなんでしょうね。

> 人体とは想像を絶する複雑さと精妙さを持った構造ですから、そこに変化を加える以上、意図しない効果が生じる危険性が常に存在するのは当たり前

健康なうちは、そこに無限と云ってもいいような冗長性を期待してしまうんですが、そんなことないはずなんですよね。
楽器やエンジンの比喩は、まさに、と云った感じです。ただ、それらにはない自然治癒力、と云うのが存在するので(感覚的に)ややこしくなる。

> 「益のみをもたらすものは無い」

もしあったら、それこそ「不自然」なんですよね。現実問題。

> しかし強制的に痛い目を見させるのも難しそうですから

poohに噛み付かれてみる、ってのはどうですかね。相当部分まで実質無害ですけど(自分でもひどい冗談だ)。
いや、自重します。
by pooh (2010-03-18 22:58) 

PseuDoctor

>エントリにしていいですか?
勿論です。どうかお役立てください。
私が書いた文章ではありますが、なんと言いますか、

>こう云う文脈の接続を用意してくれる黒猫亭さんもすごいな。
と仰る通りで、黒猫亭さんや皆さんの遣り取りがあってこそのもの(一種の触媒として作用したとでも言いましょうか)だと考えています。
ですから、大いに使って頂ければ良いと思います。

by PseuDoctor (2010-03-19 00:08) 

pooh

> PseuDoctorさん

許諾ありがとうございます。

こう、ここ程度では知れたものではあるんですけど、それでも独立したエントリになれば、引用と流通の自由度と可能性は高くなるんですよね。
by pooh (2010-03-19 07:29) 

TAKESAN@PseuDoctorさんのコメントの見事さに驚嘆

今日は。

記号学(というかソシュール言語学)をご存知のpoohさんに向けて、一つ与太話をば(笑)

たまに私が話に出す方が、「瓦重構造」という概念を提出した事があります。どういうものかと言うと、同じ行動なりが、文脈によって違う価値付けをなされる、という論理です。例を挙げると、「背負い投げ」のような行動は、柔道場内の試合会場(つまり時間的・空間的に限定された場所)で行われれば「ポイントを取るための”技”」と価値付けられるのに対し、道端で行われた場合には、「暴行」や「暴力」などとして意味付けられる。
いたずらっぽい(これが既にして価値的表現ですが)行為も、周りの人間関係によって、「ふざけ」か「いじめ」かが変わる。

そういう風に、常に「かつ」のあり方であるようなものを、瓦重構造と言う訳ですね。言語論的恣意性とも関わってきます。

上の例は、同じ現象がどの文脈に位置付けられるかで価値が異なる、という観点ですね。
翻って毒物/薬物 との関連で考えるならば、「同一の物質」であっても、それらの価値付けは量的な関係に依存する、つまり用量-反応 関係のようなものが関わってくるものと思いますが、それもある種の両義性と見る事が出来るのではないかと考えます。また、ある薬剤の副作用が他の疾患などに有効であった、ような場合もあると聞きます。

何が言いたいのかよく解りませんが(笑) つまり、必ずしも両義性、あるいは上で書いた「瓦重構造」性が論理的に理解しにくいという事では無く、たとえば、「包丁は料理に使う道具だが殺人の武器としても用いられてしまう。」といったようなアナロジーを出しながら説明すれば、同一物質が毒にも薬にも成り得る事(量によっては「毒にも薬にもならない」事)、また、上でPseuDoctorさんが解説して下さった、毒と薬の概念の論理的関係、も理解してもらう事は、そこまで難しく無いのかも知れない、と。

もちろん前提として、社会現象が複雑であるのと同様に、人体そのものが複雑なシステムとして構成されている、という部分へのある程度の理解は必須、とは思いますが。←ただ、そこが最も難しい、と言われれば返せない(笑) 自然観・世界観・人間観 が関わってきますしね。
by TAKESAN@PseuDoctorさんのコメントの見事さに驚嘆 (2010-03-19 11:46) 

pooh

> TAKESANさん

うむむ。難しげなような、わかりやすいような。いや、わかるんですけど。

> ある薬剤の副作用が他の疾患などに有効であった、ような場合

向精神薬のなかにはもともと胃腸薬だった(と云うかいまでも胃腸科の薬としても使われている)ものとかあるんですよね。
こう云うケースを考えると、おっしゃっていたように場合によっては厳密な用語法が必要になってくるよなぁ、とか思います。

> アナロジーを出しながら説明

これはこれでまた、話者の技倆、みたいなものが関わってくるので、そう簡単でもないかも、とか思います。名前は挙げないことにしますが、正直そう云うのがうらやましいぐらいじょうずなかたもいらっしゃるし。
ただまぁ、プラクティスを積み重ねる、共有してそこから学ぶ、と云うことはできるわけで。

> 人体そのものが複雑なシステムとして構成されている、という部分へのある程度の理解

こう云う部分をまた、じょうずに相手に飲み込ませることのできるひともいらっしゃるんだよなぁ。精進します。
by pooh (2010-03-19 22:08) 

黒猫亭

>PseuDoctorさん

丁寧なご説明有り難うございます。

>>この話を始めるとどうしてもニセ科学との関係まで語りたくなってしまうのもあって、すぐには書けなかったのですが、もう遠慮は要りませんね(笑)。

まさしく、この問題ってニセ科学問題の核心の一つではあるんですよね、安全神話とかゼロリスク志向とか行き過ぎた自然崇拝など、いろいろな裾野の広がりを持っていると思います。

>>語源的な部分はちょっと不勉強ですが、歴史的に見てもおそらく「毒」という概念が先にあって、そこから「薬」が分化してきたものと推測されます。

仰る通りで、前回のオレのコメントで「pharmakon=魔力を持つ植物性物質」と表現した概念と謂うのは、自然科学の枠組みで当たり前に考えれば「毒」と謂う表現にならざるを得ないんだと思います(笑)。つまり、「魔力を持つ植物性物質」と謂うのは本草学みたいな薬草研究を前提にした語義ですが、人間の心身に影響を与える物質は何もアルカロイドだけではないわけで、植物毒もあれば動物毒も鉱物毒も細菌毒もあるわけで、植物由来に限ったものではありません。ですから、「植物性物質」と謂うのは定義と謂うより歴史的経緯を示す言葉の痕跡みたいなものですね。

さらに、自然科学の枠組みでは「魔力を持つ」と謂う概念も「人間の心身に影響を与える」と読み替える必要があって、古代の概念では「pharmakon」には惚れ薬とか忘れ薬とか透明薬とか変身薬みたいな、まさに「魔法そのもの」の超越的な効能も想定されていたわけですが、今の常識的な自然科学で考えれば、人間の身体に摂取された外来の物質が何らかの化学的反応で心身に影響を及ぼすこと、と読み替えられます。

それはつまり「毒」である、と謂うことなんですね。PseuDoctorさんが仰るように、人体の外部から入ってきた外来の物質は、何らかの暴力的な自然の魔力を秘めているのだけれど、それを経験則によって研究してその魔力をコントロールし人間にとって都合の好いように利用する、それが今で謂うところの「薬」なのだと謂うことですね。だから本来、人体内部で何らかの著しい作用を及ぼす物質の本然はなべて「毒」なのだと謂うことで、自然科学の規範で読み解けばそう謂うことになるのだと思います。

>>一方で、アレルギー反応の様に量に依存し難いものもありますが、いずれにしても「副作用の無い薬は無い」「有害事象を全く生じない薬は無い」と言い切って良いと思います。

いま一つ補足するなら、薬と謂うものが或る「スタンダードな人体」を想定したものでしかない以上、特定の「スタンダードから外れた人体」にとっては「毒」としての本性を現してしまう、と謂う問題があります。つまり、確実に効くことが確認された薬が広範囲に流通する以上、「必ず」不運な少数者を「殺す」可能性があるわけです。

そして、そのリスクは「スタンダードから外れた人体」のローカルな条件に依存するわけですから、薬効の強弱や物質としてのスタンダードな危険性と必ずしもイコールではないと謂うことだと思います。PseuDoctorさんが挙げられたアレルギーとか、たとえばフェニールケトン尿症の人にとっては極普通の食事が大概「毒」になるわけですね。これを避けるには、不幸な実例を積み重ねてデータを蓄積し、既知のローカル要件を増やしていくしかありませんが、不運な犠牲者をゼロには出来ません。

ですから、効く薬は必ず誰かを殺す可能性を持っているわけで、世間的な観点では死亡例が一件でもあれば「危険な薬」と見做すことが簡単なわけですね。それが「薬に頼らず人間の自然な治癒力に任せる」とか「○○を食べてガンを治す」みたいな発想にも繋がってくるわけで、「どんな『安全』な薬にも必ず死や障害のリスクがある」と謂うわかりやすい恐怖がある以上、「薬なしで病気を治したい」と考えるのもゼロリスクを求める自然な人情ではあります。

しかし、今のところそんな便利でいいとこ尽くめの「外来の物質」なんか存在しないわけで、「効く薬は必ず不運な少数者を殺す可能性を持つ」と謂うのは、それこそ身も蓋もない現実の在り様でしかありません。現状においては、十分な薬効と安全性を確認された薬を用いる以上に「安全」な病気への対処法は存在しない。別の話題で論じられているように、多くの人間はそんな身も蓋もない現実と向き合いたいなんて思わないわけですね。そこで幻想が必要になってくる。

ゼロリスクでいいとこ尽くめの効能を謳うニセ科学は、こう謂うニーズに対応する(或いは「附け込む」と言い換えても好いですが)幻想だったりするわけで、これと戦うにはゼロリスクを求める人情とどう対峙するのかを考える必要がありますね。

>>そう考えていくと、結局、誰でも何処かで痛い目を見なければ学習しないのかもしれません。それが手の怪我くらいで済めば良いのですが、痛い目を見た経験が無ければ、あるいは経験から学ぶという事をしなければ、後からもっと酷い目に遭う可能性が高くなります。

難しい問題ではありますが、「われわれはそんな現実に生きている」と謂うことを一人でも多くの人々に認めさせると謂うことなんだと思います。「何のリスクもコストもなく求める結果だけが得られる」なんて虫の好い話なんかこの世にはないんだと思い知ってもらうと謂うことなんだと思います。

これ、言ってみれば「人間として成熟した智慧を獲得する」と謂うことと物凄く近いですから(笑)、以前からpoohさんと話しているような「健全な常識を持つ」と謂うことの一環なんだろうと思います。
by 黒猫亭 (2010-03-20 11:04) 

pooh

> 黒猫亭さん

この「毒」と「薬」と云う概念の把握のしかたや、薬の効果と個人の体質の関係の捉え方をどんなパラダイムでみるか、みたいな部分を考えると、逆に通常の医療と(内科的な、薬品処方を中心とした)東洋医学の関係、みたいなのが見えてくるような気もしてきました。逆に考えれば、このあたりはおなじものさしで評価することが可能、と云うことにもなるのかも。

> 十分な薬効と安全性を確認された薬を用いる以上に「安全」な病気への対処法は存在しない

もうひとつ「標準化された手法で診断がくだされている」と云う部分も重要かと思います。少し前の話題で、ぼくがフランスにおけるホメオパシーの運用にやや容認的なスタンスをとったのも、この部分への着目からくるものでした。

> 「われわれはそんな現実に生きている」と謂うことを一人でも多くの人々に認めさせると謂うこと

これもこれで、やっぱりなぁ、でもどうだかなぁ、とか思うんですが。そう云う現実は現実である、でもそれは「現実レベル」に特定される話である、みたいなあたりで弁えをそろえる、みたいなことができれば、とか思うんですが(なんかわかりづらいですね)。
by pooh (2010-03-21 05:15) 

PseuDoctor

こんばんは。

「ゼロリスク幻想への対処」と言葉で言うのは簡単だけれども、実際には難しいですね。何故なら「願うだけで叶う」事への憧れというのは人間の原初的なものであって、もう本能に近いレベルではないかと思っているからです。ですからどうしても「ウマい話」を求めてしまう。たとえ頭で「そんなウマい話は無い」と理解していたとしても、本能が求めている訳ですから、ちょっと「よく解らないけど凄そうな新理論」とかをトッピングすれば、頭での理解が低下する分、本能が前面に出てきて騙され易くなってしまう。
これに対応するには大きく分けて、頭での理解を強化する方法と、本能をコントロールする方法の2つが考えられます。ただいずれの場合でも大事なのは「本能の存在そのものを否定しない事」だと思います。
ウマい話を求めるのは人間の「弱さ」ではありますが、同時に(個人的には)「愛すべき特性」であり「進歩の為に必要な要素」だとも思っています。この弱さを克服しようとする行為も、弱さにきちんと向き合おうとする行為も、どちらも尊いものだと感じます。ただ「弱さ」自体を否定するのは良くない。
克服しようと努力したり正面から向き合おうとしている人から見れば、弱さに逃げ込んだり隠れ蓑にしようとしている行為は歯痒いし非難したくもなるけれど、それは決して弱さの存在を否定する事ではないと思うのです。
by PseuDoctor (2010-03-25 23:58) 

pooh

> PseuDoctorさん

お書きのことは、ぼくが「呪術」について、技術開発者さんが「人間の基本仕様」について語ってきた内容と関わってくるんだろうな、と思います(じゃあどうするか、と云う点については、ぼくは個人に、技術開発者さんは社会に目を向けがちですけど)。

> ただ「弱さ」自体を否定するのは良くない。

お書きの意味では、これは単なる「弱さ」ではないんですよね。ひとの文化のなかで生じうるいろいろなもの(なかにはすばらしいものもあります)の源泉でもあって。ただ、一面的に称揚して終わり、と云うのでは、それは自分の暮らしていられる環境を所与のものとして、そこに甘える発想でしかなくて。
結局これは、菊池誠の口にする「折り合いをつける」と云うことが必要な部分にもなるのかもしれませんね。
by pooh (2010-03-26 07:39) 

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