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<title>Chromeplated Rat</title> 
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<modified>2012-05-18T01:04:31Z</modified> 
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<name>schutsengel</name> 
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<tagline><![CDATA[街や音楽やその他のものについてのあれこれ。]]></tagline> 
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<title>「自称中立」</title> 
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  <modified>2012-05-18T01:04:31Z</modified> 
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  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-05-13">
<![CDATA[
あまり一般的に流通しているタームではない、と云う印象があって、あんまり意味もわからない。とりあえず<a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%AB%BE%CE%C3%E6%CE%A9" target="_blank">はてなキーワードの「自称中立」の項目</a>にある意味で捉えてみるかぎりにおいては、<q cite="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%AB%BE%CE%C3%E6%CE%A9" >当事者もしくは、賛成反対のどちらの立場でもない旨を語って</q>いることが前提にされているように思える。ただ、用いられ方を見るかぎり、どうも明示的に自分のスタンスが中立的である、ニュートラルであると主張していなくても（自称していなくても）「自称中立」と<strong>他称される</strong>こともあるようなので、なんだか難しい。<br />
<br />
<a name="more"></a>党派性、と云うのは、議論の全体を俯瞰したうえで、自分の立ち位置をそのなかでのある（同種の意見を持つ複数の論者によって構成される）セグメントに所属している、と云う意識があってはじめて生じるもののように思う。自分個人で自分の思うことを主張しているかぎりにおいては、その主張が特定のセグメントに一般に見られるものに類似していても、本人としてはそこが中央点なわけで、なので本人から見ればそれは「中立的な意見」。<br />
<br />
もちろんその意見が適切であるかどうか、と云うことについては他者からの意見もあるだろうし、その他者からの意見を受け入れて自分の意見を変えることもあるだろう。議論の場所と云うのはそう云うもので、そう云う相互の影響が生じないようなら表通りの議論の生じている場所で意見を発する意義はほとんどない。ただ、本人が党派性を意識して発言していないのに、その発言の内容を特定の党派にあてはめて、その党派一般に対する批判を行うことでその本人への批判に代える、と云うやり方は、あまり実効性がないと思う。<br />
<br />
「あなたは中立だと思っているでしょうけど、じつはこの党派に属しているんです。その党派の主張はこのような理由でまちがってるんです。したがってあなたの意見もまちがってます」<br />
こんな迂遠なことを云われても、まぁたいていは困ってしまう。本人は自分が正しいと思う意見を云っていて、その意味では本人にとってはその意見は中立的なわけで。もちろん本人が自分自身の意見に存在するバイアスの可能性を意識していたとしても、とりたててそのバイアスを隠蔽しようとするような発言上の技巧を使っているわけではないかぎり、「自称中立」と云われても困ってしまう。もっと直接、おれ自身の表明した意見の内容について批判してくれよ、とか普通は感じる。<br />
<br />
逆にこの「自称中立」と云う用語を使って他者を批判する側にも、ここの部分の陥穽からは逃げられなくて。とりあえずこの論法を用いた時点で、そのひとは自分で意識している特定の「党派」に属することがはっきりする。相手は無意識の内に自分の党派性を内面化している、だけど自分の発言はポジショントークではなくニュートラルだ、ではもちろん話が通らない（こう云う議論のしかたを可能にする「人文学にまつわる1000のひみつ」みたいなものがどうやら存在するようだけど、それはある党派のみによって独占的・排他的に伝承され、その党派外の人間にとっては開示が禁止されている一種の秘法めいたものらしいので、もちろんぼくにはわからないし、その価値や意義は党派外の人間には共有不可能だ）。<br />
<br />
相手を特定の党派とみなし、当人への批判をその党派への批判をもって代える、と云うやりかたはずいぶん便利らしくて、多くのひとが試みる。ときにはそう云う手法じゃないと批判的な言説がなせないひともいるようで、すくなくとも当人が意識していない（「自称」していない）党派を共有されるべき当然の前提として創設してしまったりする。これはこれでその批判をおこなうご本人の所属している「党派」には喝采をもって受け入れられたりするので、なんだか意義のあることを云っているように本人には感じられるらしい（ぼくの見聞きする範囲では、かつて存在した「ニセ科学批判批判」の論者は、たいていこのへんに落ち着く。例外はSSFSさんで、このひとはひとりの論者として党派を意識せずに言説を発する清潔なスタンスを保っているけれど、単に「ニセ科学批判批判」をおこなう党派から見ても、党派内に抱え込みたくないと思われているだけなのかもしれない）。<br />
<br />
とりあえず、なんかこの「自称中立」と云う用語を用いて他者を論難するにはずいぶんと難しい問題が残っているように思えるので、<a href="http://twilog.org/tweets.cgi?id=A_laragi&word=%E8%87%AA%E7%A7%B0%E4%B8%AD%E7%AB%8B" target="_blank">こう云う用語を用いて他者を批判しようとする</a>場合にはかなりの慎重さが必要とされるんだろうなぁ、それがないと逆に自分の論者としての内情を晒してしまう結果になるもんなぁ、と思った、と云う話でした。
]]> 
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<title>自然な感覚と、できること</title> 
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  <modified>2012-05-18T01:04:31Z</modified> 
  <issued>2012-05-04 09:04:33+09:00</issued> 
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  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-05-04">
<![CDATA[
KoshianXさんの<a href="http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20120503/1336043613" target="_blank">日本人は自らの宗教性にいいかげん気付くべき</a>と云うエントリを読んだ。<br />
<br />
<a name="more"></a><blockquote cite="http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20120503/1336043613" >こうした信仰は民間でなんとなく親から子へ、地域から地域へと伝播してるもので、特定の宗教団体がまとめあげてるものではない。それがゆえになんとも言えぬカオス状態になり、まったく秩序立たない宗教性がそこかしこに見られるようになっている。</blockquote>ここで<q cite="http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20120503/1336043613" >秩序立たない宗教性</q>と云うものはたぶんこのブログ（および議論を共有してきたひとたちが管理するいくつかの場所）では「呪術性」と呼ばれたり、「人間の基本仕様」と呼ばれたりしてきたものなのだろう、と思う。ぜんぜん厳密に用語を使ってきたわけじゃないけれど、ここではぼくはそれらのなまの要素が一定の秩序によって整理され、ある程度整備された有用性を備えた状態になったものを「宗教」と呼んできたと思うので、その意味で<q cite="http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20120503/1336043613" >秩序立たない宗教性</q>と云ういいまわしにはちょっと違和感があるのだけど、まぁそれはそれとして。以下、自分のところで使ってきた用語を用いる。<br />
<br />
でまぁ、ぼくなんかは人間の中にある呪術性、みたいなものはなくならない、って考えていて（なので、「基本仕様」と呼んだりもしてきているわけで。いや、この用語はぼく起源ではなくて、ここのコメント欄その他で技術開発者さんが用いているものなんだけれど）。このこと自体をストレートに論じたエントリがあったかどうかは思い出せないけれど、これが例えばニセ科学とどんな関わり方をするものなのか、みたいなのを書いたのが<a href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-05-01">こっちのエントリ</a>。ここのあたりは当時議論が多少広がって、亀@渋研Xさんの<a href="http://shibuken.seesaa.net/article/95347967.html" target="_blank">わかる呪術</a>ってエントリとか、filinionさんの<a href="http://d.hatena.ne.jp/filinion/20080504/1209918749" target="_blank">デバッグ不能な遺伝子コード。「それは基本仕様です」</a>ってエントリが書かれたりした。<br />
<br />
主にぼく自身の知識の蓄積のなさもあって、だいたいはコメント欄の議論のなかで主張してきたのだけれど、ぼくはこの、人間の呪術性、みたいなものは、人間の内的な部分では一定の合理性を持っている、と云うことを主張してきていて。それは例えば科学の合理性、と云うものとは違っているけれどやはり重要で、なくなるべきものでも、なくすべきものでもない、みたいなことを書いてきた（ちょっと関わりがあるのが<a href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-02-22">こっち</a>とか<a href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2009-11-10">こっち</a>のエントリになるのかな）。<br />
このへんはニセ科学の問題を論じるひとたちのあいだで一般的に共有できている認識、と云うわけではなくて、まぁ議論の全体像からするとだいぶすみっこのあたりでほそぼそと論じられてきた、って感じなのだけれど、それでもそう云う議論が継続してきた、みたいなことを認識するのは、<a href="http://twilog.org/tweets.cgi?id=A_laragi&word=%E3%83%8B%E3%82%BB%E7%A7%91%E5%AD%A6%E6%89%B9%E5%88%A4" target="_blank">自分の主張の都合上「ニセ科学批判」をいっしょくたにして一般論的に論じたがる向き</a>にとっては都合の悪いことなんだろうとか思う、と云うのはまぁ余談。<br />
<br />
結局のところ科学技術が進歩しても、人間の考え方の構造が変化したり進歩したりしたわけではない（このへんについては、未読なのだけれどそのへんを調査した<!-- amazon --><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4787233092/chromeplating-22/ref=nosim" target="_blank">呪術意識と現代社会―東京都二十三区民調査の社会学的分析</a><!--/ amazon -->と云う面白そうな書籍があるらしい。この本に触れた雨崎良未さんの<a href="http://ep.blog12.fc2.com/blog-entry-1675.html" target="_blank">呪術意識と現代社会：東京都民らの分厚い信者層をご覧あれ</a>と云うエントリにリンクしておく）。まぁ別段進歩できるものでも、進歩すべきものでもないだろう、適切なつきあいかたさえわきまえていれば、と云うのがぼくの（わりと一貫した）スタンス。<br />
<blockquote cite="http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20120503/1336043613" >古くは<a href="http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/" target="_blank">「水からの伝言」を信じないでください</a>というページにあるようないわゆる<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%F7%C8%F3%B2%CA%B3%D8">似非科学</a>の類も、こうしたカオスな宗教性から来るものではないだろうか。</blockquote>「水からの伝言」が教育現場に入り込んでいる、と云う状況の認識が、例えば菊池誠がニセ科学の問題を論じる大きなきっかけのひとつになった、と云うのは覚えているひともいるかもしれない。あと、教育の現場にニセ科学が入り込むことについては、TAKESANさんが<a href="http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/cat371221/index.html" target="_blank">「ゲーム脳」に関連する一連のエントリ</a>で根気よく論じてきた部分でもありますね。<br />
<blockquote cite="http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20120503/1336043613" ><p>以下の記事が大変気になった。</p>

			<ul>
				<li><a href="http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20120502/1336026552" target="_blank">大阪維新の会　トンデモ条例案の黒幕 - Tech Mom from Silicon Valley</a></li>
				<li><a href="http://d.hatena.ne.jp/lessor/20120502/1335985207" target="_blank">大阪市「育て方が悪いから発達障害になる」条例案について - lessorの日記</a></li>
			</ul>
			<p>リンク先を読んだとき、これは非常に宗教的だと感じた。なにせすでに「<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C8%AF%C3%A3%BE%E3%B3%B2">発達障害</a>は先天性」という知見が得られてるというのに「発達障害は予防、防止できるもの」としてしまっているのだから。そのやり方がまた「わが国の伝統的<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%D2%B0%E9%A4%C6">子育て</a>によって」という誰も実体を把握できないような代物を持ち出して来るあたり、明らかに知性によるものではない。宗教的な臭いを強く感じる。</p>
			<p>どうも<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C7%BE%B2%CA%B3%D8">脳科学</a>うんたらとか言いだしてるようなので、これも似非科学のようだ。<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BF%E5%A4%AB%A4%E9%A4%CE%C5%C1%B8%C0">水からの伝言</a>ネタもそうであったが、どうもこのような似非科学は教育と相性が良いようである。これを日本の<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B6%B5%B0%E9%B3%D8">教育学</a>の堕落と捉えるか否かは難しいところであるが、日本の教育者にロクな学的知識のないものが揃ってることは間違いないようである。</p>
			<p>似非科学は科学風の説明があるが、その論拠がないという意味で宗教的教義に非常によく似ている。納得感や腑に落ちる感覚だけでその教条を信じてしまうのは信仰そのものであろう。</p></blockquote>前振り的にここまで延々書いてきたのは、この<q cite="http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20120503/1336043613" >納得感や腑に落ちる感覚</q>と云うのが非常に強烈な代物である、と云うこと。この部分については、菊池誠がasahi.comに書いた<a href="http://www.asahi.com/edu/university/kougi/TKY200705070320.html" target="_blank">ニセ科学：２（菊池教授）</a>と云う文章が残っていて、そこでも触れられている。<br />
あたりまえの話なんだけど、誰かになにかを伝える、納得させる、理解させると云った局面において、相手の自然な感覚に訴えかけるのは有効な方法で。意識して排除しないかぎり、そう云う手法はかならず伝達の工夫の過程で入り込んでくる。<br />
<br />
なので、ここで必要とされるのは、個人の自然な<q cite="http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20120503/1336043613" >納得感や腑に落ちる感覚</q>を超えて理解を共有できるメソッドで。で、それは当面（その実績も勘案して）科学的な思考法、と云うことになるんだろうな、と云うようなことは、地下に眠るMさんの論考を踏まえるかたちで<a href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-09-26" target="_blank">こっち</a>で書いた。<br />
<blockquote cite="http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20120503/1336043613" >昨年からネットスラングとして定着した「放射脳」も、非常に宗教的である。日本のそれこそ本当に伝統的な信仰であるケガレの概念に非常に良く似た反応をする。放射性物質がごくわずかでも含まれていれば、その他の成分を無視してでも避けるといった態度はなんら知性的ではなく、宗教的であるとしか言いようがない。</blockquote>まぁここをぼく（と議論を共有する何人かの論者のかたがた）は<q cite="http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20120503/1336043613" >宗教的</q>とは呼ばず、「呪術的」と呼ぶのだろうけど（ちなみに<q cite="http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20120503/1336043613" >宗教的</q>であることをぼくは<q cite="http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20120503/1336043613" >知性的ではな</q>いことだと思わない。まぁこれは単なる語法の相違、でもあるんだろうけど）。<br />
<br />
<q cite="http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20120503/1336043613" >「放射脳」</q>と云う語彙が用いられる文脈は現時点でどうやらふたつあるようで。揶揄的な文脈で用いられる場合と、こちらでKoshianXさんがリンクを張っているような、ある精神状態を自ら形容する場合。前者については<a href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2011-11-07" target="_blank">こちらのエントリ</a>でも、くだらない、とはっきり書いたけれど、後者についてはおなじように切り捨てられる話ではもちろんなくて。<br />
ないのだけど、すぐ上手になんとかできる方法がないのは、結局のところこれまでのニセ科学にまつわる議論と同じ状況であって（自分の感覚にフィットする言説を信じてしまうことを、単純に「科学リテラシーの不足」みたいに喝破しても、なにか状況を改善できるわけではない、と云う理由はここまでで再話した）。当面はまず、地道に伝えていく方法を考える、と云う（これまでニセ科学の問題を論じる論者がとってきたような）やりかたしかないのだろう、なんて思う。<br />
<br />
# まぁそう云う部分についての実践を、どう云う角度から見てなのか<a href="http://twitter.com/#!/A_laragi/status/197871469550780418" target="_blank">アイデンティティの保持とか既得権の維持を目的にしたもの</a>としか見られないような、とっても上品な向きも存在するようではあるけれどね。<br />
# 鏡にはだれが映ってるんだろう。
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<title>思い入れの機械</title> 
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  <modified>2012-05-18T01:04:32Z</modified> 
  <issued>2012-05-03 04:12:02+09:00</issued> 
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  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-05-03">
<![CDATA[
カナダのグレアム島（ハイダ・グアイ島って報道もある）に漂着した山元町のハーレー・ダヴィッドソンについて、何か所かで記事が公開されている。NHKの記事は<a href="http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120502/k10014847904000.html" target="_blank">漂着のバイク 米メーカーが修理へ</a>と云うタイトル。<br />
<br />
<a name="more"></a>ぼくはハーレーは持ってないし乗ったこともないので、見ただけでモデルまではわからない。エンジンの外見と報道されている排気量からツインカム88搭載のモデルらしいこと、S&Sのエアクリーナーと社外品っぽいタンクがついているのでまぁフルノーマルではないらしいこと、ぐらいしかわからない。カナダまで流されたんなら錆のかたまりになっていてもおかしくないなぁ、みたいに思っていたけれど、映像を見るかぎりそうでもないみたい。<br />
<br />
多かれ少なかれオートバイとオーナーの関係はそうなんだけど、とりわけハーレーのオーナーは、オートバイを自分の人格の構成要素としてみなす傾向が強い。古いハーレーが新車よりもむしろ高価だったりするのも、その顕れだったりする（こんな仙台みたいな田舎でも、ショベルヘッドぐらいは走っている。もう30年も前のエンジンなのに）。ここのところはまぁ、ハーレー自身がそう云うビジネスを行なっている、と云うこともあるわけなのだけれど。<br />
<blockquote cite="http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120502/k10014847904000.html">このオートバイについて、製造したアメリカのハーレー・ダビッドソンは、日本に送って無料で修理したうえで横山さんに届けようとしていることを明らかにしました。</blockquote>ミルウォーキーの判断としては、だからこれはビジネス上も当然の対応。ただ、逆にそれを当然の対応としてしまうようなビジネス上のスタンスはそれはそれですごいことで、結局のところこのスタンスがめぐりめぐって、日本国内でのハーレーの好調な売上につながっている。<br />
オーナーは仮設住宅暮らしで、ハーレーの置き場もない。なので（<a href="http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00222419.html" target="_blank">フジテレビのニュース</a>によると）購入元のショップが保管場所を買って出てきているらしい。ここも、ぶれのない対応。<br />
<br />
ビジネス、と云うと、なんだかあまり綺麗な印象を与えないけれど。<br />
でもこれは、ハーレーに関わるひとたちが、自分たちが「なにをつくって、なにを売っているのか」と云うことをとてもよくわかっている、と云う話なのだと思う。鉄のかたまりを、ひとのこころの受け皿として提供すること。<br />
<br />
# ところで震災関連ではハーレー・バイカーのかたがたもたくさん動いてくださったのだけれど、ハードテールで被災地を走るとお尻が心配だなぁ、みたいに思ったりしていたのは余談。
]]> 
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<title>仙台の本屋（１１）塩川書店五橋店、ふたたび</title> 
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  <modified>2012-05-18T01:04:32Z</modified> 
  <issued>2012-04-24 19:28:15+09:00</issued> 
  <id>tag:blog.so-net.ne.jp,2012:schutsengel.52740565</id> 
  <summary type="text/plain"> </summary> 
  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-04-24">
<![CDATA[
何日か前から<a href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2006-10-11">こちら</a>のエントリに妙にアクセスがあって。もう5年以上前のエントリなのに妙だなぁ、みたいに思っていたら、第１６回手塚治虫文化賞で特別賞を受賞したらしい。読売新聞が<a href="http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20120422-OYT1T00718.htm" target="_blank">回し読みされた「あの少年ジャンプ」に特別賞</a>と云うタイトルで報じている。<br />
<br />
<a name="more"></a>記事を読み返すと微妙なほめかたで、検索経由でアクセスしてきたひとたちがどんなふうに感じたかはわからない。でも少なくとも、仙台でいちばん大きな本屋にでも徒歩15分以内でアクセスできるぼくでも、それなりの頻度で足を運ぶ書店ではあるのだ（オートバイ関係の雑誌が充実している、と云うのもある。ここはとあるモーターサイクル・クラブの拠点でもあるらしい）。<br />
<br />
まんがを1冊買って、店主におめでとうございます、と云ってみた。いつも地域教育を熱心に論じている店主は照れくさそうに笑って、みなさんのおかげですから、と云った。賞金は寄付するけど、トロフィーはもらうんだそうな。<br />
まぁ、云ってしまえばたしかに店主ひとりの手柄ではない、と云うのは確かなのだけれど。でも、コミュニティのなかでしっかりと根を張る経営をなしとげてきた、と云う事実が、「あの少年ジャンプ」を生んだ、と云うのはまぁ間違いのないところだ、と思う。
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<title>フィギュアスケート2011年世界選手権</title> 
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  <modified>2012-05-18T01:04:32Z</modified> 
  <issued>2012-04-01 22:18:21+09:00</issued> 
  <id>tag:blog.so-net.ne.jp,2012:schutsengel.52222147</id> 
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  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-04-01">
<![CDATA[
高橋・トラン組、おめでとうございます。ぼくはペアについてはまったく鑑賞眼がないのでなにも書けませんが、成美ちゃんのあのテンションは好きです。これからもぜひ落ち着かずにいてください。<br />
でもって、まず男子シングル。正直、SPを見た時点ではこんな名勝負になるとは思わなかったなぁ。<br />
<br />
<a name="more"></a>結局のところ、4回転時代の再来を招いたのはやっぱりPチャン、なんだと思う。少なくともチャンプと対抗しうる要素はぜんぶ準備しないと、絶対にチャンプは超えられないわけだし。<br />
そしてまぁ当のチャンプは、ふさわしい闘い方をしてみせた。見せる要素に大きな重点が置かれたスポーツでの、チャンプ、と云うもののひとつの望ましい典型的な姿（このへん、そのうちもうすこし細かく論じることもあるかも）。<br />
<br />
今季の大輔の演技に、ぼくはずっとブルースと云うもの、そのものについてのありかたのケース・スタディを見ていたように思う。<br />
ブルースとはなにか、と云うことについて、例えばぼくは明快には語れない。多くの音楽好きにとっても、そうだと思う。ただ、それは存在する。なまなましく。<br />
ひとをその暗い魅力にひきずりこもうとする、音楽のなかに息づくどこかデモーニッシュな要素。なまのままでは嚥下できない、消化できないような、強烈なマティエール。取り扱い注意、でもそこにアプローチする手つきそのものが、それだけでひとつの表現になる。その意味で、今季の高橋大輔のフリーにあった濃厚で芳醇な味わいは、やっぱりブルースから汲み出してみせたもの、と云ってもいいと思う。<br />
<br />
すべて持っている、欠けるものはない、でもそれぞれの要素をひとつにまとめ上げることができない。見ているぼくらにとっても、もちろん小塚崇彦本人にとっても、歯がゆいシーズンだった（あーもう！）。スランプ、とでも云うのか、カードはみんな揃っているだけに、逆に脱出の糸口がどこにあるのか素人目ではまったく見当たらない。<br />
誰の目から見ても、単に歯車がうまく噛み合っていない、と云う以上のことではないはずなのに。まぁ、ありふれた壁、なのかも知れないけど。<br />
<br />
今期最高の演技、でも結弦は結弦で。そのことが可笑しくて、そして痛快でさえある。<br />
全身全霊、完全燃焼、と云う比喩の受肉した姿。なんだかへんてこな感動に、気づいたら見ているほうもなんだか泣き笑いのような珍妙な表情になってしまう。カウンター1発でいつでもKOを食らう、そんな状況で攻撃を緩めないインファイターの、その魂のありよう。溢れ出す「伝えるべきもの」と、受け止める観客。<br />
そして、出しきったあとの稚気満々の様子（とくに表彰式）。しょうがねえなぁ。来季はもうだれもチャレンジャーとして見てはくれないんだけど、大丈夫か馬鹿息子。<br />
<br />
でまぁ、こう云う云い方もあれなんだけれど、女子SPは男子ほどの好勝負には至らなかった感じがある。<br />
でも結局、印象に残ったのは、そのひとらしい演技を見せてくれたひと。完成度はともかくとして（ともかくとしちゃいけないんだろうけど）、見ていて気持ちのよかったのは、やっぱりそう云うひとたちだった。<br />
急速に女性スケーターとしての魅力を増していて、それが演技にリニアに反映される佳菜子。完調とは云えなくてもだれよりもゴージャスだった鈴木さんと、伸びやかな美しさが存分に発揮されたカロリーナ、天与の愛らしさが発揮されたクシューシャ。次世代がだれのものなのか、は見通せなかったにしても、来年につながってほしいもの、は少し個人的には感じられたように思う。<br />
<br />
ともかくもまぁ、暖かくて楽しみ方を知っているフランスの観客に拍手。なんだか過渡期、みたいな感じのまま終わったシーズンのようにも思うけど、まぁ楽しかったかな。
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<title>The Girl (Just) Doesn't Wanna Lie.</title> 
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  <modified>2012-05-18T01:04:32Z</modified> 
  <issued>2012-03-16 19:58:48+09:00</issued> 
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  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-03-16">
<![CDATA[
NHK「かぶん」ブログの<a href="http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/112997.html" target="_blank">シンディー・ローパー記者会見 at日本外国特派員協会：全文掲載です</a>と云う記事を読んだ。<br />
<br />
<a name="more"></a><blockquote cite="http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/112997.html">もし私が帰ったとしたら、True Colorsで歌っていることと矛盾してしまうとも思った。True Colorsが癒しの歌だったといっても、もし、私がちょっとでも「コワイ」と感じた段階で、すぐにしっぽを巻いて逃げるようであったら、そんなのはウソだと思ったの。</blockquote>これは、True Colorsがこんな歌詞を持ったうた、だから。<br />
<blockquote cite="True Colors">世界があなたをどうにかしちゃって <br />
あなたを支えるものがみんな奪われちゃったんだったら<br />
電話をちょうだい<br />
あたしがいっしょにいる
<div align="right">True Colors(Steinberg/Kelly/Lauper)</div></blockquote>特段ややこしいことじゃない。彼女は彼女自身が平時にいつも自分の表現を介して伝えようとしていることにしたがって、有事の自分の行動を決めただけ。「いっしょにいる」ことを選んだ、だけ。<br />
もちろん、そのようにありうることは、それだけで敬服にあたいすること。それを<q cite="http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/112997.html">ロックンロール</q>と呼ぼうが、呼ぶまいが（そして個人的には、そう呼ぶことに対する抵抗感は薄れつつある。山口隆的な意味で）。<br />
<br />
<a href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2011-04-10#comments">こちらのコメント欄</a>で触れた菊地成孔の日記が、サイトのリニューアルにともなって<a href="http://www.kikuchinaruyoshi.net/past-diarys-06-04-11-05/2011/apr/" target="_blank">新サイトの日記の過去分</a>に移設されている。2011年4月10日の日記。<br />
<blockquote cite="http://www.kikuchinaruyoshi.net/past-diarys-06-04-11-05/2011/apr/" target="_blank">「普段通りの音楽を続けるのが一番のメッセージである」「平時から、芸術というものは、有事の備えになっているべき」</blockquote>すぐれた表現はかならずしも表現者の姿勢によって生み出されるものではないけれど、表現者の真摯さがそのなす表現にまったく反映されない、と云うこともないだろう。そしてすぐれた表現は、その表現者（およびなされた表現に触れるものたち）のふるまいに影響をおよぼすもの、だと思う。これもまた、当然のこと、ではあるけれど。
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<title>この日に</title> 
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  <modified>2012-05-18T01:04:32Z</modified> 
  <issued>2012-03-11 15:29:59+09:00</issued> 
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  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-03-11">
<![CDATA[
区役所に献花に行って、帰り際に見かけた仙台市役所前の様子。<a href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_ae7/schutsengel/2012031113070000.JPG" target="_blank"><img src="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_ae7/schutsengel/m_2012031113070000.JPG" width="196" height="350" border="0" align="" alt="2012031113070000.JPG" /></a><br />
悼む気持ちと、そしてぼくたち自身が生き続けたことを寿ぐ気持ちと、両方を抱えながら。<a name="more"></a>
]]> 
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<title>Not Restrained (Plaisin' SCANDAL)</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-03-08" />
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  <modified>2012-05-18T01:04:32Z</modified> 
  <issued>2012-03-08 22:34:11+09:00</issued> 
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-03-08">
<![CDATA[
カメラマン・ライターの矢沢隆則さんの、<a href="http://news.livedoor.com/article/detail/6346191/" target="_blank">ガールズバンド「SCANDAL」のベストアルバムはライブを意識した一枚</a>と云う記事を読んだ。ちょうど昨日、こちらのコンピレーションが発売されたばっかり。<br />
<!-- amazon --><br />
<div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B006QCKPAG/chromeplating-22/ref=nosim" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51P6uhs2%2BnL._SL160_.jpg" class="sonet-asin-image" alt="SCANDAL SHOW(初回生産限定盤)(DVD付)" title="SCANDAL SHOW(初回生産限定盤)(DVD付)"></a><div class="sonet-asin-info"><p class="sonet-asin-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B006QCKPAG/chromeplating-22/ref=nosim" target="_blank">SCANDAL SHOW(初回生産限定盤)(DVD付)</a></p><ul><li class="sonet-asin-label">アーティスト: </li><li class="sonet-asin-label">出版社/メーカー: ERJ</li><li class="sonet-asin-label">発売日: 2012/03/07</li><li class="sonet-asin-label">メディア: CD</li></ul></div></div><div class="sonet-asin-break"><!-- --></div><!--/ amazon --><a name="more"></a><blockquote cite="http://news.livedoor.com/article/detail/6346191/">実際の会場に足を運んでみると分かるが、まず驚くのは客層の幅広さだ。「SCANDAL」に憧れる中高生から20代の男女が中心なのはもちろんだが、アニメの主題歌を歌う機会が多いためか、外国人の姿も少なく無い。また、約20年前のバンドブームの洗礼を受けた40歳前後の層が多いのも大きな特徴だ。</blockquote>まぁおいらもその<q cite="http://news.livedoor.com/article/detail/6346191/">40歳前後の層</q>には入るわけだけれど（<q cite="http://news.livedoor.com/article/detail/6346191/">バンドブームの洗礼を受けた</q>と云うのはちょっと違うかな。おいらは宮田和弥のひとつ下なので、ロック小僧としては同世代）。<br />
<blockquote cite="http://news.livedoor.com/article/detail/6346191/?p=2">この憧れや拘りと言うのは同時にプレーヤーとして“呪縛”でもある。スキルが身についていない中高生のうちから、方向性の違いなどという理由で解散してしまうバンドが多いのは、幼いながらもこの呪縛に囚われているためだ。<br><br>ところが「SCANDAL」にはそれが無かった。ロックに対する先入観が何もないまま、メンバー4人が同じタイミングで楽器を始め、バンド内で切磋琢磨することにより、自分たちのスタイルだけを追求し続けた。一頃は言われるがまま楽器を始めたことや、アイドル視されることにコンプレックスを感じた時期もあったようだが、今はそれらも自分たちの持ち味として受け入れているようだ。そして、迷いがなくなった彼女たちは、ライブを中心に幅広い世代を取り込むようになって行く。中でも前述した40歳前後のバンドブーム世代には特別な感慨を与えている。<br><br>なぜなら、「SCANDAL」のライブには「ロックに対して無垢な彼女たちが、新たなロックを生んでいる」という事実があるからだ。そして、その事実は、拘りを持ってロックに対峙してきたバンドブーム世代特有の既成概念を、心地よいほど一瞬にして塗り替えてしまう。</blockquote>ぼくは<a href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2011-10-04">こっちのエントリ</a>で、もはやロックがロックであることそれ自体が持っていた意義の命脈は尽き、逆にそれゆえにアノニムな音楽的イディオムとしての生命を得た、と書いた。つまるところスタイルとしての「ロック」と音楽表現のいち形態としてのロックはもはや一体のものではなく、ある程度の紐帯を維持したまま切り離されて、それぞれにある程度普遍化された、と云うのがぼくのいまの把握（ロック的なアティテュードをつよく感じさせる音楽は、いまやすでに大半はロック、と云う形態を選んでいない）。この普遍性の獲得は一面陳腐化、と呼ばれるような事柄なのかもしれないけど。<br />
そして彼女たちは、自分たちの音楽的スタイルがロックをオリジンにしていることを理解しつつも、そして自分たちがバンドであることを強烈に意識しつつも、けして「ロックバンド」たろうとはしていない（もちろんそこまでにいろいろな逡巡はあったようだけれど、今はもうすでに）。<br />
<blockquote cite="http://news.livedoor.com/article/detail/6346191/?p=2">なぜなら、「SCANDAL」のライブには「ロックに対して無垢な彼女たちが、新たなロックを生んでいる」という事実があるからだ。そして、その事実は、拘りを持ってロックに対峙してきたバンドブーム世代特有の既成概念を、心地よいほど一瞬にして塗り替えてしまう。</blockquote>ロックと云う音楽の表現形式を選ぶことと、ロックと云うアティテュードを取ることは違う。逆に云うと、良質のロックを奏でることに、ロック的なクリシェに束縛される必要はない。逆にいまや、そのような軛を後生大事に抱えることそのものがロック的なアティテュードからは遠いものとなっている、と感じる。<br />
要はある意味、ロックに縛られない彼女たちのスタンスが、巧まざるポップな批評性を伴って、つよくロックを感じさせているのだ、と思う。<br />
<strong>Yeah. So, Let's Go.</strong><br />
<br />
# ちなみにおいらみたいなアマチュアバンド崩れのおっさんどもが惹きつけられるのは、かつて若いころに抱いた「こんなバンドがいたらお近づきになりたいよなぁ」みたいな情けない妄想に彼女たちがひどく合致するからなんじゃないか、と思うが如何か。<br />
# その昔、ちゃんと演奏している美人ばかりのロックバンドって云えば、ZELDAみたいなちょっとおっかないのが多かったような気もするし。
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<title>問いかた、問う意味、問う相手</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-03-02" />
  <link rel="service.edit" type="application/x.atom+xml" href="http://blog.so-net.ne.jp/atom/blog_id=128445/entry_id=50528410" title="問いかた、問う意味、問う相手" />
  <modified>2012-05-18T01:04:32Z</modified> 
  <issued>2012-03-02 22:04:06+09:00</issued> 
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  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-03-02">
<![CDATA[
WEDGE Infinityに掲載された、大阪大学CSCDの平川秀幸准教授による<a href="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729" target="_blank">市民が「科学」に口を出せるか 福島原発事故から考える「科学技術コミュニケーション」</a>と云う記事を読んだ。<br />
<br />
<a name="more"></a>この記事で書かれている内容、議論は、全体としては特段おかしなものではない。必要な議論だし、必要な問題提起だと思う。それでも端々に、どんな意図があってこんな記述になっているんだろう、みたいに感じる部分がある。どのようなかたちのインタビューで、どのように編集されたものであるのか、がわからないので、ちょっとへんかも、みたいに思える部分が果たして平川准教授の責任であるのかどうかははっきりしない。はっきりしないけど、気になるのでちょっと触れてみる。<br />
<br />
<a href="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=2" target="_blank">2ページ目</a>にあるこの部分。<br />
<blockquote cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=2">例えば、今回の放射能汚染で「ゼロリスク」を求めるな、という専門家がいます。市民からすると、「ゼロリスク」＝「今回事故以前の状態」に戻してほしいという言わば「原状回復要求」であり、それを真っ向から否定されることへの抵抗感があるでしょう。こうした内容を、私が以前に自身の<a href="http://hideyukihirakawa.com/index.html" target="_blank">HP</a>で偶然書いていたのですが、今回の事故以降、ツイッターなどで広まっていました。「自分のモヤモヤしていたことが言葉になっていてすっきりした」というつぶやきがあり、まさに、市民側のコミュニケーターが不足していたのだと感じました。</blockquote>ここいらのことに言及していた自然科学の専門家はだいたい、<q cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=2">「ゼロリスク」を求めるな</q>ではなくて、「事実上ゼロリスクはない」と云うことを伝えようとしていたように思うのだけれど。<q cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=2">市民からすると、「ゼロリスク」＝「今回事故以前の状態」に戻してほしいという言わば「原状回復要求」であ</q>ることを鑑みて、「原状」は「ゼロ」じゃないよ、と云うことを認識してもらうために。<q cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=2">真っ向から否定</q>って、できないことはできないよ、ってところから話を始めようとする、そう云う試みだったんじゃなかったのかなぁ。<br />
だって、そこからじゃないと始まらない話もあるんだから。事故を起こした側の責任を問う、と云うこととは、また別の部分として。<br />
<br />
<a href="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=3" target="_blank">3ページ目</a>。<q cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=3">「科学」において市民の声を聞く必要性とは？</q>と云う見出しで始まっている部分。<br />
<blockquote cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=3">確かに、市民が出した答えが正しいとは限りません。しかし、政府が独断で下した政治的判断も、間違えることがあります。できる限り間違わないようにする努力をする一方で、失敗を受け入れるプロセスを経るためにも、市民とのやりとりは必要と感じます。排除すれば、それだけで「受け入れられなかった」と感じ、政府の判断が間違いと分かれば余計に反発を抱きます。まさに今回の一連の原発問題がそうでしょう。市民の声を聞いたうえで、反映できる点もできない点も、政府は真摯に説明する責任があります。</blockquote>これ自体全面的に同意で、おかしなことをおっしゃっているとはまったく思わないのだけれど、べつだん<q cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=3">「科学」において</q>って話になってないよね。<q cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=3">政府が</q>、<q cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=3">市民の声を聞く必要性</q>がある、って話だよね（繰り返すけど、もちろんこれには同意）。この<q cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=3">政府</q>って云い方に、「政府の表明した見解に対して無条件で賛同する専門家」（＝御用学者、「エア御用学者」）と云う含意があるのなら、まぁつながらなくもないけれど、だれになにを求めているのか、と云うのがよくわからなくなる。話の相手は<q cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=3">政府</q>でいいの？<br />
<blockquote cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=3">原発事故以降、極端な思考や行動に走り、冷静な議論ができない「先鋭化」してしまった人たちがいます。彼らにもともとそういう傾向があったのかもしれませんが、同時に社会が彼らを「孤立」させてしまった側面もあると思います。放射能への不安を言語化できない、話を聞いてもらえない、頭ごなしに「ゼロリスク」を否定される&hellip;。</blockquote>で、これも<q cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=3">社会</q>の話でいいの？ <q cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=2">専門家</q>とか<q cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=3">「科学」</q>の話はどこにいっちゃったんだろう。彼ら（とか、特定個人ではなくともアカデミアとか）の責任は問わないんだろうか。ただまぁここの部分は、<a href="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=2" target="_blank">2ページ目</a>で<q cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=2">日本学術会議がまったく機能しなかった</q>ことについての批判をお書きになっているので、そこからつなげて読むのが正しいのかも知れないけれど。<br />
<blockquote cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=3">私の同僚で、女川町や六ヶ所村で原発に関して住民とのコミュニケーションを何年も続けていた人がいます。国や電力会社の一方的な説明会で罵声を浴びせるような人も、対話の場では実に普通に話をすると言っていました。</blockquote>面識がある、ないを含めて、同様の行動を試みた（試みている）自然科学者をぼくは何人か知っているのだけれど、彼らはいまでもネット上の対話の場所で<q cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=3">罵声を浴びせ</q>られてたりもするんだよね。ぼくの狭い観測範囲では、大阪大学CSCDには科学者はそれを受容すべき、と考える向きもいらっしゃるようなんだけど、そこのところはどうなのかな（現時点で平川准教授がそのへんのことについてどんなふうにお考えなのか、と云う部分については、ぼくは把握していない）。<br />
<blockquote cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=3">こうした場を、制度や仕組みというよりも、文化として広めていきたい。10年、20年スパンの時間がかかるけれども、実現していきたいと思います。</blockquote>これはもちろん望ましいことだと思うし、<q cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=3">実現していきたい</q>と云っていただけるのは心強い。でもだからこそ（貧困な読解力しか持っていない身としては）云い方は悪いけれどもなんとなくあちこちに著述の詐術、みたいなのがほの見えるのが気になってしまう。結局、<q cite="http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1729?page=3">実現</q>のためにどんな方法を取っていくのか、と云うことと直結する部分だ、と思うので。<br />
<br />
# それはそれとして、たとえ科学的には不合理なことがらでも「そう感じてしまう」のは避けられないし、そのことを単に合理的ではない、と云う理由で退けてしまうのは適切じゃない、と云う点では、ニセ科学の問題を扱う場合と同じだ、みたいには思う。だから便利なレッテルで空中戦を仕掛け合うんじゃなくて、ちゃんと議論の基盤（それはことばの意味についての解釈、みたいなところから始まって）の共有から始めようよ、みたいな話なんだけど。<br />
# このへん、早稲田大学政治経済学術院の井上智洋氏によるテキスト（<a href="http://jafeeosaka.web.fc2.com/pdf/C2-2inoue2.pdf" target="_blank">経済倫理学と行動経済学から見た原発問題(PDF)</a>みたいな論考なんかがもちろん重要だ、と思う。
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<title>知ること、知らせること</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-02-24" />
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  <modified>2012-05-18T01:04:32Z</modified> 
  <issued>2012-02-24 21:06:53+09:00</issued> 
  <id>tag:blog.so-net.ne.jp,2012:schutsengel.50332597</id> 
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  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-02-24">
<![CDATA[
リンクを置きたいがためだけにエントリを起こす。リンク先はナショナル・ジオグラフィック日本版の、川端裕人による<a href="http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/article/20120214/299138/" target="_blank">【研究室】「研究室」に行ってみた。今村文彦</a>。今日アップの第5回で完結らしい。<br />
<br />
<a name="more"></a>今村教授の名前は震災前から知っていた。車に乗っているときはラジオをかけていることが多いのだけれど、そのラジオにそこそこの頻度で登場して、防災を訴えていたから（仙台のFM局であるDate fmでは、<a href="http://www.datefm.co.jp/bousai/" target="_blank">レギュラー番組も持っている</a>）。<br />
仙台は宮城県沖地震の可能性が以前より示唆されていて、市民の関心も低くはなくて、なおかつここには積極的に情報発信に取り組む専門家である今村教授もいた。それでも、今回の地震・津波でこれだけの命が失われた。<br />
失われたことはしかたがないし、大局的にはだれかが責めを負ってすむような話でもない。でも知ることで、今後失われないですむ命もあるはずだ、みたいに思う。<br />
<br />
それにしても川端さんの筆致はいつもながらあざやかだ。「知らせるための力」のようなものも、感じたりもする。
]]> 
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<title>フィギュアスケート2011年四大陸選手権</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-02-13" />
  <link rel="service.edit" type="application/x.atom+xml" href="http://blog.so-net.ne.jp/atom/blog_id=128445/entry_id=49817951" title="フィギュアスケート2011年四大陸選手権" />
  <modified>2012-05-18T01:04:32Z</modified> 
  <issued>2012-02-13 08:29:51+09:00</issued> 
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  <summary type="text/plain"> </summary> 
  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-02-13">
<![CDATA[
J Sportsで女子シングル・男子シングルを見た。<br />
見られたのはいいけど、どうも妙な大会になっていたのは、たぶん海抜1,839mと云うコロラドスプリングスの標高が原因なんだろうな。空気の薄さのせいで、スタミナを競うサバイバルゲーム、みたいな様相になっていた。<br />
<br />
<a name="more"></a>とりわけフリー。時間の経過とともに失速する選手が続出。わがいとしのクァク・ミンジョン（すこし見ないあいだにめっきり女性らしくなっててちょっとびびった。可愛いんだからキムさんメイクはやめようよ）なんかフリーじゃまるでなんにもできなくなっちゃって、演技終了後にはもどしそうになってたし。<br />
<br />
ショートでは武史の正統を受け継ぐ「漢の滑り」をみごとに見せてくれた無良くんも、女性スケーターとしての完成の萌芽をきっちりと示してくれた佳菜子も、やっぱり失速。遥姫にしても、ほかのスケーターにないその個性を示し切れずに終わってしまった。<br />
大輔と真央はさすがの地力で銀メダルを確保してみせたけれど、とうてい充分な内容だったとは云えない感じ（もう大輔はこれから、こう云う脂っぽくない印象の演技を自分自身の個性としていくんだろうな）。<br />
<br />
そう云う状況で、最後まで密度を維持したままの演技を見せつけたアシュリーとPチャンの優勝は、だれが見ても文句の出ないところだと思う（あとジャン。ジャンプの前のハイキックがちょっと気にならなくなってきたなぁ）。こう云うかたちで示された、なんと云うか基礎体力の差、みたいなのをどれだけ評価するのかは難しいところだと思うけれど、でも今大会において競技として判断する限りは、まぁ圧巻だったと云ってもいいんだろう。<br />
<br />
そう云うわけで、なんか日頃フィギュアスケートを見るにあたって自分の持っているアスペクトとは、またまるっきり違った角度からの見方をせざるを得ない大会でした。でもまぁ、こんな国際大会はもう見たくないなぁ。
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<title>南相馬から来たビーグル</title> 
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  <modified>2012-05-18T01:04:32Z</modified> 
  <issued>2012-02-01 19:50:04+09:00</issued> 
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-02-01">
<![CDATA[
徒歩で通勤中に赤信号で止まったら、自転車に乗ったおっちゃんがビーグルを連れて信号待ちしていた。<br />
<br />
<a name="more"></a>とりあえず街を歩いていて犬に出会ったら、状況が許すかぎりあいさつして、先方の気が向くようなら友好的なコミュニケーションを試みるのが個人的な習性。かがんで目を合わせて、拳を握って鼻づらに手の甲を差し出す。くんくん。だいたいこのあたりの表情で、その犬がこちらを気に入ったかどうか、こちらを相手にする気があるかどうかがわかる（敵意や警戒心がなくても、パトロールにいそがしい場合もあるし）。<br />
<br />
くんくん。にっこり。日本犬ほどじゃないけれど、ビーグルは比較的表情が読みやすい。<br />
尻尾が水平になっていて、どことなく落ち着きのない足取りだったので、ちょいとごきげんななめなのかな、みたいに感じていたけれど、そうでもないみたい。首と喉元をなでて、胸を軽く叩く。あまり興奮していないような穏やかな感じで、それでも立ち上がって抱きついてくる。腹が見える（オスだ）。しあわせな育ちかたをしたんだろうなぁ。<br />
<br />
「愛想はいいんだけどね。おれには絶対、抱きついてきたりしないですよ」<br />
<br />
おっちゃんが云う。え、なんでなんだろそれ。<br />
<br />
「南相馬で飼われてたんだけど、預かってるんですよ。帰れないしねぇ」<br />
<br />
なるほど。安心して歩けない、馴染みのない街だった、と云うことなんだね。里親のおっちゃんが世話してくれるけれど、なんか心もとない、ってわけだったんだ。<br />
周りを見回すと、通勤中のひとたちの姿がたくさん見える。あと30分もすれば、もっとたくさんのひとが行き交う情景が見られるだろう。いまの仙台の街はもう、去年のいまごろと一見なにも変わっていないようだけれど、でもおなじような影はこの風景のなかにいくつも落ちているんだろうな、とか思う。見えなくても。
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<title>あらかじめ断ればなにを云ってもいいわけではない</title> 
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  <modified>2012-05-18T01:04:32Z</modified> 
  <issued>2012-01-23 22:15:22+09:00</issued> 
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-01-23">
<![CDATA[
呆れた。<blockquote><script type="text/javascript" src="http://jss.afpbb.com/mbsv/sdata/medianewsdelivery/msnsankei/sonet/js/utf8/110131000/fde1e2ed7ece0a7106c4e5f780c55363_619939c6925c80ff07e9fcb3061b15b2.js" rel="nofollow"></script></blockquote>まぁこのコラムのお題は「戯言戯画」と云うらしいけど、こう云うのってじっさいの内容がまさにそのまま、って場合にはアイロニイにもなにもならないんだよね。<br />
<a name="more"></a><blockquote cite="http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120123/ent12012308150001-n1.htm">せめてリンクの放送席ではもう少し血の通った解説ができないものか。</blockquote>そりゃ<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E5%8E%9F%E6%81%92%E5%A4%AB" target="_blank">フジサンケイグループのフィギュアスケート担当アナウンサー</a>は、<a href="http://d.hatena.ne.jp/kurimax/20070330/1175228627" target="_blank">こう云うポエム</a>が感動を呼ぶ、とか思い込んでるくらいだからねぇ。一貫した報道姿勢、とでも申しましょうか。<q cite="http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120123/ent12012308150001-n1.htm">血の通った</q>、と云うよりは、膿の溜まった、って感じだけど。<br />
<blockquote cite="http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120123/ent12012308150001-n1.htm">誰が見てもただの優勝ではなかった。</blockquote><strong>競技大会に<q cite="http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120123/ent12012308150001-n1.htm">ただの優勝</q>なんかあるわけないだろ。</strong>馬鹿にしてるのか。<br />
<blockquote cite="http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120123/ent12012308150001-n1.htm">私などは彼女が氷上に現れただけで、こみ上げるものがあった。</blockquote>自分の安っぽい感情失禁を感動として一般化しないでよ。真央に拒絶されたポプラ社のやりくちと変わらないでしょ、山根聡さん。<br />
<blockquote cite="http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120123/ent12012308150001-n1.htm">ところが荒川解説者ときたら、「いいプログラムでした」とだけ。</blockquote>運動選手に向かってそれ以上の褒め言葉があるものか。
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<title>歴戦</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-01-19" />
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  <modified>2012-05-18T01:04:32Z</modified> 
  <issued>2012-01-19 21:07:30+09:00</issued> 
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  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-01-19">
<![CDATA[
こんな記事を読んだ。<blockquote><script type="text/javascript" src="http://jss.afpbb.com/mbsv/sdata/medianewsdelivery/msnsankei/sonet/js/utf8/110130000/31266a6979920e23bb76457d216f612c_619939c6925c80ff07e9fcb3061b15b2.js"></script></blockquote><br />
<a name="more"></a>去年の3月11日に起こったことは、だれにとっても恐ろしい体験だった。程度の差こそあれ。津波に洗われた地域に住んでいたひとたちにも、そこに隣接する地域のぼくたちにも、そして直接の被害を受けなかったひとたちにも。<br />
<a href="http://b.hatena.ne.jp/articles/201103/3222" target="_blank">草野マサムネが倒れた</a>ことを、ぼくは笑えない。例えばテレビを通じて映像を目にするだけで、深く傷つくこともあるのだ。<br />
<br />
ぼくは自分の知っている海岸線が破壊された光景を、少なからず肉眼で見た。そこにまつわる、古いものも新しいものも取り混ぜたぼく自身のいろいろな記憶ごと、破壊された光景を。いまここで、自宅にいてそれらを思い起こすだけで、胸が苦しくなる。ぼくのような極端に神経の太い人間でさえ、そうなのだ（ちなみにこう云ったことがあるから、ぼくは「自分の目で被災地を見ておくべきだ」と云う意見には簡単に賛同できない。<a href="http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/280847" target="_blank">修猷館高校の英断</a>には、さすが、と感服するけれど、それはこの研修旅行が修猷らしく、生徒の希望を前提としたもの、として催行されているからでもある）。<blockquote cite="http://sankei.jp.msn.com/life/news/120118/trd12011811500005-n1.htm">「水たまりに目玉がたくさん見えた」「海を人が歩いていた」…。被災者の“目撃談”は絶えない。遺体の見つかっていない家族が「見つけてくれ。埋葬してくれ」と枕元に現れたのを経験した人もいる。</blockquote>だから、こう云うことを経験するひとが存在するのは、感覚的に理解できる（ぼくですら見てしまいそうだ、と云う意味で）。引き起こされているのはだれにも否定しようのない、<strong>実体験</strong>だ。<br />
<br />
菊地誠の<!-- amazon --><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/448086072X/chromeplating-22/ref=nosim" target="_blank">科学と神秘のあいだ</a><!--/ amazon -->で述べられている、主要なテーマの一つでもあるけれど。客観的にはどうだとか、ましてや科学的にどうだとか云う話では、これはない。<br />
ひとがじっさいに感じる、そのひとにとっての、そしてなんらかの対処が必要な事実があって。こんな場合に、たとえば科学的な事実をよるべとしてなんらかの行動を起こすことは、最適な選択肢でない場合もありうる（ちなみに震災以降「科学は無力だ」と云う言説を発したがっている向きには、それが無力である状況が継続することをなんらかの理由で肯定的に捉えていたり、ときにはそのような状況をつくることにみずからコミットしていたり、と云うケースが多いように思う）。でも、ぼくたちが社会のなかで共有し、発展させてきた知恵は、もちろん自然科学だけではない。<blockquote cite="http://sankei.jp.msn.com/life/news/120118/trd12011811500005-n2.htm">宮城県栗原市の通大寺（曹洞宗）の金田諦応住職も、「いる、いないは別にして見ているのは事実。みな、心の構えがないまま多くの人を亡くした。親族や仲間の死に納得できるまで、上を向けるようになるまで、宗教が辛抱強く相談に乗っていくしかない」と話す。</blockquote>いま存在する、歴史のある穏健な宗教では、教義上幽霊の存在をはっきりと肯定しているものはない、みたいに認識している（お化け、と云うと微妙だけど、すくなくともここで語られているような存在としては）。とは云っても中心的な教義から離れた部分では（土俗信仰との実践上必要な混交もあるだろうし）それらに向きあう局面は当然発生するはずで。宗教が、ひとのこころを扱う分野にある以上。<br />
云い方を変えると、歴史のある穏健な宗教は長年それらと闘い、または折り合いをつけて共存してきた、その方面では洗練された有効な戦術を持ち、数多くの歴戦のつわものを擁するエキスパート集団のはずだ。<blockquote cite="http://sankei.jp.msn.com/life/news/120118/trd12011811500005-n2.htm">日本基督教団仙台市民教会（プロテスタント）の川上直哉牧師は「（お化けは）行政には対応できないし、親族や近所にも相談しにくい」と話す。</blockquote>宗教が蓄積してきた知恵に頼れる部分があるとすれば、それはとても心強いことだと思う（カルトやニセ科学が跋扈するのを防ぐ、まさにそのためにも）。まぁ、「ひとを見て法を説く」と云ってしまえば、簡単にも見えてしまいかねない話なんだけどね。<br />
<br />
ところで余談。<blockquote cite="http://sankei.jp.msn.com/life/news/120118/trd12011811500005-n3.htm">宮城県石巻市の寺院では昨年、クリスマス会を開き、牧師と僧侶の両方が講話をした。</blockquote>これ読んで蝉丸Pの<a href="http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%95%A3%E5%A4%9A%E8%8F%A9%E8%96%A9#" target="_blank">散多菩薩法要</a>を思い出したのはぼくだけでしょうか。ぼくだけですね。
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<title>資質と矜持</title> 
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  <modified>2012-05-18T01:04:32Z</modified> 
  <issued>2012-01-13 21:34:29+09:00</issued> 
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  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2012-01-13">
<![CDATA[
浅田真央のエッセイが発売中止になったらしい（スポーツ報知の<a href="http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/winter/news/20120112-OHT1T00282.htm" target="_blank">真央「私の思いと異なる」初エッセー予約１０万部超も発売中止</a>と云う記事がちょっと詳しいのでリンク）。<br />
<br />
<a name="more"></a>どうも「おかあさんの死を乗り越えて」的な部分を強調した出版元のポプラ社の販促が、エッセイの趣旨とそぐわない、みたいなのが理由みたい。<br />
なんか、すごくわかる気がする。<br />
<br />
そんなにいらっしゃるとは思わないけれど、ここでぼくが書くフィギュアスケート関連のエントリを継続してお読みの方は、たぶんぼくが真央のことをあんまりほめない、と云う印象をお持ちではないかと思う。これはまぁ、ぼくの観戦者としてのバイアス、と云うかひらたく云うと個人的な好みから来るもので。<br />
でも、アスリートとして彼女のことを見た場合にどう思っているか、と云うと、ちょっと違う。<br />
<br />
凄まじい克己心と集中力、セルフコントロール能力。運動選手として、浅田真央はこの面で（フィギュアスケートのトップ選手の中でも、比肩するのがレイチェルくらいしか思いつかないくらいに）飛び抜けている。で、報道を見るかぎり、刊行予定のエッセイはそこに焦点をあわせて書かれたもの、のように思える。<br />
<br />
ここからは想像でしかないけれど。<br />
そんな彼女がグランプリファイナルを欠場した、と云うのは当然それだけショックだった、と云うことでもあろうし、無理はない、と思う。ただ、その彼女の選択を、彼女自身はけして肯定的に捉えてはいないだろうな、とも思う。私的なことは私的なこと、それは必要以上に氷の上に持ち込まない、と云うのが基本的な彼女のスタンスのように、ぼくには見える。<br />
それをあまりに自然にこなすので、それを徹底できるのがどれだけすごいことなのか、あらためて考える機会はなかなかぼくたち観戦者には与えられないけれど（そしてそのことを、ともすればつまらない、みたいに感じてしまったりもする、歪んだ観戦者もたぶん存在する。少なくともここにひとり）。<br />
<br />
ハートの強さは、どんな競技者にとっても重要な美質だ。そこに存分のプライドを抱いてもいいくらいに。そして、それは日頃の実践と競技上の結果で示してはじめて、誇りうるものに、甘んじて賞賛を受け入れるべきものになる。私的な事情を斟酌したうえでの安易な賞賛は、そこではたぶん夾雑物でしかない。母親の死を乗り越えてみごとに、なんて褒め言葉は欲しくない、みたいな心境はわかるように思う（スポニチアネックスの<a href="http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/12/25/kiji/K20111225002314990.html" target="_blank">こんな記事</a>とか、どうよ。真央は<q cite="http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/12/25/kiji/K20111225002314990.html">亡き母にささげる</q>なんて云ってないんじゃないか。誰にささげようと、全日本優勝の価値は増えも減りもしない。もちろんそれを成し遂げたメンタルの強さに、賞賛を吝しむつもりはないけれど）。<br />
まぁ結局、浅田真央がそのエッセイでなにを書きたかったのか、と云う話なんだと思うんだけどね。<br />
<br />
ついでに憎まれ口を叩くと。真央のエッセイとか、みなさんそんなに読みたいのかなぁ（いやぼくは、えぇと、読みたいかも。ずれた方向の関心かもしれないけど）。
]]> 
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</entry>
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<title>いろいろなことがあったけれど</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2011-12-31" />
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  <modified>2012-05-18T01:04:32Z</modified> 
  <issued>2011-12-31 17:36:34+09:00</issued> 
  <id>tag:blog.so-net.ne.jp,2012:schutsengel.48231509</id> 
  <summary type="text/plain"> </summary> 
  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2011-12-31">
<![CDATA[
まずは、こうしてあれることに。<br />
<br />
<a href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_ae7/schutsengel/chimai.jpg" target="_blank"><img src="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_ae7/schutsengel/m_chimai.jpg" width="350" height="262" border="0" align="" alt="chimai.jpg" /></a><br />
<br />
もっといい年が来ますように。<a name="more"></a>
]]> 
</content>
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<title>フィギュアスケート2011年全日本選手権</title> 
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  <link rel="service.edit" type="application/x.atom+xml" href="http://blog.so-net.ne.jp/atom/blog_id=128445/entry_id=47997288" title="フィギュアスケート2011年全日本選手権" />
  <modified>2012-05-18T01:04:32Z</modified> 
  <issued>2011-12-26 12:14:29+09:00</issued> 
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  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2011-12-26">
<![CDATA[
やっぱりまぁ、今年も全日本は戦いの場であって。でも、例年の全日本とはいくらか違うニュアンスもあったように思う。へんな話それは女子シングルで云えば、端的に安藤美姫の不在、とか。<br />
<br />
<a name="more"></a>新採点になって、フィギュアスケート選手にそれ以前よりもよりいっそう総合力が求められるようになって、同時にその選手の優れたポイント、個性が数字として評価されるようになって。いい悪いは別として、なにかしらピーキーな側面を持つ選手がそこで勝負する、と云う意味合いが薄れてきたのだな、と思う。<br />
結果、天才肌の選手がそのままその個性をむき出しで勝負する、と云う部分は、競技に向かう姿勢として減っているのかもしれない、みたいに感じたりする。女子で云えば、かつての村主章枝、恩田美栄、太田由希奈と云った「セールスポイントで勝負」みたいな選手が活躍していた時代とは、なんとなく違う（荒川静香のような「万能選手だけど大波賞」みたいな選手とか、浅田舞みたいな「いいんだけどどこがいいのかよくわからない」みたいな選手もあまり見られない）。<br />
安藤美姫みたいな、荒削りでも突出したポイントがいくつかあってそれがはまると怖い、みたいな選手が少なくなって、例えば佳菜子みたいな新採点育ちの、万能が前提、みたいな選手が増えて。これがいいことなのかどうなのかは、よくわからない。ただ、競り合いとして見てみると、なんとなく競うポイントが多すぎて（結果として細かすぎて）、お気楽に見ていてもあまり楽しめない、みたいな部分が出てきているようにも思う。ついでに云うとこうなると、真央のような「最初から高水準で万能」みたいな選手が強いのは当然だし、ある意味望ましいこと、だよね。<br />
闘争の場、としての全日本選手権は、なにも変わっていないのだし（ただ、これだけ点の辛い全日本、と云うのもちょっと珍しいかも）。<br />
<br />
とは云え前シーズンからの真央のプログラムには、やっぱりあまり興味が持てなかったりする。ここはもちろん個人的な興味の方向、と云う話なんだけど、このまま円熟に向かわれても、なんだか面白くない。いやもちろん優勝にはなんの疑問も異論もないのだけれど、要は「安藤美姫がいないのでこう云うプログラムでも優勝できた」と云う以上のものではなくて、それは（全日本と云う大会の性格までを考え合わせると）戦略としては絶対に正しいのだけれど、でもつまらない。<br />
まぁ逆に、同様の戦略を取ることはおそらくできないであろう世界選手権が楽しみだ、と云うことでもあるけどね。<br />
<br />
自慢じゃないが世俗的な観戦素人であるぼくとしては、庄司理紗についてはなによりもその美貌と、あとは雰囲気で惹かれていたのだけれど。でもはじめて今季、その雰囲気を醸し出している要因となっている大きな美点に気づいた。うつけのジャンプを連想させる、ひざを効かせた猫のようなやわらかいランディングは、これからも武器にできると思う。<br />
<br />
全日本で戦う、と云うのはそもそもこう云うことなんだなぁ、と思わされたのは佳菜子の演技。と云うか、まぁ無邪気でいられなくなるのは当たり前、なんだよね。誰もが通ってきた道（なぜか真央だけは迂回できたわけなんだけど）。でもまぁこれでこれから、おとなのスケーターになるのだ。きっと世界選手権は、もっと楽しいはず。<br />
<br />
鈴木さん、なんだか歯車が狂うようになってきちゃったなぁ。難しいもんだ。<br />
ただそれでも、FS一位は確保。世界選手権では日本人女子シングルの背骨、みたいな立ち位置をどうしても求められるのかもしれないけど、それはそれとして気楽にやってほしいな、みたいに勝手に思ったり。<br />
<br />
男子はなんか、「たいていの国際大会よりもシビアな国内大会」としての全日本を如実に示したような結果になったように思う。復活の無良くんも村上くんも町田くんもデカも、だれもが持ち味を充分に示した演技ができていたと思うんだけど、それでも4位の町田くんと3位の結弦のあいだには30点近い差。<br />
3強がワンツースリー、と云うのは妥当な結果にも見えるんだけれど、でもよく考えると（うつけが欠場してるってだけで）その3強にあたりまえのように結弦が収まっていて違和感がない、と云うのもなんかすごいなぁ。<br />
<br />
小塚くんがなんか壁にぶちあたっているのはわかる。わかるけど、それがはっきり見て取れる壁じゃないのが、なんだか見ていても歯がゆい。彼のいいところはいいところとしてなんか当然の前提みたいになってしまって、そこになにを盛れるか、みたいな闘いになっている。でもまぁそこをあっさりと乗り越えられる、例えばPチャンみたいな選手のほうが、当然ながら例外ではあるのであって。逆にソチに向けて、どれだけ壁を探せるのか、と云う部分もあるのかも。<br />
なんとかそこまで、折れずに進んでいって欲しいなぁ、みたいに思う。<br />
<br />
そこのところでもう絶対に折れたりしないだろう、みたいに思わせるのが高橋大輔で、でもかつての彼の姿を思い起こすとなかなかそのへんは感慨深かったり。今大会では正直見る側としてもぜんぜん満足できるような演技じゃなかったけど、それでもちゃんと世界選手権に照準をあわせて立ち直ってくることができる、みたいな信頼感みたいなのをどこかで感じさせる。<br />
このへんの、貪欲さと油っけの抜け加減の兼ね合いがなんだか最近の彼についてはへんに趣深いのだけれど、それでも間違いなく日本人男子シングルの惣領としての貫禄は、今大会の演技からさえにじみ出てました。変なやつ。<br />
<br />
なんかあいかわらず羽生結弦は内面だだ漏れで、笑ってしまいそうになるほど。それがいい、なんて云っちゃいけないわけだけれど、はみ出る部分を削って丸くするよりは、その間隙を充実させて大きな丸にするほうが望ましいのは当然のことでもあって。そのためにも、牙は削るものじゃなくて、研ぐもの。<br />
FSでの最後のステップに入るまえに見せた、その牙をむきだしにする表情だけで、ぼくは正直満足してしまいそうになるのだけれど（やっぱりぼくは選手の闘争心があらわになる瞬間に弱い。安藤美姫にどうしても惹かれるのもその部分だ）。でも全体としてバランスを欠いたままでは勝てないのが趨勢なのは、チェコのトラが体現してしまっているのだ（ひどい云いかただけどね）。<br />
まだ完成していない、成熟していない。それが羽生結弦で、いまはそれでいい、と思う。歩みを止めることさえなければ。
]]> 
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<title>変わらないもの</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2011-12-20" />
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  <modified>2012-05-18T01:04:32Z</modified> 
  <issued>2011-12-20 19:30:14+09:00</issued> 
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  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2011-12-20">
<![CDATA[
ぼくはあんまり学術的な関心からガムランを聴いているわけじゃないんだけど、やっぱり興味があって買ってしまった。<br />
<br />
<!-- amazon --><div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002RT6NEE/chromeplating-22/ref=nosim" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51jsQdFgV4L._SL160_.jpg" class="sonet-asin-image" alt="Vol,1 ブラルアン、パンクン、ブスンビウのガムラン・ゴン・クビャール" title="Vol,1 ブラルアン、パンクン、ブスンビウのガムラン・ゴン・クビャール"></a><div class="sonet-asin-info"><p class="sonet-asin-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002RT6NEE/chromeplating-22/ref=nosim" target="_blank">Vol,1 ブラルアン、パンクン、ブスンビウのガムラン・ゴン・クビャール</a></p><ul><li class="sonet-asin-label">アーティスト: </li><li class="sonet-asin-label">出版社/メーカー: ビーンズ・レコード/アオラ・コーポレーション</li><li class="sonet-asin-label">発売日: 2009/10/11</li><li class="sonet-asin-label">メディア: CD</li></ul></div></div><div class="sonet-asin-break"></div><!--/ amazon --><br />
で、買って聴いてちょっと驚いた。<br />
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<a name="more"></a>このCDはAmazonで国内盤と輸入盤を扱っていて、価格の安さだけを理由に輸入盤を買ってしまった（上のリンクは国内盤だけど）。ひじょうに内容豊富なブックレットがついていて、関連情報がたくさん載っているのだけど、英語なので読む気力が湧かない。ちょっと失敗だったかも。<br />
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うちにあるいちばん古いガムランの録音はノンサッチの<!-- amazon --><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001AIRVOO/chromeplating-22/ref=nosim" target="_blank">バリのガムラン1</a><!--/ amazon -->で、これがクレジットによると1966年の録音。で、同じくノンサッチの<!-- amazon --><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001AIRVOY/chromeplating-22/ref=nosim" target="_blank">バリのガムラン2～ガムラン・スマル・パグリンガン</a><!--/ amazon -->（これについては<a href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2006-10-17">エントリも書いている</a>）には録音時期は1960年代後半、とある。<br />
これに対して、このアルバムの録音時期は1928年。もうほぼ90年前。と云うか、ぼくの理解ではゴン・クビャールって様式が成立して流行し始めた、もうその端緒くらいの時代（グヌン・サリの結成が確かこの2年くらい前のはず）。で、当時録音された78回転のSP盤から抜き出したもの、らしい。<br />
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そう云うわけでまぁ、音楽として楽しめるような音質は期待してなかったんだけど、鳴らしてみてびっくり。ぼく程度の耳なら充分、楽しく聴けるくらいの音質が確保されているのだ。<br />
そりゃ新しい技術を駆使した近年の録音と比べるわけにはいかない（<a href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2007-01-29">このへん</a>とか<a href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2006-12-24">このへん</a>とかとはね）。原盤のコンディションによるのか、雑音の入り方もまちまちだし、曲によってはゴンが聴こえないとかクンダンがもこもこしてるとか云うのもある。あるんだけどともかく、それはそれとして音楽として楽しめる水準の音が聞こえてくるのがすごい。<br />
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で、そうやって録音されている演奏なんだけど。これが、どの曲もコンパクトなんだけど、とても楽しいのだ。ゴン・クビャールの面白さ、みたいなものが、素朴なかたちではあるけれど、ちゃんと詰まっていて。<br />
そのあたり、本質は変わっていない、変わらないのだな、みたいに思える。伝統の力、みたいなのもあるかもしれないけれど。<br />
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国内で簡単に手に入るガムランの音源と云うのは限られていて、しかも地理的にはウブド・プリアタン近辺、グンカの周辺、みたいなものに偏重している（厳密に云えばともかく、グヌン・ジャティもヤマ・サリもグンカ関連と呼べば呼べる）。でも、このCDにはそもそもウブド郡を擁するギャニャール県の楽団が入っていない。バリ島の県はもともとそれぞれが王国だったので、まぁ「国が違う」わけではあるんだけど。<br />
違うと云ってもゴン・クビャールは北部の発祥で（最初にオランダに滅ぼされて植民地政庁が置かれたのが北部のブレレン王国。そこへ西洋のオーケストラ音楽が入ってきて、ゴン・クビャールの成立にあたってオーケストレーションなんかがインスパイアされた、と云う説を読んだことがある）、そこから広がったので、最後に入っているブスンビウの楽団なんかは元祖に近いあたり、みたいな部分があるのかも。<br />
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そんなこともあってか全体として、ぼくの持っているほかの音源では印象がおなじブレレン県にある<a href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2006-11-30-2">テジャクラのゴン</a>に近い。このへんはまた、コミュニティ外の人間に聴かせる芸能としての芸術的洗練が強く意図されているわけではない、みたいなところが関連しているのかも知れない。このことそのものはぜんぜん悪いことじゃない。ゴン・グデから連なるクラシックな印象はやっぱりあるし、ある意味なまなましい感触もある。<br />
いや、いずれにせよ、例えばヤマ・サリの緊密な構成力やグヌン・サリの疾走感を味わおうと思ったら、聴く側にも相応の心構えと緊張感が要求される部分もあるわけで。1曲がだいたい3分くらい、と短いこともあって、音質さえ気にならなければ、これなら日常的に気軽に聴く、みたいなのもありかも知れないな、みたいに思った。<br />
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]]> 
</content>
</entry>
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<title>魔術的リアル</title> 
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  <modified>2012-05-18T01:04:32Z</modified> 
  <issued>2011-12-16 20:32:12+09:00</issued> 
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  <summary type="text/plain"> </summary> 
  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2011-12-16">
<![CDATA[
云ってしまえば珍記録なんだけど、本人としては（いやだろうけど）名誉、とするしかないのだろうなぁ。<br />
<blockquote><script type="text/javascript" src="http://jss.afpbb.com/mbsv/sdata/medianewsdelivery/asahi/sonet/js/utf8/60084000/d51fdd7430bab0db69fab3f6f329ec7d_619939c6925c80ff07e9fcb3061b15b2.js"></script></blockquote>なんかとてもラテンアメリカ的。<br />
これじゃ本人がどれだけ嫌がっても偶像化とか無敵伝説は回避できないよね。それにしてもこのひとの適切な降り時、と云うのはいったいいつだったんだろう。<a name="more"></a>
]]> 
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<title>議論の誘導</title> 
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  <modified>2012-05-18T01:04:32Z</modified> 
  <issued>2011-12-14 12:19:07+09:00</issued> 
  <id>tag:blog.so-net.ne.jp,2012:schutsengel.47512829</id> 
  <summary type="text/plain"> </summary> 
  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2011-12-14">
<![CDATA[
# 読みづらかったのでちょっと記述方法を修正しました。<br />
<br />
主張がぶつかりあうと、自分の主張が正しいことを示すために議論になる。これはまぁ自然なこと。<br />
でまぁ、その過程で、相手の主張が正しくないことを示すために、相手の論旨展開を誘導しようとして、さまざまな手法が用いられたりする。どんな手法が使われるかを見ることで、だいたいその議論が意義のあるものになるかどうかを見通すことができる。<br />
サンプルは<a href="http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2007-10-01-1">こちら</a>のコメント欄。<br />
<br />
<a name="more"></a>ちょっと戯画的なので、例としてはあまりふさわしくないのかもしれないけどね。そもそもこのケースでは、議論は始まりさえしていないし。<br />
ここのコメント欄でoruteさんがとっている手法は、<br />
<ul>
<li>相手を『レッテル貼りをするやつ』と非難するために、自らレッテル貼りを繰り返す（「学生さん」など）</li>
<li>相手のレッテル貼り行為を誘発するために、いかにもレッテルが貼られそうな言動をおこなう（この場合は『厨房』と呼ばれるために、厨房と呼ばれるのにふさわしい言動を繰り返す）</li>
<li>『コメントを削除された』と云う非難をおこなうために、誰でも削除したくなるような醜悪な用語を使ったコメントを繰り返す</li>
<li>議論の精度を上げないために、つねに主張の対象と内容とレイヤーを曖昧にして、焦点を絞りこませない</li>
<li>捨て台詞を吐く（oruteさんは吐いたあとで何度も飲み込んでるけど）</li>
</ul>などなど。まぁいちばん、なんと云うかかっこいいのは、<br />
<ul>
<li>相手を揶揄するためだけの用語（このサンプルではtypo）を、『うまいこと云った』みたいに認識して連発する</li>
</ul>って手法だけど。<br />
<br />
極端な例ではあるけど、でもまぁ同じことをしていないか、されていないか、みたいなことは（議論のどちら側に立っているとしても）たまに考えてみてもいいのかな、みたいに思う。それが幾分か、oruteさんよりも洗練された手法であったとしてもね。<br />
まぁもちろん、自戒も込めて（この対話ではじっさい、ぼくの方もいくらか誘導的である）。こう云う手法を使ってもべつにそれで勝てるわけでもないし（相手が乗ってこなければそれまでなわけで）、結局は「勝ちたいだけだ」と見透かされるだけ。相手がこの種の手法を使ってきたからと云って、おなじような手法で返しても、意味のある議論はおそらく永遠に始まらない。<br />
逆に云えばたぶん、実りある議論ができる相手かどうか、と云うのを判別するためのある程度の精度が見込める基準にはなるのかも（どう対応するか、は議論の目的によるけど）。このサンプルではブログのコメント欄だけど、議論の場が変わってもたぶん基本的には同じ。BBSだろうがtwitterだろうが、ね。<br />
<br />
# ついでに云うと、こうやって引用可能な状態で「残る」ので（それが4年以上も前の話でも）、やっぱり発言には気をつけましょう、と云う教訓でもあるかも。
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