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表現の媒体、そして主体としての「浅田真央」 [みたもの、読んだもの]

青嶋ひろのがスポーツナビに書いた浅田真央が気づいていない大切なものと云うコラムがちょっと話題を呼んでいて、ネットでも(とくに怒り心頭の「真央ちゃん」ファンを中心に)いろいろとリアクションがあったりして。
それでなくともここはどうやら「真央ちゃん」ファンの逆鱗に触れがちらしいので、このへんのことについては書こうかどうかちょっと悩んだけど、とりあえず書いてみる(ちなみに青嶋さんのコラムについてはこっちでも触れた。今期の真央のフリープログラムをぼくがどう捉えているか、についてはこっちで書いている)。

ジャンプもそのほかのエレメンツも「技術」としては完ぺきに近いが、「氷の上で自分を表現する、何かを表現する」というフィギュアスケートのもうひとつの大切な部分が、まだ少し足りない。いや足りないのではなく、それができる力を持っているのに、必要であることに気づいていないのだ。
じつはぼくも似たようなことを何度か書いている。ただし3年くらい前。

ここでは、フィギュアスケートの表現としての側面、だけをとりあげる。それは本来、競技として、スポーツとしての側面と不可分なものではあるのだけど、ここを切り離さないと論旨がぐだぐだになってしまうから(「真央ちゃん」ファンのみなさまの主張がどれもこれも「でもだれそれより低い点数はおかしい」と云う場所で滞留して出られなくなってループになってしまう原因は、たぶんこのへんにあるんじゃないかな)。

表現は、だれのものか。
演劇でも、いっそプロレスでもいいんだけど、ここでは歌手のアナロジーで考えてみる。ある歌手のうたは、だれのものか。

すてきな歌が聞こえてくる。もちろんそれはまず、それをうたっている歌手のもの。すばらしい声と、技巧と、うたに乗せてつたえようとするテーマに対する理解と。でも、そのすべてがその歌手のものか、と云うと、どうだろう。
歌詞を書いたひと、曲を書いたひと。アレンジしたひと、バックの演奏をしたひと。もちろん歌手によって関与のしかたはさまざまだろうけれど、そのひとのうたがそのひとだけのものであるとは限らない。そして、その歌手自身がどれだけ関与しているか、そのうたのなかでどれだけの部分がその歌手のなかから出てきたものか、と云うことがいちがいにそのうたの価値を決める、と云うことにもならない。
それでももちろん、うたわれたうたはその歌手のものだ。

ミラクル・マオなんて呼ばれていたころの彼女の演技を、正直ぼくはすごいけれどつまらないもの、と感じていた。
きらきら、ひらひらした、はっきり云ってこどもっぽい振付を、とても真面目に、ていねいにこなす。それは確かにすてきだしすごいのだけど、つれあいの形容を借りれば「とても上手な漢字の書き取り」のよう。どこかお仕着せめいて見えて、浅田真央がその演技をどう捉えているのか、その演技で観客にどんなことを感じてほしいと思っているのかは届いてこない。

例えば、同じころの安藤美姫の「カルメン」。恋を闘いとみなし、勝ち取るために傷もいとわずに全身全霊を傾ける女性像は、彼女の勝負師としての内面と呼応して(まぁ、できのいいときには)強烈な印象を与えた。その表現には、安藤選手自身がいた。今期の大輔や鈴木さんの演技も、そう云う種類のものだったと思う。
じゃあ真央の演技のなかで、彼女自身はどこにいるのか。

これはもちろん、フィギュアスケートの演技には選手の内面が反映されているべきだ、と云う話ではない。その歌手の内面が表現されているもののみ、歌手のうたには価値がある、と云うことにはならないのと同じ。ただぼくたちは、どうしてもそう云う要素を通して表現を捉えがちだし、またそう云う種類の表現のほうが届きやすい。ぼくらの感受性はおおむね怠け者なので、理解するべき角度があらかじめ与えられた表現のほうが、すんなりと抵抗なくしみとおり、なじむ。
まぁ(本人の意識がどこにあったのかはともかくとして)3年ほど前の真央のプログラムで表現されるものが、当時の彼女の年齢相応の、あるいは年齢よりも幼い印象を与えるキャラクターに適合していたのは事実で。だから仮にそこに彼女自身の深い理解がなくてもギャップは生じなかったし、そのことがまたいまでも彼女に当時のようなイノセンス(と云う言葉にぼくはここでけしていい意味を込めるわけではない)を求める「真央ちゃん」ファンがたくさんいる、と云う状況の要因にもなっているのだろう。

でもこれは、3年前の話。現時点での話ではないし、浅田真央も3年前の場所にはいない。

「鐘」の演技のなかに、浅田真央はいるか。そこに彼女自身の内面は反映されているか。
端的に云って、いようがいまいが関係ない。そこで表現されるべきものを深く把握し、その表現に必要とされる要素をすべてコントロールして、一連の演技として滑りきる力量がないと、そもそもプログラムとして成立しない——「鐘」はそんなプログラムだ。そして、少なくともあのプログラムが要求する水準でそれをなしうるポテンシャルを持つ女子選手は、現時点で浅田真央しかいない、と思う。そこに自己の投影があろうがなかろうが、彼女自身の内面との乖離があろうがなかろうが、彼女はそれをなしとげたのだ。
テーマを決め、構成を与えたのはタラソワかもしれない。でも、演じたのは真央だ。タラソワからシーズン中に出されたと聞くプログラム変更のオファーを真央が断ったのは、彼女自身がそこに演じるべきもの、表現すべきものを見出したから、なのだと思う(コーチにもうしわけない、なんて思いだけで、あんなプログラムが滑れるものか。あんな表現ができるものか)。彼女はタラソワの表現のための媒体かもしれないけれど、同時に間違いなく彼女自身の表現の主体なのだ。

青嶋さんの書いていることには同意できるけど、同時にそれはとりたてて大きな問題じゃない、とも思う。
青嶋さんの書くことはときに選手の内面に寄り添い過ぎる部分があるように感じるので、結果として今回はこんなコラムになっちゃったんじゃないかなぁ、と推測はできるのだけどね。
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通りすがり

私は、青嶋ひろのさんは、実在している浅田選手を見ていない気がします。
過剰な期待、妄想(幻想?)を含めて「こうあるべき真央ちゃん」を脳内で作りあげ、現実の浅田選手がそれにそぐわないと、『真央ちゃんは私が正してあげなくては』と義務感だか正義感に燃え感傷的な回りくどい表現のコラムを書く、そんな印象を受けます。
青嶋さんは「マオタ」と呼ばれる浅田選手の盲信的なファンを嫌悪しているようですが、端からみると、同族嫌悪にしか見えません。
by 通りすがり (2010-03-31 23:08) 

pooh

> 通りすがりさん

そのハンドルネームは、どんな意図があって選ばれたのですか?
by pooh (2010-03-31 23:14) 

Cere

こんばんは。

僕はフィギュアスケートのスポーツとしての側面をより重視しているので、浅田真央はいっそ「技術こそが表現だ」という方向に突っ走ってくれないものかと一時期思っていたのですが、そうはならなかったですね。(まあ当然ですけど)

伝説のフィギュアスケーターミドリはそういう意味で好きな選手でした。
by Cere (2010-04-01 01:44) 

pooh

> Cereさん

やっぱり結局「どうやったら勝てるか」を考えざるをえないわけなので。その意味でも、やっぱりルールや採点基準は現状じゃまずい、と云う話でもあるんですけどね。

> 伝説のフィギュアスケーターミドリ

そう云えば、圧倒的な能力で有無をいわさず表現の評価までもぎとっていく、と云うのが彼女の闘い方でした。ジェーニャの今期の闘いも、そう云う種類のものだったかもしれません。
by pooh (2010-04-01 07:35) 

通りすがり

こんにちは。昨夜コメントしたものです。

>そのハンドルネームは、どんな意図があって選ばれたのですか?

HNは特に意図はありません。
こちらの常連ではなく、夕べたまたまここにたどり着いたという意味で使用しました。
私は、浅田選手のアンチでもなくファンでもありませんし、青嶋さんの書かれている内容すべてを否定しているわけではありません。
が、青嶋さんの混迷した文章(特に最近の、ニフティの世界jrレポートから以降)や、それにいちいち噛み付く浅田選手の妄信的なファンをみていて、不快を感じてました。
昨日はそういう、もやもやとした気分の中で感じていたことをつい書き込んでしまいました。
不適切または不愉快不快であると感じたならば、削除してください。
by 通りすがり (2010-04-01 11:12) 

pooh

> 通りすがりさん

いや、とくに削除なんかはしませんけど。
「通りすがり」と云うハンドルネームは「書き捨て」の意図を示すために使われる例が多いので、対話しづらいんですよね。判別可能なハンドルネームで書き込んでくれるとありがたいです。

で、おっしゃる感じはぼくと共通していると思います。現状はあまりにも見苦しい。
ただ、ぼくがいちばん恐れていた「オリンピックで金メダルが取れなかったゆえに『真央ちゃん』ファンが浅田選手に向かっていっせいに牙をむく」と云う事態がどうやら避けられたらしいのは、ちょっとだけ救いですけど。そのへんだけはトリノのころよりはましな状況にあるのかな、とも思います。

このエントリを書いてあらためて感じたのは、「表現」だの「芸術」だのを語る際には、それがどう云うものだと自分が認識しているのか、と云う部分を示してからでないと、「おれは(あたしは)感動したんだからともかく尊重しろ、おまえらはおれの(あたしの)『感性』を大事にしろ」以上のことは結局主張できないんだな、と云うことです。その面で青嶋さんの書き方はプロとして問題があるとも思うし、噛みついているひとたちもどうしようもないよなぁ(自分がなにに噛みついてるのか自分でちゃんとわかってるのかな)みたいに感じてます。
by pooh (2010-04-01 21:26) 

さと(通りすがり)

こんにちは。
>判別可能なハンドルネームで書き込んでくれるとありがたいです。

しつれいしました。記事がフィギュア中心のブログを探していた流れで、ああいったHNしてしまいました(あまり偏りのないブログを探しているのですが、なかなか見つかりません)。

絵画でもそうですけど、1つの物に対して受ける側の印象は100人いたらそれぞれ異なるし、同じ人間でもそれをみたときの心理状態でまた異なってきます。
個人のブログならともかく、スポーツライターと名乗って職業としている人には、その辺をもっと気を使って書いて欲しいと思います。
・・・もっとも、それが青嶋さんの「味」なのかもしれませんが。

今回は、青嶋さんが浅田選手の本を出版したので余計にヒートアップしてしまったようです。





by さと(通りすがり) (2010-04-02 11:32) 

pooh

> さとさん

うちはあんまり一般に「フィギュアスケート中心のブログ」とは認識されていないとは思うんですけどね(^^;。今期はオリンピックイヤーだったのでちょっと多めに書きましたけど。

> 1つの物に対して受ける側の印象は100人いたらそれぞれ異なるし、同じ人間でもそれをみたときの心理状態でまた異なってきます。

そこに客観的な点数をつける、と云うのがもともと無理筋ではあるんですよね。なんらかの批判の場所に立とうとすれば、その無理筋をどう理解するか、と云うのを(それがたとえ個人的な理解にとどまるものであるにしても)まずは示さないと、結局は「自分はこう感じたので、それ以外の感じ方は間違っている」と云う主張にしかならない。そんなのいくら束になってもゼロです。

芸術性、と云うか「美しさ」みたいなものをどう捉えるか、と云うことに関しては、ぼくは以前にこんなエントリを書いています(フィギュアスケートとは全然関係ないですけど)。
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-10-16
共有できている、と云うか「みんなそう云ってる」みたいな部分は、自分の主張についての強力な根拠になってるって誤解しがちなんですよね。

> ・・・もっとも、それが青嶋さんの「味」なのかもしれませんが。

じつはその部分はあると思っていて、だからエントリではこんな書き方をしてるんですよね。冷静沈着で客観的、と云うのだけがプロのライターに求められる資質か、と云うとそれも違うように思えますし。

> 青嶋さんが浅田選手の本を出版したので余計にヒートアップ

自分が支持する選手については100%肯定的な評価しか認めない、みたいな人間がファンを自認できることそのものがぼくには理解しがたいんですが、百歩譲ってそれはそれでいいとしても、ひいきの引き倒しは自分の支持する選手を貶める行為ですよねぇ。
by pooh (2010-04-02 21:58) 

さり

はじめまして。フィギュアのところだけ読ませていただきました。面白いブログですね。
私は荒川・村主選手あたりからぼんやりと見ているフィギュアファンです。好みの選手はスピードのある時の由希奈さん、今は真央ちゃん鈴木さんなどなどでしょうか。

さて、今年終盤の「仮面舞踏会」と「鐘」はすごかったですね。フィニッシュで思わず声をあげました。ただ、舞踏会はともかく、「鐘」に関しては、最終的に驚くべきものに昇華させてしまったものの、当初からもっと彼女の動きの軽さを生かしたプログラムを選べなかったのか疑問が残りました。また、テーマが芸術というより学術的すぎるようにも思えました。警鐘とか火なら、どこかでアナウンスがあっても良かったですよね。

pooh さんはスケートアメリカの「ノクターン」をご覧になってらっしゃるのですよね。あれは2週間程度でのお披露目だったらしいにも関わらず、彼女のマスターピースだったと個人的には感じます。
真央ちゃんのもともとの特徴はふわりと高いジャンプ(加点ないけど)と丸くバウンドするしなやかな腕で、ああいったものがさらに見たいと私的に思うのですが、あれはローリー・ニコル自身の趣味をなぞっただけなのかな?動きも精密でしたし音楽とぴたりと合ってました。あそこは短期間で結果を出せた大会でもあるんですよね。

あれ以降、プログラムのカラーはどうあれ、どうも音楽とエレメンツのタイミングを合わせるまでにかなりの時間を要したり、こなせずに終わっているようで、もっと簡単な方向はないものかと考えてしまいます。
ときどき言われる彼女の表現力の足りない部分、自己表現よりは「音」、メロディーやリズムとのシンクロなのではと思ってしまうのですが…青嶋さんはふれてませんでしたけれど。みなさんどう思われてるのでしょう…?


by さり (2010-04-02 23:47) 

zorori

フィギュアスケートはオリンピックの時しか見なくて不案内ですが、採点競技についてはいろいろ思うことがあります。

私が興味がある採点競技はスキーのモーグルとウインドサーフィンのウェイブです。どちらも比較的新しい競技でその発祥の経緯を選手も知っているという特徴があります。

最初は楽しみで遊んでいただけでも、「あいつはスゴイ」というような評価が仲間内で自然発生的に出てきます。評価のルールが有るわけではありませんが、何となく多くの仲間から認められるスターが出てくるんですね。そのうちに、ルールを作って、誰が1番か決めよう、それは面白いね、やろうやろう、という流れになります。

そうなると、採点する審判が必要になり、プレーヤーの中から選ばれるわけですが、このあたりから、仲間内の人気投票から、少数の審判団の評価という変化になり、両者の間で評価の違いが出てきたりしていろいろと軋轢が生じてきます。

ウィンドサーフィンではロビーナッシュというスーパースターがいましたが、ある時期から試合に勝てなくなってきました。それでも、やっぱり1番上手いのはロビーだと言われ(雑誌の記者が書いているだけですが)、本人も「自分の考えるウィンドと今のジャッジとは違う」と自由に発言したりするんですね。そういうことも許容されるというか、いい加減というか、あまりに厳格にルールを決めるの嫌い、自由にやろうよという雰囲気が強く残っています。

モーグルは、オリンピック種目になっていて、他の歴史ある採点競技とウィンドの中間あたりの雰囲気を感じます。
里谷多英と上村愛子はさほど歳は離れていませんが、遊びを自由に楽しむタイプと真面目に競技として取り組むタイプという違いを何となく感じます。上村愛子は最初はアルペンスキーをやっていたという経歴も影響しているのかなと思ったりします。

何を書きたいのか分かりにくい長文になってしまい、失礼しました。

by zorori (2010-04-03 07:07) 

pooh

> さりさん

いらっしゃいませ。
ここのフィギュアスケート関連のエントリは、観戦素人の(よくない言葉を使えば「ニワカ」の)スタンスから動かないままで、どんな内容のある、読んでもらえるものを書けるか、と云う実験だったりもするので、楽しんでもらえるとうれしいです。

> 当初からもっと彼女の動きの軽さを生かしたプログラムを選べなかったのか

どうなんだろう。
チャレンジングである、と云うのは、ぼくはけして悪いことだとは思わないんですよ。

> テーマが芸術というより学術的すぎる

いや、逆にそこに意義があると思っています。テーマはアナウンスすべきものではなく、感じさせるべきものなのではないでしょうか。受け止める側の感受性の成熟も、そこには必要になるのかもしれませんが。

> もともとの特徴はふわりと高いジャンプ(加点ないけど)と丸くバウンドするしなやかな腕

彼女の足下ばかり見ているぼくには異論もありますけど、おっしゃる部分はわかります。でも、例えばそれも「鐘」には必須の要素だったのではないでしょうか。

> 音楽とエレメンツのタイミングを合わせるまでにかなりの時間を要したり、こなせずに終わっている

ぼくは、昨期以来こんなものだよなぁ、とか思ってました。ヨナ・キムの仕上がりが異常に早かったので、闘いとしては難しいなぁ、みたいにも感じましたけど。

> 自己表現よりは「音」、メロディーやリズムとのシンクロなのでは

ぼくは逆に、真央にはこの部分でキムさんを大きく超えるポテンシャルを持っているのではないか、みたいに思ってるんですけどね。つまり、競技としてのフィギュアスケートが求める意味での「表現力」には、欠ける部分はない、みたいに。

いずれにせよ「鐘」は異形のプログラムだったと思っています。異形ゆえに無比の、すばらしいプログラムだった、みたいに。これは彼女のファンのかたがたとは共有できなくてあたりまえの感覚、みたいにも思いますけどね。
by pooh (2010-04-03 07:21) 

pooh

> zororiさん

フィギュアスケートの場合ヨーロッパ発祥で、ボードセイリングやモーグルと比較すると相対的には歴史が長い、と云う違いが関係してくるのかもしれませんけどね。つまり、引きずっているものが多いので、評価基準に洗練もあるけど負の遺産もそこそこにあって、そこの再整理がやっかい、みたいな。
アメリカ発祥の、エクストリーム系のニュアンスを持つスポーツはそのへんがちょっと違う、と云うか、それはそれでゆるいなりの問題も持ってるんだろうなぁ(でも問題があっても、まぁいいか、みたいな部分もあるんだろうなぁ)みたいに思ったりはします。
by pooh (2010-04-03 07:28) 

FSファン

 >ここはどうやら「真央ちゃん」ファンの逆鱗に触れがちらしいので、

「がち」と言えるほどのコメントがあったわけじゃなし、いささか自意識過剰の感が・・・。仮に私のことをさしているのだとしたら、私は「真央ちゃん」ファンの代表ではないことをまずことわっておかねばなりませんしね。

「ぼくは真央のジャンプが好きじゃない。跳ぶ前の姿勢も、跳んだあとの流れも」と書いておられましたが、私はその部分に反応したわけではない。poohさんとは価値判断基準が異なる人間として別の視点を示しただけのことです。「逆鱗」は過剰反応の印象を受けます。

by FSファン (2010-04-07 17:37) 

pooh

> FSファンさん

そこの部分はべつに今年書いたエントリの話をしてるんじゃないし、とくにFSファンさんを想定してるわけでもないですよ。
余計なお世話でしょうが、ただの前振りの部分だけに反応して他人の自意識の所在を忖度するまえに、まずご自分の自意識について顧みることをこころがけてみてはいかがでしょうか。このコメントがこのエントリの内容に対して「別の視点を示し」ているようにはとうてい読めませんし(本論に触れられてさえいらっしゃいませんしね)。
by pooh (2010-04-07 21:58) 

黒猫亭

以前のエントリでpoohさんが仰った「なんだか薄気味の悪いコミュニティ」と謂う表現のニュアンスが何となくわかってきました。
by 黒猫亭 (2010-04-07 23:14) 

pooh

> 黒猫亭さん

なんともはや。

自分が語ることに意味を持たせようとするなら、自分が何について語っているのか、と云うことはまず把握する努力が求められると思うんですよ。最低限。
by pooh (2010-04-07 23:21) 

FSファン

もちろんそこの部分にだけ反応したのですよ。だって、「逆鱗」なんて大げさな書き方は、まさに私に向けられたのだと思ったから。でも、それは勘違いであり自意識過剰だったということですね。それは失礼しました。ところで、私を想定しておられないとしたら、例えばどの部分をもって『「真央ちゃん」ファンの逆鱗に触れがちらしい』といえるのかだけでも教えて頂けると有り難いです。
by FSファン (2010-04-08 20:32) 

pooh

> FSファンさん

エントリをちゃんと全部読めばおわかりになるんじゃないですか?
おわかりにならなければ、おわかりになるまで読み返すことをお勧めします。

他人のブログのコメント欄なのに、そこでどれだけ無作法にふるまってもちゃんと尊重してもらえると思っていられる、その自信がぼくみたいな凡人から見ると不思議に思えますが。
書かれていることさえまじめに読まないかたは、お越しいただかなくてもけっこうです。
by pooh (2010-04-08 21:37) 

shu

はじめまして。 フィギュアをみたことなかったのに、今シーズンたまたま浅田真央の演技をみて、深く深く感動してしてしまった者です。

 にわかファンとなり、浅田真央の記事を検索してみたところ、浅田真央には観客に楽しんでもらいたい、見てもらいたい、表現したいという力が弱いという意見が意外と多いことに驚きました。
その際に感じた、フィギュアを論じる際の表現力という言葉に対する違和感を、poohさんのこの記事で整理できた気がします。 
 表現する気持ちが強ければ強い程芸術性は高まるのか?
私は、芸術とは、ありとあらゆる要素が奇跡的にからみあった瞬間に生まれるものであり、表現したい思いや努力だけでは生まれないのだと思っています。 私は浅田真央に芸術をみました。浅田真央の芸術を因数分解すると、技術が何%、表現力が何%、体型が何%・・、そんな事はどうでも良く感じます。出来上がった演技は、私にとっては奇跡の結晶のように思えました。 
by shu (2010-04-18 22:11) 

pooh

> shuさん

いらっしゃいませ。

受け手にとって感じたものがすべて、と云うのは原則だと思うんですよ。ただ、そこに表現者の「なにを感じさせたいのか」と云う意図とか意志が重要な役割を担っているのも、また確かだとは思うんですよね。で、それとはまた別に、フィギュアスケートと云うものが採点によって順位のつくスポーツである、と云う事実もあって。
この部分を見る側、演じる側がどんなあたりで折り合いをつけて理解するか、と云う話でもあるのかも、とか思います。
by pooh (2010-04-19 07:36) 

shu

>採点によって順位のつくスポーツ
浅田真央が採点なんてどうでもいい、とは思ってなくて、
高い点数をほしい、金メダルがほしい、と思っているところがファンとして
折り合いをつけるのが難しいところですね。

>表現者の「なにを感じさせたいのか」と云う意図とか意志が重要な役割を担っているのも、また確かだ

浅田真央は、内から生まれてくるものを言語化する能力は比較的稚拙(誤解を生みそうな表現ですが)なため、表現力が低いと誤解されがちだという側面はある気がします。
逆に、言語化されていない分、内から沸いてくるものが身体表現に集約されるから、あのすごさが生まれるのかな、と思ったりもします。


by shu (2010-04-21 00:20) 

pooh

> shuさん

いや、スポーツなので、だれもが高い順位を目指しているんですよ。
往時の荒川さんとか、いまで云うとジョニーとか、そのあたりのプライオリティが相対的に低い選手もいるでしょうけど、そこは程度問題を超えないはずで。

> 言語化されていない分、内から沸いてくるものが身体表現に集約される

こう、当然ながら、身体を使った表現を受け止めるにあたって、その言語化を手がかり以上のものにしてはいけないんですよね。少なくとも表現者当人に求めるべきものではない。

以前にも書きましたが、フィギュアスケートにおける表現と云うのは、その音楽の表現のことで、つまりはリズムやメロディ、抑揚の表現のはずなんです。その枠を超えないはずなんですけど、多くの場合テーマになる音楽そのものがなんらかの表現であるので、例えばそこになにかしら物語や感情表現、みたいなものを加味したほうが(審判を含む)受け手に手がかりを与えられて伝えやすい、と云うのがあるんだろうな、と思います。
でも、それは本質ではないはずなんですよね。
by pooh (2010-04-21 07:35) 

スケートファン

初めて書き込みさせて頂きます。
私は青嶋さんの意見に全く同感です。
音楽が流れる以上、芸術でありジャンプだけが全てではないと思います。
生で見に行けば、凄くわかると思うんですが。
音楽の表現しようとする神経が細かいところまで行き届いてない事、その音にあった表現が出来てないこと。
彼女の気迫という点は伝わります。
でも、音楽を理解して滑ってないんです。
去年の仮面舞踏会フリーを、そのまま鐘に変えただけに見えるプログラムも、あの暗い恐ろしい曲を可愛い衣装で笑顔で滑ってしまうショートプログラムも、『??』て思うんです。
仮面舞踏会は短調で貴婦人が殺されてしまう曲なのに、
なぜ笑顔??なぜ明るく見える??
明るく笑顔なら違う長調の曲で滑って欲しいって思ってしまうし、暗い曲は紫やダークな感じで滑って欲しい。
今回は戦略ミスもあると思います。
今回の仮面も鐘も、どちらかと言えばヨナに向いてた曲でした。
イメージに合わない曲で、7つ跳ぶジャンプの4つがアクセルに偏ったプログラムで。
彼女にも気付いて欲しいと思います。
改善出来る力があるんじゃないかと思うからこそコラムに書くんですよ。
本当に能力がないと思ったら文章にしないと思いますよ。
私も、彼女の表現という点では、まだ認めれていません。
ジャンプという興奮はあっても何回もプログラムを見たいという心に残るものや、感動というものが、ないんです。
荒川静香の2004年世界選手権のFRトゥーランドットや、2002年のサラヒューズや伸び伸び滑るコーエンの演技は感動するんです。
キムヨナのあげひばりも感動しました。
真央ちゃんは、何かが足りないんです・・・
それが、観る者に伝わる表現力だと思います。

by スケートファン (2010-04-26 18:21) 

pooh

> スケートファンさん(できれば個人識別可能なハンドルネームをお使いいただければありがたいです)

ぼくは生で観戦したことがないので、その部分についてはなんとも云えないのですが。

> 音楽を理解して滑ってないんです。

そこには「音楽を理解して滑る」と云うことがどう云うことか、と云う議論が存在すると思いますよ。
あと、本文を読んでいただければお分かりのとおり、ぼくはかならずしも高い質の表現に、選手によるその音楽に対する理解の深さが必須だとは思っていません。いやまぁもちろん、そのほうが早道だろうな、とは思いますけどね。

> 改善出来る力があるんじゃないかと思うからこそコラムに書くんですよ。

青嶋さんの意図はそこにあるんだろうな、とぼくも思います。その部分の改善は、望ましいことなのでしょう。ただ、現時点でどんな地点に彼女が到達しているのか、を考えると、必要なものだとまではぼくは思っていないのですけど。

あと、ぼくも今期のSPは気に入らなかったんですが、それは基本的に編曲(による曲の展開)が気に入らなかったからでした。仮面舞踏会を明るく滑るのも、個人的にはありだと思います。
by pooh (2010-04-26 21:52) 

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