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カタカナ書き [よしなしごと]

少し前に、フィギュアスケート関連のエントリを書いた。
書いた後でちょっと気になったので、テクノラティなんかで少し関連したブログを覗いてみたりした。

検索に使ったキーワードがよくなかったのかどうか。大体4割はどこかの記事をペーストして2行ほど感想を書いてあるもの(感想さえ書いてないものも結構あった。そういうブログのアフィリエイトでも収益があったりするんだろうか)、3割は絵文字たっぷりの日記風。
まぁ、何がシグナルで何をノイズと見るかは、読む側の勝手な判断になるんだろうけど。

面白かったのは、「フィギュア」を「フィギア」と書いているひとがやたら多かったこと。これは単純な間違いなのか、それともそう云ういいかたもあるということなのか(ことえりが変換しやがったので少し弱気)。

子供の頃、ぼくは何度か引っ越しをした。そのせいだけではないけれど、中学くらいのころには普通に方言も標準語も操れる子供になっていた。別段それで自分が偉いと思ったことはないけれど、そうなると意識したのが、周りの子供たちの多くが「自分の話している語彙は日本中で通用する訳ではない」と云うことを全然知らない、という(当時の自分には信じがたい)事実だった。
しかも、彼らは方言の語彙を知らないぼくを、どこかの田舎者みたいに扱ったのだ。これにも驚いた。

小説めいたものを書くような子供だったし、実際に周りの子供たちに(訛っていないという理由で)変に見られたりしたこともあって、ぼくは言葉をちゃんと扱えない人間をひどく蔑視する傾向を持ってしまった。まぁ、今はさすがに歳も取ってあまり一面的な考え方をしなくなったけれど、それでも言葉に対する感覚が鈍い人間に対しては、あまり期待をしない傾向がある。

読んでもらうために言葉を選び、綴る。伝わりやすさだけが重要ではないけれど、それでも(ある特定の効果を得るため以外には)通常は伝わりやすい表現を心がける。それほどまでに文章と云うのは(自分が望むほどは)読んでもらえないものなので。

でも、そう云う違和感が、「フィギュア」が「フィギア」と表記されているのを目にしたときの何とも云えない(でも結構強烈な)嫌悪の感情に繋がるのかもしれない。なんと云うか、言語的な視野の狭さに対する堂々たる無神経さのようなものを見せつけられている、と云うか。

でもまぁ、例えばすべての人間にとって、ブログを書く目的が「読んでもらうこと」とは限らない訳で。確かにあんまり、「フィギアスケート」について書かれたブログには読むべき内容のあるものはなかったし。整合していると云えばいえるかなぁ。


タグ:雑談 表現
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